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アメリカ現代思想理解のために(5)

 仲正氏は、哲学・思想のグローバリゼーションの経路として、まず「第一の経路」アメリカ版ポストモダン思想をあげる。

 フランスを中心に流行したポストモダン思想は、狭義の哲学だけでなく、文化人類学、精神分析、記号学、文芸批評、社会学、歴史学などの人文科学の諸領域を横断して、近代合理主義的な「知」を組み替えることを目指す包括的な思想運動であったが、その内の特に文芸批評部門が七〇年代からアメリカで積極的に受容され、パースの記号学などとも結び付きながら、独自の発展を遂げるようになった。中心になったのは、ベルギー出身でフランスやドイツの哲学の動向に詳しいポール・ド・マン(1919―83)や、ジャック・デリダ(1930―2004)の「脱構築」の文芸批評への応用を試みたヒリス・ミラーやジョナサン・カラー(1944―)などである。

 このようなポストモダン思想は、70年代後半頃から、男性中心主義の原理に支配される近代的核家族制の解体を標榜するラディカル・フェミニズムや、非西欧世界に対する西欧の文化的支配や抑圧を告発するポストコロニアル・スタディーズなどと結び付き、「差異の政治」と呼ばれる、マルクス主義ともプラグマティズムなどのリベラル左派とも異なる新しいタイプの左派思想を形成するようになった。近代のヒューマニズムが「人間」の普遍性を前提として、万人に平等な人権を保障することを目指したののに対し、むしろジェンダーや文化に根ざした「差異」を強調することで、各人を西欧近代の同化圧力から解放することを目指すという意味合いで、「差異の政治」と呼ばれたわけである。(20頁)

 ここで、「差異の政治」が、西欧近代のヒューマニズムへの同化を、一つの圧力、強制と捉えているということが重要である。人間の普遍性がスタティックな同型的人間類型として作られ、それに付与される。それが、人間性の基本的な基準とされ、それによって、人々が分類・整理され、選別・排除・差別される。そのような人間図式が、人々に強制される。ステレオタイプな人間像が、イデオロギーとして普遍的と称して押しつけられる。そこには、生き生きとした弁証法的な、発展し、生命力のある、変化する運動がなく、例えば、功利主義的な人間像・人間観・人間類型といったものが、学問の内でも構成され、そしてそれが一つの人間の普遍性として強制されていく。そうしたものとしての人間に与えられる人権は、一つのドグマ的なイデオロギーにすぎない。もちろん、だからといって、歴史的で相対的でもあるような人権概念を否定するものではない。

 こうして、「植民地化された国の女性たちの二重、三重に言葉を奪われた状態(=サバルタン[被従属民]状態)を物語論的にテーマ化した、インド出身のガヤトリ・スピヴァク(1942―)、文化的表象によってジェンダー的アイデンティティが固定化されていく仕組みと、それが表象への政治的な介入、身体パフォーマンスなどを通じて組み替えられていく可能性を論じたジュディス・バトラー(1956―)、西洋人による「オリエント」という表象の恣意性を明らかにしたエドワード・サイード(1935―2003)など」(同)が代表的な「差異の政治」の思想家である。

 氏があげる第二の経路は、分析哲学の潮流である。

 二〇世紀前半にオーストリアのウィーンを中心に発展した、哲学の経験科学化を目指した論理実証主義(ウィーン学団)や、ドイツのゴットロープ・フレーゲ(1848―1925)とイギリスのバートランド・ラッセル(1872―1970)によって開拓された記号論理学、オーストリア出身でイギリスのケンブリッジを中心に活動したルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889―1951)の言語分析などを総合的に継承する「分析哲学analytic philosophy」と称される潮流のアメリカでの定着と飛躍的な発展である。(同)

 仲正氏によれば、「現象学に至るまでの西欧近代哲学が、「私の内面」において成立する「認識」に焦点を当てていたのに対し、この潮流は、“我々”が使用している言語や概念の批判的な分析に焦点を当て、正しい分析を通して各種の哲学的問題に明確な回答を与えることを試みたところから、「分析(的)」と呼ばれている」(同)という。

 ここで、現象学に至るまでの西欧近代哲学が、“我”という一人称単数の「内面」において成立する「認識」、つまり、「我思うゆえに我あり」のデカルト的認識論に焦点を当てていたのにたいして、分析哲学が、一人称複数の“我々”が使用している言語や概念を批判的に分析するということ、つまり、社会的領域の分析に踏み込む哲学だという点に注意しなければならない。「私の内面」において成立する「認識」は、他がなくとも、単独で成立する認識であるかのように思わせるが、そもそも、それは認識できないのである。それについては、ウィトゲンシュタインが、『論理哲学論考』で、独我論を批判して、それは言うことができないという形で片づけている。すでに、ニーチェは、デカルトの「我思うゆえに我あり」を批判して、「思うが、我を生み出すのだ」と述べている。

 ドイツ観念論、実存主義、構造主義と対比した分析哲学の大まかな特徴を、氏は、4点あげる。

  1. 解決すべき問題を明確でコンパクトな形で定式化する
  2. 文学的・多義的な概念や文、言説は排除する
  3. 論証の過程で用いる概念、記号、命題、文を厳格に定義し、曖昧な解釈が入り込まないようにする
  4. 数学や自然科学のような、厳密な意味で論理的に首尾一貫性がある体系を構築することを目指す

 アメリカでの分析哲学は、ナチスから逃れて移住したルドルフ・カルナップ(1891―1970)、不完全性定理で有名クルト・ゲーデル(1906―83)、アルフレッド・タルスキー(1901―83)などの移住などで潮流が形成されていったという。

 60年代に入る頃から、W・V・O・クワイン(1908―2000)に代表されるプラグマティズムを分析哲学に取り入れた「ネオ・プラグマティズム」という新潮流が生まれたという。ドナルド・ディヴィドソン(1917―2003)、ヒラリー・パトナム(1926―)などがいるという。

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他者との関わり合いにおいて主体は形作られ、他者への責任=応答可能性において主体は自らを変革する。倫理と暴力の危険な癒着に抗して「私」と「あなた」を結び直す、希望の哲学。 [続きを読む]

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