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アメリカ現代思想理解のために(7)

 仲正氏は、「第二次世界大戦直後のアメリカの政治状況を敢えて一言で要約すれば、「自由」の目標の急激な変容ということになるだろう」(32頁)と述べている。

 1930年代末から第二次大戦中にかけてのアメリカは、ドイツ、イタリア、日本などの枢軸国を、全体主義的(もしくはファシズム的)な体制を取る「自由の敵」と見なし、自らと同盟国を「自由の擁護者」として位置付けていた。全体主義体制とは、単一のイデオロギーあるいは世界観によって国あるいは社会全体が一元的に統合されていて、近代的な自由・民主主義の特徴である思想・信条の自由や民主的な手続きに基づく意志決定プロセスとは相容れない政治体制である。(32頁)

 ここで問題になるのは、全体主義体制という概念である。ここでは、「単一のイデオロギーあるいは世界観によって国あるいは社会全体が一元的に統合されてい」る体制である。この概念は、あたかも当然のように、流通しているのだけれども、むしろ、こういうものの方が、全体主義体制と言うにふさわしいような気がする。なるほど、確かに、この言葉を使うことによって、直接的な弾圧を受けるというようなことは起こらない。しかし、全体主義と名付けられた方が、「自由の擁護者」によって、時には武力攻撃を受けるというようなことがある。それによって隠されたのは、例えば、日米戦争が帝国主義同士の戦争であったというようなことであろう。だから、占領軍は、自由を日本に広めるための使者として振る舞ったのである。

 アメリカは、その戦争に対して、建国の理念に回帰しつつ、自由の擁護者としてのイデオロギーを、そこからくみ取るのである。イギリスの専制支配からの自由、そして解放、というイデオロギーを、戦争の正当化のために、必要としたのである。アメリカもまた、ドイツ、イタリア、日本などと同様、復古と自国民中心主義という点では共通なのである。自由に復古するというのがアメリカの特徴なのである。

 そうしたことは、第二次大戦の前の、フランクリン・ローズヴェルト(1882―1945)の41年1月の議会での年頭教書演説のアメリカの追求すべき国家目標として掲げた「4つの人間の自由」(表現の自由、信仰の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由)というところに現れている。ここに、政治的自由が入っていないということが問題である。それは、アメリカの自由主義が、全体主義体制の自由を許容しないからである。ローズェルトは、この時、全体主義の政治的自由は認めず、それを敵として軍事的に壊滅させることを、国家意志として表明したのである。

 日独伊の全体主義は、西欧近代的な自由主義・個人主義を超克して、それぞれの民族共同体を復活させることを目指していた。つまり、各人が同じ「民族」(=全体)の一員としての一体感、精神的な絆を感じることのできた近代化“以前”の状態――そうした民族的な一体感がかつて実際にあったかどうかは客観的に証明しようがないわけだが――を理想とし、それを再現しようとする復古的な性格を帯びた全体主義であると言うことができる。(33頁)

 しかし、アメリカにおいては、復古=自由であるから、それが、ナショナリズムという近代的形態を取るのは、日独伊と基本的には変わりがないわけである。日本の場合、明治維新への復古、そして、明治維新が、王政復古としてあったために、古代的なイデオロギーが、ナショナリズムの表現として現れたと言うこともできる。アメリカの場合は、復古した建国神話は、すでに、近代的思想に基づいていたことが違うわけである。

 それに対して、ソ連の国家イデオロギーであるマルクス=レーニン主義は、近代市民社会・資本主義が革命によって打倒された“後”で、私有財産制を廃して生産財を公有化する社会主義体制を経由して、各人が必要に応じて働き必要に応じて受け取る「共産主義社会」が全世界的に到来するという普遍主義・進歩主義的な歴史観を持っていた。西欧近代的な個人主義・自由主義を超克して、理想の共同体を目指す点では、日独伊の全体主義と共通しているが、その理想の共同体としての「共産主義社会」は、過去にあった民族共同体ではなく、これから来るべき普遍主義的なものとして設定されている――来るべき「共産主義社会」はある意味、歴史の始めにあった「原始共産主義社会」が、高度に発展した生産様式を基盤として再現されたものとも言えるが、ここでの本題ではないので、立ち入らないことにする。(33―4頁)

 ここについては、仲正氏自身が、立ち入らないとしていて、必ずしも、こういう見方を正しいものとしておられないので、立ち入らない。ここでは、「ソ連の国家イデオロギーであるマルクス=レーニン主義は、「共産主義社会」が全世界的に到来するという普遍主義・進歩主義的な歴史観」というのは、あくまでも、イデオロギーの特徴であるという点だけをおさえておけばよい。

 アメリカの「自由」対ソ連の「平等」という対立図式は、この間、ソ連社会の実態が明らかになり、あるいはアメリカの「自由」の見せかけが暴露されるようになり、両極から崩れ去ったと言っていい。

 

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