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アメリカ現代思想理解のために(27)

 ロールズは、「私利や便宜などの(個人的)効用を求める能力だけではなく、自/他の行動が「正義」に適っているか否かを判断し、それに基づいて自らに責務を課す「正義感覚」が備わっている」(87頁)と言うのだが、ここで、功利主義を一つの先天的的能力、そして、正義感もまた先天的能力と見なされていることに注意が必要である。

 つまり、ロールズは、人間論を論じているわけである。私利・私的効用を求めるのは、人間の先天的能力だろうか? これは、アダム・スミスによって説かれていることであり、イギリスの功利主義の基礎になり、近代経済学の大前提に置かれている考えである。その導入の仕方は、イギリス経験論的であって、例えば、ベンサムの功利主義倫理の導き方は、目の前で、あるいは歴史事実を観察して、そこから帰納法的に導き出したものである。目の前の人々のやってることを見てみると、みんな功利主義的に行動しているじゃないかということである。しかし、経験主義の問題は、現象のみを観察していると、それと反する現象が必ずあって、どっちが本当かわからなくなるということである。その際に、効用を判定基準にするというのが功利主義ないし効用主義の考え方である。ロールズは、それと並べて、正義感を人間の先天的能力と見なしたわけである。

 私利は個人的効用というレベルで語られた。それに対して、正義感は、「我々」というレベルに属する。しかし、実は、私利や効用もまた「我々」というレベルで問われねばならないのである。正義は、「我々」の社会契約という自由意志による根源的合意の感覚であるとロールズは考えたようである。それが、憲法の土台であると彼は言う。彼は、私利の領域と正義の領域を、別物のように扱っているわけである。

 仲正氏は、アーレントとロールズが、「異なった考え方、振る舞い方をする人たちが、一緒にプレイできるような基本的枠組みが「憲法=国家体制」として設定されていることが、「自由の条件」であることを重視している・・考え方、振る舞い方が違っても、相互に尊重しながら、共通の理想(=共同体にとっての善)を追求していくという根源的な"合意"が重要なのである」(86頁)という点で共通していると言う。

 ただし、アーレントが、経済的平等を視野に入れてないのに対して、ロールズは、経済的不平等(格差)を、「正義の原理」に入ると考えた点で、両者に違いがあるという。

 ロールズは、1960年代に、「市民的不服従の正当化」(1969)で、「憲法や普遍的人権思想などに具現される正義の原理に反するように見える法律や行政機関の命令に対して非暴力的な手段で抵抗し、それに対する不同意を公共の場でアピールする」(89~9頁)「市民的不服従 civil disobedience」を擁護した。「市民的不服従」思想は、19世紀のソローで、それはガンジーやキング牧師に影響を与えたという。

 リベラルの間で、「市民的不服従」は合法かどうかという議論が起きた時、ロールズは、憲法の根拠である正義に適っているので合法だと主張したという。それは、共通ルールのない「原初状態 original position」を仮説として想定した。それに対して、「社会契約説」では、「自然状態 state of nature」を想定する。

人々は「原初状態」において、各自の正義感覚を反映する形で、「正義」の諸原理を採択する。次いで、憲法会議でそれらの諸原理を満たす「憲法」を制定することになる。そのうえで、立法機関において正義の諸原理に適った憲法の制約と手続きに従って個々の法律を制定することになる。そうした意味で、法律は憲法に、憲法は正義の原理に拘束される関係にある(91頁)。

 こうした考えから、よく言われる「手続き」民主主義は、正義を保証するものではないということが結論される。

立法権は決定が正しくなされることを保証するものではない。市民は、自己の行動において民主的権威の判断に服しこそすれ、自己の判断をそれに服させるわけではないのである。従ってもし、多数者の制定した法律が不正義の一定限度をこえていると判断した場合には、市民は市民的不服従を考慮しうるであろう。なぜなら、我々は多数者の行為を無条件に受け容れ、自分および他人の自由の否定に黙従することまでも要求されていないからである。(平野仁彦訳「市民的不服従の正当化」:ジョン・ロールズ/田中成明編訳『公正としての正義』、木鐸社、一九七九年、二〇五頁(91~2頁)

 新自由主義が席巻した頃、民主主義論でも、「手続き民主主義」が喧伝され、ホリエモンなどが、手続きさえ合法ならば、それ以外は何をやってもいいということで、それが自由だというようなこを言って、それが多くの人に支持されるというようなことがあった。しかし、それは、形式民主主義であり、形式的自由にすぎない。ロールズから言わせれば、それは、法の基礎にある正義感を崩壊させ、法治体制を土台から掘り崩すということになろう。手続き民主主義の中で、法の形式は守られるが、法の土台が浸食されていき、やがて、内容の変化が、形式に跳ね返り、手続きも、変えられていくことになるわけである。

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