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アメリカ現代思想理解のために(35)

 冷戦の終了によって、自由民主主義の勝利が、謳われた。フランシス・フクヤマの「歴史の終わり』(1992年)は、ヘーゲルを使って、人類史は終わったと宣言した。しかし、彼は、この段階で、人々が労働と闘争をやめて、主体性を失って、再動物化すると言ったことはあまり喧伝されなかった。「歴史の終わり」万歳! というわけではなかったのである。

 さらに、ハンチントンは、『文明の衝突』(1996年)では、西欧文明圏以外に、ラテンアメリカ文明圏、アフリカ文明圏、イスラム文明圏、中国文明圏、ヒンドゥー文明圏、ギリシア=ロシア正教文明圏、日本文明圏、の7つの文明圏があり、それらが西欧文明圏を凌駕しつつあるという図式を示し、「グローバルな多文化性」を持つ必要があると唱えた。

 ベンジャミン・バーバーは、『ジハード対マックワールド』(1995年)で、グローバル化に対する伝統的な価値や共同体的な信念を取り戻そうとする傾向が台頭しているという。そして、バーバーは、政府と民間セクターの中間を占める「市民社会」領域で、強制を伴わない形の「公共性」を創出するのを再活性化すべきだという。そして、緩い連合体としての、グローバルな政府を作るべきだと主張した。それを彼は「強い民主主義モデルの市民社会像」と言ったという。「それは、たとえ異なった価値観を持ち、利害対立があるとしても、共同の土台を造り、公共的な仕事にコミットし、共通の関係を探求しようとする活動的な民主的市民の共同体であるという」(230~1頁)。

 ロールズは、国際正義の問題について、「寛容」の限界をどこに置くかというをポイントにしているという。そして、「階層社会」という概念を作っている。「「階層社会」とは、政教分離がなされていおらず、宗教的性格を強く帯びており、階層制がある社会」(233頁)だという。

 ロールズは、「リベラルな正義」を受け入れることが可能な、「秩序ある階層社会well-ordered hierarchical society」の条件として、①平和を好み、外交や通商などの平和的手段を通して自らの正当な目的を達成しようとする社会であること、②「正義の共通善的構想に導かれた法体系」を有しており、国内の各種の集団の意見を政治に反映させることのできる代表機関や議会などの「道理に適った協議階層制 reasonable consultation hierarchy」がそれに伴っていること、③生存権、自由権、財産権、自然的正義の原則によって明示される形式的平等などの基本的人権を尊重していること―の三つを挙げている(233頁)。

 その上で、拡張主義的な無法国家に対しては、「万民の法」を支持する諸国民衆の社会が、自らの安全と安定を守るための交戦権を有するとして、「正戦」論を唱えた。彼は、民間人を標的にしないとか、兵士や民間人の人権を守らなければならないとか、正義に適った制度を作るための援助しなければならないとかいろいろ条件を付けているのだが、「正義」の戦争があるということを認めているので、非戦論者ではない。

 2000年、ネグリ、ハートの『帝国』が出る。この本で、彼らは、アメリカ的な憲法=国家体制(constitution)を利用することを企てたという。帝国としてモデルにしているのは、ローマ帝国で、「一定の条件を満たせば、他民族でもローマ市民権を獲得し、法の下での平等な扱いを受けることのできる開かれた法=権利の体系を備えていた」(239頁)。このような帝国モデルが、グローバリゼーションの進展によって、世界規模で生成しつつあるという。それは、国連、国際通貨基金(IMF)、世界銀行、世界貿易機関(WTO)や国際条約によってできる国家間関係、多国籍企業、メディア、宗教組織、非政府組織(NGO)などのネットワークなどである。グローバリゼーションによって、ハイブリッド(異種混交)的なアイデンティティが形成されつつあるという。〈帝国〉の市民=臣民たちは、多様なアイデンティティを持ちながら、不定形な連帯関係を結んでいる、かれらを、スピノザにならって「マルチテュード(multitude:群衆=多数性)とネグリたちは呼んだ。しかし、『帝国』をざっと読んだ限りでは、マルチテュードにこうした性格を与えているのは確かだが、同時に、かれらは、これにアイデンティティを奪われた存在としてのプロレタリア性という性格も与えていることも見逃せない。

 さらに、仲正氏は、アメリカは、アーレントやトクヴィルが指摘した市民たちの自由な活動を保証する開かれた憲法=国家体制を創出したというのだが、しかし、やはり、憲法を作った「フェデラリスト」たちは、分権主義に対しては、セクト(宗派)と呼んで非難しており、あくまでも中央集権的な共和制、大統領制=行政権の優位ということを強調していたし、それが、かれらは妥協を余儀なくされたとはいえ、その後、その強化が、繰り返し行われてきたのであり、湾岸戦争やその後の一連の戦争は、そのことを如実に示したと思う。ネグリたちは、マルチチュードとしての人民が、相互作用によって、権力を在り方を想像/再想像する状態「構成的権力=憲法制定権力constituent power」が絶えず働いているという。それは、アメリカ的理念が、アメリカ合衆国の現実を超えて世界化している状態だという。しかし、2009年の今日、こうした議論は、多少、現実離れしているように見える。しかし、マルチテュードについて、「ボッセ」とか、いろいろ面白いことを言っていて、それはそれで、今日のグローバリゼーションに対する対抗運動の性格についての興味深い指摘だとは思う。一時は、保守的・愛国主義的な言説が支配的になったこともあるが、それが挫折したのは、「リベラル」の力によるものには見えなくて、むしろ、グローバリゼーションの中でのマルチテュード的な力によるところも大きかったように見える。その場合に、それが、「マルチテュード」のプロレタリア性という性格と関係があるように見えるのだが、どうだろう?

 9・11事件後、アメリカでは、あっという間に、愛国主義が広まり、ネオコン一派が台頭した。対テロ戦争としてのアフガン戦争に対して、リベラル系の知識人の中からもこれを支持する者が出、「フェミニスト・マジョリティ」も、これを支持した。2002年2月には、60人の知識人が連名で、「我々は何のために闘っているのか?」という公開書簡を出し、ブッシュの対テロ戦争支持を表明した。この中に、社会民主主義的な左派系知識人のウォルツァーが入っている。9・11事件については、その真相がわからないこともあって、いろいろな見方が流されているが、重要と思えるのは、世界貿易センタービルの性格であり、そこに入居している企業の性格である。ここには、アメリカ国債の多くを扱っていた金融会社など、金融の中枢を担う企業が多く入居していた。もちろん、そこで働いていたのは、エリート中のエリートたちである。それに伴う様々な雑業にはもちろんそうではない人々も大勢働いていたはずだが、基本は、そういう人たちである。この国債取引企業がオフィスを失ったために、数日間、アメリカ国債の取引がストップしたという。犠牲者の問題で言うと、消防士が多く犠牲となったことについては、果たして、当局の適切な判断と指示がなされたのかということを指摘する報道もあった。

 「リベラリズム」の黄昏という小題の下で、仲正氏は、リベラリズムの二大巨頭の一人であったドゥウォーキンの『ここで民主主義は可能か?』(2006年)で、彼は、「保守派」と「リベラル派」の不毛な対立を憂い、民主主義的な討論の「共通基盤」を再度見出すべきだとして、①あらゆる人間の生命に固有の潜在的価値があること、②各人には自らの生においてその価値を実現する責任があること、の二つを候補にあげているという(249~250頁)。つまり、生存権に基礎を置くべきだということだ。それを、民主主義の基礎に置かなければならないということなのであれば、それは、もはや、国家的権利としてではなく、非国家的権利の場に移されなければならないことを意味することは明らかであるように思われる。もはや、それは、民主主義という次元を超えたところの次元に歴史が到達し、その課題の前に立ったことを意味していると思うのである。アメリカにおける思想的な「保守派」と「リベラル派」の両方の衰退は、それを意味しているのではないだろうか?

 こうして見てみると、今、アメリカ現代思想は、「保守」、「リベラル」の衰退の中で、コミュニタリアンや「差異の政治」派など様々な潮流がある百花斉放的な様相にあるようだ。他方で、伝統的な近代経済学の中からも、アフマティア・センのように、厚生経済学的に、人間が、社会的に人間らしい活動をすることを可能にする「潜在能力」を問題にする者も出ている。

 これで終わりである。

 全体を通して言えば、土台が欠けた議論が多いという印象である。基本的に、戦後、波はありつつも、世界経済の右肩上がりの成長が続いてきて、そうした経済的な拡張の余地が増え続ける中で、アメリカでのこの手の議論が行われてきたが、今、アメリカは金融恐慌に見舞われ、また、世界経済の成長率が戦後初めてマイナスに転じる見込みとなり、自動車のビッグスリーの危機に象徴されるように、フォーディズム体制は崩れつつある。その中で、アメリカでの思想形成の営みがどうなっていくのか? 少なくとも、ローティ的な悠長な議論は後景に退くことになりそうな気がする。オバマもそうだが、アーレントやネグリ=ハートやその他が、いくらアメリカ建国期の憲法に体現された理念や構想に立ち返ろうとしても、あまりにも条件が違いすぎて、それはユートピア的すぎるだろう。思想やイメージとして、それを言ったところで、どうしようがあるというのか? そして、リベラリズム、である。戦争を求め戦争を支持し戦争によって、産軍複合体制、そして、人の交流も含めた国・独占資本一体となった国家独占資本主義を強化する傾向を固めようとするリベラル、しかし、それが黄昏れる中で、そこに展望はあるのだろうかと思わざるを得ない。では、どのような思想が人々の多くを捉えるのか。それは、これからの問題だ。

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