今村氏『交易する人間』を読む4
<つづき>
それに対して、レヴィ・ストロースはどうか。今村氏の引用。
「何よりもまず、技術的、儀礼的、審美的な社会的活動の産物―道具、手工製品、食料品、呪術の文句、装飾品、歌謡、舞踏、神話―は、それらすべてが共有しているところの、移転可能性という性質によって相互に比較できる。移転の様態は、分析することも分類することもできるし、たとえそれらの事物がある種の価値から分離できないとしても、より根本的な形式、つまりは一般的な形式に還元できる。しかも、それらの事物は比較できるだけでなく、しばしば置換可能でもある。というのは[事物に付着する]それぞれ異なった価値は[事物を移転するという]同じ操作のなかで互いにとって代わることができるからである。そしてとりわけ、これらの操作は、社会生活の種々の出来事(生誕、成人式、結婚、契約、死あるいは相続)を通して実に多様に現れるし、またそれらの操作が動かす諸個人の数と配分(たとえば、受け取るもの、媒介するもの、与えられるものというように)によってそのつど任意に現われるのだが、たとえそうであるとしても、これらの操作はいつでも、集団のであれ個人のであれ、ごく少数の操作に還元できる。そうなれば、考察される社会のタイプに応じてさまざまに[意識によって]想念され[行動によって]実現されるにしても、結局は一つの均衡の基本的な諸項目しか見出されない。このようにして、社会のタイプは社会に内在する性格によって定義できるようになるし、また相互に比較できるようになる。というのもこれらの性格はもはや質的な領域に位置づけられるのではなくて、
あらゆる社会タイプのなかに不変項としてある諸要素の数と配置のなかに位置づけられるからである」
これに対して今村氏は、「このように、レヴィ・ストロースにとっては、相互性システムは諸現象の間の恒常・不変の関係であり、これによって彼によれば「数学化」が可能になる。彼は構造言語学をモデルにして、社会の構造を不変にして普遍の恒常的な相互性のシステムとして提出する。科学はこのような普遍・不変の規則を発見することにあるという」とまとめている。
さらに、「贈与体制の社会では、はなはだしく神話的想像力が活動するが、現代の資本主義体制でも当事者は商品「に内在する価値」を神話的に想像し、それによって経済構造は形成され動かされている。われわれの観点は、レヴィ・ストロースの観点と違って、構造を形成し運動させる当事者の想像力を重視する」(157頁)。
「レヴィ・ストロースは神話的言葉を、それが幻想や妄想であるといって、すべて切り捨てる。われわれの社会哲学的観点は、神話的な言葉を相互行為の決定契機として重視する」(同)。
「レヴィ・ストロースは相互行為を交換一般に還元する。交換論は、人・物の移動に焦点にあてる」(158頁)。
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