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アメリカ現代思想理解のために(10)

  次に、ハンナ・アーレントの「自由」擁護論が取り上げられる。

 仲正氏は、本書で、全体に、ロールズの議論を軸にしながらも、アレントを重要視しているように思える。

 アーレントは、ユダヤ系ドイツ人で、ハイデガーに学び、ナチの台頭で、アメリカに亡命した。彼女は、『全体主義の起源』を1951年に出版し、ナチズムとソ連のスターリン主義という全体主義体制の発生の歴史を明らかにしようとした。

 彼女がこの本を刊行した時期には、反党分子の大量粛清と少数民族の強制移住で悪名高く、左の全体主義体制の代名詞ともなったソ連の指導者ヨシフ・スターリン(1879―1953)がまだ存命であり、東欧諸国や中国にスターリン的な全体主義が広がっていくことが、(西側自由主義社会にとっての)新たな脅威として受け止められていた―この「緒言でアーレントは、スターリン死後のソ連の脱スターリン主義化(「雪解け」)の動きによって、ソ連は全体主義ではなくなりつつあるとの認識も示している。(45~6頁)

 つまり、スターリンの死どころか、今やソ連が消滅してしまって、20年近く起っている現在、アーレントを読む意味はどこにあるのかということがなければならないわけである。

 それを、仲正氏は、こう説明している。

 この著作でアーレントは、19世紀末から20世紀の初頭にかけての産業構造の急激な変容、階級基盤の解体、大衆社会化、国民的な一体感の喪失・・・といった一連の変化によって、安定したアイデンティティの拠り所を見失い、孤立感を抱く大衆が増大してきたことに全体主義の起源があると見ている。この着眼点はフロムの議論とよく似ているように思えるが、アーレントの分析では、全体主義体制の本質は単なる「権威」ではない。(46頁)

 つまり、全体主義は、19世紀末から20世紀初頭にかけての産業構造の急激な変容というところに原因の一つがあるというのである。言うまでもなく、この頃の、産業構造の変化と言えば、自由主義的資本主義から独占資本主義への変化ということであり、そこからの国家独占資本主義への傾向の増大ということである。それが、階級基盤の解体、これは、しかし、同時に、新たな階級基盤の形成ということとセットになっている。つまり、産業資本家、金融資本家などの資本家階級、それから、工業プロレタリアート、管理労働者、技術労働者など。それに対して、ドイツのユンカーなどの地主層、旧貴族、職人層、特権商人層などは、没落し、あるいは新興階級に転じていくなどする。つまり、ここで言う階級基盤の喪失とは、階級階層再編、急速なその流動化をじっさいには指している。

 それから、大衆社会化、国民的一体感の喪失、などは、社会的分業による個人化ということ、労働の私的労働化、などを社会的に反映したものである。日本の大正デモクラシー期に、私的利害の追求を重要視する、いわば私人といったものが都市に大量に登場するといったようなことは、社会的分業の発展と関連している。しかし、それは同時に、日本の帝国主義化、ロシアとの戦争の勝利、朝鮮半島支配、中国への進出、第一次大戦での、軍需景気、等々と不可分のものとして、あった。

 彼女は、背対主義運動の担い手であるナチスや共産党が特定の世界観を担った政党(「世界観政党」)であることを強調する。

 アトム(原子)化し不安定な状態にある大衆は、この世界に起こる全てのこと、「全体」を首尾一貫をもって分かりやすく説明してくれる一つの統一的なイデオロギーあるいは世界観に引き付けられやすくなる。大衆は、現実から逃避して、世界観党が呈示する虚構の世界の中に、自分の本来の居場所を見出そうとするようになる。そして全体主義は自らが作り出す虚構的な全体的世界の中で、それに適合するように人間の本性=自然(nature)を作り替えようとする。つまり、道徳的人格を完全に消滅し、全体の意志と自らの意志が全面的に一致した人間を作り出そうとするのである。(同)

 このような特徴は、大昔のナチだの、消滅したスターリニズムソ連共産党ばかりではなく、アメリカや世界を一時席巻した新自由主義に当てはまる。新自由主義は、「自らが作り出す虚構的な全体的世界の中で、それに適合するように人間の本性=自然(nature)を作り替えようとする。つまり、道徳的人格を完全に消滅し、全体の意志と自らの意志が全面的に一致した人間を作り出そうとするのである」ということを行った。それは、独占資本主義の持つ国家独占資本主義への傾向性の一表現形態、一政治形態である。アフガニスタン、イラク、世界に展開する軍事力、軍産複合体、・・アグレッシブな帝国主義性を今も有しているアメリカの基本的体制を見れば、今もアメリカが独占資本主義の国家独占資本主義への志向を常にはらんでおり、そして、9・11後の、ナショナリズムへの急傾斜、そして、イラクでの非道徳的行為、イスラエルのガザでの道徳的人格を完全に消滅した蛮行への支持というかたちでのモラル崩壊、等々の基礎に、それがあるということは、明らかである。

 つまり、ここでアーレントが言う全体主義体制は、国家独占資本主義体制の一種だということである。だが、それを批判するにあたって、こうした政治的特徴あるいは思想的な面だけから言おうとすることで、彼女が、アメリカの国家独占資本主義体制という全体主義体制を擁護するようなかたちになってしまったということは指摘しておく必要がある。

 とはいえ、もちろん、アーレントの現象学というか実存主義は取らないけれども、彼女の問題提起や分析から学ぶことができるし、学ぶ必要があることは当然である。それは、唯物論と弁証法の基本である。それを切り捨てるのではなく、それを包摂し、発展、展開させることで、限界を超えるのである。そこにある内在的な矛盾を運動させ、その限界のところまで帰結を押し進めるのである。それが、唯物論的弁証法の一つの基本的な批判のやり方である。

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