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天木直人氏の新自由主義観について

  下は、天木直人氏のブログ記事である。

 

日本の大企業が、リストラをする一方で内部留保を積み上げているという12月14日の東京新聞の記事についてのコメントである。

 天木氏は、藤村博之法政大学教授(労使関係論)のコメントを引用している。

 「わが国の株式市場を急速にアメリカ型に変えて行ったため、短期の業績向上が企業の意思決定の基準になった。つまり毎年の利益最大化を怠れば経営者には株主代表訴訟が待っている。「コスト削減で利益がだせたはずなのに、そうしなかったのはけしからん」。「会社に与えた損害を補償せよ」と株主から訴えられる結果を招きかねない現実もまたある、と」。

 リストラを加速してまで内部留保を貯め込む理由は、株主の利益を最大化するように、企業が行動するようになったからだというのである。かつては、経営者は、企業全体の利益に配慮し、社員の生活をも考慮して行動したが、今は、株主の利益を最重視するようになった。それをもたらしたのは新自由主義経済だというのである。かつて、所有と経営の分離ということが言われていて、奥村氏の法人資本主義論が一世を風靡したこともあった。

 しかし、時代は変わった。所有者といっても、企業への投資というよりも投機目的で投資する投資家の利益に強く配慮せざるを得なくなったわけである。そこには、経営者が自己株所有比率を高めたとか、企業評価の基準が変化したとか、いろいろなことがあった。

 天木氏は、「色々と考えてみると、「リストラと内部留保」という問題は、政府の政策の結果によるところが大きく、それは自由、資本主義経済か社会主義政策かのどちらかに軸足を置くか、という根本問題に行き当たる問題である事がわかる」と述べている。

 一つ特徴的なのは、天木氏の新自由主義を、イデオロギーとしてとらえていることで、価値観、価値基準としてとらえているということである。新自由主義とは、株主の利益を最大化するためのイデオロギーであるということである。それは、企業は株主のものであるとして企業所有者の法的形式的規定を利用して、実は短期的な投機的利益を最大限企業から引き出すことに使われた外皮であるということだ。内部留保があることは、そのような株主からすれば、利益の源泉が存在することを示していて、そうであるかぎり、投資するが、それがなければ、他の企業に投資するだろう。産業投資は、利益があがるまで時間がかかり、それまで資金は建物や機械などのかたちで拘束されている。そのための内部留保なら、投資のための準備金ということになるけれども、今の内部留保にはそれだけではない別の性格がある。

 すでに国の産業金融はあまりなくなって、通貨政策が政府の基本的な金融政策となっている90年代の長期信用銀行、日本興業銀行、北海道拓殖銀行などの破綻がそれを示していたわけである。政府金融は、住宅や中小企業向けなどに限られている。

 天木氏は、藤村教授の言葉を引用する。「・・・企業は売り上げが減ると、それにあわせて費用を削ろうとする。人員も費用の一部だから削減の対象となる。しかし失業者の増加と賃金の停滞が個人消費をますます冷え込ませる・・・」。それでも企業利潤は増大するというのが、内部留保問題が示していることである。天木氏が、社会主義政策というのをどういう意味で使っているのかは、はっきりはわからないが、どうも、ケインズ主義的な意味で使っているように思える。

 人件費というのはマルクス経済学では、可変資本であり、これと不変資本を合わせたものが総資本である。不変資本にたいして可変資本の割合を減少させるという資本の有機的構成の高度化というのが資本主義経済の傾向的法則としてある。この傾向は、具体的には、様々な条件によって決まるのであって、天木氏の言うように、政府が介入するなどして、企業がこの割合を変化させることもありうるわけである。それから大株式会社の場合、市場法則によって左右されるのではなく、逆に市場支配をすることもありうるわけである。それを、新古典派のマーシャルの私企業像とケインズの株式企業像との違いとして指摘した人もいる。森嶋通夫氏は、セイの法則の世界の新古典派経済学に対して、反セイ的世界のケインズ経済学という区別をした。

 天木氏が言うところでは、新自由主義は、株主や投機者の利益に奉仕するイデオロギーであって、経済構造の根本的変革までをするものではなかったということになるわけで、相変わらず、経済全体は、大株式企業によって支配されているわけである。そのことが、新自由主義イデオロギーや政策の破綻によって、この間、裸になって誰の目にも見えてきたのではないだろうか。

リストラの嵐と大企業の内部留保

 分不相応に難しい事を書いてみる。

 12月24日の東京新聞は、トヨタ自動車やキャノンなどの日本を代表する大手製造業16社が、リストラ加速の一方で巨額の内部留保を積み上げている事を、一面トップで大きく取り上げていた。

 この内部留保の問題にここまで大きく焦点を当てたのは大手新聞では東京新聞が始めてではないかと思う。おそらく今後はこの問題が折に触れメディアで報じられていく事になるだろう。

 なぜこの問題が重要なのか。

 それはもちろん東京新聞が書いているように、「過去の好景気による利益が人件費にまわらず企業内部に溜め込まれている」ことが経営者の正しい対応なのか、という事にある。

 しかし、その事をさらに一歩踏み込んで考えると、資本主義と社会・共産主義の立場の違いという根本問題に行き当たることにきづく。

 内部留保問題を厳しく追及するのは左翼イデオロギーである。

 今では日本共産党さえもアメリカ資本主義の手先だ、などと批判する左翼政党に労働党というのがある。その労働党の機関紙である「労働新聞」12月15日号は、大企業の巨額な内部留保をこう激しく糾弾している。

 「・・・大企業はこの数年空前の利益を上げ続け、それを溜め込んできた。このわずかな分でもはき出せば、非正規労働者の雇用を維持してもおつりがくるぐらいである。企業の不況宣伝にだまされてはならない・・・」

 労働新聞のこの記事は、単に感情論でそういっているのではない。公表されている統計を使って独自の計算を重ね、解雇される労働者の給与総額が、配当金額や利益余剰金の巨額と比べていかに少ないかを検証してそういっているのだ。大企業が配当金や内部留保のわずかな部分をまわしさえすれば労働者の雇用や賃金を守る事はまったく可能なのだ、という主張は説得的だ。

 しかし企業サイドが配当金や内部留保を重視せざるを得なくなった理由が存在する事もまた事実である。そしてそれは、近年急速に進んだ政府による米国型新自由主義政策の導入によるところが大きいのである。

 12月25日の読売新聞「論点」で藤村博之法政大学教授(労使関係論)は、次のように指摘している。

 わが国の株式市場を急速にアメリカ型に変えて行ったため、短期の業績向上が企業の意思決定の基準になった。つまり毎年の利益最大化を怠れば経営者には株主代表訴訟が待っている。「コスト削減で利益がだせたはずなのに、そうしなかったのはけしからん」。「会社に与えた損害を補償せよ」と株主から訴えられる結果を招きかねない現実もまたある、と。

 最近の経済記事を見てみると、このほかにもいくつかの要素があることがわかる。

 景気循環が見通せるこれまでの経済では、不況の次に来る好況と重要拡大に供え、一定の余剰人員を抱えていたほうが得であり、それゆえに余剰人員を抱えて我慢する事もできた。しかし、バブル後の長期不況と不透明化は、その余裕をなくした。

 またバブル崩壊で体力の落ちた銀行は、自己資本比率の引き上げというルール変更とあいまって一気に融資条件を厳しくしていった。いきおい各企業とも財務基盤を強化する必要に迫られ、それが内部留保を高めさせた。

 色々と考えてみると、「リストラと内部留保」という問題は、政府の政策の結果によるところが大きく、それは自由、資本主義経済か社会主義政策かのどちらかに軸足を置くか、という根本問題に行き当たる問題である事がわかる。

 前掲の藤村教授は現在の矛盾を次の言葉で表している。

 「・・・企業は売り上げが減ると、それにあわせて費用を削ろうとする。人員も費用の一部だから削減の対象となる。しかし失業者の増加と賃金の停滞が個人消費をますます冷え込ませる・・・」

 この悪循環を断ち切ろうと皆が頭を痛めている。

 問題はアメリカ発の金融危機によってもたらされた金融資産の消滅額があまりにも大きく、それが実体経済に与える悪影響が未経験なほど大きい事である。それにともなって個人生活への打撃は深刻なものに違いない。

 我々はどこまでその深刻さに気づいているのか。

 ひょっとして我々の想像をはるかに超えるチェンジを起さないと世の中は大変な事になるのかもしれない。

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