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アメリカ現代思想理解のために(32)

 新保守主義派のニスベットは、「新しい専制主義」で、個人間の差異を平準化する平等主義が、結果平等を求めるために、ソ連型の中央集権的権力機構をつくり出すだろうと言ったという。それは、ルソーの「社会契約論」を元凶として、ロールズの『正義論』にも受け継がれたというのである。彼が問題にしているのは、差異の除去であり、それは、テクノロジー、ソーシャル・ワーク、心理学などの手段で、人々の内面をコントロールしようとする「ソフト化」された権力の作用の結果である。彼は、「プラトンからルソーに至るまでの主要な政治理論家たちは、最大の権力は、個人の行為だけではなく、その行為の背後にある心までも形作る権力であることを言明している。テクロノロジー、あるいは他の手段を使って、文化、社会生活の小さな単位、そして心それ自体の奥底にまで浸透できる権力は、身体にしか到達できないような種類の権力よりも、その物理的な残虐さのことを考えてみても、遥かに危険なのは明らかである」twilight of authority,Liberty Fund,1975,p.207)(157頁)と言った。

 なるほど、これは、仲正氏の言うように、ミクロな権力構造を問題にしたフーコーの議論に一見似ている。あるいは、フランクフルト学派のマルクーゼの『一次元的人間』あたりとも。しかし、例えば、フーコーの場合、規律型権力と管理型権力というように権力形態を幾つかに分けて議論しており、さらに、自己への関わりというかたちで、アリストテレス的な自己統治の技術をポリスの公共性、それこそ、サンデルの言う「共通善」と共通するような自由としての倫理を打ち出している。そして、それらの権力は、種々の物的装置を通して作動するのであって、なにかしら、既に存在する個人の心なるものを言葉だけによって、操作するというものではない。権力は、形態としての主体を作り上げるのであって、心を作るわけではない。それに対して、ニスベットは、予め、心を個人にすでに存在するものとして前提していて、基本的に観念論、あるいは、プラトンからルソーに至るまでの観念論の基礎の立場を共有しつつ、ものを言っている。両者は、似て非なるものである。

 86年に出した『保守主義』では、ニスベットは、バークからトクヴィルからクリストルまでを総括して、保守主義は反国家権力的だったと述べているという(158頁)。彼は、「保守主義」は、近代国家が、平等の名の下の専制国家になっていて、「家族、血縁、近隣、共同体」などの絆を守る主張であるという。面白いのは、彼が、「リベラルな福祉国家」の権力の増大に反対して、“善き共同体”のモデルを「過去」に求める発想法を、「保守主義」と「マルクス主義的社会主義」が共有していることも認めている」(同)ということだ。

 続いて、『アメリカン・マインドの終焉』(1987年)のアラン・ブルームは、ユダヤ系ドイツ人で亡命者のレオ・シュトラウスの影響を強く受けた。シュトラウスは、新保守主義派の教祖的存在と言われている。ブルームは、個人の自由に重きを置く近代の個人主義的な自由に対して、人間としての卓越性や政治的徳を重視した古代の政治哲学を見直すべきことを示唆し」(159頁)たという。彼は、ロールズの『正義論』を、差別しないように強制する統治を提案していると批判したという。そして、彼は、共通善を追求してそれに適った人間像を探求したソクラテス、プラトン、アリストテレス、マキャベリ、ロック、モンテスキュー、ルソーらの古典的テクストをしっかり学ぶ人文諸科学の「教養」が重要だと言った。

 他方で、ラディカルな黒人解放運動やラディカル・フェミニズムは、支配的な「白人男性」(WASP)と違う、「社会の中で違ったあり方をする権利」を主張するようになった(161頁)。黒人らしく、女性らしく、同性愛者として生きる、そういった諸権利を主張する「アイデンティティ・ポリティクス(同一性の政治)」あるいは「差異の政治」と呼ばれる運動が台頭してきた。このような多文化主義が、教育に持ち込まれていく。それに対する反発として、ブルームの本が書かれたのだという。両者の闘いは、90年代に入って、ヒートアップし、「文化戦争Culture War」と呼ばれるまでになった。

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