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アメリカ現代思想理解のために(18)

 次は、ハイエクによる設計主義批判である。

 イギリス的な「自由」の擁護者たちは、「伝統」や「習慣」を重視すると仲正氏は言う。

 ハイエクに言わせれば、「伝統」や「習慣」として安定して継承されてきた「知」は、それが多くの人にとって有用であることが「経験」によって証明されてきたからである。手探りの努力の中での「経験」によって、社会的秩序は成長していく。そうした意味で「伝統」や「習慣」は、無知なる人間たちの経験知の社会的ストックなのである。特定の人間が理性的なものと思っているにすぎない「設計」が、「伝統」や「習慣」に基づく「進歩」を凌駕することはできない。(61頁)

 ここでも、ハイエクは、功利主義、効用主義を主張している。「伝統」「習慣」「経験」の「知」は、多くの人にとって有用であるというのだ。知の価値が、その有用性、その効用によって計られているのである。それに対して、「設計」知は、一部の人間が理性的と思い込んでいるだけとされている。ところが、実際の歴史的経験には、ハイエクの考えを裏切ることが多いのである。例えば、彼は次のように言っているという。

 各人の自由な行動の帰結である経験知のストックを社会全体が利用することによって、「進歩」がなされれば、その成果を貧しい人たちも享受することができる。(同)

 ところが、今の世界の多くの部分での現実を見てみれば、ストック=資本が膨大に蓄積されているにもかかわらず、その成果を多くの貧しい人たちが享受するなどという「効果」はあまり見られない。

 高い累進税によって大幅な所得の再配分、格差の是正を行ない、できるだけ平等にしようとすれば、富裕層が自らの富を、経験知を高めるために活用することが妨げられ、「進歩」が停滞し、結果的に社会全体にとってマイナスになる。人為的に格差の是正をするよりは、市場の自動調整メカニズム、経験知に基づく技術が社会の全階層に行きわたるのを待っている方が得策である。これは、国際的な貧富の差についても言えることである。アメリカが「進歩」の最先端を進むことによって、その技術的成果が世界中に伝播し、低開発国も享受することができるようになる、というのである。(61~2頁)

 ここでも、「・・・待っている方が得策である」と、功利主義的、効用主義的な特殊判断が入り込んでいる。しかし、ここで描かれているようなこととは裏腹に、次のような事態が起きている。

 アメリカでのサブプライム・ローン破綻をきっかけにして、金融恐慌、そして、今年に入ってからの産業恐慌に入りつつある世界経済の危機的状況に対して、アメリカのオバマ政権をはじめ、世界の多くの国で、大幅な所得の再配分策、格差の是正策が行われている。日本では、周知のとおり、麻生政権は、定額給付金をばらまき、中国では、4兆元の財政支出の一部を、農村での家電製品などの購入費用の補助にあてるという。韓国の李明博政権は、「低所得50万世帯に月2万~35万ウォン」を支給することを決定した(3月13日「中央日報」)。このような具合である。

 また、14日に開幕したG20財務省・中央銀行総裁会議では、日本政府は、途上国向けの環境インフラ支援4900億円(約50億ドル)の支出を表明する予定だ。「環境投資支援イニシアチブ」において、国際協力銀行(JBIC)を通じて、2年で、上の額を融資するというもので、アジア開発銀行や世界銀行グループの国際金融公社などとの協調融資も検討するという(3月14日「日経」)。G20参加のため、イギリスを訪れているゼーリック世界銀行総裁は、英紙「デイリー・ミラー」のインタビュー記事で、09年は経済にとって「非常に危険な年」になるという認識を示した(3月14日AFP)。12日付ロイターは、「今年の世界経済は1─2%のマイナス成長の可能性があると世銀総裁が述べたことを伝えている。これは、1930年代以来のことであり、「国際通貨基金(IMF)のストロスカーン専務理事は11日、世界経済は今年「グレート・リセッション」に陥るとの見方を示した」ことも合わせて伝えている。

 3月8日のブルームバーグによると、同日公表した世界銀行報告書で、世銀は、今年の世界経済は戦後初のマイナス成長の公算-世界銀行報告書では、すでに、戦後初の世界経済のマイナス成長を指摘していたが、「発展途上国が経済の収縮の影響をまともに受けるだろうと分析した。また輸入やサービスの債務支払いで、発展途上国は2700 億-7000億ドル(約26兆6000億円-約68兆9000億円)の不足に直面すると指摘し」、「世界貿易の縮小の影響を最も受けるのは東アジアだと指摘。今年の世界の工業生産は前年比で最大15%減少すると予想した」。ゼーリック総裁は、この中で、社会不安を鎮めるため、各国が金融対策を強める必要があるとも述べている。

 かくして、世界各国は、世界恐慌に対して、なりふり構わぬ対策を取りつつある。それで、この事態による社会不安・混乱に対処しようとしているのである。

 それに対して、ハイエク主義の信奉者のミルトン・フリードマンは、『資本主義と自由』(1962年)で、「貧困問題を含めて、社会的なコンフリクトの解決は、「計画」によらず、可能な限り市場の自動調整機能に委ねるべきであるという論を展開している」(62頁)。

 フリードマンは、ニューディール以降のアメリカの失業対策としての公共事業への財政支出や政府の市場介入に反対し、所得の再配分による貧困対策ではなく、最低限の所得保障(負の所得税)のような形に限定すべきだと述べたという。今度の定額給付金などは、最低限の所得保障に近い考えから来ているように思われるが、他方で、この間、日本では、生活保護費の削減圧力が強まっていた。同時に、企業福祉の切り捨ても進み、それは、雇用保障と共に、大企業正社員・基幹労働者の特権的なものへと縮められてきた。アメリカでも、日本と似て、基幹労働者との間に、ニューディール期に形成された労使協定による企業福祉があり、これが戦後、基本的な福祉となってきたのだが、この間は、そうした企業福祉の対象者が減少してきた。そして、企業負担の削減が行われてきたのである。

 フリードマンが前提としてきたアメリカの戦後体制は崩壊しつつあるわけだが、それに代わるものとして、一時は、フリードマンらの新自由主義者が目指す自由主義市場経済のグローバル化という方向に向かったが、世界恐慌に直面している今日、元々の地であるもの、戦後体制、戦時経済体制、国家独占資本主義体制への回帰的な方向へと、各国政府を向かわしめているのである。もちろん、それは、30年代体制そのものの復活ということではなく、新たなるものの創設である。G7が、G20に拡大されたというのも、そうした新たな形の一つである。

 こうして、フリードマンらが描いた自由の夢が、単なる虚偽イデオロギーすぎないことを、現実が日々暴露している。

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