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アメリカ現代思想理解のために(2)

  仲正氏は、19世紀後半に登場した「アメリカの哲学としてのプラブマティズム」を基本に、ヨーロッパのアメリカ哲学感が生まれたのだと言う。

 「プラブマティズムpragmatism」あるいはその形容詞形である「プラグマティカルpragmatical」はもともと、パースが、我々が対象を認識する過程に現れてくる様々な「概念」を分類し、はっきりと定義するため、科学実験の方法を応用することを試みる文脈で用いた言葉である。「概念」それ自体の真理性ではなく、我々がその概念を用いて行為した場合、我々とその対象との関係にどのような“実践的”な影響が生じるかを重視するという意味合いが込められていた。〈pragma〉というのは、「行為」あるいは「行為の結果」を意味するギリシア語である。(12頁)

 ここで、はっきりと明らかなのは、バースが、一方で、対象を認識する方法として、科学実験の方法を応用しようとしたということであり、これは、すでにアメリカ史で見たように、南北戦争で、工業資本家・都市の利害を代表する北部が勝利した後の、資本主義経済の大発展の中で、次々と行われた技術革新・発明、それを応用・利用した重化学工業の発達、等々の産業発展の時代状況と関連がある。

 次に、「「概念」それ自体の真理性」を重視しないで、「我々がその概念を用いて行為した場合、我々とその対象との関係にどのような“実践的”な影響が生じるかを重視するという意味合いが込められていた」というように、功利主義・効用主義の哲学化であったということである。これは、かつて鄧小平が、「白猫でも黒猫でも、ネズミを捕る猫は良い猫だ」と言ったあの有名な言葉と同じである。猫が白いか黒いかは、その概念の真理性を示すが、それよりも、猫がネズミを捕るかどうかという「実践的」な影響、効果、つまりは、効用が重要だというのである。この場合の「実践的」が、誰にとっての効用かが問題になる。誰にとって、あるいは何にとって、「実践的」であるか、あるいは効用があるか、が問題である。しかし、仲正氏は、バースはそういう意味で、プラグマティズムを言ったわけではないと言う。

 当初は、この言葉からすぐに連想される[プラグマティカル≒プラクティカル(実用的、実務的、実践的)]というニュアンスは必ずしも含まれていなかった――細かい話になるが、パース自身は〈practical〉を、カント哲学で言うところの「実践理性」に根ざした絶対的格率に従う「行為」に対応させ、自らの使う〈pragmatical〉を、暫定的な仮説や条件に依拠する、絶対性を志向しない「行為」に対応させている(同)。

 ところが、「当初は限定的な意味しかなかった「プラグマティズム」がジェイムズによって、哲学する基本的姿勢や、真理観・世界観に関わる言葉として拡大した意味で使われ、アメリカの内外で流通していく内に、ヨーロッパの伝統的なスタイルの哲学とは一線を画し、予め設定された既成概念抜きに、人間の現実の「経験」に即して思考しようとする“アメリカ的な哲学”の流儀も指示するようになった」(同)。つまり、プラグマティズムは、イギリス経験主義の流れを基本的に継承するものになったというわけである。パースとデューイの違いについては、興味のあるところだが、細かい話になってしまうので、ここでは両者に違いがあるということを確認しておくだけにとどめる。

 仲正氏は、哲学の教科書の類でもそうであるからということで、一般的な「プラグマティズム」の基準をデューイに置いている。氏は、プラグマティズムの特徴を3点にまとめている。

  1. 概念を目の前の現象を解明するための暫定的な道具にすぎないと見なす
  2. 判断や理論の真偽の基準を現象を説明するうえでの有用性や機能性に求める
  3. 理論と実践は常に相互作用しながら不可分一体の関係にあると見なし、理論/実践の間の対立を認めない
 

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