« アメリカ現代思想理解のために(5) | トップページ | アメリカ現代思想理解のために(7) »

アメリカ現代思想理解のために(6)

 第3の経路が、「リベラリズムをめぐる議論」であり、これが「本講義でこれから中心的に取り上げることになる、ジョン・ロールズ(1921―2002)の『正義論』(1971)を機に大々的に展開されるようになった、「リベラリズム(自由主義)の再定義をめぐる政治哲学・法哲学的な議論である」(23頁)。

 「自由とは何か?」をめぐる政治哲学的な議論は、ジョン・ロック(1632―1704)の『統治二論』(1690)以来、様々に論じられてきたが、1960年代頃には、もう「自由」の本質論はあまり流行らなくなっていたという。

 しかし、ロールズが社会全体としての―「平等」に近い意味での―「公正」という要素と、「自由」とを両立させる形での「正義論」を構想し、現代のリベラリズムが取り組むべき課題を明確にしたことによって、その是非をめぐる議論が様々なレベルで展開されるようになった(同)。

 その中から、リバタリアニズム(自由至上主義)と、コミュニタリアニズム(共同体主義)の対立の基本構図が生まれたという。

 本講義では、ロールズの正義論を契機に引き起こされた、「自由」の現代的な課題をめぐる一連の議論を「リベラリズム」と呼び、従来的な意味での「自由主義」一般とは一応区別して表記することにする(24頁)。

 つまり、リベラリズムを、従来の「自由主義」と区別し、リベラリズムの現代性に焦点を当てるということである。

 リベラリズムは、多様に展開されていているが、それは、現代アメリカが抱えている根本的な課題を抱えていることを反映しているようである。氏は、この講義の狙いを、以下のように提起する。

 本講義では、こうしたアメリカにおける「リベラリズム」論議の変遷を、現実の政治・社会情勢の変化を背景としながら辿っていきたい。マルクス主義のような“反自由主義”的な思想がなかなか定着せず、諸個人の「自由」(「自己決定」→「自己責任」)が空気のような自明の事実になっていたはずのアメリカにおいて、「自由」の意味を厳密に定義し直して、それに基づいて理想的な社会制度を構想しようとする「リベラリズム」の議論が盛んになった理由を総合的に考えることで、戦後日本のあり方を様々な面で規定してきた「アメリカ」が現在抱える思想的課題を明らかにしたい。(27頁)

 ここで、仲正氏が、マルクス主義を当然のように“反自由主義”に分類しているのは、失礼ながら、物事を考え抜く力が、氏にどれほどあるのかという疑問を感じさせるものだが、現代の「リベラリズム」の様相が、時代や社会の有り様を写しているという氏の指摘は、そのとおりだと思う。その場合に、氏が言うアメリカ的な「自由」とは、「諸個人の「自由」(「自己決定」→「自己責任」)」ということであって、それが「空気のような自明の事実になっていたはずのアメリカにおいて、「自由」の意味を厳密に定義し直して、それに基づいて理想的な社会制度を構想しようとする「リベラリズム」の議論が盛んになった理由」を考え抜いていけば、そこに、現代日本の状況を解明する何らかの手がかりが見えるかもしれない。

|

« アメリカ現代思想理解のために(5) | トップページ | アメリカ現代思想理解のために(7) »

思想」カテゴリの記事

アメリカ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: アメリカ現代思想理解のために(6):

« アメリカ現代思想理解のために(5) | トップページ | アメリカ現代思想理解のために(7) »