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当記事へのコメントについて

  下のようなコメントを頂きました。感謝します。

 しかし、このコメントは、残念なことですが、当記事の内容を理解されていません。とくに、このコメントの民主主義の定義は、形式的だと考えます。

 「政権交代を可能にする政治制度が民主主義」とうのが、このコメントの民主主義の定義である。ここにある一つ一つの用語、政権、交代、政治、制度、これらの内容が明らかでないと、この定義が、リアリティを持つのかどうかが明らかにならない。goo辞書の民主主義の定義はこうなっている。

 【民主主義】〔democracy〕人民が権力を所有し行使するという政治原理。権力が社会全体の構成員に合法的に与えられている政治形態。ギリシャ都市国家に発し、近代市民革命により一般化した。現代では、人間の自由や平等を尊重する立場をも示す。

 これにたいして、コメントの定義、「政権交代を可能にする政治制度が民主主義」が、民主主義の制度的一側面、政治制度という形態のみを一面的に定義として採用し、民主主義の中身について、ひとつも述べていないことは、明らかである。

 そして、そういう形式的民主主義に対して、共産党一党支配、プロレタリアート独裁権力は民主主義ではないという考えを対置している。つまり、先の形式的定義に、形式的な反対物を、それこそ、形式的に対置するということを行っている。これは、弁証法的な矛盾ではなく、形式的な矛盾である。例えば、権力の性格が、選挙によって、基本的に、交代するとすれば、それは革命的なことである。ところが、アメリカ大統領が交代しても、革命にはならない。なぜなら、それは、権力の内容、階級的性格を基本的に変更するものではないからである。だから、オバマ民主党が、ブッシュ政権に代わる次の政治権力を握ったとしても、権力の基本的性格は変わらない。政策はもちろん変わるけれども、それは権力の基本的性格を変えない程度の変更にすぎない。そのことは、アメリカの政治史の歴史を見れば、明らかである。

 それに対置されている反民主主義的な共産党一党支配・プロレタリアート独裁権力というのは、少なくとも、理論上は、一時的な権力のあり方にすぎないということは、マルクス・エンゲルス・レーニンなどの主張を読めば、明らかである。それは、権力の根本的な性格変更の時期というのは、ブルジョア革命、近代民主主義革命、の時期にも、様々な国で、共通して、あったような独裁期の権力のあり方であるにすぎない。日本の明治維新を見てもそうである。帝国議会ができるまで、薩長藩閥政府は、暴力に依拠して政権を維持していた。それに対して、ソ連はどうかというなら、私は、ことに、1920年代以降、プロレタリアート独裁権力からブルジョア的な権力性格に戻ったものと見ている。現に、ソ連では、様々な制度やものを、西欧諸国などから輸入した。それを、形式民主主義の衣であまり包まなかっただけである。その代わりに、かれらの内部では、事実上の政権交代、派閥抗争、などが行われたのであり、そういう意味での政権交代を繰り返している。それは、今の中国でも同じである。日本は、戦後長く、自民党一党独裁の時期があったが、内部の派閥抗争と合従連衡によって、権力の交代を繰り返してきた。自民党は、金や利権で、支持団体を広げ、政権を維持してきた。

 もちろんgoo辞書の定義も形式的であり、例えば、人民という概念は、無内容である。この場合、人民の中身は何かということがわからないと、人民の権力というのは何かもわからない。人民は、いろいろな階級・階層に分かれており、それぞれが別々の共通利害を持っている。どの層・どの階級の利害を政治的に代表するか、それがその政治の性格、内容を規定する。そして、権力の性格を規定するのである。だから、共産党一党支配、プロレタリアート独裁、が、プロレタリアートの利害を代表する政治的形態であることも、その内容の政治的性格を持つこともありうる。逆の場合もありうる。それは、こうした形式的定義、形式的対置、形式的矛盾、を、とらえることでは、とうてい理解できない。しかも、当記事では、共産党一党支配のことも、プロレタリアート独裁のことも、一言も述べていない。草の根民主主義、労働者民主主義、大衆民主主義について述べただけである。それを、共産党一党支配、プロレタリアート独裁につなげたのは、明らかに、形式的な民主主義の定義、観念、図式に無理矢理、あてはめて、裁断したものにすぎない。だから、やってもいないことを、ご都合主義かどうかと問われても、答えようがない。そういう設定自体が、形式的で、中身がないので、なんともしようがない。もっと、民主主義の中身について、しっかりと、考えましょう、もちろん、私もですが、という他はありません。

 オバマ選挙という事例から、その現実から、民主主義について考え、学ぶということが必要と考えたのが、当記事です。

  政権交代を可能にする政治制度が民主主義であり、それを阻むものを民主主義派と言わないとすれば、当然共産党一党支配、プロレタリアート独裁権力は民主主義でないはずで、それを矛盾なく捉えるのは御都合主義ということでよろしいか。

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