ガザへのジェノサイドを許すな!
1月12日、ガザでの死者数は、1000人に近づいた。もちろん、これは、確認されている数字だけである。ガザの医療体制は、危機的状況にあり、4,400人(BBC)の負傷者の中から、十分な手当を受けられないために死にいたる者もあるだろう。
デモクラシー・ナウのHPには、1月11日、イスラエルのガザ攻撃を支持する数千人の集会がニューヨークで開かれたという記事がある。そこには、ニューヨーク州選出の上院議員チャック・パターソンやニューヨーク州知事デビット・パターソンが含まれていたという。それに対して、在米ユダヤ人の有名な劇作家トニー・クシュナーは、がイスラエルのガザ再占領を見当違いと批判したということが載っている。
イスラエルの平和団体ピースナウのイスラエルのテルアビブでの反戦集会のビデオを観た。演説者は、真のシオニスト・真の愛国者として、間違ったシオニズムに犯されている現在の政府に対して、停戦を求め、パレスチナとの友好こそが求められていると述べている。現在のイスラエル国防軍は、イスラエル人のためではなく、アメリカのために使われているとしている。そして、真の愛国者として、平和を求めるというようなことを訴えている。
13日、アルジャジーラは、国連総会議長Miguel d'Escoto Brockmann(ミゲル・ドゥエスコット・ブロックマン?)が、イスラエルのガザへの攻撃を、ジェノサイド(genocide)と非難したと伝えた。この元カトリックの聖職者で、ニカラグアの元外務大臣は、「国連総会によって存在を許されたイスラエルが、これほどまでに国連の決議を軽視していることは信じられない」と述べている。まさに、イスラエルは、1947年11月の国連総会でのパレスチナ分割決議によって、建国を国際的に認められ、国連総会によって存在を保証された国なのである。同じように、この時の国連総会決議は、パレスチナの主権と国家建設を認めたのであり、パレスチナ国家は、国連総会の意志として、認められたのである。
そのイスラエルは、建国後の4次に渡る中東戦争によって、国連総会が、パレスチナに認めた土地を侵略してきたのである。そればかりか、シオニスト・イスラエルは、パレスチナの対等の主権を認めるどころか、こうして、ガザのパレスチナ人の生殺与奪権は我が方にあるといわんばかりに、ジェノサイドを行っているのだ。こんなことを認めたら、我々は、シオニズム同様ゲルマン主義国家を作ったナチスのレイシズムをも容認するようなはめになりかねない。ホロコーストにつながったナチの人種主義は、ヒトラーの思想に早くから現れていたが、それに対して、イギリスは、対独戦争を避けるため、譲歩と黙認を続けた。
今のアメリカ政府は、黙認どころか、イスラエルのレイシズム攻撃を支持し、積極的に支えている。オバマは、大統領選挙戦の最中に、AIPAC(米・イスラエル公共政策委員会)の総会に出席し、「親イスラエル」の立場を明らかにし、パレスチナ側が断固として反対してきたエルサレムをイスラエルの首都として認めるかのような発言をしている。2000年9月からの第2次インティファーダ(人民蜂起)が、右派リクードのシャロン首相が、武装した護衛を引き連れてエルサレムのパレスチナ人地区に踏み入ったことから起きたのである。AIPACのHPには、ブッシュもオバマも、イスラエルの自衛権を再確認したという記事が載せられており、イスラエルによるガザでの虐殺攻撃については無視して、ハマスによる攻撃の報道が載せられている。
日本でも、保守派の雑誌に、昨日紹介した富岡幸一郎というキリスト教徒の評論家のイスラエルよりの記事があったり、元外務省のレバノン大使だった天木直人氏の13日のブログで、イスラエルを全面支持したと批判されている元外務省官僚の佐藤優といった連中がいる。日本ではさすがに、アメリカのように、露骨なイスラエル支持の声はあまり聞こえないが、それは必ずしも喜ぶべきこととも言いにくい。パレスチナ問題を遠い地で起きている無縁の出来事として、無関心であるというふうにも考えられるからである。
しかし、世界政治の上において、パレスチナ問題は、つねに、中心的問題としてあり続けており、それで、欧米のメディアの関心も高いのである。イラクやアフガニスタンの問題も、パレスチナ問題とつながっている。アラブ・イスラム世界は、帝国主義がかつて好き勝手に切り分けた人為的なラインを今の国境として、いくつもの国家に分かれているが、民族的歴史的文化的生活的には、国民という区分によって分けるのは不自然であり、アフリカから中国西部の新疆ウイグル自治区、ロシア南部、インド、インドネシア、と広大な地域に広がりがあり、ネットワークを持っている一大共通文明圏なのである。実際、サウジアラビアの国境を、遊牧民が自由に行き来している。それから、イスラム圏全体をカバーするようなイスラム金融のネットワークもある。パレスチナはその一部にすぎず、もっと言えば、もともと歴史的には、ユダヤもその一部にすぎなかったし、ユダヤとイスラムの長い共存の伝統と歴史があった。
12月27日以後の報道を見ると、イスラエルのパレスチナへの攻撃が、原油価格にどういう影響与えるかとか、為替はどうなるかとかいう経済的な影響についての記事が多く見られる。例えば、「NY原油、時間外で一時42ドル台」(30日『読売』)、「外為17時 円、夕方に上昇し90円台前半 イスラエル空爆受けドル売り」「ドル90円後半、中東情勢の緊迫化でユーロなどに買い」(30日『ロイター』)。市場は、戦争をも売り買い、利益追求の一材料としている。アメリカの軍事企業の株価などの動きは確かめていない。おそらく、このような不均衡な戦争では、イスラエル軍側の物理的被害は小さいので、それほど、軍需産業に利益をもたらさないだろうから、値上がりはしなかったのではないか。いずれにしても、イスラエルは、アメリカの軍需産業のお得意さまであり、しかもその費用の多くをアメリカの援助がまかなっているのであり、それもアメリカ政府の親イスラエルの態度を形成している要因の一つである。戦争の陰で、経済的な利益を求める動きがあるということにも注意する必要がある。
シオニズムは、ヨーロッパで生まれ、育った思想であり、それが広まる直接のきっかけは、フランスで起きたドレフュス事件であった。それから、19世紀からの民族独立運動の影響もあったのである。つまり、シオニズムは、ヨーロッパ的な近代的民族主義の影響を受けているのである。ユダヤ教による迫害と弾圧を受けたユダヤ人哲学者として、スピノザがいる。アインシュタインも、ユダヤ人であり、イスラエル建国を支持したが、シオニズムを嫌っていた。ただ、ナチスのホロコーストの体験から、それを支持しただけである。アインシュタインは、リベラルな社会主義者で無神論者、ヒューマニストだった。まるで、シオニズムがユダヤ人の全体を代表しているかのようなイメージが流布しているけれども、そうではない。実は、ユダヤ人といっても、様々であり、シオニストにも、左右があり、ユダヤ教にもいろいろあって、現在、イスラエルで主流となっている一派ができたのは、イスラエル建国後のことである。
イスラエルの帰還法は、ユダヤ人の子孫(血縁)ないし、ユダヤ教徒をユダヤ人として認定して、移民を受け入れている。アメリカの市民権は、そういう血統とか特定宗教への帰依を要件として与えられるものではない。イスラエルには、約24%の非ユダヤ人がおり、そのほとんどはパレスチナ人などのアラブ系住民である。パレスチナ人は、総人口1,000万人以上で、西岸地区とガザに約380万人が住み、難民が約440万人いる。難民は、西岸、ガザの他、レバノン、ヨルダン、シリアなどに分かれている。難民の帰還権の問題もある。イスラエルは、こうして血統や宗教の純粋性を守るシオニズムによって、アラブとの平和的共存、長い友好関係から、強制的ではなく、自由意志によって、自然に生じるであろう混血、融合を、国家意志として、否定しているのである。そうして、パレスチナ人の抹殺・虐殺行為を繰り返しているのだ。
下は、この間、精力的に、パレスチナに連帯して、イスラエルのガザ侵攻に反対して、発言や翻訳を続けられてきた早尾貴紀さんの記事である。マイケル・ウォルツァーというアメリカの倫理思想家のイスラエルの攻撃を支持する記事についての批判である。シオニストの差別主義、レイシズム、侵略主義に目を向けないどころか、それを正当化するとんでもない倫理思想を唱えるマイケル・ウォルツァーなる思想家の倫理性の低レベルな議論を批判している。
12日の時事は、ガリ元国連事務総長が、「ガザでの戦闘は全アラブ諸国そしてイスラエル国内の過激派、原理主義者の力を強化させる」と語ったと述べた。ガリ氏は、紛争の解決のためには、穏健派を育てることが必要だと唱えた比較的リベラルな立場を取った人物である。13日の時事は、イスラエルの極右政党「わが家イスラエル」のリーバーマン党首が、大学でのスピーチで、第2次世界大戦の時にアメリカが行ったように日本を屈服させるべきだと語ったと伝えた。9・11事件の際に、ブッシュは、これを真珠湾攻撃に例えて、「対テロ戦争」を正当化し、イラク占領策は、GHQによる日本統治をモデルにした。アメリカにとって、先の対日戦の勝利とその後の日本の対米追随は、成功モデルとして、強く認識されているらしい。
対日占領を、アメリカによる日本従属化としてとらえる保守主義者なら、今イスラエルが行っているガザの民族抹殺攻撃にシンパシーを感じるはずだ。それが、自称保守主義者の佐藤優がイスラエル支持なのはどういうわけだろう? 国会や政府が、この問題を取り上げないのはなぜだろう? 被抑圧民族であるパレスチナ人よりも、抑圧民族のシオニスト・イスラエルとそれを支持するアメリカという大国の方を自らに近しいものと感じているからに違いない。
だが、現実を見よ! イスラエルには、正規軍だけで、陸軍約13万人、海軍約1万人、空軍約3万人、合わせて、17万人以上のの正規軍があり、予備役が40万人以上いる。そして、戦車約3,500両、装甲車約6,700、F-15、F-16などの戦闘機約400機、攻撃ヘリコプター約90機、などの装備で武装している。それに対して、ハマースのロケット弾はほぼ手作りのもので、多少の銃器類や手榴弾などで軽武装しているにすぎない。2次にわたるインティファーダ(対イスラエル民衆蜂起)は、多くは、石が武器で、投石による抵抗であった。それに自爆攻撃がいくらかあったにすぎない。
ハマースは政権を握ったが、イスラエルは、かれらに対して、パレスチナ自治区で徴収した税金を引き渡していない。そして、ガザを握ったハマースに対して、ガザ市民を飢餓や人道危機に追い込んだ上で、軍による直接的戦闘を開始したのである。体力的精神的にガザ市民を弱らせた上での今回の攻撃なのである。
ガザへのジェノサイドを許すな!
正戦論の倫理思想家マイケル・ウォルツァーのガザ攻撃正当化について(2009.01.13)http://palestine-heiwa.org/note2/200901130036.htm
Posted by :早尾 貴紀
イスラエルのガザ侵攻をめぐって、いろいろと貴重な発言、良心的な発言が翻訳紹介されています。
しかしもちろん、こういった発言が世論の主流を占めているわけではなく、稀少だからこそ拾われて紹介されているということでもあるわけです。
ここで反対に、ひじょうに巧妙にイスラエルの軍事攻撃を正当化する議論を紹介します。論者はマイケル・ウォルツァー(Michael Walzer)。アメリカの政治思想・倫理思想の研究者で、日本でも、その主要な著作が次々と(もう10冊も!)翻訳紹介されている人気の思想家です。共同体の倫理と人権の理論で知られます。
そして彼は、〈9・11〉のときも、アメリカの軍事行動を正当化する代表的イデオローグとして名を馳せました。
それだけではありません。ウォルツァーは、もはや古典とも称される正戦論、『正しい戦争と不正な戦争』を1977年に刊行し、とうとうそれがつい最近になってこのタイミングで日本語に訳されたのです。同書の原書は、91年に第二版、2000年に第三版と、新版を重ねてきました。力は正義というリアリズムでもなく、絶対平和主義的反戦でもなく、正しい戦争と不正な戦争を区別できるという議論をしています。
ウォルツァーの著作がどんどん日本語に訳されるなか、本書の訳はなかなか出ませんでしたが、とうとう出たのがいまというのは、残酷な気がします。
というのも、同書においてウォルツァーは、1967年の第三次中東戦争(イスラエルが西岸地区やガザ地区などを全面的に占領した戦争)を正当化し、また、それ以前に西岸地区がトランス・ヨルダン領だったときにおきたパレスチナ人村の虐殺(リッダ近くでユダヤ人3人が殺害された報復と称して50数人の村人を虐殺)をも正当化したのです。
このロジックの背後には、「イスラエル=西欧=味方」/「パレスチナ=非西欧=敵」という二項対立が隠されていることをエドワード・サイードは批判しました。(このあたりの議論については、早尾貴紀『ユダヤとイスラエルのあいだ』(青土社、2008年)の第8章で詳しく検証しています。ご参照ください。なお、同書の最終章は、ハマスの06年の選挙勝利を受けて書かれていますので、まとめて読んでいただけるとなお幸いです。)
* * *
さて今回もやはりと言うべきか、自らが編集する雑誌 『Dissent』のオンライン版 で、イスラエルの軍事行動を正当化する文章を発表しました。 「ガザ戦争と均衡」 (2009年1月8日)。
ウォルツァーは、「均衡/proportionality」をキーワードに、今度のイスラエルの攻撃が「不均衡/disproportinate」だという批判、すなわちハマスのロケット弾に対してイスラエルの軍事攻撃が不釣り合いに過大であるという批判に対して、反批判を加えているのです。
均衡・釣り合いのとれた攻撃というのは、「目には目を」ではないので、同じ数の人間を攻撃するという意味ではない、とウォルツァーは主張します。第二次大戦や湾岸戦争の例を挙げ、「何人の市民が犠牲になれば、連合軍や多国籍軍の攻撃が釣り合いが取れているということになるのか?」と問いかけ、数の問題ではないところで正義の戦争(攻撃の正当性)がありうるというわけです。つまり、最悪の犠牲者数が発生する前段階で(それを想定し)それを阻止するための攻撃は正義だ、と。
この段階からすでに議論が作為的なのですが、ここからさらにウォルツァーの議論は巧妙になっていきます。
「攻撃の均衡は将来予測的で思弁的なものなので(最悪の被害が現実のものとなる前に、そうなることを予測してのものだから)、攻撃の正当化についてはきわめて慎重になる必要がある」とウォルツァーは語り、これによってその後に展開するイスラエルのガザ侵攻の正当化が慎重に判断されたものであることを臭わせ、そして、こう言います。「ある攻撃を不均衡な暴力だと批判する者は、たんにその暴力が嫌いであるとか、あるいはその暴力を行使している人たちのことが嫌いなのである」、と。
こうしてウォルツァーはそれと明示せずに、しかし、イスラエルのガザ攻撃を非難する人びとは、たんにイスラエルが嫌いだから「不均衡だ」と言っているに過ぎないのだ、と臭わせ、対比的に自分が慎重に判断した結果イスラエルの正当性を認めていることを強調するわけです。
ここからウォルツァーは具体的にイスラエルとガザ・ハマスのことに踏み込んでいきます。
◆ 6月~12月の半年間の停戦の前は、ハマスが飛ばしていたのは射程の短い手製のロケットだったが、その後に飛ばしたのは射程の長い外国製で 30~40キロは飛ばせた、したがって、さらに半年後にどうなるかを予測すれば、テルアヴィヴまで飛ばせることになるだろう(だから、このタイミングでの攻撃は正当だ、とウォルツァーは言いたい)。
◆ イスラエルは05年のガザ撤退後、いかにしてハマスのロケット攻撃を止めることができるかという議論を重ね、さまざまな政策の試行錯誤があった(だから、その努力の果てに空爆に踏み切ったのは正当だ、とウォルツァーは言いたい)。
◆ 06年のレバノン戦争のとき、国連事務総長アナンは、イスラエルの反撃が「不均衡だ」として批判すると同時に、ヒズブッラーがガリラヤ地方の人口密集地にロケット弾を撃ち込んだことも批判した。今回のハマスもそれに当たる(だから、ハマスが悪い/イスラエルの攻撃は正当だ、とウォルツァーは言いたい)。
◆ 軍隊というものは(つまりイスラエル軍もとウォルツァーは言いたい)、目的達成(イスラエルの場合ハマス排除)のために市民の被害を最小限にするための戦術をとっている。逆にハマスの場合はそういう戦術を選んでいない(だからイスラエル軍のほうに正義がある、とウォルツァーは言いたい)。
実はウォルツァーはこうストレートには言っていません。カッコ( )のなかも明言してはないのはもちろん、だいたいは問いのかたち、あるいは批判者への問いなのでそれ自体が反批判になっているのですが、ともあれ、自分の思考の慎重さを最大限にアピールすることでイスラエル軍の正当性を訴えるというレトリックを駆使しています。
* * *
いい加減、日本のウォルツァー好きの面々には、粗雑なダブルスタンダードでしかないものを糊塗するためのレトリックに心酔するのはやめてほしいと思うのです。
どうしてウォルツァーは、ガザ地区の隅から隅までを爆撃できる軍事力を保持しているイスラエルの正当性について、そしてそれの恐怖させられる150万人のガザ住民の生活については、正面から向き合うことがないのでしょうか。射程が伸びたどうこうというのは、核ミサイルも公然と保有し(まさか隣接するガザ地区には使わないにせよ)、最新鋭の戦闘機・爆撃機・重戦車をもつイスラエルの前では、まったく比較にならない些事です。
もちろん論理としてはイスラエル市民の恐怖ということは成り立つでしょう。しかし、もしそれを認めるなら、全ガザ住民ののしかかる恐怖のほうがはるかに大きく、しかも現実の攻撃に日々さらされており、したがって、いつどんなタイミングでイスラエル側に攻撃を加えてもいいということになるでしょう。ウォルツァーの論理(破綻)にしたがえば、そうとしかなりません。
イスラエルはガザ撤退以降、ロケット攻撃を止めさせるために努力を積み重ねてきたというのは、そうでしょうか? まず05年夏のガザ撤退というのは、入植地をなくしただけで、ガザが陸海空すべてにおいて閉鎖された監獄であるという状況は悪化しこそすれ改善はありませんでした。これがガザ市民を追い込まなかったとでも? このフラストレーションが爆発しないとでも?
加えて、「06年1月ハマス政権発足からの3年間のガザを振り返る」 を負えば明らかなように、ハマスからのロケット発射の前には必ずと言っていいほどイスラエル軍による休戦破棄の攻撃があります。これがロケット弾を誘発しなかったとでも?
何を以て「ロケット攻撃を止めさせるための努力」というのでしょうか。
人口密集地への攻撃についても、はるかにイスラエルにこそあてはまる批判であり、まず真っ先にそのことを問うことこそが、「均衡」というものでしょう。人口密集地と言うなら、ガザ地区全体がそうです。逆に、ガザ地区から発射されたロケット弾の99%以上が周囲のネゲヴ砂漠などの人口稀薄地域に落ちています。1%未満が町に着弾することをもって、「人口密集地への攻撃」だとするなら、その批判は100倍になってイスラエルに跳ね返されるべきでしょう。
ガザ地区からのロケット弾はいいんだと言うつもりも毛頭ありませんが、もしウォルツァーのレトリックにのるのであれば、そういうことになるよ、ということですが。
そして、イスラエル軍は目的達成のために市民の被害を最小限に食い止める戦術をとっているとのことですが、ここまで大々的に市民を犠牲にし、いくつもの陰惨きわまりない虐殺事件を引き起こし、それでいてここまで言うことのできる倫理思想家ウォルツァー氏の厚顔無恥さには、驚嘆するほかありません。
* * *
そして私は、日本におけるウォルツァー思想人気については、耐え難い非倫理的なものを感じています。こうした時事的発言をさておいて主著の議論には意味がある、などという使い分けは認めません。彼の倫理思想とこのガザ侵攻の正当化は、通底し一貫しているものです。
すでに、前掲拙著『ユダヤとイスラエルのあいだ』でウォルツァー批判には手をつけていますが、いずれさらに踏み込んで展開するつもりです。
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コメント
私の住む福岡は朝から霙まじりの天候で外に出ると息が凍った。毎日チェックする海外の一部メディアからガザの悲惨極まる映像が届く。全身火傷で亡くなった幼い娘を両手で抱いて憎しみとも、悲しみとも、受け入れ難い現実の縁に立ち涙すら流せない父親の顔。死体となった母親に寄り添って泣き続ける幼子。戦争の犠牲者ではない。故意の虐殺の犠牲者である。普通の感情を持った人ならば正視に耐えられない映像である。私は福岡の繁華街で座り込みをする夫婦にまじって抗議の参加をさせていただいた。夫婦は80年代に起こったべイルート難民キャンプ虐殺から疑問を抱き、その時も座り込みをしたそうだ。彼が望むのはパレスチナに本来あるべき当然の権利の保証という当たり前と言えば当たり前の事であり、全く私も意を同にする。国際法や一連のパレスチナ問題に関する戦後国連決議を数時間でも目を通せばイスラエルと米国が一体となり拒否権を単独で、或いは一つや二つの国と発動してイスラエルの侵略とパレスチナ人への人権侵害と虐殺をほぼ世界の全ての国の意に反して続けて来た歴史が一目瞭然である。今日、世界中の人々が言葉に絶する映像と事実を目にしている。もう流石に人々の目は誤魔化せない。
投稿: | 2009年1月15日 (木) 05時02分