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部落問題によせて

  日本には、部落問題というものがある。今いろいろと問題になっているこの問題について考えてみたい。

  全解連(全国部落解放運動連合会)の文章がウェブにある。それによると、「部落問題とは、封建的身分制に起因する問題題であり、国民の一部が歴史的に、また地域的に蔑視され、職業、居住、結婚の自由を奪われるなど、不当な人権侵害をうけ、劣悪な生活を余儀なくされてきた問題」だという。そして、「部落問題の解決とは、・部落が生活環境や労働、教育などで周辺地域との格差が是正されること、①部落問題にたいする非科学的認識や偏見にもとづく言動がその地域社会で受け入れられない状況がつくりだされること、②部落差別にかかわって、部落住民の生活態度・習慣にみられる歴史的後進性が克服されること、③地域社会で自由な社会的交流が進展し、連帯・融合が実現すること、である」と言う。

  いわゆる部落近世政治起因説にたって、封建身分制の残滓として部落差別があるというのである。近世政治起源説に対しては、中世起源説が唱えられ、有力な学説となりつつある。政治起源説に立つ全解連は、近代下の部落差別を封建遺制ととらえ、戦後の民主化によって解消に向かっていると主張している。

  「部落問題は、部落住民自身の努力、部落解放運動の取り組み、同和対策の実施、国民的理解の広まりなどにより、解決に向かって大きく前進してきた。/部落問題解決の到達点は、①周辺地域との生活上にみられた格差が基本的に解消されたこと、・旧身分にかかわる差別が大幅に減少してきていること、②住民の間で歴史的後進性が薄れ、部落問題解決の主体が形成されてきたこと、③かつての部落の構成や実態も大きく変化し、部落の閉鎖性が弱まり、社会的交流が進展したこと、である。/部落問題解決は、いま最終段階を迎え、しかも総仕上げの局面に至っている。このことが部落解放運動の終結・発展的転換を必然化させる要因となっている」とかれらは主張する。

  そして、「(4)総仕上げの局面での運動の課題」として、以下の6点をあげている。

 (1) われわれは、部落を含む地域社会全体を視野に入れ、部落内外に共通してみられる問題や課題を解決するため、地域で共同の住民運動を大きく前進させて、組織の拡大強化をはかりながら、民主的な地域づくりと主体形成を実現してゆく。

 (2) われわれは、反動支配勢力が同和対策を利用して部落住民の間での自立の阻害や民主的自覚を押さえ込むのを許さず、特権的な同和行政や分離主義の「同和教育」など、行政によって生み出されている同和の枠組みや不公正・乱脈な行政運営を早急に除去し、終結をはかる。

 (3) われわれは、権力とのたたかいを放棄し、権力にすり寄り依拠することによって、部落排外主義路線の維持・延命をはかろうとしている「解同」の策動を許さず、私的制裁など違法性をもった「確認・糾弾」行為や、「部落民以外はすべて差別者」とする部落排外主義にもとづく国民敵視のあらゆる蛮行を社会的に取り除く。

 (4) われわれは、部落排外主義の現れ方を深く分析し、その克服のために、それぞれの地域で中心的役割を担い、具体的に問題を解決してゆく。このたたかいが運動の発展的転換を現実のものにする上で大きな役割を果たすことになる。

 (5) われわれは、国民の人権を保障する行政の責務を放棄して、人権問題をもっぱら国民の意識の遅れに責任を転嫁し、国民を教化の対象に位置づけ、「人権」の名のもとに国民の心の中に踏み込みかねない権力による行政主導の「啓発」推進体制づくりを打ち破る。

 (6) 同時に、われわれは、①部落問題解決の到達段階について理解を広げ、②部落差別を受け入れない社会的世論を広め、③人権と民主主義を尊ぶ地域社会の実現をはかり、④住民の間で自立意識を高め、被害者意識の克服と旧身分にかかわるわだかまりを取り除き、国民融合を押し進める。

  全解連は、部落解放運動が部落民の自己解放運動であるという視点を見失っている。かれらが敵視する朝田理論は、部落が相対的過剰人口化されているという資本主義の蓄積法則によって再生産されているといういわゆる「沈め石」論をまったく無視している。大阪でも京都でも、相対的過剰労働力とされた層、在日も、混住しており、過剰労働力のプールとなってきた。その点で、部落差別には、資本主義化の中で、相対的過剰人口への差別が含まれているのである。それは、横山源之助が『日本の下層社会』で、職工をスラムの住民とともに〈下層社会〉の一員として記述し、工場労働者を〈細民〉となづけているわけだが、こうした層として部落が再編されていく過程があったということである。朝田理論の主要な生産関係からの排除というのは、相対的過剰人口化というように理解できる。

  同和対策措置法による行政施策などによって、公務員となる者や「主要な生産関係」に入るものも増えている。それをもって、国民融合が進んだというのはどうか。資本主義経済では、相対的過剰人口は、増えたり減ったりするのであり、経済状況次第で、「主要な生産関係」からこの層に落ちてくる者も出る。部落民の就業実態の調査データを見て、それを「国民」全体のデータと比較してみなければわからないが、いったんこの層に入ると簡単に抜け出せないことは、この間話題になっているワーキングプア問題から明らかであるから、今後の推移に注意が必要である。

  全解連は、「現在、わが国では、アメリカと日本の大資本の利益に奉仕する歴代反動政治のもとで、国民の人権と民主主義の前進が大きく妨げられている。しかも公権力や「解同」は、国民の「人権意識」や「差別意識」を問題にし、国民の自由な意思形成への管理統制を新たに強めようとしている」として、権力と部落解放同盟がまるで一体と言わんばかりに、「国民の自由な意思形成への管理統制を新たに強めようとしている」と警戒心を露にしている。これは、解放同盟が進めている「差別禁止法」制定運動を指しているのだろう。

  そして、全解連は、以下のように言う。

 部落問題の解決は、独占資本と反動勢力の横暴な支配を民主的に規制し、民主主義を確立・推進するたたかいを前進させることによって実現できる。

 われわれは、戦後の部落解放運動の歴史から学び、懐柔と分断を許さず、民主勢力の一翼として部落問題を解決していく決意である。

 われわれは、権力による人権侵害を告発し、国家権力の責任において、国民の基本的人権の確立とその拡充を保障させるために、今後とも引き続き奮闘する。

 そして、日本国憲法の改悪に反対し、平和的民主的条項の完全実施、日米安保条約の廃棄、非同盟・中立の実現、国民が主人公の政治の実現、民主的地方自治の確立、社会進歩と民主主義の発展、国民生活向上をめざす国民的な協力・共同を前進させるものである。

 こうした運動による住民と地域の民主的力量の成長が反動支配勢力や「解同」の策動を打破する保障となる。

(6)地域住民運動の展望と新たな運動体への発展的転換

 今、住民は、人間が大切にされる地域社会の実現を求めている。その要求には、犯罪や災害からの安全、平和な社会、健康で文化的な生活の実現、在宅・地域福祉の充実、就労の拡大、産業の振興、学習・文化・スポーツへの参加、いじめや体罰の根絶、地域の伝統と快適な自然・環境の保全、行き届いた交通網の確立、自由な意見交換、誰もが平等への願い、情報公開・知る権利・プライバシー権の確立、住民参加の地域づくり、住民が主人公の政治の実現、など多様な内容がある。

 これら地域住民の要求は、地域社会において実現していく性格と課題を有している。ここに、住民の諸要求の実現と地域の民主化をはかる地域住民運動が成り立つ基盤がある。

 われわれは、憲法の保障する人間らしい生活ができる地域社会を実現のため、人権と民主主義、住民自治の確立に向け、主体的・集団的営みと住民自治の自覚にもとづいて、自らの諸権利の擁護と新たな権利の創造をともなう地域住民運動を展開する。

 その課題は、 ①諸要求を結集し、生活破壊の悪政とたたかい、人権と民主主義、住民自治が尊ばれる「人間らしい生活ができる地域社会」を実現する、②住民相互の助け合いの輪を広げ、住民の連帯感と共同をつちかう、③保守的地域支配を許さず、住民が地域の主人公である地域民主主義の前進と、町内会・自治会の民主化を実現する、④いっさいの暴力やどう喝、住民分断の策動を許さず、住民が平和と安全の内に生活できる地域社会をつくりだす、⑤国民の内心に踏み込みかねない行政主導の「啓発」体制を打ち破り、住民の自主的学習活動によって、真の人権認識を深める、⑥自治体の民主的刷新を実現し、住民本位の地域づくりの確かな政治的保障をはかる、ことなどである。

 われわれは、総仕上げの局面における部落問題解決の諸課題を早急に達成し、同時に地域で部落内外の共通要求にもとづく共同の住民運動を前進させ、新たな運動体への発展的転換をはかるために全力をあげる。

  これを書いた本人も具体的に理解できないであろう抽象的な言葉が並んでいる。これまでの歴史から見て、これは共産党の地域支配を意味していると読むべきだろう。なぜなら、もともと戦後の部落解放運動は、解同朝田体制になって分裂するまでは、共産党支配だったが、その時代に、共産党は、部落解放運動を政治利用したからである。民主勢力の一部であることは、部落解放運動の闘いを後景化させたり、消極化させることを意味しない。まったく逆である。民主主義運動をプロレタリアートの利害に従属させるとは、革命と結びつけるということであり、民主主義を死滅させるまでに高めるということである。それ以下だと改良主義の範囲内で終わってしまい、ブルジョア民主主義で終わってしまうということだ。この観点からは、この間の解同の腐敗の原因の一つは、民主主義の不徹底にあると言える。それに対して、全解連は、抽象的民主主義、すなわちブルジョア民主主義を対置しており、反動的である。部落を再生産している相対的過剰人口という資本蓄積法則の廃絶抜きに部落差別がなくなることはないと思う。労働者の差別・分断支配の中に部落差別が組み込まれているのであり、部落差別は、相対的過剰人口としての下層(日雇・零細商人・零細職人・小農・細民・失業者・半失業者・・)を再生産する近代的構造に根ざした差別なのである。朝田理論は、わかりづらいけれども、そのことを「低賃金の沈め石」論で不十分ながらも一応指摘はしているのである。

このことに、部落解放運動が社会主義と結びつく根拠があるのだが、今の解同中央派の「日本のこえ」派は、それを断ち切って、人権運動にしてしまった。同和対策特別措置法停止から5年を超えた今、ワーキングプアが増え、あるいは差別落書き事件が増えている。今、部落にどういう変化が起きているのかをしっかり見る必要がある。

  「今、住民は、人間が大切にされる地域社会の実現を求めている。その要求には、犯罪や災害からの安全、平和な社会、健康で文化的な生活の実現、在宅・地域福祉の充実、就労の拡大、産業の振興、学習・文化・スポーツへの参加、いじめや体罰の根絶、地域の伝統と快適な自然・環境の保全、行き届いた交通網の確立、自由な意見交換、誰もが平等への願い、情報公開・知る権利・プライバシー権の確立、住民参加の地域づくり、住民が主人公の政治の実現、など多様な内容がある」という課題があげられているが、部落という言葉がまったく出てこない。ここには、住民一般の要求が掲げられているだけである。

  朝田理論は、部落問題を「国民」「住民」一般に解消するのではなく、階級階層関係の中でとらえようとした。相対的過剰人口が階層として下層に置かれ、差別されていることと部落差別は関連している。朝田理論からは、この層が、高度経済成長の中で減少したことと部落問題の表面上の「解消」が進んだことの関係が見えてくるが、全解連の主張からは、米日反動とそれにくみする解放同盟による妨害という政治的要因による「国民融合」の阻害という図式しか見えてこない。反動に対置されているのは、日共の民主勢力の統一戦線による地域支配ということである。それは、人権と民主主義一般に対する反動に対置されているのである。

  部落問題は、多数派と少数派との関係の問題であり、だからこそ、同和対策特別措置法を必要としたのである。それを行政や権力との癒着のように描くのは、不当である。そこにさまざまな問題を抱えていることは事実であるが、歴史的には、民衆による差別を政治権力が利用したのである。それを近代的に再編して、相対的過剰人口に組み込んだわけである。このような層としての利害から、米騒動への部落民の大量参加ということがあったわけである。当時で言う「細民」との共通利害が強くあったのである。

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コメント

滋賀大学政治研究会のものです
ぜひリンクしていただけないでしょうか

投稿: 芳野 | 2008年7月 4日 (金) 16時29分

 芳野様

 貴ホームページを拝見させていただきました。

 まじめに政治社会問題を考えられている様子で、感心しました。

 どうぞ、リンクを張って下さい。

 当方も、リンクを張りますので、よろしくお願いします。

投稿: ぴゅうぴゅう | 2008年7月 6日 (日) 18時59分

特殊部落だらけの兵庫県○○市出身なので、プログ主の皮相な意見には反吐がでる。
同和に支配された市町村に住んでから意見を述べるべき。
差別のない町をつくるには、同和行政の名の下にカネをばらまかないこと。
これに尽きる。

投稿: 人権=カネ | 2008年7月12日 (土) 22時27分

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