« アメリカ現代思想理解のために(12) | トップページ | アメリカ現代思想理解のために(14) »

アメリカ現代思想理解のために(13)

 1950年代、ソ連で、スターリン死後、その後を継いだフルシチョフは、スターリン批判(1956年2月第20回ソ連共産党大会)を行い、ここから、ポスト・スターリン期とも言うべき時期に入った。フルシチョフは、西側諸国との「平和共存」路線を打ち出しつつ、他方では、56年10月に、ワルシャワ条約からの脱退を求めるハンガリー革命を武力弾圧し、ソ連・東欧ブロック体制の維持を図った。

 第二次世界大戦後、1955年インドネシアのバンドンで、「アジア・アフリカ会議」が開かれ、旧植民地諸国を中心に、「第三世界」勢力が独自の動きを強める。60年には、アフリカで、17ヵ国が一挙に独立し、民族解放運動は、世界に広まった。61年には、ワルシャワ条約、コメコンから除名され、ソ連と対立していた自主管理社会主義の道を歩むユーゴスラヴィア、エジプト、インドネシアを中心に「非同盟諸国会議」が結成される。この頃、ソ連と中国の対立も深刻化していく。60年12月、南ベトナムに、北ベトナムの支援を受けた南ベトナム解放民族戦線が結成された。

 61年、アメリカでは、民主党のケネディ大統領が誕生、ソ連が核ミサイルをキューバに配備しようとするというキューバ危機が発生する。

 ついでに言えば、日本の共産主義勢力では、圧倒的な勢力を有していた日本共産党内の分派闘争が活発化し、特に、コミンフォルムの野坂参三の人民戦線路線を批判する所感が発表されたのを機に、これを支持する所感派と批判する国際派に、事実上、二分解する。ジグザグを経て、六全協で、統合するが、さらに細かく分かれた党内分派闘争は続いた。その中で、国際派の全学連指導部を中心にして、分派機関紙「プロレタリア通信」が発行され、ついに、58年に、「一枚岩党」のスターリニズム党組織神話を打ち破って、共産主義者同盟が誕生する。警職法闘争、砂川闘争などを取り組みつつ、60年安保闘争を一大決戦として取り組み、その後、大きく三分解し、消滅する。「プロレタリア通信」において、山口一理氏、島氏らは、フルシチョフ、日本共産党六全協路線を、日和見主義として批判した。この頃は、アメリカの反共化が強まり、日本では、その支援を受けた保守派による反動が強められていて、特に、岸政権は、日米安保体制の再編を通じて、アメリカの半強制策への積極的関与を可能にすることを狙っていた。国内政策としては、労働運動弾圧や警職法、勤評導入策動などである。これと真っ向から対決しつつ、同時に、スターリニスト共産党批判を行い、独自の共産主義運動の建設を目指したのが、共産主義者同盟であった。そしてその中心を担ったのが、全学連である。1955年、左右社会党の合同で社会党が誕生し、保守合同で、自民党が誕生し、いわゆる55年体制が出来ていた。エネルギー政策の大転換として、国内炭坑の合理化攻撃が強まり、三井三池炭坑の合理化は、ことに、総資本対総労働の対決と言われたように、労働運動の一大焦点となった。

 第三世界をめぐって、フルシチョフの技術開発、経済援助の提供、「社会主義型開発モデル」の導入を図る政策と、ケネディの経済開発支援計画との競争が激化した。そこで、アメリカは、「自らの掲げる「自由」に抵抗する「解放」の論理と対峙することになった」(53頁)。その場合に、この「解放」は、英語では、〈liberation〉だが、これは、「自由」を意味する〈liberty〉と関係している。「解放=自由化」である。したがって、仲正氏は、「「解放」というのはアメリカの自由に対抗する“もう一つの自由”と見ることもできる」(53頁)としている。第三世界の「解放」という視点から、「“アメリカが擁護する自由”は、西欧による形を変えた支配の正当化あるいは偽装である」(54頁)ということになる、と氏は言うのである。

 1960年代半ばには、フランク、サミール・アミンら、従属学派が登場して、ロストウらの「近代化論」を批判する。アメリカでは、学生らを中心に、SDS(民主社会を求める学生同盟)などの新左翼が登場する。そして、ベトナム反戦、公民権運動などが強まっていく。

 この頃、アーレントは、『革命について』(1963年)で、「自由 freedomと解放 riberation」を区別する議論を行っている」(55頁)という。

 人々を拘束・抑圧状態から解き放ち、移動することを可能にする「解放」は、「自由」の前提条件であるが、それだけで自動的に「自由」をもたらすわけではない。英語には「自由」を表す言葉として(ゲルマン語系の)〈freedom〉と(ラテン語系の)〈liberty〉の二つがあるが、アーレントに言わせれば、〈libertaration〉の方には、拘束・抑圧状態からの「解放」というネガティブな意味しかない―これはアーレント独自の理解であり、英語の通常の用法としては、〈liberty〉と〈freedom〉の意味合いの違いはそれほど明確ではない。(55~6頁)

 ここで、アーレントが、移動ということを「自由」と関係させていることに注意が必要である。彼女は、拘束・抑圧状態からの解放とは、移動の自由を意味するとしているのである。

 〈freedom〉という意味での「自由」は、古代ポリスの公共領域における「政治」のようなものである。それは、彼女によれば、

 我々の“人間らしさ”を支えている「政治的自由」こそが、「自由」の最も本質的な部分なのである。当然、単に権力によって政治活動に干渉されないというような消極的なことではなく、政治を構成する討論に参加し、「政治」を再構成する営みに従事しているということである。(56頁)

 ところが、物質的な欠乏状態から解放されたとしても、人々が積極的に政治に参加するとは限らない。近代における革命のほとんどは、「リバティー」と「フリーダム」の双方を追求するが、両者を区別してない。彼女は、両者をきちんと区別すべきだという。その理由は、

 革命の担い手たちが、分かりやすい目標である「解放」の方ばかり追求して、「フリーダム=自由」のことは忘れてしまう。場合によっては、「フリーダム=自由」を破戒してしまうこともあるからである。(57頁)

 そうした例として、アーレントは、フランス革命を挙げ、逆の成功例として、アメリカ革命を挙げる。

|

« アメリカ現代思想理解のために(12) | トップページ | アメリカ現代思想理解のために(14) »

思想」カテゴリの記事

アメリカ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: アメリカ現代思想理解のために(13):

« アメリカ現代思想理解のために(12) | トップページ | アメリカ現代思想理解のために(14) »