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2009年4月

アメリカ現代思想理解のために(26)

ロールズは、1958年の「公正としての正義」という論文で、社会契約説的な見方を導入したという。それは、「当該の社会的ルールが「フェア」であるとみんなが「合意」した(社会契約が成立した)という根源的な事実がある、あるいはそういう事実があると見なせることが、そのルールが正義に適っている条件だと考える」(86頁)というものだという。

 そして、そのルールの公正さに対して、みんなが「正義感覚 sense of justice」を持っていると考える。このへんは、先天的な実践理性の存在を唱えたカント的な感じである。もちろん、人は、「功利主義の前提になっている私利や便宜などの(個人的)効用を求める能力だけ」(87頁)を持っているわけではないし、むしろ、後天的に、功利主義イデオロギーによって、功利主義的にさせられるのである。それと、感覚を認識の基準に置く唯物論とは、エピクロスが、快苦を倫理の基準に置いているにしても、違うものである。この基準を失えば、われわれは生命としても危機に陥ることになる。しかし、例えば、ベンサムの功利主義は、現存社会のルールの範囲内での行動について言われているだけである。だから、彼は、功利主義的秩序維持のための刑罰手段の考案をやっているわけである。感覚を基本にした点では、エピクロスの唯物論と違いはないが、快苦の中身は歴史的であり、時代や状況によって異なることを見なければならない。それも社会的であって、物的諸条件や社会諸関係や文化に依存するのである。

 ロールズもまた分業に惑わされて、法律専門家の幻想に追随して、法を、意志に還元し、さらにそれを感覚によって基礎づけようと欲している。

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アメリカ現代思想理解のために(25)

 ロールズは、フレーゲ、ラッセル、ウィトゲンシュタインとともに「分析哲学」の創始者の一人と言われているイギリスの哲学者ジョージ・エドワード・ムーアの『倫理学原理』(1903年)の影響で盛んになった「メタ倫理学」(分析倫理学)に反発し、規範倫理学に向かったという。

規範倫理学が、どういう具体的な行為あるいは属性が「善」あるいは「正義」とされるのかを直接的に探求するのに対し、メタ倫理学は「善」「正義」「徳」などの倫理的な概念、もしくはそれらを含んだ言明、判断がどのような意味を持っているか、どのように使用されるかを言語的に分析することに主眼を置く。いわば、倫理の領域における分析哲学である。(84~5頁)

 ロールズは、「最大多数の最大幸福」を目指す功利主義的な議論に不満だった。これでは、最大多数に含まれない少数者の犠牲を無視することになりかねない。そこで、例えば、少数者のための特例が設けられたりして、それが福祉と呼ばれている。功利主義の創始者の一人、ベンサムは、最大多数の快楽を図ろうとする俗物的唯物論者で、快楽主義者だった。彼は同時に一望監視型の監獄施設を考案したり、刑罰領域における功利主義原理による改革を唱えた。彼は、政治的には、フランス革命を支持するなど、ブルジョア急進主義者であったが、同時に君主制をも支持するという折衷主義者であった。これを支持したジェームズ・ミルは、そしてベンサム自身も、自らの功利主義倫理をキリスト教倫理と変わらないとして、キリスト教の伝統と折衷した。それが、ブルジョア革命が行われてずっと後の、効用学派になると、もはや遠慮無く、効用や快苦は数量的に計算可能であると断言するようになる。しかし、すでに、ニーチェが功利主義はイギリス的な俗物倫理だと批判したし、当時から、そんな計算は不可能だという批判があった。

 ロールズは、「「正義 justice」を「公正さ fairness」として捉え直すことを試みる」(85頁)ようになったという。彼は、50年代に、個々の行為が功利の原理(最大多数の最大幸福)を基準にするのではなく、一定のルールを守ることが功利の原理に適っているかどうかを問題にするルール功利主義が登場してきたのに対して、「ルールがもたらす社会的利益」から「ルールを守ることの哲学的意味」を焦点化していったという。それは、「みんながある特定のルールを「フェア」なもの、つまり「正義」に適ったものと見なして受け入れることのできる条件を探求する」(86頁)ようになるという。

 しかし、このことは、マルクス・エンゲルスは、『ドイツ・イデオロギー』の中で、共産主義社会における人々の生活についての一例を示している、分業による労働の分割、固定化ということを無視しては理解できない。そこで、彼らは、「これに対して共産主義社会では、各人はそれだけに固定されたどんな活動範囲をももたず、どこでもすきな部門で、自分の腕をみがくことができるのであって、社会が生産全般を統制しているのである。だからこそ、私はしたいと思うままに、今日はこれ、明日はあれをし、朝に狩猟を、昼に魚取りを、夕べに家畜の世話をし、夕食後に批判をすることが可能になり、しかも、けっして猟師、漁夫、牧夫、批判家にならなくてよいのである」(合同新書版 68頁)と言っている。分業による専門家、この場合は、ルールや正義、法に関する専門家の成立と、ブルジョアジーのイデオローグ化があって、倫理に関する議論が、衒学化していくのであり、そして、それが支配的ルールに対する被支配者の全般的反感や抵抗、拒否、疑問、懐疑、無視などの態度を再生産するようになる。

 例えば、われわれは、大国政府の指導者たちが、国際ルールは、自国に有利な条件を得るために、つまり、そういう功利、効用のために、押しつけ合うものであり、強い者が勝つようになっていると聞かされることがある。それは、俗物的唯物論でもあり、結局は観念論に帰着する。なぜなら、例えば、ベトナム戦争のように、圧倒的な強者のアメリカが、ベトナム人民解放運動に敗れるということがあるが、それを説明できないから、無視するか、ソフィスト的論法を使って、無理やり説明をこじつけなければならないし、それは観念の上でしかできないからである。その基礎に分業があるということを見逃してはならないのである。つまり、そういう大国政府の効用のために働くことから効用を得ているルールの専門家がいるのである。

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アメリカ現代思想理解のために(24)

 ここから、仲正氏のこの本の主題とも言うべき、ロールズの議論に入っていく。

 ここまで、「リベラル」には、ハイエクやフリードマンらの古典的自由主義や、アーレントのような共和主義的自由主義、あるいは新旧マルクス主義のような明確な政治哲学がなかったことを、仲正氏は指摘している。氏によれば、

リベラルが依拠するケインズ主義の経済学は、政府主導による有効需要創出のような、経済政策の基本的な方向性は示せるが、政治哲学までは提供してくれない。ハイエク、フリードマン、アーレントの議論は、それぞれの「自由」観と結び付く、「人間本性」論とでも言うべきものを持っていたが、「リベラル」の場合、「どういう風に生きるのが、自由な人間らしいあり方なのか?」がはっきりしない―それを敢えてはっきりさせないのが、「リベラル」の魅力だったのかもしれない。明確な哲学がないにもかかわらず、「ニュー・ディール」や「偉大な社会」というスローガンの下での“弱者及び弱者に優しい人たち”の取り込み戦略が一定の成功を収めたおかげで、勢力を伸ばしてきた「リベラル」であるが、それだけに、得意分野で「保守」とのはっきりした違いを見せられないとなると、求心力を失ってしまう(82頁)。

 そこに、「リベラル」のための政治哲学として、ロールズの『正義論』が登場したと仲正氏は言う。そこで、「リベラル」の復権が試みられたというのである。マルクスは、ごく初期の文書「『ケルン新聞』第179号の社説」で、ドイツ哲学の、孤独癖、体系に閉じこもる癖、熱情を書いた自己観照癖を指摘し、それと、当意即妙、時事問題を声高に論じ、報道だけを喜ぶ新聞の性格と対照させている。マルクスが、一方では、ドイツ観念論に関わりつつも、この頃の「ライン新聞」、その後の「新ライン新聞」、そして、パリの熟練労働者の新聞「フォルヴァルツ!」への寄稿など、ジャーナリズムを舞台にし続けたことは、ドイツ哲学のこれらの性格への反発ということもあったのかもしれない。この文書の中で、マルクスは、「もともと、現世の国のこと、国家のことに心をくばる権利は、あの世の智恵である宗教よりも、この世の智恵である哲学のほうに、より多くあるようにみえる」(マルクス・エンゲルス全集1 116頁)と述べ、「プロテスタンティズムにおけるように、教会の最高の首長が存在しないときには、宗教の支配とは、支配の宗教、政府の意志の礼拝にほかならなくなる」(同117頁)と、まるでアメリカのことを指摘しているようなことを書いている。これは、プロイセン政府による出版の自由の制限、検閲のことを論じたものであり、この後、「ライン新聞」主筆のマルクスは、プロイセン政府による検閲により、「ライン新聞」を去って、パリに移住することになる。

 ロールズは、いわば「リベラル」に欠けていた政治哲学をひっさげて登場した。彼が背負った課題は、「アメリカ」を構成する市民としての政治的アイデンティティを再定義することのできる「リベラルな政治哲学」(83頁)の構築ということであった。

 レーガンに代表される草の根保守は、伝統的価値に訴えて愛国心を回復するという戦略を取ったが、「リベラル」は、そうすることができなかった。

「リベラル」が「アメリカ市民」の共通のアイデンティテイの基盤として引き合いに出せる“伝統”は、「独立宣言」や「憲法」などの理念を中心に形成されてきた、自由、民主的な意志決定プロセスなどを守っていこうとする憲法的な伝統だけである(84~5頁)。

 なにやら、オバマの大統領就任演説を聞いてるような感じになってきた。あるいは、トクヴィル的なアメリカ観である。オバマは叫んだ! アメリカ市民は、アメリカ国家のために命を捧げて奉仕しなければならない、それがアメリカ市民たる要件であると。アメリカの国家意志、それを信仰せよ、それがアメリカの建国の精神であり、アメリカ憲法の魂なのだと。建国期、ハミルトンらの共和主義派は、中央集権的なアメリカ国家と大統領という君主に逆らう者を、宗派(セクト)と呼んだ。「リベラル」は、まさにセクトとして、自己主張する。リベラルな君主とは、絶対主義の啓蒙君主であり、個人=絶対君主ということを基礎にしている。そしてそれは、一つの信仰であり、近代国家においては、セクトにならざるを得ないのである。そして、ロールズを経て、同書の後の方では、それは、個人主義的リベラル宗派と共同体主義的宗派の対立に分かれ、そして、それが現在に至っているのである。

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アメリカ現代思想理解のために(23)

1969年に大統領になった共和党ニクソンは、「ニクソン・ドクトリン」を出して、ベトナム戦争から段階的に手を引く方針を明らかにした。そして、「社会主義陣営」とのデタント(緊張緩和)に動いた。72年2月には、訪中して、「米中共同声明」を出して、米中国交正常化に乗りだした。5月には、ソ連共産党書記長のブレジネフと会談し、弾道迎撃ミサイル制限条約(ABM)と戦略兵器制限交渉(SALT Ⅰ)に仮調印した。

 このように、リベラルと言われた民主党政権が、ベトナム戦争にのめり込んでいったのに対して、保守色の濃い共和党政権の方が、対「社会主義」陣営との対話に積極的となるという事態が生まれたのである。69年には、政府と契約を結んだ事業者にマイノリティの労働者を雇用することを義務づける「改訂フィラディルフィア・プラン」を実行し、アファーマティヴ・アクション(積極的差別是正策)を本格化させた。その他、72年、生活困難者に現金給付する補足的保障所得(SSI)制度を導入。非白人や貧困層のための職業訓練プログラムを推進。69年全米環境政策法、70年大気清浄化法制定。73年には、「ロー対ウェイド」裁判で、連邦最高裁が中絶権を認める判決を出した。

 こうして、「「保守」が“左”に寄ってきてお株を奪われたせいで「リベラル」の思想的なアイデンティティが曖昧になった」(81頁)。

 “弱者に優しく、異なる文化や考え方に対して寛容で、平和愛好的であること”を売りにしてきた「リベラル」は、自らの“リベラル”性の見せ場だったはずのベトナム問題で明確な統一的姿勢を示せなかったため、より深刻なアイデンティティ危機に直面することになった。リベラルの大義が見えなくなったのである(同)。

 戦争に対するリベラルの一部の、抽象的平和主義の問題性は、昨年末のイスラエルのパレスチナのガザでの虐殺攻撃の際にも現れた。アメリカのリベラルの一部は、強者イスラエルの弱者であるガザ市民への無差別虐殺攻撃に際して、強者と弱者を区別せず、等値して、ハマスとイスラエルの双方に暴力停止を呼びかけることで、事実上、イスラエルの蛮行を擁護する立場に立ったのである。それは、アメリカ政府自身が、当初から、双方の暴力停止を主張しながら、その実は、ブッシュ大統領、ライス国務長官共に、ハマスの暴力に対するイスラエルの自衛権を擁護したこととあまり変わりがない。現にあるものの規定である強者と弱者という概念、その現実を区別し、それらの相互関係を客観的に検討し、そして判断するのではなく、抽象的な平和についての空想的図式によって、これらを裁断し、それでことたれりとしているのである。

 イスラエルの主張する欺瞞を暴露し続けてきた早尾さんによれば、そうしたリベラル思想家のウォルツァーは、イスラエル側の犠牲者に対してガザのパレスチナ人犠牲者が圧倒的に多かったという非対称な事実に対して、量・数の多少は問題ではないと言ったという。量は、現実的な規定であり、量を無視したら、現実の多様性の一部を切り捨てることになる。それもわからないというのだろうか? いずれにしても、こうした言い方は、現実を捉えることよりも、なんらかの抽象的図式を現実に当てはめているに過ぎない。実際には、われわれは、まず感覚を認識の出発としているのであり、それが認識の基礎である。そして現実の概念を捉え、そしてそれと意志とを過程として統一する理念へと進むというのが認識の運動なのである。現実が汲み尽くせないがゆえにこれは終わり無き過程であり、ただ不断に過程としてあるのである。平和と暴力の関係についてもそうである。

 ハマスには、様々な面、多様性があり、歴史的な内容がある。その全面的評価が必要である。もちろん、ここで全面的というのは、理念として言っているのである。つまり、接近していく過程として言っているのである。パレスチナ人には、実力行使を含めたイスラエルに対する独立権、革命権、抵抗権がある。国際法的にも、例えば、国連決議違反をしているのがイスラエルであることは明確だから、なおさらそうである。イスラエルがすでに法を犯しているのであり、パレスチナを不法占拠しているのである。それに対して、パレスチナ人に合法的手段しか認められないというのは不条理である。

 かくして、リベラルは、絶対的な価値などではなく、相対的な価値でもあり、歴史的な、そして現実的なものとして、変化し、状況によって、意味合いが変わるものであるという弁証法家なら当然の姿を、この時期、はっきりとさらけ出したわけである。

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アメリカ現代思想理解のために(22)

 アメリカは、1933年に大統領となったローズヴェルトが、ニューディール政策を進めたことから、弱者にやさしい「福祉国家・大きな政府」を志向する知識人たちが、リベラルを名乗るようになった。彼らは、社会主義や社会民主主義に近い考え方の持ち主たちであった。

 50年代後半になると、リベラル派は、市民的平等を求める黒人や女性などの社会運動に理解を示した。「「リベラル」には、異なった文化や価値に対して寛容で、差別や排除に反対するという意味合いも含まれるようになった」(7頁)。

 ただし、60年代後半に登場してきた、市民社会の基本的な枠組み自体を解体することを標榜する急進的な黒人解放運動やラディカル・フェミニズムなどの運動と、「リベラルとの関係は微妙である。(同)

 リベラルは、あくまでも、アメリカ憲法の精神を実現すれば、自由が達成できるとしているので、この体制そのものを否定するラディカルな主張までは受け入れられない。

 文化、価値観、思想の違いに対する寛容な姿勢を“売り”にしてきた「リベラル」たちにとって、そもそも自分たちが拠って立つ基盤である自由主義的な政治・法・経済体制を根本から否定しようとする相手にどう対処すべきかは常に難問である。国内的には、黒人運動や女性運動などの穏健で“リベラル”な考え方の人と連携して、“リベラルなマジョリティ”を形成することで、矛盾を表に出さないという戦略を取ることもできるが、外交・軍事的に敵対関係にある国との関係においては、相手の存在を許容するか、対決路線を取るかの難しい選択を迫られる。ケネディ―ジョンソン政権にとって、「ベトナム問題」がまさにそれであった。(74頁)

 1964年8月、トンキン湾事件をきっかけに、アメリカはベトナム戦争の泥沼にはまっていく。ジョンソン政権は、65年末に18万人、67年には48万人、68年には58万人の兵力を派遣した。しかし、68年1月末、いわゆる人民軍と解放民族戦線によるテト攻勢で、戦局が転換した。世界的に、ベトナム反戦運動が高揚し、67年4月15日には、ニューヨークで、キング牧師も参加した40万人規模の反戦デモが起きた。

 このような時期に、マルクーゼは、フロイトの精神分析を基礎に、「過剰な抑圧や業績主義を取り除いて、性本能を「解放」すれば、遊びと労働が一致し、各人が自由に創造的な営みに従事することができる「抑圧なき文明」の到来が可能であると示唆し」(78頁)た。この時代から、すでに、半世紀経つ今日に、こうした議論がそのまま通用するというわけにはいかない。これは、フーコーの、性的なものの生産のメカニズムの追求として行われた仕事からもわかることである。性の主体は、社会的歴史的生産物であり、この主体は、解放されるとかされないというものではなく、その自由は、一つの権力作用によって操作され、社会的規範の維持・再生産を行うように主体化されたものの自由なのである。ここには、抑圧からの解放が同時に抑圧でもあるという弁証法的事態がある。性本能の「解放」に強迫的に駆り立てられることは、抑圧に転化するということがあるということだ。これは、仏教的な言い方だと、すなわち、解放されるのでもなく解放されないのでもない。性本能があると言っても間違いだし、それが無いと言っても間違いということになる。ヘーゲルの弁証法から言えば、ある、は、関係だからだということになる。これは、認識が、イメージ、像、そして、それを論理が写すからで、それは、レーニンが、『唯物論と経験批判論』や『哲学ノート』で繰り返し強調しているとおりである。それに対して、カントは、物自体は認識できないと言って、形式論理を認識の最高形態として固定することで、それらを事実上切り離してしまった。もっとも、カントは、『純粋理性批判』で、アンチノミーという形で、弁証法的対立の指摘までは行ったのだが。そして、これと判断力、ないしは構想力ということ、いわゆる第三批判と言われる『判断力批判』において、この矛盾の解決形態へ接近したという解釈で、スラヴォイ・ジジェクが、この難点を解決しようという試みがなされたということはあった。

 ミルズは、『ホワイト・カラー』『パワー・エリート』で、新中間層と呼ばれるホワイト・カラーや政府機関幹部・大企業幹部・軍幹部などの権力層の分析を行い、社会学の主流だったタルコット・パーソンズの機能主義的なシステム理論を、「個々の人間の多様性を捨象した抽象化であるとして批判し、社会の歴史やそこに住む人間の特性を視野に入れるべきだと主張した」(79頁)。

 このようなミルズの分析は、29年恐慌から戦間期に形成された国家独占資本主義体制が、半ば、官僚「社会主義」化していたことを示している。国家と独占資本の癒着、独占利潤による労働者の買収による上層労働者の育成、独占による安定、計画性等々によって、こうした層が拡大していったのである。そして、政府、大企業、軍幹部などの権力層が形成された事態を写している。

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