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アメリカ現代思想理解のために(20)

 南北戦争(1861~65年)後、黒人奴隷制は廃止されたが、その後も黒人差別が、南部諸州を中心に続いた。黒人は、交通機関、レストラン、学校などの公共の場で、白人と分離された。識字率の低い黒人を排除する投票方式を取るところもある。これは今日でも残っていて、下層黒人層の投票を、社会的労働運動やボランティアが助けたことが、黒人初の大統領となったオバマ当選の原動力の一つである。

 第二次世界大戦への黒人の軍隊参加、そして軍需工場での労働を通じて、戦後、黒人から、平等を求める声が強まったと仲正氏は言う。

 1951年、カンザス州の黒人男性が、近くの白人専用学校への入学を認めないのは不当として教育委員会を訴えた裁判で、連邦裁判所は、54年、「「公共の場においては『分離していても平等』の原理は成り立たない。教育施設を分離させる別学自体が本質的に不平等だからである」との判断を示し」(65頁)た。

 それに対して、南部諸州では、ヴァージニア選出の民主党のハリー・バード上院議員が、こうした学校を閉鎖すべきとする「マッシヴ・レジスタンス」運動を組織化したり、56年には、南部出身の上下両院議員96人が、人種統合に反対する「南部宣言(サザン・マニュフェスト)に署名した。

 57年、アーカンソー州リトルロックでは、白人専用のセントラル高校への黒人生徒の入学をめぐって、反対派が、この入学を妨害する運動を起こした。それに対して、アイゼンハワー大統領は、軍隊を派遣して、黒人生徒たちの通学をエスコートするという非常措置を取った。

 それに対してアーレントは、「リトルロックについて」(1959)で、人種差別に基本的に反対しつつ、「最高裁や人権活動家たちの推進する差別撤廃のやり方に対して苦言を呈している」(66頁)という。

 子供自身の教育を受ける権利と学校を選ぶ権利、親の権利、州や連邦の権限など、様々な問題が絡み合う教育の問題において、「平等」という論理を大上段に振りかざして、統合のみを唯一の解決策であるかのように主張するのはおかしいし、前線に立たされた子供たちに重荷を負わせることになるというのである。(66~7頁)

 こうした彼女の主張に対して、当然、「リベラル派liberals」が猛反発した。彼女が、この問題に様々な側面があり、それらをできるだけ把握した上で、解決策を探るべきだというのは一般的には正しいし、そうすべきである。人種差別、特にこの場合は、人種の公的な場での分離が焦点となっているのだから、両者の接近・相互理解の発展が、問題解決に必要な条件である。したがって、公的場での人種統合が、一歩前進であることは確かである。日本では、70年代以降、障害者解放運動の中で、養護学校義務化反対運動、障害児の普通学級への統合要求運動が取り組まれてきたが、差別解放運動にとって、こうした統合は、直接的接触のない、相手の見えない中で生じる偏見や差別をなくしていく条件を形成するものである。ただ、だからといって、ただちに差別がなくなるというわけではない。そこには、教育や文化や社会関係の変化という運動過程が必要である。

 アーレントの言う子供の教育を受ける権利、学校を選ぶ権利、というのは、一方では、自治体の教育の義務という形で、つまりは一つの強制として規定されている。これには、アーレントが事実上無視している経済的事情が大きく左右する。経済的不平等が、教育格差につながっていることは、新自由主義的な教育改革が推し進められた今日の日本の教育の実情に見事に示されている。例えば、今では、親の年収と学歴の間に強い相関関係が見られる。経済的格差と学歴格差、文化的階層化、など、ブルデューの言うハビトゥスのレベルをも含む階層化が進んでいるのである。この権利と義務の関係、連邦と州政府の権限の問題、それは、アメリカ社会の形成過程、そして建国の過程、その後の歴史的事情によって決まってきた。17世紀後半のニュー・イングランドのタウン(自治体)では、学校を作り維持するのは住民の義務であり、子供に教育を受けさせるのは親の義務であり、親がその義務を果たさない場合は、自治体の長が親権を取り上げた。タウンの権限は親権に勝っていたわけである。それが、1959年のアーレントになると、子供の教育を受ける権利、親権などが、平等と対立するものと捉えられているのである。

 1955年、アラバマ州モントゴメリーで、バスの中で白人に席を譲らなかった黒人女性が逮捕された事件に抗議して、マーティン・ルーサー・キング牧師を先頭にバス・ボイコット運動が起きた。キング牧師を中心に、黒人の権利拡張のためのキリスト教会組織「南部キリスト教指導者会議(SCLC)」が結成された。61年5月、黒人と白人が乗り込んだ長距離バスで、分離が行われている南部諸州を旅行する「フリー・ライド」が試みられた。それは、反対派による暴力的妨害を受けた。民主党ケネディ大統領は、これを止めるよう南部諸州知事に要請したが、これらの州知事の多くが同じ民主党員で、そこは支持基盤だったので、ケネディもおよび腰となった。

 63年6月、ケネディ大統領は、公民権法案を議会に提出。8月には、公民権を求めるグループが結集し、25万人(内、白人6万人)のワシントン大行進が行われた。キング牧師は、このクライマックスに、リンカーン記念堂で、「私には夢がある」という一節で有名な演説を行った。確か、日清フードのカップ麺のコマーシャルだったか、この演説の録音したもので、「I have a dream」の部分を流していた。11月、ケネディが暗殺された。64年7月、ジョンソン政権の下で、公民権法案が成立した。これによって、公共施設での人種差別、人種や宗教、性別による雇用差別が違法になった。その後、黒人運動にも、リベラル派や革命による解放を目指す「ブラック・パンサー」などや、黒人独立共和国を目指す「新アフリカ共和国」などの諸潮流が生まれた。

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