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アメリカ現代思想理解のために(26)

ロールズは、1958年の「公正としての正義」という論文で、社会契約説的な見方を導入したという。それは、「当該の社会的ルールが「フェア」であるとみんなが「合意」した(社会契約が成立した)という根源的な事実がある、あるいはそういう事実があると見なせることが、そのルールが正義に適っている条件だと考える」(86頁)というものだという。

 そして、そのルールの公正さに対して、みんなが「正義感覚 sense of justice」を持っていると考える。このへんは、先天的な実践理性の存在を唱えたカント的な感じである。もちろん、人は、「功利主義の前提になっている私利や便宜などの(個人的)効用を求める能力だけ」(87頁)を持っているわけではないし、むしろ、後天的に、功利主義イデオロギーによって、功利主義的にさせられるのである。それと、感覚を認識の基準に置く唯物論とは、エピクロスが、快苦を倫理の基準に置いているにしても、違うものである。この基準を失えば、われわれは生命としても危機に陥ることになる。しかし、例えば、ベンサムの功利主義は、現存社会のルールの範囲内での行動について言われているだけである。だから、彼は、功利主義的秩序維持のための刑罰手段の考案をやっているわけである。感覚を基本にした点では、エピクロスの唯物論と違いはないが、快苦の中身は歴史的であり、時代や状況によって異なることを見なければならない。それも社会的であって、物的諸条件や社会諸関係や文化に依存するのである。

 ロールズもまた分業に惑わされて、法律専門家の幻想に追随して、法を、意志に還元し、さらにそれを感覚によって基礎づけようと欲している。

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