« 映画「靖国」騒動 | トップページ | 終戦前夜の農業の状態 »

『レーニン』の伝記によせて

 フランスのソ連研究家のダンコースという人の書いた『レーニン伝』という本を読んだ。

 これは、レーニンの伝記だから、彼の個人的な性癖をも描くのは当たり前だが、それにしても、彼女の精神科学の知識はたいしたことはなさそうである。それにもかかわらず、レーニンの神経症や性格上の厳格主義なるものや野心などの心理的なものを、重要であるかのように描いている。けっさくなのは、レーニンが晩年に脳疾患の発作に襲われたことを彼の厳格さという性格によるものと断定していることだ。おそらく、これは、医学的に証明できないだろう。

 不思議なのは、巻末の訳者解説で、レーニンが農奴出身という神話が同書であきらかになったと書かれていることである。たいていのレーニンの伝記などでは、これまでもずっとレーニンが貴族の出身であることは書いてある。レーニンが農奴出身と書いてあるものなど一度も見たことがない。スターリンは農奴出身の靴屋の父と洗濯女の母の下に生まれた。

 彼女は、個人的性格から事態を見ようとしているのだが、それにしては心理学に詳しくなさそうだし、説明に失敗している。例えば、レーニンは党内で少数派になることがよくあったが、後に逆転するのは、彼の多数派になる執念深さのためだと述べている。彼女は、レーニンは党内で個人独裁者だったとしているのだから、レーニンがわざわざ多数派になるための努力をしなければならなかったことと矛盾する。この本の最後で彼女は、レーニンは矛盾の固まりだとして、評価を投げてしまっている。レーニンは、プラグマティストで、神経症で、厳格主義者で、野心家で、・・・というおよそ人間とは思われないような特異な人格に仕立て上げられた。この伝記は、ペレストロイカの最中に書かれたというが、これが、訳者がいうほどの歴史的な重みを持つものとはとうてい思われない。おそらくは、ペレストロイカが、レーニンの肯定的再評価をしようとしたのに対抗するという政治的な意図をもって書かれたものであろう。

 長尾久氏の十月革命研究では、彼女と違って、この過程でのボリシェビキの役割は誇張されすぎているとして、ソビエトの自立的な面を強調している。それに対して彼女は、レーニンとボリシェビキの影響を大きく見ている。

 はっきり言ってしまえば彼女がレーニンについてどう言おうが、歴史的にはどうでもいいことだ。どのみち、ロシア革命の歴史を作ったのはレーニン個人ではなく、階級闘争である。レーニンを歴史の舞台に押し上げたのはそれである。階級闘争は、第二第三のレーニンを歴史舞台に登場させる。レーニンが善人という神話は間違いだと彼女は言う。レーニンが善人かどうかはたいしたことではない。それは、彼女が善人かどうかが、彼女の作品の評価とたいして関係ないようなものだ。彼女は、ロシア革命をレーニンの作品と呼んでいる。ここに彼女の歴史観が示されている。歴史は、神が書いた作品であるというキリスト教的歴史観が示されているのである。彼女は、大衆は、神の書いたシナリオに従うだけの俳優にすぎないという偏見を持っているのだ。それに、彼女の善悪の基準は、矛盾している。もちろん、権力を握った者と伝記作者を測る尺度は違う。それをごっちゃにしたのは、彼女である。

 最後に、彼女は、レーニンは天才だったと述べている!!

 なお、彼女は、レーニンとイネッサ・アルマンドとは愛人関係にあったと書いている。フィッシャーという人の『レーニン』という本でも、推測と断った上で、愛人関係を示唆している。ただし、この種の話は、伝記に色を添えるエピソードとしてありがちなもので、彼の推測を読んでも、二人の愛人関係を示す確たる証拠と思われるようなものはない。彼は、暗示的なきことを述べているだけだ。レーニンが非常に彼女を信頼していたことは確かなようだ。レーニンとイネッサ・アルマンドのあいだでやり取りされたフェミニズム的議論は、クララ・ツェトキンやコロンタイとのあいだでも行われている。レーニンは、一時的激情と比較的長く続く男女の愛情関係を区別している。前者はあくまでも欺瞞的ブルジョア的婚姻制度を前提としてその倦怠や退屈からの一時的な逃避にすぎないのに対して、後者は相互の信頼と尊敬、相互の人格尊重の態度の上に成り立つものである。短期間に複数の相手と関係を持った大杉栄は前者の限界のうちにあった。もっとも、伊藤野枝に対しては後者に近かったように見える。ただ、伊藤野枝に対する公開ラブレターは、あまりに情けない内容だ。一言でいえば、主体性がないのである。彼は、愛情と一時的激情を区別できなかったのだろうか。彼は、愛情の主体ではなかったのだろうか。

 イネッサの葬儀に参列したレーニンはとても憔悴していたという。信頼する同志を失った時、とくに彼女がいるだけで皆を明るく元気にしたという太陽のような存在の同志を失ったら、レーニンならずとも、肩を落とすに違いない。

 レーニンという若いうちから老けて見えたという見た目は風采が上がらないし、演説もたいしてうまくもない平凡な男が、なぜ、ロシアの政治権力の頂点に立ちえたかという疑問を、彼女は解けなかった。謎はまだある。なぜ、レーニンは、独露が表面的にもっとも良好な関係にあるように見えた時期に、戦争が近いことを予見し、準備しえたのか? 2月革命の頃、ボリシェビキは、わずか2万4千人ほどの少数党派にすぎなかった。それが、10月革命までにどんどん増えていったのはなぜだろうか?・・・。謎は尽きない。 

 ダンコースは、レーニンという人間の多様さ、とらえがたさに戸惑っている。そのままレーニン伝を書いてしまったことはおそらく間違いだったろう。レーニンは、彼女の手に余る。

 この本は、彼女自身が暗示しているように、文学的作品として読むべきなのだろう。

|

« 映画「靖国」騒動 | トップページ | 終戦前夜の農業の状態 »

「雑文」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 映画「靖国」騒動 | トップページ | 終戦前夜の農業の状態 »