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食糧問題に寄せて

  世界食糧サミットがあった。新聞各紙は、連日、食糧問題を取り上げた。

  このところの石油や小麦などの世界的な価格高騰は、人々の生活を苦しくしている。エジプトやハイチなどでは、食料品価格の高騰に対して、政府の対策を求めるデモや暴動が起きている。それは、発展途上国ばかりではなく、EU諸国にも広がっている。フランスの漁民は、漁を中止して、燃料価格高騰に対策を講じるよう政府に求めた。

  日本でも、ついに、ガソリンの小売価格は、1リットル170円台に突入している。小麦製品を始めとする食品類の値上げも続いている。

  このような世界的な物価上昇は、中国・インド・ブラジルなどの急速な経済成長による需要増に、株式市場から商品取引市場に投機資金が流れていることが加わってのものである。この需要要因は、中長期的に続くと見られるから、この物価高は中長期的に続くものと思われる。ただし、穀物の場合は、オーストラリアの旱魃などの一時的な要因もあるし、増産があれば、多少の低下の余地もありうる。とはいえ、それには長い時間がかかるから、当面は、それは望み薄である。

  世界の食糧在庫は、米農務省の2008年2月の需給報告によると、世界の穀物の期末在庫率(期末在庫量/消費量)は、07年度・08年度は、14.7%で、2000年の30%台から急低下し、1970年代はじめのレベルを下回る見通しだという(『農業と経済2008・5 臨時増刊号』「資源市場のパラダイムチェンジがはじまった 資源化する食糧」柴田明夫(丸紅経済研究所所長))。

  これにバイオ・エタノール需要の増大が穀物需要を押し上げている。2005年8月に成立した包括エネルギー政策法で、ガソリンと混合するエタノールの増産が義務付けられたアメリカでは、2000年の16億ガロンのエタノール生産量が、2005年には40億ガロンになり、ブラジルを抜いて世界一になった。エタノール需要の拡大が続くと、アメリカのトウモロコシ輸出余力を低下させる可能性もある。大豆を使ったエタノール燃料の需要も伸びていることから、今後は大豆の需給逼迫も予想される。また、世界第2位のトウモロコシ生産国中国のトウモロコシ需要の拡大によって、輸入国になる可能性がある。
 
  食糧サミットに出席した福田総理は、穀類からつくるバイオ・エタノールに代わる材料を使う新たなエタノール開発の研究をすべきだと答えた。研究からはじめるというのだから、実用化は先の話である。また、帰国後、福田総理は、食糧自給率を引き上げるために、減反政策の見直しを検討すると述べた。猫の目行政とはよく言ったものだ。日本の農村には耕作放棄地などの土地があり、水もある。ないのは、農業労働力や投資資金などである。このないものをどう増やすかである。あるニュースでは、中国人研修生を使ったレタス栽培、農事組合化による機械などの共同購入・共同作業化、企業による水耕栽培の野菜工場、の三つの例を取り上げていた。

  しかし、本間正義氏などの比較優位説に立つ食糧海外依存説が、経済財政諮問会議などの基調を支配していて、比較劣位にある日本農業を切り捨てるという考えを政府に吹き込んでいる。とはいえ、市場主義的に見ても、穀物価格の上昇は、農業投資を呼び込むこととなり、利潤を生むとなれば、農業生産を拡大させるように促すシグナルとなるはずである。アメリカや中国は、国内需要の増大のために、トウモロコシの国際市場から抜ける可能性があり、それでも穀物需要が増大するとすれば、供給不足が起きるかもしれない。戦争や略奪をしないとなれば、穀物価格の上昇に対応し、供給国が欲する他の商品を作りつづけるしかない。しかし、そのような優位はいつまでも続かない。かつて世界一だった製鉄もいまでは中国に抜かれている。そこで、別の分野で新たな優位な産業を起こさなければならなくなる。しかも、世界市場が欲するものをつくらねばならない。

  農業の拡大は、労働力の移動を必要とする。強制でなければ、それなりの水準の収入がなければならない。上の中国人研修生の月給は、8万円ほどだそうだ。これは、中国国内では大金だろうが、日本の労働者の月収としては余りにも低い。それと、中国人が、中小零細企業で、研修の名目で実際には低賃金労働者として働かされ、賃金未払いなどが問題となったことがある。

  また、このところの地方切り捨ての中で地方は疲弊しており、農外収入の道も減ったり、現象したりしている。交通アクセスが不便な上に、今や欠かせなくなった自動車のガソリン値上げが重くのしかかっている。

  政府は有効に機能していない。政府の無策ぶりを嘆く声は高まっているが、基本的な姿勢が、すべてを市場に委ねよであるから、この有様も当然である。まるで、マルクスが、1870年代に、社会主義の『平和的』な勝利が可能だと述べた時期の特徴と似ているではないか。

  その条件は、レーニンによると、「(1)農民がいないために、労働者、プロレリアが住民のなかで完全に優勢をしめしていたこと(七〇年代のイギリスでは、社会主義者が農村労働者のあいだできわめてはやく成功をおさめることを期待してさしつかえないような徴候があった)。(2)プロレタリアートが労働組合にりっぱに組織されていたこと(当時イギリスはこの点で世界一の国であった)。(3)数世紀にわたる政治的自由の発展によって訓練されたプロレタリアートの、比較的たかい文化水準。(4)みごとに組織されたイギリスの資本家―その当時、彼らは世界のすべての国のうちでもっともよく組織されていた(いまではこの優位はドイツにうつった)―の、政治上・経済上の諸問題を妥協によって解決するという長い習慣。このような事情があったために、当時は、イギリスの資本家がイギリスの労働者に平和的に服従することが可能であるという思想が生じることができたのである」(『食糧税について』1921年4月21日、レーニン全集32巻364頁)。

もともと日本の政府も軍隊も小さい。しかも、政府は行政改革によってさらに縮小されようとしている。農民は極めて少なくなっている。ただ、地方において、保守政党の有力な政治基盤となっている。しかし、プロレタリアートは、住民のなかで圧倒的多数である。プロレタリアートは労働組合に組織されているが、労組組織率は年々減っていて、今や雇用労働者の18%しか組織していない。プロレタリアートが政治的自由を本格的にかちとったのは、敗戦後であり、それから60年ほどしか経っていない。日本の資本家はよく組織されていると言えるか? 日本の資本家は、政治上・経済上の諸問題を妥協によって解決するという長い習慣をもっていると言えるか? いろいろである。このところは、そんな習慣は捨ててしまっている。今は、日本の資本家が労働者に平和的に服従するどころか、労働組合の方が最初から白旗を揚げて、資本家に服従している有様だ。しかし、物的な条件は、社会主義に移行するのに十分に揃っている。大企業は、トヨタを見れば明らかなように、内部的には計画生産を行っている。

  さまざまな点で、現代の日本は、1870年代のイギリスの状況とは違っている。したがって、資本家が労働者に平和的に服従するとか、平和的に社会主義に移行する条件は少ないということになる。

  今の日本の農業政策に似ている気がする。明治の篤農家育成策のような感じである。それに対して、農業企業家による資本主義的農業ということも株式企業の農業への参入自由化の動きとしてある。しかし、どれも中途半端なままである。集団営農化も進んでいない。

  例えば、中小企業に雇用助成金を支給しているように、農業労働者の雇用に対して助成金を支給するということも考えられる。しかし、農業労働は、季節的な偏りがあり、労働力を必要とする時期とそうでない時期があり、安定雇用は難しい。米農家の場合、秋の収穫を終えると出稼ぎに出る。ハウス栽培なら、年中仕事はあることになるけれども、今度は休めないという問題もある。畜産の場合も同じ問題がある。

  比較優位説に立つなら、外国の農業に投資した方が良いということになる。例えば、タイに投資して、日本に輸入した方が安くつくというように。しかし、それは、食料という生きるのに必要な物資の確保を利潤によって左右されることを意味する。利潤を上げられなければ、生産されないとか、価格維持のために、廃棄されたりとか、する。

  なんとも不条理なことだが、資本主義経済ではそうならざるをえない。

  今の物価上昇は急であり、春闘の賃上げ率を上回っているのは確実だから、実質的な賃下げである。財布の紐は硬くなる。それが景気を下に引っ張る。悪循環に入りつつあるようだ。政府は、物価動向を見守っているという。

  アメリカでは、チェンジを叫ぶ黒人のオバマが民主党の大統領候補になった。日本では、中途半端な福田政権の下で閉塞感が強まっている。韓国では、7割の高支持率で大統領になったイ保守政権の支持率がアメリカ産牛肉輸入再開決定をきっかけに急落、2割台になった。なにやら、安部政権の運命と似ている。福田政権の支持率も下がりつづけ、1割台に落ち込んでいる。福田総理は、支持率稼ぎのための外交でのポイント稼ぎに乗り出した。

  労働組合の「連合」は、政治闘争も経済闘争もだめという有様で、あとは民主党の政権獲得にかけるしかないという感じのようだ。どういうわけか、食糧問題についての農協の声が聞こえてこない。日本にもチェンジが必要な時が近づいているようだ。

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