労働の戦時体制について
最近はバックラッシュ派の勢いがすっかり落ちてしまって、なんだか拍子抜けである。
かれらの源流を知るために、まずは、労働をめぐる戦時体制について振り返っておこう。
そもそも日本の労働運動は、明治にアメリカのAFLという熟練労働者の労働組合運動の影響から始まった。アメリカ帰りの高野房太郎らによって労働組合期成会ができ、1892年12月鉄工組合というクラフト・ユニオンが作られた。これはさしたる成果もあげられず、1900年には活動停止状態になる。
第一次世界大戦後、1912年キリスト教社会主義者の鈴木文治らによって友愛会が結成される。友愛会は、労働者の相互扶助、見聞の拡大、知識の研鑚、道徳品性の修養、地位の向上、親睦などを掲げた。そして、「労働問題の真髄は人格問題である」と主張した。
鈴木は、「労資の衝突は、「新旧思想の衝突」「新思想とは何ぞや、曰く、労働階級の権利思想の発展、人格承認の要求、これである」と述べた。ここで彼の言う「資」は、旧思想・前近代的・封建的思想を表しており、それを代表する階級である。「労」は、近代的・人権思想を表し、それを代表する階級である。階級衝突は、思想闘争であり、その具現化とされている。
1919年7周年大会で、大日本労働組合総同盟友愛会になる。
ヴェルサイユ条約第13章は、一般労働原則に、「労働非商品の原則」を掲げた。
原内閣は、ILOの発足などを受け、労働政策の見直しを始める。
19年2月の帝国議会で床次内相は、労使の関係は、従来の主従関係のみいけないとして、労使の協調信愛を主張した。
1929年世界大恐慌、1930年昭和恐慌、31年9月満州事変勃発、15年戦争。
1932年総同盟と右派組合は、右派統一運動を展開、9月、日本労働組合会議を結成する。かれらは、三反主義、「反共・反無政府主義・反ファシズム」と「健全なる労働組合主義」を掲げる。
日本主義労働運動は、1933年に日本産業労働倶楽部となる。労使の融合による産業発展を主張した。
内務省は、「不逞思想」の防止、「国体の本義」の明徴化、「建国の精神(日本精神)」の普及徹底を図るとして、労組の「善導醇化」をのために、産業労働倶楽部の育成を決定する。
政府は、35年秋、「労資一体の道義的労資関係」の確立、「産業の国家目的」への奉仕を説いた。
1937年7月、日中戦争勃発。
1937年8月、国家総動員法にもとづく国民精神総動員運動開始。国民精神総動員中央連盟発足。
1938年7月、産業報国連盟設立。「企業は事業者従業員各自の職分によって結ばれた有機的組織体」「労資一体」「事業一家」「国家奉仕」などを掲げた。
1940年近衛内閣発足。「新体制」「経済新体制確立要綱」「勤労新体制確立要綱」閣議決定。勤労者は「天皇の赤子」として同格の人格的尊敬を受けるものとされた。
同年2月厚生省は、労組の自主的解散を求める。7月、総同盟解散。
41年9月、政府は、「生産増強」を掲げる。11月、生活給思想を掲げる。年齢に応じた基本給を主体にした月給制。それは、「経済人」から「職分人」への転化を促そうとするものであった。
同年暮れ、労務調整令(労働者の移動規制)
42年2月、重要事業場労務管理令。指定工場に労務管理官を派遣し指揮監督にあたらせると共に賃金統制令の適用除外とする。年一回の賃上げを指導。
43年3月、「賃金対策要綱」閣議決定。「年齢、勤続年数に応ずる基本給制度」「勤労者の生活の恒常性」の確保を求める。
43年10月、軍需会社法。軍需関連者を徴用扱いにする。
徴用工のなかに「逃走、欠勤、怠業、二重稼動傾向拡大」
1945年8月15日、敗戦。
戦前の総同盟が「三反主義」を掲げたのは、労資の人格的対等を労働者の知識や道徳修養によって達成するためであった。これには、大正デモクラシーの影響があったことはうかがえる。知識・教養・道徳品性において同格となるのが人格の完成とされたのであった。言うまでもなく、これは観念における同格であり、人格的平等であるにすぎない。すべて精神であって、頭の中だけの平等である。
人格の精神的な内容は、人権から「建国の精神(日本精神)」に簡単に移行してしまう。人とは、一般概念であり、それは特殊には日本人であり、具体的には、人である日本人である個人ということになる。人格主義的労働運動の総同盟が、産業報国会に解体されていったのも、当然だったわけである。今のバックラッシュ派は、人権派を批判していることから、かれらが反人権派と見てはならないのである。かれらにとって、人とは日本人のことであり、日本人権利が人権なのである。だから、かれらは、日本人の人権が侵害されることにははげしく反応し、抗議するのである。別の民族の権利は人権と見ていないので、それには冷淡なのである。
戦時労働体制の中で、生活給思想や年功序列的な昇給制度や、工員・職員の別に対して、従業員としての企業別組合につながるような思想や体制・制度が作られつつあったことは注目すべきだろう。
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