« アメリカの現代政治思想を理解するための歴史的前置きとして | トップページ | アメリカ現代思想理解のために(2) »

アメリカ現代思想理解のために(1)

 アメリカの現代思想を知るため、適当な入門書として、仲正昌樹金沢大法学類教授の『集中講義!アメリカ現代思想 リベラリズムの冒険』(2008年9月25日、NHKブックス)を見ていくことにする。

 まず、仲正氏は、「序●アメリカ発、思想のグローバリゼーション」において、「アメリカの思想」の一般的イメージについて書いている。

 氏が大学に入った1981年頃、氏が言うように、アメリカの哲学や思想は、学問領域ではマイナーであって、「高校の「倫理社会」(現在では「倫理」の教科書にも出てくる、チャールズ・サンダース・パース(1939―1952)、ウィリアム・ジェイムズ(1842―1910)、ジョン・デューイ(1859―1952)のプラグマティズム三羽烏が「アメリカの哲学者」としてもうしわけ程度に紹介されるくらいだった」(10頁)のは確かである。

 それにたいして、「戦後日本でアメリカのライフスタイルやポップ・カルチャーの影響が圧倒的に強くなり、政治学、経済学、社会学、教育学、人類学、心理学などの文系の学問諸分野でもアメリカ流が圧倒的に強くなっていった」(同)。

 現象としてみれば、仲正氏の言うとおりなのだけれども、ただ、内容としてみた場合には、必ずしもそうではないと思う。でも、流行思想として、アメリカ優位に変化してきたというのも事実である。それには、アメリカの社会的歴史的事情があると仲正氏は言う。そのへんのところについて、氏は、フランスの歴史学者・政治家アレクシス・ド・トクヴィル(1805―59)の『アメリカの民主政治』(1840年)から、引用している。「文明世界のうちで、アメリカ連邦におけるほどに、哲学が人々の心を少ししか占めていない国は外にはないのである。/アメリカ人は、彼等に特有な哲学派というものをもっていない。そして彼等はヨーロッパで分裂し対立しているすべての哲学的諸派については殆ど無関心であり、それら諸派の名称をも殆ど知ってはいない」(井伊玄太郎訳『アメリカの民主政治(下)』講談社学術文庫、1987年、21頁)」。

 こうしたトクヴィルの見方は、「ソクラテス=プラトン以来の二千数百年の伝統を誇るヨーロッパ哲学が人間にとって最も“本質的なもの”を探求してきたと信じる哲学愛好者たちにとっては、アメリカ人の“非哲学性”は、物事を深く掘り下げて考えようとしない浅薄さに見えてしまうわけである」(同)と氏は述べている。

 しかし、ヨーロッパ哲学とて、その社会性、歴史性、現実性から切り離されてしまっては、形而上学、衒学に陥るのであり、他方では、そこからの回帰ということが繰り返し試みられているのである。例えば、アダム・スミスは経済学者ということになっているが、彼はもともと『道徳感情論』を著したように、政治学・人間学・哲学・心理学・倫理学等々の総合的学問分野の一部としての経済学を研究したのである。これらの諸分野が明確に分離し、それぞれが独立していくのは、その後のことである。そうして、それぞれ専門分野として確立されていくのである。哲学はもともとそうしたものであって、特に、古代では、プラトンやアリストテレス、そして近代では、カントとヘーゲルが、総合学としての哲学に取り組んだ哲学者だったのである。そうしたヨーロッパ哲学の志向は、フッサールにもあった。フッサールは、学の学としての哲学の復興を目指していた。それは最晩年の『ヨーロッパ諸学問の危機と現象学』という講義録に示されている。

 ちなみに、加藤尚武さん(前ヘーゲル学会理事長)によれば、ヘーゲルは、ドイツで当時誰も相手にしなかったイギリスのアダム・スミスなどの経済学を熱心に読んだりして、社会性に目覚めた人だという。それは、例えば、『哲学ノート』で、レーニンが、ヘーゲルの大論理学について書いたノートで、ヘーゲルのあらゆるものが連関していると述べたようなことでもあろう。

 

|

« アメリカの現代政治思想を理解するための歴史的前置きとして | トップページ | アメリカ現代思想理解のために(2) »

思想」カテゴリの記事

アメリカ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: アメリカ現代思想理解のために(1):

« アメリカの現代政治思想を理解するための歴史的前置きとして | トップページ | アメリカ現代思想理解のために(2) »