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ふたたび『バックラッシュ』について

    『バックラッシュ』の「「ジェンダー・フリー」論争とフェミニズムの失われた一〇年」という山口智美さんの文章は、いろいろと興味深い論点を出しているので、もう少し詳しく見てみたい。

  彼女は、そもそも「ジェンダー・フリー」という用語が登場したのは、東京都女性財団が1995年に出した『ジェンダー・フリーな教育のために』という報告書であったという。この報告書の中で、「形のうえでの男女平等は次第に整ってきている。<中略>しかし、職場や家庭内に目を転じれば、そこには性別に限らず、さまざまな地位に伴う役割上の不公平が、文化や慣習の形で十分に残っている。/こうした不公平は、それに適応して異議を唱えない、または漠然とした不満を感じても、これを意識上にのぼせられない多くの人々の意識や心のあり方が支えられていると考えられる。これをジェンダー・バイアス(性別に関して存在するステレオ・タイプ)と呼ぶことにしたい。<中略>/従来用いられてきた「男女平等」は主として制度的側面に用いられる用語であるが、予備調査によれば、「ジェンダー・フリー」は、男女平等をもたらすような、人々の意識や制度的側面を指す言語として、若い人々にも受け入れられそうである。とくに学校のように、おおむね男女平等な扱いが行き渡っている集団でも、今後は、さらに教師や子どもの意識に踏み込んで、「ジェンダーフリーな教育の場であることを目指すべきだろう」(東京女性財団、前掲書)と述べているのが、始まりだというのである。

  同報告書の中で、深田和子という心理学者は、「本書が若い人びとのなかにもある「ジェンダー・バイアス」におだやかに接近し、その漸進的な改善をはかろうとするねらいにある<中略>とくに日本のように、合理性より情緒的思考を得意とする文化の中では、十分慎重な構えで望むことが、その運動を広く人々に受けいれられるものとするのではないだろうか」(前掲書)。

  これに対して山口氏は、「意識のみならず、個人、そして社会全体の根本からの変革を目的としたのがリブのはずなのだが、ここでは意識偏重の評価がなされている。そして、日本のリブ運動はあまり受け入れられずにおわってしまったとし、唯一あげられている成果が、大学に女性学の講座が置かれるようになったことだという」(『バックラッシュ』247頁)と述べた上で、「ジェンダー・フリー」という用語が、それまでの「男女平等」という言葉は主として制度面を指す言葉であるのに対して、意識と制度も表すのに適していると述べつつ、実は、意識面に偏った用語として導入されたと指摘する。なるほどその点は、これなら若い人にも受け入れられすいというということを述べていることからもわかる。

  この報告書が出た1995年には、国連の世界女性会議北京大会が行われており、国連が女性差別の撤廃を各国政府に強く求めていた頃であった。日本では、社民・さきがけ・自民の村山連立政権であり、1月阪神大震災、地下鉄サリン―オウム真理教事件、という大事件があった。1994年には、男女共同参画室が設置され、男女共同参画化が国策として推し進められようとしていた。

  1997年には、保守団体の「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」が合同して、「日本会議」が結成されている。 1999年男女共同参画社会基本法が成立する。その後、地方自治体での条例制定が進められていった。「日本会議」などの保守派の運動が強まり、東京都の石原都政は、東京女性財団を解散する。保守派は、「ジェンダー・フリー」という言葉を激しく攻撃した。そうなった原因は、もともとこの言葉が、輸入元のリンダ・ストーンの『教育フェミニズム読本』というシンポジウムの記録本では、一人を除いて、「ジェンダー・フリー」反対派だったし、深谷氏は、バーバラ・ヒューストンは、「ジェンダー・センシティブ」と言ったのに、「ジェンダー・フリー」と言ったことにしてしまったのである。

  「ジェンダー・フリー」という言葉は、論者によっていろいろな意味付けがなされていき、その混乱をつくように、バックラッシュ派の好き放題の解釈がながされるようになる。

  それに対して、当初は、必ずしも「ジェンダー・フリー」派でもなかったフェミニストたちまで「ジェンダー・フリー」を擁護するようになる。例えば、日本女性学会は、2003年3月の『学会ニュース』の「Q&A|男女共同参画をめぐる現在の論点」という文書で次のように述べている。

  「ジェンダー・フリーは、男はこうあるべき(たとえば、強さ、仕事・・)女はこうあるべき(たとえば、細やかな気配り、家事・育児・・)と決めつける規範を押しつけないことと、社会の意思決定、経済力などさまざまな面にあった男女間のアンバランスな力関係、格差をなくすことを意味しています。ですから一人ひとりがそれぞれの性別とその持ち味を大切にして生きていくことを否定するものではありません。「女らしく、男らしく」から「自分らしく」へ、そして、男性優位の社会から性別について中立・公正な社会へ、ということです」(270~1頁)。

  それに対して、山口氏は次のように批判する。

  「東京女性財団から引き続く、意識・規範としての「ジェンダー・フリー」のほかに、社会的な格差という定義がくわわっている。だが、『男らしく、女らしく』から『自分らし』という表現は、ナイーブだとしか言いようがない。ジェンダーからはなれた『自分らしさ』というのは何なのか。たとえば、「自分らしく」暴力をふるう人や差別する人などは、どうすればいいのか。問題は山積だ。そして、「性別」について中立・公正な「社会」という場合の「中立」という表現からは、性差別撤廃という強い姿勢は感じられず、積極的な差別是正という意味合いも弱い」(271頁)。

  彼女は、日本女性学会幹事の伊田広行氏を次のように批判している。

  「伊田は近著『続・はじめて学ぶジェンダー論』(大月書店、2006年)のなかで、バッシング状態にあるためにジェンダー概念を整理し直そうと試みている。だが、伊田の「スピリチュアル・シングル主義」なる精神主義的な枠組みからも想定されるように、やはり「意識」に偏った解説となっている。たとえば、ジェンダー・センシティブは「ジェンダー・バイアスを持たずに接近する態度」(伊田、前掲書、三四頁)とか、ジェンダー・フリーは「社会的性別(ジェンダー)にこだわらず、囚われずに、行動したり考えたりすること、という意味です」(伊田、前掲書、35頁)と、いずれも個人の「意識・態度」のレベルで説明されてしまっている」。

  こういう過程を彼女は、定義合戦と呼んでいる。そして、「この概念を守ることへの熱意や盛り上がりの様相から、学者や行政関係者たちが、自分たちの権威を守ることに必死になっている姿が見え隠れしているように、私には思える」と分析する(278頁)。

  「「ジェンダー・フリー」は、行政と学者の密着した関係によってつくり出された、そして、行政と学者が積極的にリーダーシップをとり、「ジェンダー・フリー」教育に関する啓蒙事業や出版活動、講演などを通じて広がっていった。また、学者主導の「男女共同参画条例」運動も、「ジェンダー・フリー」が広がるうえで、大きな役割をはたしたといえる」(278頁)。

  彼女の総括。

  「「ジェンダー・フリー」は、それまでの「女の運動の歴史」を潰すことから生まれた概念だった、と私は思う。だからこそ、行政と学者が連携してつくり出した「ジェンダー・フリー」の歴史を振り返ることは、「女たちの運動の歴史」が消され、忘れられ、ないものとされていかないようにするためにも、重要なことではないだろうか。/最後に、この「ジェンダー・フリー」が登場した95年が、行政と学者主導の運動に転換した重要な時期だったことを、ふたたび思い起こしてほしい。このことが、女性運動や女性の状況に、どのような変化をもたらしたのか。そして、今は、女性運動は何を達成目標として運動をしていくべきなのか。そういった、根源的な問いとして、95年の転換を考えるべきであろう」(279頁)。

  ジェンダー・フリーというカテゴリーが作られ、ジェンダーという「主体」が産出され、それまでの「女たちの運動の歴史」が消され、学者と行政の権力が作動する(ジュディス・バトラー、フーコー)。

  「ジェンダー・フリー」という言葉は、主に保守派によるバックラッシュによって、行政内からは消されていった。しかし、男女共同参画社会化は、政策としては、そのまま残っているし、女性差別はあるし、それに対する運動も続いている。バックラッシュは、事実の突きつけや保守派内の内紛などによってだいぶ弱まっている。フェミニズムとりわけアカデミックなそれは分解を深めている。

  こうした混沌とした状況の中で、氏の「今は、女性運動は何を達成目標として運動をしていくべきなのか。そういった、根源的な問いとして、95年の転換を考えるべきであろう」という提起は、きわめてまっとうなものに聞こえる。タイトルが、この十年をフェミニズムの「失われた10年」だとしているのも、「ジェンダー・フリー」というあやふやな行政・学者言葉の定義合戦に終始した空騒ぎであったというやりきれない思いがあるからだろう。

  70年代のウーマンリブに起源をもつ「行動する女たちの会」を高く評価するのも、バックラッシュの中で、この会が要求してきたことが、「ジェンダー・フリー」批判として誤読されたまま行われたが、実現されてきたからである。それを行政と学者が自らの手柄のように吹聴して、自らの権威を作ってきたと彼女は見なしている。「行動する女たちの会」のメンバーでは、東京都議会議員に当選したことがある三井ゆり氏がいる。会の解散後も個別に活動しているメンバーもいるようで、教師として、教育現場で活動している元メンバーの人の文章が同書に載っている。

  2006年1月、東京都国分寺市は、講演の講師に予定していた上野千鶴子氏を「ジェンダー・フリー」という言葉を使うおそれがあるとの理由で、キャンセルされるという「国分寺事件が起きる。これに対して、フェミニストなどが猛烈な抗議が起きた。ほとんど、言葉狩りのような事態が起きていて、それが、フェミニスト側が、あれこれと意味を付与して、「ジェンダー・フリー」擁護する原因の一つだろう。

  バックラッシュは、反フェミニズムばかりではなく、広範な領域に渡っており、安部政権による教育基本法改悪、憲法改正のための「国民投票法」成立で頂点に達した。しかし、「新しい歴史教科書をつくる会」の分裂や安部政権の崩壊などもあり、いったんは沈静化している。しかし、先の映画「靖国」をめぐる稲田朋美議員らによる事前検閲的な行為や右派雑誌に煽られた右翼青年の映画館への街宣活動による上映中止事件やプリンス・ホテルの日教組集会会場貸し出し拒否事件であるとか、保守派によってつくられたファッショ的全体主義的な雰囲気は依然強くある。小林よしのりが、本当の反全体主義者なら、これらのことについても、強く批判をしなければならない。だが、小林はそうしない。だから、小林は、だめな偽者なのである。

  フェミニズムに対するバックラッシュの中で、「女」の中での対立があったし、バックラッシュ派がそれを利用したということもあった。例えば、林道義は、働く女性と専業主婦の間の利害の違いを誇張して、後者の味方として振舞った。いわゆる「フツーの女」と「エリート女性」の階層間格差をデフォルメして、両者の対立を煽るようなこともやられた。しかし、同書にある上野千鶴子氏のインタビューでの「わたしはたまたま東大に入っただけだ」という発言は、こういう対立を利用して、「フツーの女」を組織し、動員しようとしているバックラッシュ派を喜ばせるだけである。こんなことを発言しながら、運動というものをわかっているようなつもりで戦略を云々しているのは、おかしなことだ。さまざまな差異がある中でどの差異が敵対的になるかは、情況次第なのである。うかつなことをこういう人がしゃべれば、火に油を注ぎかねないのである。ただの放言として聞きながしておこう。

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