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2008年6月

京都の話

先日、京都に行った。雨が降ったり止んだりのあいにくの天気だったが、久しぶりだったし、時間もあったので、百万扁のあたりを歩いてみた。

  比叡山のところどころから、蒸気の煙が立ち昇っていた。

  京都は、小商人と小職人いわゆる町衆の町である。もちろん、京セラのような大企業もあるけれども、町屋を作業場・売り場とする小工業・小商売の町である。もちろん、中心から離れれば、工業地帯もあるし、大型店もある。

  気になったのは、京都駅近くのあたりの町並みの空洞化が激しいことである。

  京都駅はずいぶんりっぱになったが、なんだか親しみにくい感じがする。

  他の都市に比べて、景観保護条例のためか、町の様子があまり変わっていないのがよい。

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労働の戦時体制について

  最近はバックラッシュ派の勢いがすっかり落ちてしまって、なんだか拍子抜けである。

  かれらの源流を知るために、まずは、労働をめぐる戦時体制について振り返っておこう。

  そもそも日本の労働運動は、明治にアメリカのAFLという熟練労働者の労働組合運動の影響から始まった。アメリカ帰りの高野房太郎らによって労働組合期成会ができ、1892年12月鉄工組合というクラフト・ユニオンが作られた。これはさしたる成果もあげられず、1900年には活動停止状態になる。

  第一次世界大戦後、1912年キリスト教社会主義者の鈴木文治らによって友愛会が結成される。友愛会は、労働者の相互扶助、見聞の拡大、知識の研鑚、道徳品性の修養、地位の向上、親睦などを掲げた。そして、「労働問題の真髄は人格問題である」と主張した。

  鈴木は、「労資の衝突は、「新旧思想の衝突」「新思想とは何ぞや、曰く、労働階級の権利思想の発展、人格承認の要求、これである」と述べた。ここで彼の言う「資」は、旧思想・前近代的・封建的思想を表しており、それを代表する階級である。「労」は、近代的・人権思想を表し、それを代表する階級である。階級衝突は、思想闘争であり、その具現化とされている。

  1919年7周年大会で、大日本労働組合総同盟友愛会になる。

  ヴェルサイユ条約第13章は、一般労働原則に、「労働非商品の原則」を掲げた。

  原内閣は、ILOの発足などを受け、労働政策の見直しを始める。

  19年2月の帝国議会で床次内相は、労使の関係は、従来の主従関係のみいけないとして、労使の協調信愛を主張した。

1929年世界大恐慌、1930年昭和恐慌、31年9月満州事変勃発、15年戦争。

  1932年総同盟と右派組合は、右派統一運動を展開、9月、日本労働組合会議を結成する。かれらは、三反主義、「反共・反無政府主義・反ファシズム」と「健全なる労働組合主義」を掲げる。

  日本主義労働運動は、1933年に日本産業労働倶楽部となる。労使の融合による産業発展を主張した。

  内務省は、「不逞思想」の防止、「国体の本義」の明徴化、「建国の精神(日本精神)」の普及徹底を図るとして、労組の「善導醇化」をのために、産業労働倶楽部の育成を決定する。

  政府は、35年秋、「労資一体の道義的労資関係」の確立、「産業の国家目的」への奉仕を説いた。

  1937年7月、日中戦争勃発。

  1937年8月、国家総動員法にもとづく国民精神総動員運動開始。国民精神総動員中央連盟発足。

  1938年7月、産業報国連盟設立。「企業は事業者従業員各自の職分によって結ばれた有機的組織体」「労資一体」「事業一家」「国家奉仕」などを掲げた。

  1940年近衛内閣発足。「新体制」「経済新体制確立要綱」「勤労新体制確立要綱」閣議決定。勤労者は「天皇の赤子」として同格の人格的尊敬を受けるものとされた。

  同年2月厚生省は、労組の自主的解散を求める。7月、総同盟解散。

  41年9月、政府は、「生産増強」を掲げる。11月、生活給思想を掲げる。年齢に応じた基本給を主体にした月給制。それは、「経済人」から「職分人」への転化を促そうとするものであった。

  同年暮れ、労務調整令(労働者の移動規制)

  42年2月、重要事業場労務管理令。指定工場に労務管理官を派遣し指揮監督にあたらせると共に賃金統制令の適用除外とする。年一回の賃上げを指導。

  43年3月、「賃金対策要綱」閣議決定。「年齢、勤続年数に応ずる基本給制度」「勤労者の生活の恒常性」の確保を求める。

  43年10月、軍需会社法。軍需関連者を徴用扱いにする。

  徴用工のなかに「逃走、欠勤、怠業、二重稼動傾向拡大」

  1945年8月15日、敗戦。

  戦前の総同盟が「三反主義」を掲げたのは、労資の人格的対等を労働者の知識や道徳修養によって達成するためであった。これには、大正デモクラシーの影響があったことはうかがえる。知識・教養・道徳品性において同格となるのが人格の完成とされたのであった。言うまでもなく、これは観念における同格であり、人格的平等であるにすぎない。すべて精神であって、頭の中だけの平等である。

  人格の精神的な内容は、人権から「建国の精神(日本精神)」に簡単に移行してしまう。人とは、一般概念であり、それは特殊には日本人であり、具体的には、人である日本人である個人ということになる。人格主義的労働運動の総同盟が、産業報国会に解体されていったのも、当然だったわけである。今のバックラッシュ派は、人権派を批判していることから、かれらが反人権派と見てはならないのである。かれらにとって、人とは日本人のことであり、日本人権利が人権なのである。だから、かれらは、日本人の人権が侵害されることにははげしく反応し、抗議するのである。別の民族の権利は人権と見ていないので、それには冷淡なのである。

  戦時労働体制の中で、生活給思想や年功序列的な昇給制度や、工員・職員の別に対して、従業員としての企業別組合につながるような思想や体制・制度が作られつつあったことは注目すべきだろう。

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連合赤軍問題によせて

  雑誌『情況』の「連合赤軍特集」を読んだ。

  さまざまな人がいろいろな角度からこの事件について語っている。この事件についての昔からの語り方の大きな特徴として、心理主義とも言うべきものがある。

  そのことを西部邁は対談の中で、小林秀雄の言う「自意識」の問題ということで指摘している。とはいえ、それも映画表現について言っているだけで、連赤事件そのもののことではない。西部の主張は、左翼主義=進歩主義という得意の図式を事件に絡めて宣伝するというだけのものである。西部は、連赤事件がユーモアを欠いたきまじめさによってもたらされたとでも言わんばかりである。そんなことをなんで連赤事件について言わねばならないのかまったくわからない。

  他の人々の文章や発言の多くは、やはり心理主義的なものが多い。後は、歴史の証言的なものが多い。しかし、全体的にはぼやっとしているという印象である。時間の経過ということもあろう。

  ここには出てこないのだが、日共革命左派に日共神奈川左派という日共所感派(徳田球一派)とブント系のML派が深くかかわっているということについてもっと注目すべきだろう。日共は、コミンフォルムの批判の受け入れか拒否かをめぐって所感派と国際派に分裂し、六全協で野合したのだが、60年代に到っても内部では、両派の勢力が残っていて、所感派の神奈川左派や日共山口県委員会の分裂ということが起きているのである。神奈川左派の人々は、革左派に資金提供していたという。ML派からは、革左や労働党などになる部分も生まれ、本体の方は、7・7華青闘告発を契機に解散する。

  連合赤軍自体については、規律や規範についての恣意的な扱いを見ると、坂口の坂東国夫宛手紙にあるように、森・永田の個人独裁的な組織になったのだろう。そういう組織を先に作っていたのは革左であり、最高指導者の川島であった。赤軍派の方は、それほどではなく、しかもほとんどの旧指導部は獄中にあって、森を実効的に指導できるものはいなかった。

  その森の遺書も載っている。正直言って、何を言っているのかよくわからない。それは、総括の基準があまりにも抽象的だからである。ずいぶん、『塩見論叢』の影響を受けているようだが、ことはそういう類の認識問題ではなく、党組織の実践的な基準の問題にある。一体何が、その基準であり、それをどう共有し、どう判断したかということだ。二派の間で短期の路線の一致が不可能とわかっている時に、路線論議がどれだけ、党組織の実践的基準を共通のものとして創出できるかどうかである。そこで形成できるのは、共同行動の基準であり、そのレベルでの信頼関係の構築である。つぎに、分派的な関係の構築である。そして、党的な同志的な信頼関係である。前のふたつのレベルでは、民主主義が必要である。

  塩見氏によれば、7・6明大事件後、自己批判し、赤軍派は分派という自己規定を行っただけだという。分派の段階では、民主主義を必要とする。つまり、少数分派は、議論の上で形成された党内多数派に従う必要がある。そして大会での多数派形成を目指すということになる。ロシアのボリシェビキの10回大会における分派禁止もレーニン存命中は発動されることはなかった。この規定も、中央委員会の3分の2以上の賛成によって成立するという民主主義的手続によるものであった。しかも党の分裂を危惧したレーニンは、中央委員の大幅増員を提案している。労働者反対派からも2名の中央委員を入れてもいる。かなりの念の入れようであり、配慮である。ここでは、レーニンは、民主主義へと一歩後退したのである。レーニンは、具体的情況に合わせて、前進も後退もするのである。

  このような具体的な関係のレベルの区別とそれに応じた組織のありようというものについて、森・永田ともども考えがなかった。その場その場の思いつきや恣意的な観念によって、組織を作ろうとしていたようにしか見えない。また、塩見氏の文章にもそれがない。塩見氏の『過渡期世界論の防衛のために』という文書は、問題を森・永田指導部対殺された12名のプロレタリア的分派という図式の元に、責任を森・永田に一方的に負わせるものであり、総括たりえていない。連合赤軍の女性差別については、男女問題は複雑で微妙な問題だとして、逃げている。

  西浦という人の文章には、連赤が掲げた中国共産党の「三大規律八項目注意」の全文が載せられている。これを口先だけではなく、本当に守っていれば、あんなことにはならなかったという。

  資本家たちとその味方たちが、武力を持って封建制を打倒し、その過程で敵ばかりではなく味方をも殺してきたし、植民地化や帝国主義戦争で何億もの人々を殺してきた事実を知っている。当時アメリカはベトナム戦争でベトナム人を殺しつづけており、そのために沖縄を最前線基地化していた。日本政府はアメリカを支持して、ベトナム人の大量殺人に加担していた。ベトナム戦争を止めること、アメリカと日本の敗北は、ベトナム人を解放することであり、かれらの命を救うことであった。そこには正義があった。闘いは正当であった。大衆の支持もあった。

  連赤の路線を殺された12名の遺志を引き継ぐというような精神主義的なやり方ではどうにもなろうはずもない。建党の失敗の教訓化抜きには、前進はありえない。

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福田政権下の閉塞状況

  福田政権は、相変わらず、中途半端な政権延命をはかろうとしており、衆参ねじれ国会の中で、しばしば立ち往生している。

  それに対して、野党は、相変わらず、多数を握る参議院で、与党への揺さぶり作戦で、政局の主導権を握ろうと努めている。

  福田政権は、食糧サミット出席をはじめ、7月洞爺湖サミットのホスト国としての役割を務めることでの外交でのポイント稼ぎを狙っている。

  しかし、多少の支持率上昇はあったものの低支持率であることには変わりはないし、与野党逆転情況にはなんら変わりはない。

  当然、政治の停滞に対して、政権の支持基盤の不満が鬱積していることは明らかである。それに対して、与党も野党もなすすべがないという状態である。

  このような無気力状態の中で、人々の暮らしは悪化している。人々の自信のなさげなたそがれた表情を多く見かける。

  われわれは、今では、アメリカを憧れの対象とは見ていない。中国の経済発展を苦々しい気持ちで眺めている人も多いであろう。今、巨大に発展しつつある中国の生産力を半ば恐れつつ、日本経済がそれに多くを依拠せざるを得なくなったことをかみしめるほかはないといった気持ちになっている人も多いのではないだろうか?

  われわれは、シュペングラーが語ったように『西洋の没落』にならって、『日本の没落』について語るべき時が来たと思わなければならないのだろうか? われわれは、ソ連の第二次五カ年計画がいってい成功し、その後、世界第二位の経済大国になった頃の気分というものを思い出す必要があるのか?

  今、多くの人々が、「坂の上の雲」どころか、坂道を転落する可能性を自身のこととして感じている。

  資本主義がそういう状態にあった戦前の日本では、国家統制経済による労働力の国家統制にまで進んだ。お国のための勤労の強制であったが、実際には、自然発生的サボタージュ、勤労意欲の低下、労働規律の崩壊、等々が深刻化した。人々は、戦争に勝ちさえすれば、未来は明るく開けるという妄想を吹き込まれつづけたが、そんなものは腹の足しにならない。戦勝国が長期的に経済的利益を敗戦国よりも多く得続けられるというものではない。戦後のイギリスの没落はその一例である。

  新自由主義的荒療治は、結局は一時的なショック療法にすぎず、その激しい副作用を治療するには、多大な新たな犠牲と負担が発生することが明らかになった。中長期的には経済的に引き合わないのである。

  中途半端な福田政権の下では、この副作用もぶり返しを免れないだろう。洞爺湖サミットは、政権浮揚の政治セレモニーとしての演出がなされるだろう。それを暴いて、政治的に闘いぬければ、政権に対して相当なダメージを与えるだろう。

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三度『バックラッシュ』によせて

  しつこいようだが、深田和子という心理学者の、「本書が若い人びとのなかにもある「ジェンダー・バイアス」におだやかに接近し、その漸進的な改善をはかろうとするねらいにある<中略>とくに日本のように、合理性より情緒的思考を得意とする文化の中では、十分慎重な構えで望むことが、その運動を広く人々に受けいれられるものとするのではないだろうか」という思想にひっかかりを感じるので、ちょっといくつかの点について検討してみたい。

  深田氏は、「ジェンダー・バイアス」をなくすためには、「おだやかに接近し、その漸進的な改善をはかる」必要があるというのだが、その理由を、「合理性より情緒的思考を得意とする文化の中では、十分慎重な構えで望むことが、その運動を広く人々に受けいれられるものとする」からだと述べている。日本文化論が理由に挙げられているのである。彼女は日本文化を「合理性よりも情緒的思考を得意とする文化」と判断しているわけだが、思考に合理的と情緒的という二種類あるとはどういうことだろう。この部分は、「おだやかに接近し、その漸進的な改善をはかる」がまずありきで、それをもっともらしく理由づけしたのが、後の部分だろう。

  なんの説明もないままこういうので、さっぱりわからないのだが、合理性を得意とする文化なら、「ジェンダー・バイアス」をなくすために、急速に接近し、その急進的な改善をはかることができるというということだろうか。深田氏は、「合理性を得意とする文化」を具体的にはどこと考えているのか? おそらくは、欧米諸国のことだろうとは思うが。そしてフェミニズムの運動経験のない心理学者である深田氏は、なぜ男女共同参画を進める東京都女性財団で重要な役割を占めえたのか? しかも、なぜ制度よりも意識や心の教育を重視する心理学者を「ジェンダー・フリー」教育の基本をつくらせたのか? 

  そもそも「ジェンダー・フリー」は、アメリカでは、ジェンダーがないというような意味にとられるのが普通だと山口智美氏は言う。勝手な推測だが、深田氏は、フェミニズムについてはよくわからず、フリーという言葉の「自由」という意味合いを取り入れようと考えたのではないだろうか。合理性や情緒的思考というような言葉の使い方から、どうも、言葉のイメージを重要視しているように思えるのである。

  これはどうやら心理学からきているようである。情緒=情動は、『スーパー大辞林』によると、心理学では、急速に引き起こされる一時的で急激な感情である怒り・恐れ・喜び・悲しみといった意識状態と同時に顔色が変わる、呼吸や脈博が変化する、などの生理的な変化が伴うものを意味する。これらは感情であり、それと結びついた身体の運動である。そういう形容を持った思考ということは、激しやすい思考を得意とする文化だということだろうか? これだけではなんともわからないのだけれども、とにかく、ゆっくり、おだやかに「ジェンダー・バイアス」をなくしていこうという漸進的改良を主張していることはわかる。その点が、行政に評価されたのだろう。行政としては、国際的にも女性差別撤廃が求められているし、リベラルな村山連立政権になっているし、政府も男女共同参画政策を決定しているし、東京都としても、この政策を進めざるを得ないので、おだやかでゆるやかな意識の改善という行政的な形の施策として推進せざるを得なかったわけだ。

  しかし、この程度の漸進主義的な意識改善策でさえ、バックラッシュ派は、このままでは国が滅びるだの、共産主義が浸透するだの、日本の伝統文化や家族が崩壊するだの、男女の違いがなくなるだのと大騒ぎをして、そのあげくに内紛を起こして自滅していった。教育の基礎部分はさすがに堅固だったが、とくに右派石原都政下では突出したバックラッシュ攻勢によって、教職員に対する行政的統制は強められ、卒入学式における君が代斉唱拒否や不起立の教職員に対する解雇等の処罰の強化などが行われている。これは、「ジェンダー・フリー」を象徴的にターゲットとしつつ、教育の国家統制の強化、現場からの日教組の締め出し、行政による現場支配を狙ったものである。

  しかし、それも石原都政が3期目に入って、民主党が野党化するなど、政権基盤が弱体化しつつある中で、力を失っていくことだろう。問題は、山口智美さんの言うとおり、「今は、女性運動は何を達成目標として運動をしていくべきなのか。そういった、根源的な問い」に答えることである。個別的には、住友電工昇進差別事件での女性社員側の勝訴や民法の女性の再婚禁止期間の多少の短縮などの前進はあるものの、「意識のみならず、個人、社会全体の根本からの変革を目的としてきたのがリブのはずなのだが、ここでは意識偏重の評価がなされている。そして、日本のリブ運動はあまり受け入れられずに終わってしまったとし、唯一あげられている成果が、大学に女性学の講座が置かれるようになったことなのである」『バックラッシュ』(双風社247頁)という彼女の行政・学者が権威をもつ官製の「上からの」フェミニズムを乗り越えられる女性運動の構築という課題の達成は容易ではないことはこの間の事態で明らかになった。

  上野千鶴子氏には、「意識のみならず、個人、社会全体の根本からの変革を目的としてしてきたリブ」と共通するものはあるし、それは評価するのだが、山口氏も批判するように、新しい流行のものに安易に飛びついて、態度がぐらついているように見えることがあり、それはマイナスだと思うのである。上野氏は、マルクス主義は、女性解放を階級の解放に従属させてきたというのだが、エンゲルスは、女の男の支配との闘いは、階級闘争だと述べていて、それを例えば、スターリニストなどが、後にすっかりお題目化するか都合よく解釈して放棄してしまったのである。

  「合理性よりも情緒的思考を得意とする文化」を深谷氏は否定的に述べているように思われるが、日本文化が本当にこうだったら、日本人は、ずいぶん唯物論的な文化を持っていることになる。

  「それゆえ、対象的な感性的な存在としての人間は、一つの受苦的〔leidend〕な存在であり、自分の苦悩〔Leiden〕を感受する存在であるであるから、一つの情熱的〔Leidenschhaftlich〕な存在なのである。情熱、激情は、自分の対象に向かってエネルギッシュに努力をかたむける人間の本質力である」(マルクス『経済学・哲学草稿』岩波文庫208頁)。

  「フォイエルバッハは、抽象的な思考には満足せず、直感を欲する。しかしかれは感性を実践的な人間的・感性的な活動としてはとらえない」(『フォイエルバッハ・テーゼ』(5) 『ドイツ・イデオロギー』岩波文庫236頁)

  もちろん、心理学者の深谷氏は、こんなことを言っているわけではない。おそらくは、若者は激しやすいから、反発されないように慎重に意識・心の改造を進めなければならないということを言いたいのだろう。ほとんど洗脳に近いことを述べているわけだ。そうして生み出される「主体」は、「ジェンダー・フリー」なジェンダーのない抽象的な無としての人間一般ということになる。ロックの心理学の言う「白紙状態」(タブラ・ラサ)ということだろうか? ちょっと極端だけれども、恐ろしいことだ。

  「意識のみならず、個人、社会全体の根本からの変革」を目指すリブの目的のためには、学の変革も必要であることは言うまでもない。「教育者が教育されねばならない」(フォイエルバッハ・テーゼ)のである。それも含めて、あらゆる領域での変革の実践が必要である。とりわけ、労働の変革は基本的なものである。第二波フェミニズムが、家事を経済・労働としてとらえ直したのは大きな成果であった。それに育児・介護を経済・労働としてとらえなおす試みが進められているのも前進である。等々。

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ふたたび『バックラッシュ』について

    『バックラッシュ』の「「ジェンダー・フリー」論争とフェミニズムの失われた一〇年」という山口智美さんの文章は、いろいろと興味深い論点を出しているので、もう少し詳しく見てみたい。

  彼女は、そもそも「ジェンダー・フリー」という用語が登場したのは、東京都女性財団が1995年に出した『ジェンダー・フリーな教育のために』という報告書であったという。この報告書の中で、「形のうえでの男女平等は次第に整ってきている。<中略>しかし、職場や家庭内に目を転じれば、そこには性別に限らず、さまざまな地位に伴う役割上の不公平が、文化や慣習の形で十分に残っている。/こうした不公平は、それに適応して異議を唱えない、または漠然とした不満を感じても、これを意識上にのぼせられない多くの人々の意識や心のあり方が支えられていると考えられる。これをジェンダー・バイアス(性別に関して存在するステレオ・タイプ)と呼ぶことにしたい。<中略>/従来用いられてきた「男女平等」は主として制度的側面に用いられる用語であるが、予備調査によれば、「ジェンダー・フリー」は、男女平等をもたらすような、人々の意識や制度的側面を指す言語として、若い人々にも受け入れられそうである。とくに学校のように、おおむね男女平等な扱いが行き渡っている集団でも、今後は、さらに教師や子どもの意識に踏み込んで、「ジェンダーフリーな教育の場であることを目指すべきだろう」(東京女性財団、前掲書)と述べているのが、始まりだというのである。

  同報告書の中で、深田和子という心理学者は、「本書が若い人びとのなかにもある「ジェンダー・バイアス」におだやかに接近し、その漸進的な改善をはかろうとするねらいにある<中略>とくに日本のように、合理性より情緒的思考を得意とする文化の中では、十分慎重な構えで望むことが、その運動を広く人々に受けいれられるものとするのではないだろうか」(前掲書)。

  これに対して山口氏は、「意識のみならず、個人、そして社会全体の根本からの変革を目的としたのがリブのはずなのだが、ここでは意識偏重の評価がなされている。そして、日本のリブ運動はあまり受け入れられずにおわってしまったとし、唯一あげられている成果が、大学に女性学の講座が置かれるようになったことだという」(『バックラッシュ』247頁)と述べた上で、「ジェンダー・フリー」という用語が、それまでの「男女平等」という言葉は主として制度面を指す言葉であるのに対して、意識と制度も表すのに適していると述べつつ、実は、意識面に偏った用語として導入されたと指摘する。なるほどその点は、これなら若い人にも受け入れられすいというということを述べていることからもわかる。

  この報告書が出た1995年には、国連の世界女性会議北京大会が行われており、国連が女性差別の撤廃を各国政府に強く求めていた頃であった。日本では、社民・さきがけ・自民の村山連立政権であり、1月阪神大震災、地下鉄サリン―オウム真理教事件、という大事件があった。1994年には、男女共同参画室が設置され、男女共同参画化が国策として推し進められようとしていた。

  1997年には、保守団体の「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」が合同して、「日本会議」が結成されている。 1999年男女共同参画社会基本法が成立する。その後、地方自治体での条例制定が進められていった。「日本会議」などの保守派の運動が強まり、東京都の石原都政は、東京女性財団を解散する。保守派は、「ジェンダー・フリー」という言葉を激しく攻撃した。そうなった原因は、もともとこの言葉が、輸入元のリンダ・ストーンの『教育フェミニズム読本』というシンポジウムの記録本では、一人を除いて、「ジェンダー・フリー」反対派だったし、深谷氏は、バーバラ・ヒューストンは、「ジェンダー・センシティブ」と言ったのに、「ジェンダー・フリー」と言ったことにしてしまったのである。

  「ジェンダー・フリー」という言葉は、論者によっていろいろな意味付けがなされていき、その混乱をつくように、バックラッシュ派の好き放題の解釈がながされるようになる。

  それに対して、当初は、必ずしも「ジェンダー・フリー」派でもなかったフェミニストたちまで「ジェンダー・フリー」を擁護するようになる。例えば、日本女性学会は、2003年3月の『学会ニュース』の「Q&A|男女共同参画をめぐる現在の論点」という文書で次のように述べている。

  「ジェンダー・フリーは、男はこうあるべき(たとえば、強さ、仕事・・)女はこうあるべき(たとえば、細やかな気配り、家事・育児・・)と決めつける規範を押しつけないことと、社会の意思決定、経済力などさまざまな面にあった男女間のアンバランスな力関係、格差をなくすことを意味しています。ですから一人ひとりがそれぞれの性別とその持ち味を大切にして生きていくことを否定するものではありません。「女らしく、男らしく」から「自分らしく」へ、そして、男性優位の社会から性別について中立・公正な社会へ、ということです」(270~1頁)。

  それに対して、山口氏は次のように批判する。

  「東京女性財団から引き続く、意識・規範としての「ジェンダー・フリー」のほかに、社会的な格差という定義がくわわっている。だが、『男らしく、女らしく』から『自分らし』という表現は、ナイーブだとしか言いようがない。ジェンダーからはなれた『自分らしさ』というのは何なのか。たとえば、「自分らしく」暴力をふるう人や差別する人などは、どうすればいいのか。問題は山積だ。そして、「性別」について中立・公正な「社会」という場合の「中立」という表現からは、性差別撤廃という強い姿勢は感じられず、積極的な差別是正という意味合いも弱い」(271頁)。

  彼女は、日本女性学会幹事の伊田広行氏を次のように批判している。

  「伊田は近著『続・はじめて学ぶジェンダー論』(大月書店、2006年)のなかで、バッシング状態にあるためにジェンダー概念を整理し直そうと試みている。だが、伊田の「スピリチュアル・シングル主義」なる精神主義的な枠組みからも想定されるように、やはり「意識」に偏った解説となっている。たとえば、ジェンダー・センシティブは「ジェンダー・バイアスを持たずに接近する態度」(伊田、前掲書、三四頁)とか、ジェンダー・フリーは「社会的性別(ジェンダー)にこだわらず、囚われずに、行動したり考えたりすること、という意味です」(伊田、前掲書、35頁)と、いずれも個人の「意識・態度」のレベルで説明されてしまっている」。

  こういう過程を彼女は、定義合戦と呼んでいる。そして、「この概念を守ることへの熱意や盛り上がりの様相から、学者や行政関係者たちが、自分たちの権威を守ることに必死になっている姿が見え隠れしているように、私には思える」と分析する(278頁)。

  「「ジェンダー・フリー」は、行政と学者の密着した関係によってつくり出された、そして、行政と学者が積極的にリーダーシップをとり、「ジェンダー・フリー」教育に関する啓蒙事業や出版活動、講演などを通じて広がっていった。また、学者主導の「男女共同参画条例」運動も、「ジェンダー・フリー」が広がるうえで、大きな役割をはたしたといえる」(278頁)。

  彼女の総括。

  「「ジェンダー・フリー」は、それまでの「女の運動の歴史」を潰すことから生まれた概念だった、と私は思う。だからこそ、行政と学者が連携してつくり出した「ジェンダー・フリー」の歴史を振り返ることは、「女たちの運動の歴史」が消され、忘れられ、ないものとされていかないようにするためにも、重要なことではないだろうか。/最後に、この「ジェンダー・フリー」が登場した95年が、行政と学者主導の運動に転換した重要な時期だったことを、ふたたび思い起こしてほしい。このことが、女性運動や女性の状況に、どのような変化をもたらしたのか。そして、今は、女性運動は何を達成目標として運動をしていくべきなのか。そういった、根源的な問いとして、95年の転換を考えるべきであろう」(279頁)。

  ジェンダー・フリーというカテゴリーが作られ、ジェンダーという「主体」が産出され、それまでの「女たちの運動の歴史」が消され、学者と行政の権力が作動する(ジュディス・バトラー、フーコー)。

  「ジェンダー・フリー」という言葉は、主に保守派によるバックラッシュによって、行政内からは消されていった。しかし、男女共同参画社会化は、政策としては、そのまま残っているし、女性差別はあるし、それに対する運動も続いている。バックラッシュは、事実の突きつけや保守派内の内紛などによってだいぶ弱まっている。フェミニズムとりわけアカデミックなそれは分解を深めている。

  こうした混沌とした状況の中で、氏の「今は、女性運動は何を達成目標として運動をしていくべきなのか。そういった、根源的な問いとして、95年の転換を考えるべきであろう」という提起は、きわめてまっとうなものに聞こえる。タイトルが、この十年をフェミニズムの「失われた10年」だとしているのも、「ジェンダー・フリー」というあやふやな行政・学者言葉の定義合戦に終始した空騒ぎであったというやりきれない思いがあるからだろう。

  70年代のウーマンリブに起源をもつ「行動する女たちの会」を高く評価するのも、バックラッシュの中で、この会が要求してきたことが、「ジェンダー・フリー」批判として誤読されたまま行われたが、実現されてきたからである。それを行政と学者が自らの手柄のように吹聴して、自らの権威を作ってきたと彼女は見なしている。「行動する女たちの会」のメンバーでは、東京都議会議員に当選したことがある三井ゆり氏がいる。会の解散後も個別に活動しているメンバーもいるようで、教師として、教育現場で活動している元メンバーの人の文章が同書に載っている。

  2006年1月、東京都国分寺市は、講演の講師に予定していた上野千鶴子氏を「ジェンダー・フリー」という言葉を使うおそれがあるとの理由で、キャンセルされるという「国分寺事件が起きる。これに対して、フェミニストなどが猛烈な抗議が起きた。ほとんど、言葉狩りのような事態が起きていて、それが、フェミニスト側が、あれこれと意味を付与して、「ジェンダー・フリー」擁護する原因の一つだろう。

  バックラッシュは、反フェミニズムばかりではなく、広範な領域に渡っており、安部政権による教育基本法改悪、憲法改正のための「国民投票法」成立で頂点に達した。しかし、「新しい歴史教科書をつくる会」の分裂や安部政権の崩壊などもあり、いったんは沈静化している。しかし、先の映画「靖国」をめぐる稲田朋美議員らによる事前検閲的な行為や右派雑誌に煽られた右翼青年の映画館への街宣活動による上映中止事件やプリンス・ホテルの日教組集会会場貸し出し拒否事件であるとか、保守派によってつくられたファッショ的全体主義的な雰囲気は依然強くある。小林よしのりが、本当の反全体主義者なら、これらのことについても、強く批判をしなければならない。だが、小林はそうしない。だから、小林は、だめな偽者なのである。

  フェミニズムに対するバックラッシュの中で、「女」の中での対立があったし、バックラッシュ派がそれを利用したということもあった。例えば、林道義は、働く女性と専業主婦の間の利害の違いを誇張して、後者の味方として振舞った。いわゆる「フツーの女」と「エリート女性」の階層間格差をデフォルメして、両者の対立を煽るようなこともやられた。しかし、同書にある上野千鶴子氏のインタビューでの「わたしはたまたま東大に入っただけだ」という発言は、こういう対立を利用して、「フツーの女」を組織し、動員しようとしているバックラッシュ派を喜ばせるだけである。こんなことを発言しながら、運動というものをわかっているようなつもりで戦略を云々しているのは、おかしなことだ。さまざまな差異がある中でどの差異が敵対的になるかは、情況次第なのである。うかつなことをこういう人がしゃべれば、火に油を注ぎかねないのである。ただの放言として聞きながしておこう。

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食糧問題に寄せて

  世界食糧サミットがあった。新聞各紙は、連日、食糧問題を取り上げた。

  このところの石油や小麦などの世界的な価格高騰は、人々の生活を苦しくしている。エジプトやハイチなどでは、食料品価格の高騰に対して、政府の対策を求めるデモや暴動が起きている。それは、発展途上国ばかりではなく、EU諸国にも広がっている。フランスの漁民は、漁を中止して、燃料価格高騰に対策を講じるよう政府に求めた。

  日本でも、ついに、ガソリンの小売価格は、1リットル170円台に突入している。小麦製品を始めとする食品類の値上げも続いている。

  このような世界的な物価上昇は、中国・インド・ブラジルなどの急速な経済成長による需要増に、株式市場から商品取引市場に投機資金が流れていることが加わってのものである。この需要要因は、中長期的に続くと見られるから、この物価高は中長期的に続くものと思われる。ただし、穀物の場合は、オーストラリアの旱魃などの一時的な要因もあるし、増産があれば、多少の低下の余地もありうる。とはいえ、それには長い時間がかかるから、当面は、それは望み薄である。

  世界の食糧在庫は、米農務省の2008年2月の需給報告によると、世界の穀物の期末在庫率(期末在庫量/消費量)は、07年度・08年度は、14.7%で、2000年の30%台から急低下し、1970年代はじめのレベルを下回る見通しだという(『農業と経済2008・5 臨時増刊号』「資源市場のパラダイムチェンジがはじまった 資源化する食糧」柴田明夫(丸紅経済研究所所長))。

  これにバイオ・エタノール需要の増大が穀物需要を押し上げている。2005年8月に成立した包括エネルギー政策法で、ガソリンと混合するエタノールの増産が義務付けられたアメリカでは、2000年の16億ガロンのエタノール生産量が、2005年には40億ガロンになり、ブラジルを抜いて世界一になった。エタノール需要の拡大が続くと、アメリカのトウモロコシ輸出余力を低下させる可能性もある。大豆を使ったエタノール燃料の需要も伸びていることから、今後は大豆の需給逼迫も予想される。また、世界第2位のトウモロコシ生産国中国のトウモロコシ需要の拡大によって、輸入国になる可能性がある。
 
  食糧サミットに出席した福田総理は、穀類からつくるバイオ・エタノールに代わる材料を使う新たなエタノール開発の研究をすべきだと答えた。研究からはじめるというのだから、実用化は先の話である。また、帰国後、福田総理は、食糧自給率を引き上げるために、減反政策の見直しを検討すると述べた。猫の目行政とはよく言ったものだ。日本の農村には耕作放棄地などの土地があり、水もある。ないのは、農業労働力や投資資金などである。このないものをどう増やすかである。あるニュースでは、中国人研修生を使ったレタス栽培、農事組合化による機械などの共同購入・共同作業化、企業による水耕栽培の野菜工場、の三つの例を取り上げていた。

  しかし、本間正義氏などの比較優位説に立つ食糧海外依存説が、経済財政諮問会議などの基調を支配していて、比較劣位にある日本農業を切り捨てるという考えを政府に吹き込んでいる。とはいえ、市場主義的に見ても、穀物価格の上昇は、農業投資を呼び込むこととなり、利潤を生むとなれば、農業生産を拡大させるように促すシグナルとなるはずである。アメリカや中国は、国内需要の増大のために、トウモロコシの国際市場から抜ける可能性があり、それでも穀物需要が増大するとすれば、供給不足が起きるかもしれない。戦争や略奪をしないとなれば、穀物価格の上昇に対応し、供給国が欲する他の商品を作りつづけるしかない。しかし、そのような優位はいつまでも続かない。かつて世界一だった製鉄もいまでは中国に抜かれている。そこで、別の分野で新たな優位な産業を起こさなければならなくなる。しかも、世界市場が欲するものをつくらねばならない。

  農業の拡大は、労働力の移動を必要とする。強制でなければ、それなりの水準の収入がなければならない。上の中国人研修生の月給は、8万円ほどだそうだ。これは、中国国内では大金だろうが、日本の労働者の月収としては余りにも低い。それと、中国人が、中小零細企業で、研修の名目で実際には低賃金労働者として働かされ、賃金未払いなどが問題となったことがある。

  また、このところの地方切り捨ての中で地方は疲弊しており、農外収入の道も減ったり、現象したりしている。交通アクセスが不便な上に、今や欠かせなくなった自動車のガソリン値上げが重くのしかかっている。

  政府は有効に機能していない。政府の無策ぶりを嘆く声は高まっているが、基本的な姿勢が、すべてを市場に委ねよであるから、この有様も当然である。まるで、マルクスが、1870年代に、社会主義の『平和的』な勝利が可能だと述べた時期の特徴と似ているではないか。

  その条件は、レーニンによると、「(1)農民がいないために、労働者、プロレリアが住民のなかで完全に優勢をしめしていたこと(七〇年代のイギリスでは、社会主義者が農村労働者のあいだできわめてはやく成功をおさめることを期待してさしつかえないような徴候があった)。(2)プロレタリアートが労働組合にりっぱに組織されていたこと(当時イギリスはこの点で世界一の国であった)。(3)数世紀にわたる政治的自由の発展によって訓練されたプロレタリアートの、比較的たかい文化水準。(4)みごとに組織されたイギリスの資本家―その当時、彼らは世界のすべての国のうちでもっともよく組織されていた(いまではこの優位はドイツにうつった)―の、政治上・経済上の諸問題を妥協によって解決するという長い習慣。このような事情があったために、当時は、イギリスの資本家がイギリスの労働者に平和的に服従することが可能であるという思想が生じることができたのである」(『食糧税について』1921年4月21日、レーニン全集32巻364頁)。

もともと日本の政府も軍隊も小さい。しかも、政府は行政改革によってさらに縮小されようとしている。農民は極めて少なくなっている。ただ、地方において、保守政党の有力な政治基盤となっている。しかし、プロレタリアートは、住民のなかで圧倒的多数である。プロレタリアートは労働組合に組織されているが、労組組織率は年々減っていて、今や雇用労働者の18%しか組織していない。プロレタリアートが政治的自由を本格的にかちとったのは、敗戦後であり、それから60年ほどしか経っていない。日本の資本家はよく組織されていると言えるか? 日本の資本家は、政治上・経済上の諸問題を妥協によって解決するという長い習慣をもっていると言えるか? いろいろである。このところは、そんな習慣は捨ててしまっている。今は、日本の資本家が労働者に平和的に服従するどころか、労働組合の方が最初から白旗を揚げて、資本家に服従している有様だ。しかし、物的な条件は、社会主義に移行するのに十分に揃っている。大企業は、トヨタを見れば明らかなように、内部的には計画生産を行っている。

  さまざまな点で、現代の日本は、1870年代のイギリスの状況とは違っている。したがって、資本家が労働者に平和的に服従するとか、平和的に社会主義に移行する条件は少ないということになる。

  今の日本の農業政策に似ている気がする。明治の篤農家育成策のような感じである。それに対して、農業企業家による資本主義的農業ということも株式企業の農業への参入自由化の動きとしてある。しかし、どれも中途半端なままである。集団営農化も進んでいない。

  例えば、中小企業に雇用助成金を支給しているように、農業労働者の雇用に対して助成金を支給するということも考えられる。しかし、農業労働は、季節的な偏りがあり、労働力を必要とする時期とそうでない時期があり、安定雇用は難しい。米農家の場合、秋の収穫を終えると出稼ぎに出る。ハウス栽培なら、年中仕事はあることになるけれども、今度は休めないという問題もある。畜産の場合も同じ問題がある。

  比較優位説に立つなら、外国の農業に投資した方が良いということになる。例えば、タイに投資して、日本に輸入した方が安くつくというように。しかし、それは、食料という生きるのに必要な物資の確保を利潤によって左右されることを意味する。利潤を上げられなければ、生産されないとか、価格維持のために、廃棄されたりとか、する。

  なんとも不条理なことだが、資本主義経済ではそうならざるをえない。

  今の物価上昇は急であり、春闘の賃上げ率を上回っているのは確実だから、実質的な賃下げである。財布の紐は硬くなる。それが景気を下に引っ張る。悪循環に入りつつあるようだ。政府は、物価動向を見守っているという。

  アメリカでは、チェンジを叫ぶ黒人のオバマが民主党の大統領候補になった。日本では、中途半端な福田政権の下で閉塞感が強まっている。韓国では、7割の高支持率で大統領になったイ保守政権の支持率がアメリカ産牛肉輸入再開決定をきっかけに急落、2割台になった。なにやら、安部政権の運命と似ている。福田政権の支持率も下がりつづけ、1割台に落ち込んでいる。福田総理は、支持率稼ぎのための外交でのポイント稼ぎに乗り出した。

  労働組合の「連合」は、政治闘争も経済闘争もだめという有様で、あとは民主党の政権獲得にかけるしかないという感じのようだ。どういうわけか、食糧問題についての農協の声が聞こえてこない。日本にもチェンジが必要な時が近づいているようだ。

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『バックラッシュ』をめぐって

『バクラッシュ』(双風社、200年7月初版)は、バックラッシュ現象をめぐる諸論考を集めた本で、この間のバックラッシュの問題点について整理するのに便利な本である。

  バックラッシュ自体は、90年代の「慰安婦問題」や国会での侵略戦争謝罪決議への保守・反動派の反発などがあって、90年代には強まりつつあったのだが、「ジェンダー・フリー」への攻撃などフェミニズムに対するバックラッシュが本格化するのは、2000年代になってからであり、「日本を守る国民会議」や「新しい歴史教科書をつくる会」が結成されてからである。と、「ジェンダー・フリー論争とフェミニズム運動の失われた一〇年」の山口智美さんは言う。

  戦争認識や歴史認識などをめぐって、保守反動派との長い闘争の歴史から見ると、なんとはなしに、今のバックラッシュは長く続いていたように思っていたが、これが本格化したのは、ここ数年のことだったのかと案外短いことに気づかされた。

  山口さんは、1996年に解散した「行動する女たちの会」にかかわった経験のある人である。この会は、それまで20年にわたって活動してきたのだが、行政側から始まったジェンダー・フリー、「男女共同参画政策」などによって、人も資金も集まらなくなったという。

  彼女は、行政主導のジェンダー・フリーに批判的である。彼女は、ジェンダー・フリーを始めて使ったのは、東京女性財団の発行した『Gender Free 若い世代の教師のために』(1995年、深田智子、田中統治、田村毅)であったという。1994年には男女共同参画審議会が発足した。95年には、「男女共同参画ビジョン」「男女共同参画2000年プラン」が公表された。

  これらについて、彼女は、「従来の女性運動にかかわってきた者よりも、むしろ行政と女性学者、そして男性のジェンダー学者が組み、引っ張ってきたのが「男女共同参画」だという側面がある」(246頁)と述べている。

  そして、彼女は、『Gender Free 若い世代の教師のために』の認識が、フェミニズム運動が根本的な変革を志向してきたことを無視し、男女平等の制度はだいぶできたので、あとは心理や意識の変化が必要だというものであることを指摘する。とくに学校教育における男女平等は進んだとしており、後は生徒たちが社会に出て、教育されたことを社会に広めれば、男女共同参画社会になっていくだろうというわけだ。

  これはどこか別のところでも聞いたことのある理屈である。そう、部落問題である。同和対策特別措置法の廃止の理屈と似ている。この分野でも、後は、意識を変えればいいのだという理屈である。

  この行政・学者主導のジェンダー・フリー、「男女共同参画」運動を、彼女は、フェミニズムはもともと女性運動であるのに対して、男女の協力を強く謳っている点で、融和主義的で、男が多く参加していることを問題視する。そして、制度よりも意識や心理を強調していることも問題にしている。学校は、男女共同参画社会の未来的なモデルであって、だから、そこではすでに男による女への差別はなくなりつつあり、後は遅れた意識を変えるだけでよいとされた。

  それに対して、バックラッシュ派は、ジェンダー・フリーは、男女の違いを解消するものだとしてもう反発した。このバックラッシュの運動主体になったのは、もともとあった保守系組織や信仰宗教団体や自民党や民主党内の右派グループである。とくに、右派宗教団体の統一教会は猛烈な批判を展開した。それとキリストの幕屋は動員や資金面でこの運動を支えた。

  しかし、山口氏が指摘しているように、バックラッシュ派のジェンダー・フリーは、もともと行政が上から起こした運動で、フェミニズムの方は、あまり関係はなかった。それを、バックラッシュ派は、フェミニズムから共産主義による陰謀の如く描いたのは、ドンキホーテが風車を怪物と信じて突撃したのと同じことだったのである。

  しかし、このバックラッシュが一時、女性を含めた草の根的な広がりを持ったことには、多少の危惧を覚える。そこには、上からのジェンダー・フリー化への反発や女性の階層間の対立、専業主婦層の働く女性への反発とか、宗教的な理由での反発とかいろんなことがある。それらの問題は今も続いているわけで消えたわけではない。

  それに対して、上野千鶴子氏は、同本のインタビューで、日本の戦後のバックラッシュは、20年周期で起こる現象だとして、軽く見ている。この20年前のバックラッシュは、草の根を目指しつつも、既存の保守組織を動員することができただけであったが、今回は、それ以外の一般大衆層にも多少広まったというのが違うところである。それに対して、フェミニズム運動は、行政・学者などのエリート運動に偏しており、大衆的基盤が薄いのが気になるところだ。

  山口さんは、フェミニズムの論客の伊田広行氏や「男学」の提唱で知られる伊藤公雄氏にも批判的というか懐疑的である。これは、差別解放運動というのは、自己解放運動だという基本的な考えから来ているのだろう。これは正しい。しかし、これを上野氏のように「代弁=代表」一般の否定というふうに抽象的に言ったら間違いになる。あるいは、言うのは自由だが、そう言ったところで、それから逃れられるわけではない。「わたし」は、それが可能な特権的な場所ではない。上野氏は、脱構築のデリダから今度はフーコーに乗り換えたようだが、それではこれまでの脱構築の話はどうなったのか? こういう人の話をどう聞いたらいいのか、わからない。

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『孫子』を読む

  「孫子の兵法」の元の『孫子』というのを読んでみた。

  この中には、いろいろと有名な部分がある。孫子は、中国の春秋時代の兵法家で、その思想を集めたとされるのが、『孫子』という本である。これは短いものだが、後々の人、例えば、唐の太宗の愛読書にもなったようである。日本でも戦国大名の甲斐の武田信玄の武田軍ののぼりには『孫子』の中の一節を略した「風林火山」の文字が掲げられていた。

  もとのところはこうだ。

  「故に兵は詐サを以て動き、分合ブンゴウを以て変を為すなり。故に其の疾ハヤきこと風の如く、其の除シズカかなること林の如く、侵掠シンリャクすること火の如く、知り難きこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷イカズチの如くにして、郷を掠カスむるには衆を分かち、地を廓ヒロむるには利を分かち、権に懸けて而して動く。迂直の計を先如する者は勝つ。此れ軍争の法なり」(『世界の名著 諸子百家』中央公論234頁)。

  孫子の時代は、周が東周になって、その後、多くの諸侯が乱立した時代で、戦の絶えない戦乱の時代だった。孔子を始め諸子百家と呼ばれる思想家の乱立時代でもあった。その中で、野にあって、兵法の研究をしていた孫子は、縁あって、呉の軍師となる。

  その孫子の語録が『孫子』である。

  まず最初に、「兵とは国家の大事なり」という言葉が出てくる。

  そしてその軍事は、五事を基本にして、七計によって計るべきだという。

  五事とは、①道、②天、③地、④将、⑤法、である。道とは、上と下の心が一体になるということ。天は、自然界のこと。地は、遠近、広さ狭さ、険しさ平坦さ、などの地勢のこと。将は、才知、威信、仁滋、勇気、威厳などの将軍の器量のこと。法は、軍隊編成の法規、官職の担当分野のきまり、などの軍制のこと。

  七計は、①君主の道の比較、②将軍の有能性の比較、③天の時と地の勢いの比較、④法令の徹底度の比較、⑤軍隊の強さの比較、⑥兵士の訓練度の比較、⑦賞罰の公正さの比較、である。

  これに、臨機応変の処置が取れる態勢である「勢」が加わる。

  さらに実践では、権変の道である詭道という敵の不意をつくということもいるという。

  しかし、孫子は兵法について述べつつ、戦わずに勝つのが一番だと述べる。

  「孫子曰く、凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るはこれに次ぐ。旅を全うするを上と為し、卒を破るはこれに次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るはこれに次ぐ。是の故に百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を届するは善の善なる者なり」(48頁)。

  そこで、最上の戦争は、敵の策謀を打ち破ることで、次が敵と他国との同盟を阻止すること、その次が実戦に及ぶこと、そしてもっとも拙劣なのは城攻めである、という。

  戦いの勝利のためには、五つのことが大事だという。

  「故に勝を知るに五あり。戦うべきときと戦うべからざるとを知る者は勝つ。衆寡シュウカの用を識シる者は勝つ。上下の欲を同じうする者は勝つ。虞グを以て不虞フグを待つ者は勝つ。将、能にして君の御せざる者は勝つ。此の五者は勝を知るの道なり。故に曰く、彼を知り己れを知れば、百戦して殆アヤうからず。彼を知らずして己れを知れば、一勝一負す。彼を知らず己れを知らざれば、戦う毎に必ず殆うし、と」。

  孫子は、「戦いに巧みな人は、戦いの勢いから勝利を得ようとするが、人の能力には期待しない。だから、うまく人を選抜して配置しおえてからは、ただ勢いのままにまかせるのである」と述べている。軍の態勢は、水のように、「無形」がよいと述べている。

  これは、現代的に言い直せば、相互関係ということだろう。この場合の勢いは、配置から生まれるのであり、社会関係から生まれるのであって、人の能力から生まれるのではないというのが鋭い。これは、現代の能力主義の信奉者に聞かせてやりたいところである。

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上野千鶴子氏『ナショナリズムとジェンダー』によせて2

上野氏は、この本で書いているように、「戦後主体」論争にこだわっている。しかし、上野氏には、この論争は解けなかったようである。そこで、「アイデンティ」の変容ということから、被害者という「アイデンティティ」から、赦しの「主体」としての「アイデンティティ」への移行ということを提起する。

  第二波フェミニズムの中から、国家、民族、階級、などの領域における女性差別が指摘されるようになった。80年代の部落解放運動や在日の運動の中でそのことは問題として語られていた。90年代に入ると女性の加害性・差別性がフェミニズム内部から指摘されるようになった。それが、戦争責任問題で論争を引き起こしたのである。女性史の中でも、女性の家督相続が認められている中での女性地主による下人の暴力的処罰や日中戦争などにおける戦争協力等々の事実が明らかにされてきた。上野氏が言うように、「女性=平和主義者」という図式は成り立たない。

  例えば、連合赤軍の永田洋子氏の『十六の墓標』を読めば、粛清の発端が、女性同士のジェンダー・トラブルにあったことがわかる。永田氏は、日共革命左派で、「女」である前に「人間」であれ、それには人間解放の革命戦士として、その任務に男と対等に革命運動に献身するよう指導されていた。それに対して、赤軍派の遠山氏の方は、「女」というアイデンティを持ったまま、革命戦士として戦うという考えを持っていた。永田氏による遠山批判は、遠山氏が指輪をはめていたのが、革命戦士として山に入ったことの意味を理解していないと見えたことを指摘したことから始まった。それを赤軍派の森に注意したが、遠山氏は指輪をはずさなかったことから、永田氏による遠山批判が全面的に始まった。しかし、森は、遠山氏に指輪のことを言っていなかった。この過程で、両者の女性解放論が異なっていることが明らかになったのだが、永田氏は自分の考えが正しいと一方的に主張した。

  同書では、永田氏は、遠山氏の考えの方が正しかったと自己批判している。なにせ、革命左派の最高幹部の川島は、共産主義になれば、女性は共有されるというとんでもない『共産党宣言』の誤読をやる馬鹿男であり、後には当然、永田からも軽蔑されるようになる。こんな最低指導者の下では、まともな女性解放論など育つはずがない。もっとも、反面教師とすれば、別だが。永田氏は、引っかかりや疑問を感じていたようである。もちろん、レイプ事件は決定的であった。彼女は、それを公然と議論し、責任を追及できなかった。坂口に訴えたが、彼は、そうすべきではないと彼女を説得した。すなわち、組織に問題があったわけである。そのことは、遠山批判のやり方を見て、これを女性解放思想の問題であり、指導の問題であるととらえられなかった森たち赤軍派指導部にもあった。森は、これを自己批判と相互批判の作風の問題として革左に自己批判するのである。問題をわからないなら、学ぶのが先で、その上で、自己批判するならそうすればよかったわけだ。そして、永田氏は永田氏で、遠山批判は本来、森の指導批判として行われねばならなかったのに、遠山氏の個人批判に終始し、それを森たちが作風として採用したことをたいした問題だとは思わなかったというのである。つまり、森・永田共々、党も組織も指導ということについてわかっていなかったということである。わからなければ、学ぶことから始めなければならないのに、森は、森流の恣意的な解釈で対処した。革左の方は、永田氏によれば、アナーキーな個人主義的な組織だったようである。それは、川島の恣意的指導の様子からもわかる。だから、総括が、個人批判になっていくのは当然である。党内関係が、個人主義的な個人間関係になっていたため、責任もまた個人化されていたからである。それで、個人で取りきれない責任まで取ることを求められることになるのだ。指導部を形成しながら、指導責任を規定していないのも無政府主義的である。これは、赤軍派にも言えることである。これは、個人的心情で乗り越えられるような問題ではない。党組織の問題であり、実践的な問題である。その空白を森は、永田氏の遠山批判の仕方のうちに、作風の問題という間違った個人主義的な回答で埋めることを空想したのである。

  赤軍派には、女性解放の視点がなかった。それを、大塚英史は『女たちの「連合赤軍」』という本で、森の女性性の忌避・嫌悪という心理的なものから説明している。しかし、それもどうかと思う。そもそも赤軍派そのものにまともな女性解放論があったとは思えない。遠山氏は、個人として、彼女なりの女性解放思想を持つようになったのだろう。ここでも、永田氏は、学ぶということを飛ばして、個人批判から入っている。レーニンが、そういうやり方をいかに嫌ったかは、労働組合運動論争でのトロツキー批判を見れば、よくわかる。トロツキーは具体的に学ばないで、理念を振りかざして、労働組合を上から「ゆさぶる」ことを提案した。レーニンは自分たちのあやまりを正すために学ぶことが必要だと答えた。そして、労働者反対派から2名の中央委員を入れた。こういうのが、レーニンのやり方である。レーニン主義を掲げながら、それをお題目化して、具体的にレーニンから学ばない自称レーニン主義者がいかに多かったことか!

  この永田氏による遠山批判のやり方は、その後の粛清のモデルとなった。このやり方こそ、共産主義化であると解釈された。同書の最後の下山途中での警察との戦いのシーンでは、森が、永田らの闘うべしの声に対する消極的でしり込みするような態度を見せたと永田氏は書いている。これは、敵前逃亡した以前の森の姿そのものである。彼は「裸の大様」である。こんな男を幹部にせざるを得なくなったのは、赤軍派が、大菩薩峠での軍事訓練中を警察に襲われ、幹部が大量逮捕されたからである。森を指導することは、ほぼ不可能であった。塩見氏はじめ赤軍派幹部は多くが獄中にあった。

  永田氏は、獄中で、「女」であることを否定して革命戦士となることの誤りを悟った。それは第二波フェミニズムの考えとも一致する。男による支配、家父長制への従属の拒否、女同士の連帯(シスターフッド)、等々。しかし、フェミニズムに対する「女」からの反発や「女」の加害性・差別性の指摘、「同性愛」の問題、「男学」、等々の新たな問題提起に揺すぶられ、第二次フェミニズムは分解していった。永田洋子のフェミニズムは、第二次フェミニズムを先取りしていた遠山氏の当時としては進んでいた前衛的なレベルに事件後にようやく到達した。しかし、時代はさらに進んだのである。なお、彼女は、森に対して批判を持つこともあったが、それをあまり言わなかった。これは、革左内で、公然と川島批判をできなかったことの延長のように見える。

  第二波フェミニズムの分解は、バトラーによれば、「女」というカテゴリーをも問わなければならなくなったということを意味する。今や、エコ・フェミニズムをはじめとする多くのフェミニズムがある。外からは、わけがわからないが、とにかく、それが現実だ。研究が発展したのは確かだ。本屋に行っても、フェミニズム関係の本はたくさんある。それに対して、反フェミニズム側の本や研究の貧相なことは一目瞭然である。それにもかかわらず、バックラッシュが一時、広まったのはなぜだろうか。バックラッシュが台頭してきた1990年代中盤、村山政権が、「阪神大震災」への対応などで批判を受けていた。社民党内でも、自民党との連立の是非をめぐる対立も残っていたし、保守と革新の連立政権の成立が、加藤典洋の議論の背景にあったと思われるし、フェミニズムが、一定の成功を遂げる中で、女を含めての反発が盛り上がってきたということもある。そして、フェミニズム内での分解も進行した。いろんなことが重なる中での第二波フェミニズムの分解であった。

  しかし、女性戦犯法廷に対する保守派の反発と危機感は強かった。これを取材したNHKの番組には、事前に与党政治家による圧力と言われるものがあった。番組内容は放映直前に変えられた。それに対して、女性戦犯法廷の主催者側は抗議した。この問題は続いている。

  90年代以降、ポスト・モダニストなどの知識人が、こうした領域に加わってきているのがこの間の特徴である。それは一つには冷戦の崩壊が原因であり、二つには、上野氏が強調する「言語論的転回」ということがある。これは、上述したように、ヘーゲル左派の台頭と似た事態である。かれらにとって、現実変革とは、言説との闘いである。それはそれでけっこうなことだけれども、運動現場の人々にとって、それはどれだけ役立っているのだろうか?  上野氏は運動との結びつきを考え、支援しようとしているようだが、うまくいっているようには見えない。それはたぶん現場から立てられている運動の実践論理に対して、上から形式論理学的論理を押し付けているからではないだろうか?  だいたい、運動現場では、事実から運動論理を立てていて、だから、それが形式論理には合わないのは当然で、やはり弁証法論理でないと合わないのである。上野氏は、最近、形式論理学を高く評価する柄谷行人氏の編集する『at』という雑誌に連載しているが、やはり彼同様、形式論理学者なのだろうか? だとしたら残念なことである。柄谷氏は以前、地域通貨運動を起こして、無残に崩壊させたことがある。どんなに言説をうまく組み立てたところで、現実はそううまくいかないのである。やはり、バックラッシュのいくつかは、事実の突きつけで、後退させることができたのであり、事実の重みはたいしたものなのである。それを、事実はなく、主観的な現実だけがあるなどと言って、バックラッシュを放置していたら、やがて、ファッショ的な体制を作られてしまいかねない。私の印象では、自称保守派のなかの良心派ともいうべき人たちから、事実を突きつける藤岡一派などへの批判があったおかげもあって、バックラッシュの勢いが多少おさまったのである。この過程で、上野氏の言説は、たいして役に立っていないという印象がある。どうしてそうなのか? 第二波フェミニズムではあれほど大きな影響力を持ったのに、この落差はなんなんだろうか?

  上野氏の反国家「主体」の形成という戦略よりも、バトラーの国家の中でのずらしの戦略という半国家化という戦略の方がアクチュアリティがあると思う。それには、「国民主体」という位置に取り付いて、それを「半」化していくという実践が必要である。それは、レーニンの思想と同じだと思う。このような複雑な実践を回避して、反国家的な「わたし」の自己満足に終わるようなやり方では、国際連帯の絆を作ることは難しいと思う。それとこの反国家の中身がわからない。どうすりゃいいの? という感じだ。

  上野氏は形式論理学的で主観主義的的・折衷主義的、バトラーは弁証法的に見える。あるいは、バトラーは、ラクラウ・ムフ的な弁証法論者であると言えようか。この辺はもっと慎重に見る必要がある。

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上野千鶴子氏『ナショナリズムとジェンダー』によせて1

  上野千鶴子氏の『ナショナリズムとジェンダー』(青土社1998年)は、1990年代後期の、慰安婦問題や戦争責任問題やフェミニズムや歴史認識をめぐって、「新しい歴史教科書をつくる会」などの右派・保守派のバックラッシュが吹き出る中での議論をもとに、上野氏の見解を述べたものである。

  この中では、いろいろな論点が出されている。

  まず、戦争責任の問題がある。議論を巻き起こした加藤典洋氏の『敗戦後論』をめぐる問題、女性の国民化、女性の戦争責任、等々が論じられていく。

  はしょって言えば、加藤典洋氏は、日本では、戦後に保守勢力と革新勢力が分裂したために、戦争責任の主体であるべき日本国民が構築されておらず、それをするには、まずは、日本人戦死者の日本国民による弔いが必要だという。しかし、戦争責任の主体がどうして国民としての弔いを通じてしか構築できないのかはよくわからない。敵の死者を弔うとか、敵味方を問わず非業の死を遂げた者を弔うということは昔からやられてきていることである。問題になっているのは、近代国家の戦争責任の問題である。それについて、国民的合意を形成できなかったことを加藤氏は問題にしたのである。加藤氏は、それをするためには、まずは革新側が保守派に妥協して、アジアの2000万人の犠牲者の前に、日本人犠牲者300万人を弔うべきだと言うのである。しかし、過去の侵略戦争についての反省と謝罪は、日本の最高権力機関の国会決議と村山首相の談話で示された。それに猛反発したのが保守派であり、このままでは日本国が滅びるという妄想を掲げて、巻き戻しに出たのである。それに、これは、最近、自民党議員などから盛んに出ている国民的課題については、全政党の協力によって合意をつくるのが望ましいというのとたいして違わない。憲法問題もそういう課題だと言われていたが、安部政権が、それを破って、与党の数を頼りに単独で「国民投票法案」を強行採決したように、それは政治的駆け引きのレトリックにすぎない。

  上野氏は、高群逸枝・山川菊枝・市川房枝などの戦争協力問題を取り上げる。また、彼女らのような知識人ばかりではなく、一般の女性たちも、「主体」的に戦争協力していたことも明らかにする。被差別民の戦争協力問題については、いくつかの研究がある。

  上野氏は、基本的な問題として、歴史は、再審され、現在によって構成されるものだという構築主義を主張する。その上で、権力となった歴史言説の脱構築を主張する。

  これは、歴史修正主義の一部と部分的に共通する。例えば、日本の歴史修正主義者の一部は、勝者による言説支配を批判し、それこそが日本の左翼言説の基であると主張する。戦後民主主義の言説は、占領統治の権力によって押し付けられたものだと言うのである。いわば「虎の威を借りる狐」のように、戦後左翼言説が支配してきたということである。それをかれらは、今日まで続く占領支配体制として批判するのである。ただし、小林よしのりは、左翼言説を全体主義とするドグマが支配していて、だからこそ、逆の方向(右)へ行っている向きがある。左の全体主義に右の全体主義を対置するというような。しかし、それは、彼の場合、全体主義概念の濫用にすぎない。

  上野氏は、構築主義的でありつつ、脱構築主義的という複数主義的立場を標榜する。事実と現実を区別し、立場によって異なる現実があると彼女は言う。彼女は、それによって、歴史修正主義の中の歴史実証主義を脱構築できると考えているようだ。そして、慰安婦問題などで、歴史修正主義に対して、「歴史の真実を」などと事実を争うやり方はだめだというような言い方をしている。

  しかし、例えば、「新しい歴史教科書をつくる会」は、歴史は物語であると露骨に歴史のイデオロギー化を主張している。かれらの歴史実証主義は、自虐史観イデオロギーに対抗し、攻撃するための手段である。複数の現実を認めるのはよいとしても、歴史事実についての認識を土台にしなければ、歴史実証主義イデオロギーを有効に暴露できないだろう。慰安婦の証言の中には、慰安婦問題の事実があるということから、問題が始まったのである。それは、秦邦彦が、吉田証言を「実証的」に崩したとしても、変わりはない。結局彼らは、沖縄の軍による集団自決強制問題で、あやしげな証言者を引っ張り出して、自滅した。これまでの沖縄の人々の多くの人々の証言の蓄積によって、細部の違いを超えた事実の確定ができる。慰安婦問題では、元軍人らが慰安婦体験を語っていたということを上野氏は指摘している。そこには、慰安婦の存在は事実として示されている。それの意味付けにおいては、さまざまだというに過ぎない。むしろ、それを問題化してこなかった日本の「主体」の方に問題がある。

  そもそも、軍隊慰安婦の存在は、昔から知られていたのに、それが大きく取り上げられるようになったのは、韓国において、フェミニズムが広まる中で、女性に貞操の価値を押し付けてきた家父長制批判がある程度浸透してきたからだという。それによって、金学順さんをはじめとする元慰安婦が自らの体験を語るようになったというのである。それは、上野氏は、自ら語ることによって自らを主体として構築する過程であるという。

  それはどんな「主体」なのだろうか?

  「もはや「シスターフッド・イズ・グローバル Sisterhood is global」[Morgan 1984]という楽天的な普遍主義に立つことは誰にも不可能だが、ジェンダーという変数を歴史に持ち込んだのは、そのもとで階級、人種、民族、国籍の差異を隠蔽するためではなく、さらなる差異―しかもあまりに自然化されていたために差異としてさえ認識されていなかった差異、いわば、最終的かつ決定的な差異―をつけ加えるためではなかったか? ポストモダンのフェミニズムのもとでは、ジェンダーのほかに人種や階級という変数が加わった、と言われるが、むしろ人種や階級という変数がジェンダーという変数を隠蔽してきたことを、フェミニズムは告発したはずだった。人種や階級という変数は、新たに発見されたのではなく、ジェンダー変数を契機として、より複合的なカテゴリーとして「再発見」されたのである」(196~7頁)。

  要するに、ジェンダーは、アルチュセールの重層的決定の最終審のレベルに位置するものとされているわけだ。あるいは、ジェンダーは、差異の差異であるというわけである。したがって、彼女は、被抑圧民族の運動にも批判の目を向ける。ガンジーの非暴力独立運動も家父長制的なものを持っていたというのである。かくして、彼女は、今日のフェミニズムの立場から、過去の歴史を再審するのは当然とする。だとすれば、大チベット構想を持って、亡命政府を代表している家父長的なダライ・ラマ14世のチベット解放運動にも批判的ということになろう。男子のみが代々継承してきたダライ・ラマをはじめとする男の僧侶ばかりのチベット仏教のあり方を、彼女は批判的に見ているのだろう。

  それから、彼女は、フェミニズムの目的について述べている。

  「フェミニズムの目的はある排他的なカテゴリーをべつの排他的なカテゴリーに置き換えることではない。「女性」という本質主義的な共同性をうちたてることでもない。「わたし」が「女性」に還元されないように、「わたし」は「国民」に還元されない。そのカテゴリーの相対化をこそ意図している。
  国家という集団的アイデンティティの排他性を超えるために呼び出されるのが、他方で「世界市民」や「個人」あるいは「人間」として、という抽象的・普遍的な原理である。あらゆる国境を超えたコスモポリタン、普遍的な世界市民という概念もまた、危険な誘惑に満ちている。それはあらゆる帰属から自由な「個人」の幻想を抱かせ、あたかも歴史の負荷が存在しないかのように人をふるまわせる。「国民」でもなく、あるいは「個人」でもなく。「わたし」を作り上げているのは、ジェンダーや、国籍、職業、地位、人種、文化、エスニシティなど、さまざまな関係性の集合である。「わたし」はそのどれからも逃れられないが、そのどれかひとつに還元されることもない。「わたし」が拒絶するのは、単一のカテゴリーの特殊化や本質化である。そうした「固有のわたし」―決して普遍性に還元された「個人」ではない―にとって、どうしても受け入れることのできないのは「代表=代弁」の論理である」(197~8頁)。

  ここで、上野氏に抜け落ちているのは、「他者」である。「わたし」と「あなた」はあるが、「彼(たち)・彼女(たち)」 「わたしたち」「あなたたち」などがない。ここで、固有名としての名前の「わたし」ではないというのが一つのポイントである。この「わたし」は上野千鶴子氏ではない。もしそうなら、姓において、家父長制を示し、名前で、「女」というカテゴリーへの帰属を示してしまうので、彼女の語りの位置が、それらに影響される。そこで、「わたし」という位置を占める必要があるわけだ。それで、慰安婦問題は、「わたし」という位置から語られる必要があることになるのだが、しかし、元慰安婦の女性たちは、氏と「女」のカテゴリーを示す本名を名乗って、証言・告発を行ったのである。もちろん、「わたし」というのは、英語なら、性別に関係のない一人称単数の代名詞であるが、日本の日常の使われ方では、主に女性が使うものになっている。つまり、ジェンダー化されている。

  上野氏は、相対と絶対を単純に対立させている。弁証法は、これらの相互関係を明らかにする。例えば、ソシュールの相対的言語観「言語には差異しかない」は絶対的であるというように。一般的な規定としては、こうなる。また、「代表=代弁」は、言語が他者の言語でしかありえない以上、その外に立つことはできないのである。

  上野氏は、慰安婦訴訟のなかの個人補償の論理を高く評価する。

  「「慰安婦」訴訟のなかの個人補償の論理―「戦後補償は二国間条約で賠償ずみ」という日本政府の言い分に抗して、個人が国家を相手どってその責任を問うということは、「わたし」の利害が国家によって代弁されない、「わたし」の身体や権利が国家に属さない、ということを意味している。元「慰安婦」の闘い―「わたし」の尊厳を回復したい―という思いは、日本という国家に対峙するだけでなく、韓国という国家に対しても権利の「代表=代弁」を拒否する性格をもっている」(198頁)。

  戦後補償の問題は、アメリカの対日・対韓政策によって日韓条約締結が急かされたことによることも大きい。冷戦のために、韓国の反共政権をてこ入れするために、日本からの経済支援を必要と考えたのである。サンフランシスコ条約の際も、日本を東アジアにおける反共国家化にするために、戦争責任を強く問わない態度を取ったのである。そのおかげで、日本は、戦争責任問題をスルーして、経済大国への道をひた走ることができたのである。そういうアメリカに寄りかかってきたのが、日本の保守派や右派のほとんどなのである。今でも、本物の反米右派・保守派など極少数派である。たいていは、口先だけの反米である。もちろん、小林よしのりもである。

  上野氏は、最後に、氏の政治的立場を明らかにしている。

「もし、国家が「わたし」を冒そうとしたら? 「わたし」はそれを拒否する権利も資格も持っている。もし、国家が「あなた」を冒そうとしたら? 「わたし」はそれを拒否する権利も持っている。「わたし」の責任とはそのような国家に対する対峙と相対化のなかから生まれる。それは「国民として」責任をとることとは別なことである。
「わたし」の身体と権利は国家に属さない。そう女は―そして男も―言うことができる。「慰安婦」問題が女性の「人権侵害」として言説構成されるのならば、「兵士」として国家のために殺人者となることもまた男性にとって「人権侵害」であると、立論することが可能だ。人権論はそこまでの射程を持つだろうか。「慰安婦」問題が突きつける問いは、たんに戦争犯罪ではない。戦争が犯罪なのだ。
  国民国家を超える思想は論理必然的にこの結論へとわたしたちを導く。「女」という位置は、「女性国民」という背理を示すことで国民国家の亀裂をあらわにするが、そのためには「女=平和主義者」という本質主義的な前提を受け容れる必要はない。「国民国家」も「女」もともに脱自然化・脱本質化すること―それが、国民国家をジェンダー化した上で、それを脱構築するジェンダー史の改造点なのである」(198~9頁)。

  上野氏は、こうして、言説決定論、あるいはカテゴリー決定論とも言うべきものに陥っている。これは、前に指摘したように、ヘーゲル左派と共通する。そして、言説の権力を、言語ゲーム的な相対化の闘争によって脱構築するというのである。「女」カテゴリーも権力的になれば、脱構築するというのである。こうして、脱構築は無限に続く、というわけだ。これは、ポストモダニズムが陥った隘路を端的に示すものである。

  国民国家は、「女」という位置ばかりではなく、「階級」という位置、「少数民族」という位置、などからも亀裂をあらわにすることは明らかである。「女」という位置だけを特権化しないというならよいが、そうではなく、氏は、ジェンダーを「最終的かつ決定的な差異」として、「特権化」する。

  そして、「わたし」。この一人称単数の代名詞は、「「国民」でもなく、あるいは「個人」でもなく。「わたし」を作り上げているのは、ジェンダーや、国籍、職業、地位、人種、文化、エスニシティなど、さまざまな関係性の集合である。「わたし」はそのどれからも逃れられないが、そのどれかひとつに還元されることもない。「わたし」が拒絶するのは、単一のカテゴリーの特殊化や本質化である。そうした「固有のわたし」―決して普遍性に還元された「個人」ではない―」とされる。これは、フッサールの超越論的主観の問題を彼女がまったく無視しているか、そもそも知らないことを示している。「わたし」は機能であるということをフッサールは、述べた。「わたし」は、さまざまな関係によって規定されているだけではなく、それらを客観化してその対極として、主観化することによって主観となるのであって、受動的なものではない。つまり、能作である。「わたし」の機能によって、「わたし」の世界が形成されるのである。しかし、それは超歴史的なものではないというのが、フーコーやその影響を受けている構築主義の立場である。ニーチェによれば、われ思う。ゆえにわれあり。というデカルトのコギトは、文法によって、考えるの主体を「われ」として生み出し、原因と結果を転倒させたものである。考えるが先でわれの原因なのに、文法は、われが思うを生み出したように、つまりは、われを「主体」化するのである(『善悪の彼岸』参照)。

  また、この一人称単数代名詞の「わたし」の複数化は、これに「固有の」という性格を付加することではないだろう。それなら、「固有のわたしたち」という複数化も可能である。いくつもの「わたしたち」がありうるし、ある。上野氏は、「公」と「私」の対立というリベラリズムの古くからの二項対立を言い換えただけである。

  「「わたし」の身体と権利は国家に属さない。そう女は―そして男も―言うことができる。「慰安婦」問題が女性の「人権侵害」として言説構成されるのならば、「兵士」として国家のために殺人者となることもまた男性にとって「人権侵害」であると、立論することが可能だ。人権論はそこまでの射程を持つだろうか。「慰安婦」問題が突きつける問いは、たんに戦争犯罪ではない。戦争が犯罪なのだ」という言い方と論理を見ると、上野氏は傲慢だという印象をもつ。「「慰安婦」問題が女性の「人権侵害」として言説構成されるのならば」という仮定法による語りは、「人権論はそこまでの射程を持つだろうか」という人権論批判的な疑問形をへて、「慰安婦」問題は、戦争が犯罪であることを示しているという断定に帰着する。

  国連憲章は、国連加盟国に、侵略戦争を禁止しているが、国連軍が侵略者を排除するまでの間の自衛戦争を認めている。NATOは、旧ユーゴスラビアに対する人道のための戦争を行った。これらの戦争も犯罪だというなら、上野氏は、これらの戦争を犯罪として裁くことを要求したのか?  人権のための戦争に対して、ポストモダニストの多くが反対しなかったことは、上野氏の思想の正当性の方をこそ、疑問にさらすものだ。もちろん、今の人権論に問題がないというわけではない。理想を語ることに問題があるわけではない。

  自らの高邁な理想という高みに立って、「慰安婦」問題をそれを語るためのダシのように利用しているように見えるから、傲慢という印象を受けるのである。「代弁=代表」を否定しながら、結局は、「他者」の語りに寄生して、それを上野氏という「わたし」が「代弁=代表」しているように見えるのである。言葉に表しにくい感情を元慰安婦は、矛盾し、曖昧で、混乱した記憶の中から、なんとかして、懸命に言葉にし、表現しようとしているように見える。それを、論理的ではないとかいう「実証的」基準で切り捨てる「実証主義イデオロギー」は批判されるべきである。それは、上野氏の「国民国家を超える思想は論理必然的にこの結論へとわたしたちを導く」とする論理主義にも言えるのではないだろうか。

  もちろん、理想は必要だし、それを語ることも問題ではない。むしろ、今は、そういうことが少なすぎるように思われるぐらいである。上野氏は、論理化以前のものにもっとこだわってもいいし、もっと深く長く付き合うべきだろう。それに、学ぶことが必要であると思われる。その点では、福祉労働・ケア労働についての『at』という雑誌における最近の連載は、取り組んでいる領域としては、そういうことを学ぶのに適した領域である。そこで、感情労働ということを書いているのだが。

  上野氏の論理主義は、歴史実証主義を批判しつつ、それに押し込まれ、吉見氏の慰安婦問題研究を歴史実証主義に含めるという誤りを犯し、事実はないが、主観的な「現実」のみがあるという主観主義を対置する。まるで言葉化されない「現実」は存在しないとでもいうように。吉見氏の批判は、1998年のシンポジウムの記録集『シンポジウム ナショナリズムと「慰安婦」問題 日本の戦争責任資料センター編』(青木書店1998・9)に載っている。吉見氏は、「「従軍慰安婦」と歴史像」という文章で、上野氏の「歴史に『事実 f
act』も『真実 truth』もない。ただ特定の視角からの問題化に再構成された『現実 reality』だけがあるという見方は、社会科学にとってはもはや『共有の知』とされてきた。社会科学にとってはもはや『常識』となっている社会構築主義(構成主義)social constractionism とも呼ばれるこの見方は歴史学にもあてはまる」(131頁)との主張を、それは、不可知論、信仰・嗜好になると批判する。そのとおり! 上野氏は不可知論に迷い込んでいるのである。そして、新カント主義者と同じく、小文字の「わたし」に度はずれた意味付与をするのである。そして、社会構築主義は常識=普遍という普遍主義という位置からの傲慢な物言い。そこからする歴史学の裁断。正直言ってうんざりする。

  上野氏は、「国民国家を超える思想は論理必然的にこの結論へとわたしたちを導く。「女」という位置は、「女性国民」という背理を示すことで国民国家の亀裂をあらわにするが、そのためには「女=平和主義者」という本質主義的な前提を受け容れる必要はない。「国民国家」も「女」もともに脱自然化・脱本質化すること―それが、国民国家をジェンダー化した上で、それを脱構築するジェンダー史の改造点なのである」と言うのだが、それに対しては、弁証法論理学の「抽象的真理はない。真理はつねに具体的である」と言いたい。真理は、元慰安婦の方にあるのか? それとも、歴史修正主義者の方にあるのか? 藤岡信勝こそ、歴史構築主義者であり、歴史は物語りであり、国民のプライド(尊厳)を高めるためにあると公言している。上野氏の歴史構築主義とどこが違うというのか? それに対して、「わたし」の権利と尊厳を対置することで、藤岡らのバックラッシュを根本から打ち破れるのだろうか? 構築したものは脱構築すればよいと上野氏は言うかもしれない。

  しかし、歴史修正主義の自滅が進んでいるが、それを促したのは、事実の重みによるものである。例えば、上野氏が同書で指摘しているように、歴史修正主義者は、南京での日本軍による市民虐殺自体は認めている。ただ、その数は誇張されているというのである。事件を針小棒大にしたのは、中国やアメリカやそれと手を組んでいる自虐史観派の左翼だというのである。しかし、ここでも、事実の重みは、歴史修正主義者といえども、覆せないものであることがわかる。それに対して、構築主義者は、あっさりと、歴史は、構成するものだと言う。上野氏は、論理的結論を持ってきて、簡単に、国家を超えたつもりになる。現実を現実に変えるのではなく、頭の中で乗り越えたつもりになるのである。

  上野氏の基本的な問題は、民族や階級や「女」などのカテゴリーを脱構築すれば、それらが抑圧的ではなくなるように考えていることである。それによって、民族間の支配従属関係や階級支配の事実から逃れようとしているということである。旧慰安婦は、日帝の植民地統治の生み出した被害者である。それに女性差別が加わった二重の差別を受けたのである。だから、当然、民族間関係として加害―被害の関係がある。それに対して、彼女たちは被害者ではなく、「生き延びた者」と上野氏が規定したが、それは、帝国主義的フェミニズムと言われても仕方がない。これは、ハンナ・アーレントあたりからきているのかもしれないが、イスラエル建国後の彼女の言説の政治的位置は、微妙である。これは、『収容所群島』の際のナロードニキ主義とソ連邦崩壊後のソルジェニーツィンの大ロシア民族主義の政治的位置の変化と似ているといえるかもしれない。彼が、今や、プーチンをロシア皇帝ツァーリの復活のごとく称え、ロシア人には皇帝が必要だなどと発言するのを聞くと、彼を救ったのは、一人の反動、チェチェン人の敵を作っただけではないかとつい思ってしまう。つまり、今やソルジェニーツィンは、帝国主義ロシアの支配民族のイデオローグであり、抑圧民族の立場に立っているのである。

  いずれにしても、上野氏は、事実に立脚することを否定したことによって、問題の解決の「主体」を降りてしまったと思う。しかし、問題は、決着していない。それなのに、日本も韓国も国家であることに変わりはないという超一般論から、反国家の「主体」としての国際的な「わたし」の政治的構築を旧慰安婦に見出しているのは、利用主義というものではないだろうか。上野氏は、日本のフェミニズムが国境を越えたことがないことを問題にし、課題としているようだが、それには、国家一般を問題にするのではなく、具体的に国家や国家間関係を事実によって解明した上でないとそれを具体的に構築することはできないだろう。

  上野氏は、ジュディス・バトラーの構築主義に影響されている。しかし、その理解はどこまでなのかと首を傾げたくなる。例えば、バトラーの『ジェンダー・トラブル』と上野氏の思想の違いである。『シンポジウム ナショナリズムと「慰安婦」問題 日本の戦争責任資料センター編』にある上野氏の「ジェンダーと歴史学の方法」で氏は「「女」というカテゴリーは、国民主権を、国民的権利・義務の内実を、市民権の根拠を、解体する理論的根拠となる。なぜなら「女」は国民共同体という男たちの連帯 fraterity のノイズだからだ。・・・「慰安婦」から「脱走兵」まで、国家による強制に抵抗する人々の「主権の回復」こそがわたしたちに課せられた課題であろう。そしてフェミニズムは確実にその根拠になりうる」(122頁)と述べているが、バトラーは、むしろ、「女」カテゴリーは、「国民」=「男」に対して、そうではないものという形で、「男」の否定として消極的に規定されていることを問題にしており、それは普遍性=家父長制に対して、周縁化することで家父長制を支えているというようなことを述べているように思う。だから、国民主権という家父長制に対して、周縁にもう一つの主権を打ち立てることは、この構造を強化することになるだけだというのがバトラーの主張だろうと思う。バトラーは、むしろ、これらのカテゴリーの中心に取り付いて、撹乱し、ずらして、その無根拠性を暴露していくという戦略を提起しているように思われる。それが、存在論を「行為者エージェンシー」のパフォーマンスの結果として「主体」が書き込まれるテキストとして把握するというバトラーの主張から導き出されることでないか。「はじめに行為ありき」(マルクス)ということだ。しかる後に、「主体」が作り出される。それから、「主体」が表象され、そして「主体」が法を必要としたと原因と結果が転倒される。過程は消される。法は、産出権力でもあるとバトラーは言う。そして、家父長制は普遍的ではないとも言う。また、彼女は、問題の取り扱い方では、エンゲルスを評価している。

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