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アメリカ現代思想理解のために(3)

 続いて、仲正氏は、プラグマティズムとマルクス主義を比較対照する。

 その前に、プラグマティズムの特徴を、「現実の社会生活から身を引いて、永遠不動の普遍的な真理に対応する厳密な論理によって貫かれる概念体系を構築することを使命としてきた伝統的な哲学」(13頁)の対極に位置づける。ここでは、哲学の規定というよりも、哲学についてのイメージを、プラグマティズムに対置している。これは入門書だからなのか、それとも本当に氏がこういう哲学認識を持っているのかどうかはわからない。けれども、プラトンの対話編を読んでみれば、こういうイメージとは違ったものがそこにあることは誰にでもわかる。

 今度は、氏は、反哲学的な哲学としての姿勢や理論(認識)と実践(行為)の関係を重視するという意味では、マルクス主義と似ているところもあるという。そして、氏は、マルクス主義にも、物質的現実あるいは実践認識にフィードバックすることを強調する「反映論」と呼ばれる認識論がある」という。ある種聞き飽きたようなドグマ的なマルクス主義認識論であるが、いわゆるスターリン主義的マルクス主義の中で言われてきたことである。

 ただし、「反映論」を取る通常のマルクス主義が「物質」の絶対的実在性を主張し、主体の意識の中で成立する「認識」は、物質的現実を反映=反省(reflect)するものであると見なすのに対(13頁)し、プラグマティズムは「精神」と「物質」のいずれにも絶対的リアリティを付与せず、「物質」や「精神」のような基本的なものを含めて、全ての概念を仮説的、暫定的なものと見なす(13~14頁)。

 これは、伝統的な哲学とも、「物質」の運動の絶対的客観性に対応する不動の“真理”を追求しようとするマルクス主義者とも相性が悪い」という。このマルクス主義についての記述は、意味がわかりにくい。絶対的客観性に対応する不動の真理とはなんだろう? 少なくとも、弁証法家たるマルクス主義者の場合には、不動の真理などということを言わない。ヘーゲルを読んだ人なら、あるいはそのノートであるレーニンの『哲学ノート』を読めば、そこには、真理とは過程であるとかいうことが書かれている。仲正氏が指摘するプラグマティズムと相性が悪いマルクス主義者は具体的にはどういう人なのだろうか? それが、わからない。これでは、なんともこの部分を具体的に検証しようもないし、理解しようもないではないか。

 そして、今度は、氏は、デューイを各個人の政治プロセスへの主体的参加を促進することを目指す「進歩派」―西ヨーロッパ式に言うと「リベラル左派」―の知識人である」と規定した上で、「しかし、彼の代表する「プラグマティズム」は、ラディカルな「革命」を志向するマルクス主義者たちからは、相対主義もしくは日和見主義と見なされ、非難されることが多い」という。「絶対的な“真理”に対応した“理想”を措定せず、「行為の結果」をみながらやり方を変えていくというデューイの漸進的改良主義は、(アメリカ的な)資本主義社会との妥協に見えてしまうわけである。デューイはもともと共産主義社会の再建とか私有財産制の廃止に相当するような、ユートピア的な究極の目標設定をしないので、マルクス主義者と意見が合わないのは当然である」(同)。

 ここでも、功利主義的な発想が、マルクス主義に対置させられている。だから、ここでも言わねばならないのだが、誰にとっての「行為の結果」の価値判断をするのかがわからない。マルクス主義は絶対的な真理に対応した理想を措定するというのだが、それと、「実践の結果」をみながらやり方を変えていく漸進的改良主義がどうして根本的に違うのだろうか? つまり、どういうマルクス主義者が、改良を否定したというのだろう? 改良は、結果の是正という改良の方法ということばかりではなく、誰のためのという点、何のための、ということがあって、それで、その目的に合わせて改良していくのが一般的である。改良そのものが自己目的ということは不条理であり、なんらかの理想に向かって、それに近づくために、改良を続けるわけである。

 しかし、デューイは、「ユートピア的な究極の目標設定をしない」という。しかし例えば、私有財産制の廃止は「ユートピア的な究極の目標設定」だろうか? 法律は、共有制の様々な形態を規定しているのではないか? 例えば、協同組合法、株式会社、マンションなどの集合住宅の共有部分に関する規定、道路などの公共設備についての規定等々。これらは現存している。そこから、私有財産制の廃止の目標を設定することは、そんなにユートピア的か? そうではない。むしろ、そうした現実を無視するか、現存のものを絶対的な不動のものと見なして、それを変更するには漸進的改良しかないと断定することこそ、絶対主義的であろう。

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