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映画「靖国」騒動

 映画「靖国」をめぐって、右派・保守派が騒いでいる。

 稲田朋美自民党衆院議員が、映画「靖国」が「反日」映画だと報じられたことをきっかけに、映画に文化庁所管の日本芸術文化振興会から750万円の助成金が出ているを問題にして、自民党の「伝統と創造の会」が、上映会を文化庁に求め、その後、週刊誌の反日映画という評価を鵜呑みにした右翼青年一名が、上映を予定していた映画館に情宣をしかけ、映画館側が、まわりに迷惑をかけるなどとして、上映中止を決定したという問題である。

 下の稲田議員らを除く、保守派は、映画を観ないまま、あれこれと批判を書き連ねている。産経「正論」にはいくつもそういう文章がある。今、問題はどうやらこの映画で登場する靖国に刀を納めてきた刀匠の問題になっているようである。映画を観ていないので、具体的なことはわからない。

 稲田議員は、映画の上映中止に責任があるかのごとき、一部世論に対して、下の反論を書いた。

 稲田氏は、「助成の要件である(1)日本映画であること(2)政治的、宗教的宣伝意図がないこと-を満たしていない」として、助成すべきではなかったと主張している。その理由は、日本映画ではないからだという。その理由を「映画「靖国」の製作会社は日本法により設立されてはいる。しかし取締役はすべて中国人である。平成5年、中国中央テレビの日本での総代理として設立されたというが、映画の共同製作者は2つの中国法人(団体)であり、製作総指揮者、監督、プロデューサーはすべて中国人である」と述べている。

 法律は、「日本映画とは、日本国民、日本に永住を許可された者又は日本の法令により設立された法人により製作された映画をいう。ただし、外国の製作者との共同製作の映画については振興会が著作権の帰属等について総合的に検討して、日本映画と認めたもの」という要件をあげている。上のようなケースについての規定はないので、稲田氏のような解釈の正誤を判定できない。氏の主張は、そう解釈もできるという程度のものであろう。

 政治性については、「靖国神社をテーマにしていること自体、政治性が強い。小泉元総理の靖国参拝をめぐっては国内外で議論があり、特に日中間で政治問題化した。しかも、この映画のメーンキャストは小泉元総理と靖国神社を訴えていた裁判の原告たちである」という理由で、あると判定している。ここは意味がとりづらい。「靖国神社をテーマにすること自体が、政治性が強い」ということの理由が次の文に書かれているのだろうか? つまり、「小泉元総理の靖国参拝をめぐっては国内外で議論があり、特に日中間で政治問題化した。しかも、この映画のメーンキャストは小泉元総理と靖国神社を訴えていた裁判の原告たちである」から、政治性が強いということだろうか? 靖国神社への小泉首相の参拝をめぐって議論があったこととそれが日中間で政治問題化したことは、この映画の内容の政治性とどう関係しているのかがわからない。まして、「この映画のメーンキャストは小泉元総理と靖国神社を訴えていた裁判の原告たちである」というのは、映画の内容との関連がわからない。なんとなく、裁判の原告がメーンキャストだから、原告の立場に立った映画だと言いたいのではないかと思われるが、例えば、東条英機をメーンキャストにした東条批判映画というのもありうるわけだから、メーンキャストが誰かということだけでは、内容の政治性はわからない。その点を確かめるために、試写会を開いて、実際に映画を観たのではなかったのか。要するに、氏は、法律家の目で外形を観るだけで終わっているのである。

 そのことは、氏自身、「私たちが問題にしたのは、この映画自体ではない。そこに文化庁所管の日本芸術文化振興会が750万円の公的助成をしたこと、その一点についてである」と述べている。つまり、合法か否かだけを問題にしたということである。しかし、稲田氏の違法とする判断根拠は上に述べたように怪しいものである。

 他方で、氏は、この映画の内容を批判している。映画から、いくつかのメッセージが読み取れたという。一つは、「私も弁護士の立場から靖国神社の応援団として裁判にかかわったが、原告らは一貫して「靖国神社は、死ねば神になると国民をだまして侵略戦争に赴かせ、天皇のために死ぬ国民をつくるための装置であった」と主張していた。映画からは同様のメッセージが強く感じられる」というもの。氏は、「映画の最後で、いわゆる南京大虐殺にまつわるとされる真偽不明の写真が多数映し出され、その合間に靖国神社に参拝される若かりし日の昭和天皇のお姿や当時の国民の様子などを織り交ぜ、巧みにそのメッセージを伝えている」と述べている。南京虐殺では、日本人が虐殺されたのではなく、中国人である。死ねば神になるとだまされたのは、日本人である。単純に考えれば、これは、国内平和と戦地の悲惨さを対照したものだろう。そこに巧みなメッセージなどを見る稲田氏は、深読みしすぎではないだろうか? ちょっとスターリンばりに、猜疑心が強すぎという気がする。

 「私は、大虐殺の象徴とされる百人斬り競争で戦犯として処刑された少尉の遺族が、百人斬りは創作であり虚偽であることを理由に提起した裁判の代理人もつとめた。遺族らに対する人格権侵害は認められなかったが、判決理由の中で「百人斬りの記事の内容を信用することができず…甚だ疑わしい」とされた。ところが映画では百人斬りの新聞記事を紹介し、「靖国刀」をクローズアップし、日本軍人が日本刀で残虐行為をしたとのメッセージを伝えている」というところは、氏の誤読のような気がする。

 「これらを総合的に判断すると、「靖国」が「日本映画」であり「政治的宣伝意図がない」とし、助成金を支出したことに妥当性はない」と氏は結論する。ずいぶん偏った総合に見える。これでは、総合の名に値するものとはいえないだろう。

 別にこの映画の公開に反対したわけではないといっても、氏の場合、自分が最高権力を握る与党議員という立場にあるということ、その身分は、民間人ではなく、特別公務員であるということをわきまえる必要があることは明らかではないだろうか。

 「表現や言論の自由が最大限尊重されなければならないのは民主政治の過程に奉仕するからであり、表現の自由の名のもとに政治家の言論を封殺しようとすることは背理である」と氏は言うのだが、これもまた稲田氏の強い被害者意識が出ている感じがする。世論は、稲田氏に権力をもって言論封殺を強制することはできないからである。この場合には、稲田氏は、他者の言論や表現の自由を守ってこそ、自分のそれらが本当の意味で守られるのだということを理解する必要がある。一時、氏も加わっての表現の自由の名のもとに政治家の言論を封殺しようとした反フェミニズムやサヨクへのバッシングの嵐は、一体、どう説明するのか? まさか、サヨクの場合はだめで、保守派の表現の自由だけが、最大限尊重されるとは言わないだろう。なお、民主政治の過程に奉仕する政治家に、表現・言論の自由を最大限尊重するようになったのは、戦前の反省からであり、戦後民主主義的価値観を示すものだ。「靖国神社は、死ねば神になると国民をだまして侵略戦争に赴かせ、天皇のために死ぬ国民をつくるための装置であった」ことを含む戦前の否定からそうなったのである。

【正論】文化庁の映画助成 衆議院議員、弁護士・稲田朋美

 ■助成の妥当性だけを問うた

 表現・言論の自由が保障されたわが国において、たとえ政治的、宗教的な宣伝意図のある映画を製作しようと公開しようと自由である。今回、映画『靖国 YASUKUNI』(李纓監督)の一部映画館での上映中止をめぐって私が批判の矢面に立たされている。私たちが問題にしたのは、この映画自体ではない。そこに文化庁所管の日本芸術文化振興会が750万円の公的助成をしたこと、その一点についてである。

 発端は一部週刊誌が「反日映画『靖国』は日本の助成金750万円で作られた」と報じたことだった。試写会を見た複数の友人からは、この映画に弁護士時代の私が映っているとも伝えられた。もちろん私は、この映画で観客の目にさらされることを同意したことはなかった。

 そこで2月に、私もメンバーである自民党若手議員の「伝統と創造の会」(「伝創会」)で助成金支出の妥当性を検討することになり、文化庁に上映を希望した。当初、文化庁から映画フィルムを借りて上映するとして、日時場所も決めたが、その後製作会社が貸し出しを拒否する。そして文化庁協力と書かれた国会議員向け試写会(主催者不明)の案内が配布され、伝創会の上映会は中止に追い込まれた。

 朝日新聞が報じたような「(私が)事前の(公開前)試写を求めた」という事実は断じてない。助成金を問題にする前提として対象となる映画を見たいと思うのは当然であり、映画の「公開」について問題にする意思は全くなかったし、今もない。「事前の試写を求めた」という歪曲(わいきょく)について朝日に訂正を求めているが、いまだ訂正はない。

 ≪「日本映画」ではない≫

 結論からいって同振興会が助成金を出したのは妥当ではない。助成の要件である(1)日本映画であること(2)政治的、宗教的宣伝意図がないこと-を満たしていないからだ。

 まず、この映画は日本映画とはいえない。振興会の助成要項によれば「日本映画とは、日本国民、日本に永住を許可された者又は日本の法令により設立された法人により製作された映画をいう。ただし、外国の製作者との共同製作の映画については振興会が著作権の帰属等について総合的に検討して、日本映画と認めたもの」としている。

 映画「靖国」の製作会社は日本法により設立されてはいる。しかし取締役はすべて中国人である。平成5年、中国中央テレビの日本での総代理として設立されたというが、映画の共同製作者は2つの中国法人(団体)であり、製作総指揮者、監督、プロデューサーはすべて中国人である。

 さらに靖国神社をテーマにしていること自体、政治性が強い。小泉元総理の靖国参拝をめぐっては国内外で議論があり、特に日中間で政治問題化した。しかも、この映画のメーンキャストは小泉元総理と靖国神社を訴えていた裁判の原告たちである。

 ≪歪曲された私の意図≫

 私も弁護士の立場から靖国神社の応援団として裁判にかかわったが、原告らは一貫して「靖国神社は、死ねば神になると国民をだまして侵略戦争に赴かせ、天皇のために死ぬ国民をつくるための装置であった」と主張していた。映画からは同様のメッセージが強く感じられる。

 映画の最後で、いわゆる南京大虐殺にまつわるとされる真偽不明の写真が多数映し出され、その合間に靖国神社に参拝される若かりし日の昭和天皇のお姿や当時の国民の様子などを織り交ぜ、巧みにそのメッセージを伝えている。

 私は、大虐殺の象徴とされる百人斬り競争で戦犯として処刑された少尉の遺族が、百人斬りは創作であり虚偽であることを理由に提起した裁判の代理人もつとめた。遺族らに対する人格権侵害は認められなかったが、判決理由の中で「百人斬りの記事の内容を信用することができず…甚だ疑わしい」とされた。ところが映画では百人斬りの新聞記事を紹介し、「靖国刀」をクローズアップし、日本軍人が日本刀で残虐行為をしたとのメッセージを伝えている。

 これらを総合的に判断すると、「靖国」が「日本映画」であり「政治的宣伝意図がない」とし、助成金を支出したことに妥当性はない。

 私は弁護士出身の政治家として、民主政治の根幹である表現の自由を誰よりも大切に考えている。だからこそ人権擁護法案にも反対の論陣を張っている。表現や言論の自由が最大限尊重されなければならないのは民主政治の過程に奉仕するからであり、表現の自由の名のもとに政治家の言論を封殺しようとすることは背理である。(いなだ ともみ)

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