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今村氏『交易する人間』を読む6

 今村氏は、アルカイックの主張は、権力を持たず、威信のみ持っているというピュール・クリストルの言葉を引用する。

 南米のインディオ社会の一例として、そこでの首長は共同体のメンバー全体にたいして負債を負うので、返し続けなければならない。首長はm自分と家族の労働で、富を贈与する。

 アルカイックでは、象徴財の交易は、威信と名誉の駆け引きであり、心理作戦であり、欲望の闘いであり、観念的相互行為、政治的闘いになる。

 「贈与の交換であれ商品の交換であれ、交換から免れる事物、固定点がなければ、社会は存在しえないし、個人や集団にとって台座として役立つ持続的な同一性を持たない」(M.Godelier,L'enignede dom.p.16) モーリス・ゴドリエ。

 贈与体制では「固定点」は聖なるものサクレ。(226頁)

 「人間の身体とは何よりも女性の身体である。親族関係の形成にとって女性の身体は聖なる「固定点」をなす。婚姻というい相互行為において女性の身体が場所移転する。身体が「交換」されるのではない。女性の身体は特定の家族の人格的所有に属しており、譲りえない物であって、この譲渡不可能な身体が、不可能性を乗り越え、譲渡される(贈与される)ことで、はじめて親族が形成される」(227頁)。

 <social'>―与える(ことができる)ために保持する。保持する(ことができる)ために与える―ゴドリエ(233~4頁)。

 「社会における物的手段を提供するために凝視する相互作用の制度化された過程としての人間の経済」というポランニーの定義。そして、彼は、この制度は、①相互性(互酬)、②再分配、③交換、という商品交換ではない交換・市場と④商品交換市場の四つあるという。

 そして、今村氏は、資本の起源の一つについて書いている。

 それは、12世紀の西欧都市のファブールという商人集落で、シテとブールの外に住む塞都市の対外貿易商人が上層市民になり、かれらはブルゲンセス―ブルジョア)、カステラーニ、カストレンセス(城塞内住民)、別名キーヴェス(cives)、ポルトマンニ(portmanni)、ポールテルス(poorters)→ポート(交易港)とも呼ばれた。それらはかれらがそこに住む遠隔地商人であることを示す。

 「価格メカニズムを生み出す条件は、マルクスが洞察したように、生産手段と労働力の分離である」(248頁)。

 これは正確ではない。生産手段と生産者の分離である。しかし、氏の人格的所有論を間に入れれば、わかる。とはいえ、ここのところは正確性に欠ける。宇野派のように、労働力の商品化と言わないのはよい。

 最後に今村氏は、社会的結合の探求を訴える。それはモースの言うように、共同主義の行き過ぎとエゴイズムの行き過ぎを防ぐということを前提とするという。

 また、モースは、〈高貴な蕩尽〉のモラルえの復帰と言っているという。それには、贈与体制の歴史を振り返り、そこに人間学的な普遍的構造を把握することだと今村氏は言う。

 「とりあえず理念的には、所有類型の組み合わせと結合がめざされるだろう(共同所有、人格的所有、個人的所有の組み合わせ)。社会的人間の相互行為、あるいは社会的結合の原理の探求こそが、社会科学とともに社会変革または人間学の理論的課題になるだろう」(274頁)。

 「しかしその前に、そもそも社会のなかで生きるほかはない人間存在の根源を普遍的相において考察しなくてはならない。複数の人間たちと一緒に生きるべく宿命づけられている人間とは何であるか、どのように行動するのか、どのように相互行為を実行し、そういう行為をどう感じ取り、理解し、解釈するのかを、しっかりと認識する必要がある。本書はそのための試みである」(同)。

 今村氏は、「社会的人間の相互行為、あるいは社会的結合の原理の探求こそが、社会科学とともに社会変革または人間学の理論的課題になるだろう」と言う。氏は、たんなる学問ではなく、社会変革という実践を含んだ新たな社会科学や人間学を提起する。そこでまずは所有の変革ということが言われているのは鋭い提起である。

 

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