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『部落解放運動への提言』について4

  『部落解放運動への提言』の(2)一連の不祥事の背景の分析と問題点は、まず、過去の教訓が生かされなかったとして、「今度こそ、事件の背景にある運動論、組織論にも、固定観念にとらわれずにメスを入れ、原因と問題点を真剣に分析、考察する必要がある」と述べている。

  そしてまず、行政と運動団体幹部の癒着を指摘する。

  運動団体対策、団体幹部対策、信頼関係という美名の馴れ合い、主体性を忘れた行政の事なかれ主義、行政側は円滑な行政執行のために、積極的に有力幹部の力を利用、と同和行政の問題点を指摘する。そうはいっても、今日の行政が主体的に人間解放を担うと考えるのは、あまりに行政を買い被っており、もともとこれらの指摘する行政のやり方は、行政の本質に根ざしているものであろう。行政がそうならないように、運動側がチェックする必要があるわけだ。

  その点では、「本来、行政と運動団体は、お互い主体性を持ち、それぞれの責任と役割分担を明確に自覚して、共通の目標に手を携えて取り組むべきなのに、その筋道を間違え、自立自闘の精神が忘れられがちであった。運動の力点が対外志向、つまり対行政が中心になってしまって、自分たちの運動体の中に向けて展開しきれなかったことが、不祥事を惹き起こした主要な原因と言える」という指摘には問題がある。なぜなら、行政の主体性とは、統治・支配の主体性であり、「それぞれの責任と役割分担を明確に自覚して、共通の目標に手を携えて取り組むべき」対等のパートナーではないからである。問題は、部落解放運動が、行政運動に主体性を奪われてしまったということだ。

  それを『提言』は「行政にすべての責任を転化させる行政責任万能主義に流され、行政依存体質に陥る傾向もあった」という形で指摘しているが、行政を解放運動の主体とする考えは違うと思う。

  「自立自闘の精神が忘れられがちであった。運動の力点が対外志向、つまり対行政が中心になってしまって、自分たちの運動体の中に向けて展開しきれなかったことが、不祥事を惹き起こした主要な原因と言える」。

  こういうのはわかる。

  「行政から事業を引っ張ってくる、金を集めてくることができる人物が能力ある指導者であるかのように勘違いされた場合があった。それが幹部請負主義を助長し、ここからも権力構造が生まれると同時に、組織が空洞化し、運動が衰退した要因となっている」。

これは与党政治家をはじめ、政治家のやり方といっしょである。これでは組織は、幹部の後援会のようになる。運動は、政治・文化・社会等々の関連する様々な問題の議論の場であり、教育の場であり、実践を通じて問題を解決する主体を育てる場でもある。行政は、あくまでも問題の行政的側面の主体であるにすぎない。どんな運動主体でも、当初はシングルイシューとして出発しても、問題の多様な側面と多様な連関に広がっていって、広範な領域との関連と絡み合いを認識し、それらを結びつけて対応せざるを得なくなる。部落差別と女性差別、民族差別などが絡み合っているし、それらを関連付けないと人間解放というような普遍的な差別解放運動として部落解放運動が位置づかない。

  ①生かされなかった過去の教訓

  部落解放同盟中央本部が「大阪・飛鳥会問題等一連の不祥事に関わる見解と決意」の中で、「決して『個人的犯罪』とか『権力からの弾圧』とかということだけで済まされるような問題ではない」とし、「このような個人を生んだ運動的・組織的体質はなかったのかということを徹底的に自己切開・自己点検する」と表明したのは、当然のことであった。
過去にもさまざまな不祥事があったが、組織防衛的発想が先に立ち、一過性の統制事案で処理され、問題の本質的な掘り下げが足りなかったがゆえに、教訓が生かされなかったのではないか。今度こそ、事件の背景にある運動論、組織論にも、固定観念にとらわれずにメスを入れ、原因と問題点を真剣に分析、考察する必要がある。

  ②行政と運動団体幹部の癒着

  今回の不祥事はもとより、過去の不祥事にさかのぼって検証しても、その背景には行政と運動団体幹部の一部との癒着がある。
  ここには、真に人間解放をめざす同和行政というよりは、運動団体対策であり、団体幹部対策にすぎなかった一面がある。信頼関係という美名の馴れ合いであった。主体性を忘れた行政の事なかれ主義が団体幹部の顔色をうかがい、トラブルさえなければよしとする風潮を招いた。あるいは、行政側は円滑な行政執行のために、積極的に有力幹部の力を利用することもあった。運動団体の中にはそれにあぐらをかいた一種の「強面(こわもて)」の権力構造を生んだ側面があり、「同和はこわい」という偏見に被差別の側も乗じて、不当な私的利益・便宜供与の要求を行政に突きつける者たちも出現した。
  いわゆる部落解放運動の先進地と言われたところで、不祥事が噴出したことに、一層根の深い問題がある。そして、上記の傾向が単に不祥事を起こしたところのみならず、その他のところにおいてもまったくないとは言えないところに大きな問題がある。

③行政要求一辺倒が招いた行政依存体質

特別措置法時代、同対審答申の完全実施を求める行政闘争が展開され、行政側もそれを真摯に受けとめ、多くの成果を挙げたことは確かである。社会正義を求め、社会的支持が得られる行政交渉であれば、何ら臆することはない。だが、いつのまにか行政にすべての責任を転化させる行政責任万能主義に流され、行政依存体質に陥る傾向もあった。
本来、行政と運動団体は、お互い主体性を持ち、それぞれの責任と役割分担を明確に自覚して、共通の目標に手を携えて取り組むべきなのに、その筋道を間違え、自立自闘の精神が忘れられがちであった。運動の力点が対外志向、つまり対行政が中心になってしまって、自分たちの運動体の中に向けて展開しきれなかったことが、不祥事を惹き起こした主要な原因と言える。
行政から事業を引っ張ってくる、金を集めてくることができる人物が能力ある指導者であるかのように勘違いされた場合があった。それが幹部請負主義を助長し、ここからも権力構造が生まれると同時に、組織が空洞化し、運動が衰退した要因となっている。

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