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アメリカ現代思想理解のために(16)

 アーレントは、ソクラテスを取り上げる。彼女は、「思考が言論スピーチという形式で現れる、考える存在」(54頁)、両者が一致しているのは、ギリシア文化の際だった特徴だという。それに、ソクラテスは、「思考の第一条件としての、自分自身と自分自身の対話」(同)を新たに付け加えたという。

 それが政治と関係するのは、彼が以下のように主張したからだという。

 ソクラテスの後にも先にも、孤独(solitude)は哲学者だけの特権的で職業的な「体質ハビタス」だとみなされ、さらにポリスの住人からは当然のごとく反―政治的と疑われていたのだが、じつはそれとは逆に、孤独はポリスがうまく機能するのに必要な条件であり、法と刑罰の恐怖によって強制される行動規則よりも確かな保証なのである。(53~4頁)

 このこと、つまり、自己自身と自己自身との対話、それは、自己が自己を裁くことであり、それがうまく機能すれば、ポリス全体がうまく機能するようになる。これは、アーレントとは逆にフーコーが、自己管理・自己統治の技術と呼ぶところの、ミクロな権力の作用である。フーコーは、それを、主体の形成とも呼んでいる。しかし、アーレントはあくまでも、このような孤独を許容しないで、個人的良心から独立した法をポリスが要求することで、哲学者とポリスは衝突すると主張する。

 私たちは、何は措いても孤独の可能性―非人間的な独房形式を除いて―をすべて抹消したいと考える全体主義的な大衆的諸体制を経験しているので、もはや自分自身と向き合うための最低限度の孤独すらも保証されないとするなら、世俗的良心のみならず、いかなる宗教的良心すらも廃絶されるだろうと、容易に請け合うことができる。(54頁)

 しかし、われわれは、このような個人的良心が、歴史的に大きく変化してきたことを知っている。その内容は、一部の一般的なものを除けば、共同体ごとに異なり、職業によっても異なり、家族によっても異なり、細かくいえば、個人によっても異なる。しかし、それは、彼女が言うように、共通感覚としての共通性をも持つようになるわけだが、それが、私の中のもう一人の私との対話というような、そしてそれを哲学の根本とするような考えによってそうなるわけではなく、その社会の歴史的特性に応じて、そうなるのである。全体主義の特徴を、彼女は、「自分自身と向き合うための最低限度の孤独すらも保証されない」ものとしている。それが良心一般の廃絶というわけである。

 その他いろいろとあるのだが、長くなってしまうので、アーレントについてはいったん置くことととし、適時取り上げることにしたい。

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