アメリカ現代思想理解のために(12)
アーレントは、「複数性」は、以下のような意義を持っているという。
異なった価値観やライフスタイルを有する諸集団が一つの社会あるいは国家の中で現実に共存していることよりも、各人ごとにパースペクティヴ(物の見方)が異なることをお互いに認知し、それを前提として多様なコミュニケーションが展開する「余地=空間space」があることの方に重点がある。アーレントにとって、「複数性」が十分に生かされるような自由空間が成立していることこそが、人々が「人間らしく振る舞えるための根本的な条件なのである。(47~8頁)
つまり、主観性において、「複数性」があることが、人間の条件だということである。こういう「複数性」の問題を、彼女は、『人間の条件』(1958年)では、アリストテレスの「政治poplitics」における「公的領域 the public realm/私的領域 the praibate realm」の二分法を踏まえて、次のように述べたという。
公的領域というのは、「市民」たちが公開(public)の場で
「ポリス police」―〈politics〉の語源は、〈polis〉である―のあるべき姿について、暴力や強制を伴わずに、「複数」のパースペクティヴから「自由」に討論し合い、共通の物語を作り上げていく領域、いわば「ポリス」の表の領域である。
それに対して各人の「家 Oikos」を中心とする私的領域とは、成人の男性で市民でもある家長が家族のメンバーや奴隷などを物理的な暴力によって支配し、自らの生物的な欲求を充たす領域、公衆(the public)の目に晒されることのない裏の領域である。(48頁)
この点について、仲正氏は、アリストテレスの古代ギリシャにおいては、市民権とは家長の地位にともなうものであり、その数は少なく、しかも経済活動は奴隷によってまかなわれていたから、それから自由に討論できたのだということを指摘している。それに対して、近代市民社会では、全ての人間が原則的に市民権を持っていて、表の公的領域での「政治」に参加するようになり、しかも、古代ポリスでは、「家」の中で営まれていた「経済 economy)が、政治の公的なテーマとなったため、物質的利害関係から「自由」に討論し合うことが困難になったと彼女が言ったという。
ハーバーマスは、『公共性の構造転換』(1961年)で、「私的利益を追求すべく、国家権力による干渉からの自由を要求するようになったブルジョワジー(市民)のコミュニケーション・ネットワークとして発達した「市民的公共圏」の政治的機能をポジティヴに評価する議論をしている」(49頁)。
それに対して、アーレントは、市民が、私的生活(家計)のことばかり心配し、「政治」が経済的な利害ばかりを公的に論じるようになると、各人が自分の利害を離れて、国家や市民社会を論じるなど、公共の利益のために討論するのが困難になると考えたという。こういう習慣を失った市民たちは、目の前の刺激に刹那的・画一的な反応をするようになり、それが画一化された集団的行動へ誘う共産主義のような世界観が浸透する可能性が生まれてきたというのである。
こうしたアーレントの議論には、彼女の政治哲学、あるいは人間学、といったものがあり、それは、師のハイデガーの影響も強く表れている。そのことは、例えば、彼女の講義をまとめた『政治の約束』(筑摩書房)によく示されている。そこでは、彼女は、ハイエク同様、「自由」を、消極的自由の意味で使っている。しかし、その前に、「自由」と「解放」をめぐるアーレントの議論についての仲正氏の言及に触れなければならない。
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