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上野千鶴子氏『ナショナリズムとジェンダー』によせて2

上野氏は、この本で書いているように、「戦後主体」論争にこだわっている。しかし、上野氏には、この論争は解けなかったようである。そこで、「アイデンティ」の変容ということから、被害者という「アイデンティティ」から、赦しの「主体」としての「アイデンティティ」への移行ということを提起する。

  第二波フェミニズムの中から、国家、民族、階級、などの領域における女性差別が指摘されるようになった。80年代の部落解放運動や在日の運動の中でそのことは問題として語られていた。90年代に入ると女性の加害性・差別性がフェミニズム内部から指摘されるようになった。それが、戦争責任問題で論争を引き起こしたのである。女性史の中でも、女性の家督相続が認められている中での女性地主による下人の暴力的処罰や日中戦争などにおける戦争協力等々の事実が明らかにされてきた。上野氏が言うように、「女性=平和主義者」という図式は成り立たない。

  例えば、連合赤軍の永田洋子氏の『十六の墓標』を読めば、粛清の発端が、女性同士のジェンダー・トラブルにあったことがわかる。永田氏は、日共革命左派で、「女」である前に「人間」であれ、それには人間解放の革命戦士として、その任務に男と対等に革命運動に献身するよう指導されていた。それに対して、赤軍派の遠山氏の方は、「女」というアイデンティを持ったまま、革命戦士として戦うという考えを持っていた。永田氏による遠山批判は、遠山氏が指輪をはめていたのが、革命戦士として山に入ったことの意味を理解していないと見えたことを指摘したことから始まった。それを赤軍派の森に注意したが、遠山氏は指輪をはずさなかったことから、永田氏による遠山批判が全面的に始まった。しかし、森は、遠山氏に指輪のことを言っていなかった。この過程で、両者の女性解放論が異なっていることが明らかになったのだが、永田氏は自分の考えが正しいと一方的に主張した。

  同書では、永田氏は、遠山氏の考えの方が正しかったと自己批判している。なにせ、革命左派の最高幹部の川島は、共産主義になれば、女性は共有されるというとんでもない『共産党宣言』の誤読をやる馬鹿男であり、後には当然、永田からも軽蔑されるようになる。こんな最低指導者の下では、まともな女性解放論など育つはずがない。もっとも、反面教師とすれば、別だが。永田氏は、引っかかりや疑問を感じていたようである。もちろん、レイプ事件は決定的であった。彼女は、それを公然と議論し、責任を追及できなかった。坂口に訴えたが、彼は、そうすべきではないと彼女を説得した。すなわち、組織に問題があったわけである。そのことは、遠山批判のやり方を見て、これを女性解放思想の問題であり、指導の問題であるととらえられなかった森たち赤軍派指導部にもあった。森は、これを自己批判と相互批判の作風の問題として革左に自己批判するのである。問題をわからないなら、学ぶのが先で、その上で、自己批判するならそうすればよかったわけだ。そして、永田氏は永田氏で、遠山批判は本来、森の指導批判として行われねばならなかったのに、遠山氏の個人批判に終始し、それを森たちが作風として採用したことをたいした問題だとは思わなかったというのである。つまり、森・永田共々、党も組織も指導ということについてわかっていなかったということである。わからなければ、学ぶことから始めなければならないのに、森は、森流の恣意的な解釈で対処した。革左の方は、永田氏によれば、アナーキーな個人主義的な組織だったようである。それは、川島の恣意的指導の様子からもわかる。だから、総括が、個人批判になっていくのは当然である。党内関係が、個人主義的な個人間関係になっていたため、責任もまた個人化されていたからである。それで、個人で取りきれない責任まで取ることを求められることになるのだ。指導部を形成しながら、指導責任を規定していないのも無政府主義的である。これは、赤軍派にも言えることである。これは、個人的心情で乗り越えられるような問題ではない。党組織の問題であり、実践的な問題である。その空白を森は、永田氏の遠山批判の仕方のうちに、作風の問題という間違った個人主義的な回答で埋めることを空想したのである。

  赤軍派には、女性解放の視点がなかった。それを、大塚英史は『女たちの「連合赤軍」』という本で、森の女性性の忌避・嫌悪という心理的なものから説明している。しかし、それもどうかと思う。そもそも赤軍派そのものにまともな女性解放論があったとは思えない。遠山氏は、個人として、彼女なりの女性解放思想を持つようになったのだろう。ここでも、永田氏は、学ぶということを飛ばして、個人批判から入っている。レーニンが、そういうやり方をいかに嫌ったかは、労働組合運動論争でのトロツキー批判を見れば、よくわかる。トロツキーは具体的に学ばないで、理念を振りかざして、労働組合を上から「ゆさぶる」ことを提案した。レーニンは自分たちのあやまりを正すために学ぶことが必要だと答えた。そして、労働者反対派から2名の中央委員を入れた。こういうのが、レーニンのやり方である。レーニン主義を掲げながら、それをお題目化して、具体的にレーニンから学ばない自称レーニン主義者がいかに多かったことか!

  この永田氏による遠山批判のやり方は、その後の粛清のモデルとなった。このやり方こそ、共産主義化であると解釈された。同書の最後の下山途中での警察との戦いのシーンでは、森が、永田らの闘うべしの声に対する消極的でしり込みするような態度を見せたと永田氏は書いている。これは、敵前逃亡した以前の森の姿そのものである。彼は「裸の大様」である。こんな男を幹部にせざるを得なくなったのは、赤軍派が、大菩薩峠での軍事訓練中を警察に襲われ、幹部が大量逮捕されたからである。森を指導することは、ほぼ不可能であった。塩見氏はじめ赤軍派幹部は多くが獄中にあった。

  永田氏は、獄中で、「女」であることを否定して革命戦士となることの誤りを悟った。それは第二波フェミニズムの考えとも一致する。男による支配、家父長制への従属の拒否、女同士の連帯(シスターフッド)、等々。しかし、フェミニズムに対する「女」からの反発や「女」の加害性・差別性の指摘、「同性愛」の問題、「男学」、等々の新たな問題提起に揺すぶられ、第二次フェミニズムは分解していった。永田洋子のフェミニズムは、第二次フェミニズムを先取りしていた遠山氏の当時としては進んでいた前衛的なレベルに事件後にようやく到達した。しかし、時代はさらに進んだのである。なお、彼女は、森に対して批判を持つこともあったが、それをあまり言わなかった。これは、革左内で、公然と川島批判をできなかったことの延長のように見える。

  第二波フェミニズムの分解は、バトラーによれば、「女」というカテゴリーをも問わなければならなくなったということを意味する。今や、エコ・フェミニズムをはじめとする多くのフェミニズムがある。外からは、わけがわからないが、とにかく、それが現実だ。研究が発展したのは確かだ。本屋に行っても、フェミニズム関係の本はたくさんある。それに対して、反フェミニズム側の本や研究の貧相なことは一目瞭然である。それにもかかわらず、バックラッシュが一時、広まったのはなぜだろうか。バックラッシュが台頭してきた1990年代中盤、村山政権が、「阪神大震災」への対応などで批判を受けていた。社民党内でも、自民党との連立の是非をめぐる対立も残っていたし、保守と革新の連立政権の成立が、加藤典洋の議論の背景にあったと思われるし、フェミニズムが、一定の成功を遂げる中で、女を含めての反発が盛り上がってきたということもある。そして、フェミニズム内での分解も進行した。いろんなことが重なる中での第二波フェミニズムの分解であった。

  しかし、女性戦犯法廷に対する保守派の反発と危機感は強かった。これを取材したNHKの番組には、事前に与党政治家による圧力と言われるものがあった。番組内容は放映直前に変えられた。それに対して、女性戦犯法廷の主催者側は抗議した。この問題は続いている。

  90年代以降、ポスト・モダニストなどの知識人が、こうした領域に加わってきているのがこの間の特徴である。それは一つには冷戦の崩壊が原因であり、二つには、上野氏が強調する「言語論的転回」ということがある。これは、上述したように、ヘーゲル左派の台頭と似た事態である。かれらにとって、現実変革とは、言説との闘いである。それはそれでけっこうなことだけれども、運動現場の人々にとって、それはどれだけ役立っているのだろうか?  上野氏は運動との結びつきを考え、支援しようとしているようだが、うまくいっているようには見えない。それはたぶん現場から立てられている運動の実践論理に対して、上から形式論理学的論理を押し付けているからではないだろうか?  だいたい、運動現場では、事実から運動論理を立てていて、だから、それが形式論理には合わないのは当然で、やはり弁証法論理でないと合わないのである。上野氏は、最近、形式論理学を高く評価する柄谷行人氏の編集する『at』という雑誌に連載しているが、やはり彼同様、形式論理学者なのだろうか? だとしたら残念なことである。柄谷氏は以前、地域通貨運動を起こして、無残に崩壊させたことがある。どんなに言説をうまく組み立てたところで、現実はそううまくいかないのである。やはり、バックラッシュのいくつかは、事実の突きつけで、後退させることができたのであり、事実の重みはたいしたものなのである。それを、事実はなく、主観的な現実だけがあるなどと言って、バックラッシュを放置していたら、やがて、ファッショ的な体制を作られてしまいかねない。私の印象では、自称保守派のなかの良心派ともいうべき人たちから、事実を突きつける藤岡一派などへの批判があったおかげもあって、バックラッシュの勢いが多少おさまったのである。この過程で、上野氏の言説は、たいして役に立っていないという印象がある。どうしてそうなのか? 第二波フェミニズムではあれほど大きな影響力を持ったのに、この落差はなんなんだろうか?

  上野氏の反国家「主体」の形成という戦略よりも、バトラーの国家の中でのずらしの戦略という半国家化という戦略の方がアクチュアリティがあると思う。それには、「国民主体」という位置に取り付いて、それを「半」化していくという実践が必要である。それは、レーニンの思想と同じだと思う。このような複雑な実践を回避して、反国家的な「わたし」の自己満足に終わるようなやり方では、国際連帯の絆を作ることは難しいと思う。それとこの反国家の中身がわからない。どうすりゃいいの? という感じだ。

  上野氏は形式論理学的で主観主義的的・折衷主義的、バトラーは弁証法的に見える。あるいは、バトラーは、ラクラウ・ムフ的な弁証法論者であると言えようか。この辺はもっと慎重に見る必要がある。

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