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2009年7月

ドストエフスキー『未成年』の共産主義話

 これは、ドストエフスキーの『未成年』の中で、主人公の語り手、私の母の法律上の夫のマカールという人物との会話の一部である。この後、マカールの共産主義とは何かという質問に、「私」が答えるということが書かれているが、知識がぼんやりしていて、うまく説明できなかったという部分が出てくる。

 ペレヴェルロフという人の『ドストエフスキーの創造』(1912年)という評論を読んだら、19世紀ロシア文学には、ゴーゴリ系とプーシキン系の二つの流れがあって、文体からして、明確な区別がつくという。ゴーゴリとドストエフスキーに共通する特徴の一つとして、こうした長い告白があるということがあるという。

 ペレヴェルロフによれば、ドストエフスキーは、プロレタリアート登場前の革命心理を的確に深く把握し、描いた作家である。マカールのこの発言は、キリスト教共産主義的なもの、キリストが修行した荒野の宗教共同体、あるいは、フランチェスコ派の修道院を想起させるものだ。それに対して、ロスチャイルドを理想とする主人公が、共産主義をあいまいにしか説明できなかったのは、あるいは、ペレヴェルロフの言うように、プロレタリアが登場する前の、当時のロシアの階級階層関係からして、当然だったのかもしれない。主人公は、領主階級の父親と農奴出身の母親とを持ち、世界的な富豪のロスチャイルドを理想とする青年であるから、共産主義について明確に認識しえなかったというふうにも言えるかもしれない。でも、知識としては、十分それを得ることは可能である。

 しかし、巡礼者のマカールが、夢想主義を退けて、金を半神と言って、富の分配、贈与というようなことを主張しているのは、サン・シモン主義的にも聞こえる。

 「それはなるほどそのとおりだが、でもそんなふうにちゃんと自分をおさえて、溺れずにいられる者は、そんなにたくさんはいないのじゃないかな? 金は神ではないが、でもやはり半神みたいなものだ―大きな誘惑だよ。そこへもってきて女というのもあるし、自意識と嫉妬というのもある。そこで大きな目的というものを忘れて、目先のつまらんことにかかりあうようになる。ところが荒野ではどうだろう? 荒野ではなにものにもわずらわされることなく自分を鍛えぬいて、どんな偉大な功業にでもそなえることができるのだよ。アルカージイ! それに世間にはなにがあるというのだね?」とかれはさも腹立たしげに叫んだ。「夢ばかりじゃないか? まあ砂粒を岩の上にまいてみるんだな、その黄色い砂粒が岩の上に芽を出したら、世間の夢想で定まるだろうさ、―わしらのあいだではこんなふうに言われてるんだよ。キリストさまがおっしゃっておられるのは、そんなことじゃない。『行きて、汝の富をわかちあたえよ。そして万人の僕となれ』こうおっしゃっておられる。それでこそ誇りや、羨望で幸福になるのではない、限りなくひろがる愛によって幸福になるからだよ。そうなれば十万や百万ぽっちの少しばかりの財産ではなく、世界中を自分のものとすることになるのだ! 今はあくことを知らずに集めて、ばかみたいにやたらにまきちらしているが、そうなればみなし子も、乞食もなくなってしまう、だってぜんぶが自分のもので、ぜんぶが自分の親類だからだよ、ひとつのこさず、ぜんぶを買いとってしまったからだよ! 今は、どんな金持も自分の高い者も自分の命数というものにすっかり無関心になってしまって、どんな楽しみを考え出したらよいのやら、もう自分でもわからんというようなことが珍しいことではないが、そうなると自分の日々と時間がまるで千倍にもふえたようになる、それというのも一分でも無駄にするのが惜しくなり、一分一秒を心の悦びと感じるからだよ。本からばかりでなく、万象から知恵をくみとって、いつも神と向きあわせているようになる。大地が太陽よりも輝きをはなって、悲しみも、溜息もなく、ただ限りなく尊い楽園だけがあるようになるのだよ・・・」
 こうした感動的な言葉をヴェルシーロフがひどく好んだらしい。そのときは彼もちょうどそこにいあわせた。
 「マカール・イワーノヴィチ!」とわたしはすっかり興奮してしまって、いきなり彼をさえぎった(わたしはその晩のことをよくおぼえている)。「じゃああなたは共産主義ですね、そういうことを説くなら、それは完全な共産主義ですよ!」(『未成年』工藤精一郎訳、新潮世界文学14 404~5頁)

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ドストエフスキー・ブーム

 最近、仕事の関係で、ずいぶん久しぶりにドストエフスキーを読んでいる。

 ドストエフスキーを最初に読んだのは、たぶん高校1年ぐらいの時だ。それは『罪と罰』である。なぜか、この本が家の本棚に置いてあったのである。それから、高校3年の夏休みに、補習を受けず、図書館に通って、『カラマーゾフの兄弟』を読んだ。それから後に、新潮文庫版で、『悪霊』などいくつか読んだ。

 そういえば、昨年、『カラマーゾフの兄弟』の新訳(亀山訳)が出て、100万冊売れるというブームになったことを思い出した。今回は、出世作の『貧しき人々』から、『地下室の手記』、『白痴』、『未成年』も読んでいるところである。いつものように、飛ばし読みの乱読である。本の解説もいくつか読んで、ドストエフスキーという人の履歴を読み直してみて、面白かった。それから、小林秀雄の『ドストエフスキー論』にざっと目を通してみた。小林秀雄については、『モーツァルト論』の方が記憶にある。

 このところ、ロシア文学など忘れ去られているような感じだったが、19世紀のロシアの作家をざっと並べてみただけでもものすごい。ゴーゴリ、プーシキン、ツルゲーネフ、トルストイ、チェーホフなど蒼々たる顔ぶれだ。その中でも異彩を放っているのがドストエフスキーであり、ことに、自ら、政治的思想的運動に関わって、シベリア送りになったり、当時の国際的に有名な革命家であるバクーニンなどにも会っているなど、ただの文筆家ではない。思想、政治的立場などについていろいろな評価があろうが、死後も、哲学や文学などに大きな影響を与えた歴史的人物である。

 19世紀ロシアでは、啓蒙君主が登場し、農奴解放などもあり、社会が変化する中で、西欧から、自由主義やフーリエ主義やバクーニン主義や功利主義や経験主義やカント主義などが次々と流入してきた時代であり、混とんとした時代であった。ドストエフスキーが亡くなった1881年後、1898年にプレハーノフやレーニン、ザスーリッチなどが参加して、第2インター系のロシア社会民主労働党が誕生する。1886年には、ゴーリキーが生まれている。西欧思想や文化が、短期間に圧縮されたかたちで流入するというのは、どこか明治維新後の日本とも似ているような気がするが、日本には、ドストエフスキーのような作家は生まれなかった。

 ドストエフスキーは、バルザックの『ウジェニー・グランデ』の翻訳もしている。

 とはいえ、あのけっして読みやすいとは言えないドストエフスキーの小説が読まれているのはなぜかということは気になるところである。90年代途中のバブル時代とその余韻のあった時代には、軽いものが流行であり、こういう重いもの、暗いものは、あまり流行らなかった。新訳が読みやすくなっているということもあるようだが、やはり、時代状況、社会状況が、「生きづらさ」(雨宮果凛)「息苦しさ」を感じるような閉塞感があるからではないかと思われる。マルクス・ブームにもそうしたところがあるように思われる。今、何が起きているのか、どういう社会になっているのか、今後どうなるのか、漠然と漂う不安や生きづらさの正体を探っている人が増えているのではないか。そんなふうに思える。

 年功序列・終身雇用で老後は年金生活で安泰に暮らすという高成長期の未来ヴィジョンが危うくなり、リアリティを失いつつある中で、今と今後をどう見ていけばいいのか、それを探っている動きのような気がする。「在特会」のデモには、若い女性などの参加が目立つということが、抗議活動の報告に書かれている。正体の見えない不安や不満の蓄積が、出口を求めて吹きだしてきたというようにも見える。しかし、だからといって、かつてなら、けっして街頭で大声で公然と叫ぶことがなかったような露骨な差別排外主義的スローガンを口にする「在特会」などの動きは、あるいは、ファシズム運動として拡大しかねない危険な動きであり、しかも、それが、この国の官僚に深く根づいている排外主義の代弁でもあるから、その跳梁跋扈を許せば、物質的基盤を拡大して、一気に拡がりかねない危険なものである。しかし、他方で、愛国主義右翼から、「左」へ移行した雨宮果凛のような人もいるわけだから、こうした事態も流動的で可変的であることにも注意しておかねばならない。

 

ロシア文学ブーム到来 好調経済も一端、国民性似通う? アサヒ・コム(2008年6月15日)

 ロシア文学が時ならぬブームにわいている。ベストセラーになったドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(亀山郁夫訳)を筆頭に、大名作の新訳が続く。日本人は明治時代以来、根っからのロシア文学好き。国としての好感度はいつも断トツ最下位なのに、だ。

 「書店でロシア文学の本が平積みなのを見ると、隔世の感で感動を覚える」。日本人のロシア文学受容を研究する筑波大学の加藤百合准教授は、しみじみそう話す。

 昨年完結した亀山訳『カラマーゾフ……』は全5巻で80万部を突破するベストセラー。亀山さんと佐藤優さんが対談した『ロシア 闇と魂の国家』(文春新書)は、地味なテーマながら3万部と強気の初刷りで、「売り上げが落ちない。近く増刷する」(同編集部)勢いだ。ソ連時代には忘却されたブルガーコフの奇書『巨匠とマルガリータ』(水野忠夫訳、河出書房新社)も4月全面改訳された。7月にはトルストイ『アンナ・カレーニナ』の新訳、9月にはやはり亀山訳のドストエフスキー『罪と罰』が出る。

 ブームの背景にあるのは、圧倒的に読みやすくなった訳文だろう。一昨年に新訳が出たゴーゴリ『鼻/外套(がいとう)/査察官』(浦雅春訳、光文社古典新訳文庫)について、斎藤孝明治大教授は「ロシア文学の重鎮をまるで落語のように軽く訳す。すごすぎる」。

 好調経済も一端

 前出の加藤准教授によれば、明治時代、日露戦争前後にもロシア文学の大ブームがあった。「文芸誌に日本人作家の創作がほとんど載らず、巻頭記事がロシア文学の翻訳だったりした」(加藤さん)。加藤さんの研究によると、美文体で一世を風靡(ふうび)した尾崎紅葉の役割が実は大きかった。ロシア語のできる門弟が下訳し紅葉の指導で「読める日本語」に次々置き換えていく「今では考えられないリレー方式」で世に問うた。

 加藤さんは大学でロシア語を教えるが「ロシア語を履修した学生の就職が非常にいい。クラスは活気づいてます」。資源高で絶好調のロシア経済の影響も、再ブームの一端にはあるらしい。

 富山大教授でロシア詩人のカザケービッチさんは、93年に初めて来日したときのことをよく覚えている。日本人のロシア文学研究者と歩いていると、同僚が感慨深げに言った。「少し前まで、ロシア語を話して歩いていたらスイカを投げつけられた」

 国民性似通う?

 保守メディアでは嫌韓、嫌中の論調が目立つが、総務省の「外交に関する世論調査」によれば好感度調査では常にロシアがワースト1。07年調査でもロシアに「親しみを感じない」人は81.6%。中国(63.5%)、韓国(42.6%)を引き離す。不思議なねじれだが、カザケービッチさんによれば「それも当然」。

 「プーシキンは外国へ行く友人に『トランクに入れて連れていってくれ』と懇願した。トルストイは家族を連れて亡命したいと手紙に書き、ゴーゴリは『ロシアと聞いて連想するのは雪と卑劣漢』と言い、医師でもあったチェーホフは『ロシア人はウオツカ好きで医者嫌い。そんな民族に、何を言うことがあろうか』と書きました」

 ロシア人は、ロシア人が嫌いである。ロシア人は、世界(ヨーロッパ)の外れにいるという劣等感がある。その劣等感ゆえに、ロシア人はロシアが世界の中心であるように考えがちでもある。結局のところ、ロシア人にはロシアしかいらないのである――。

 カザケービッチさんの母国評だが、「ロシア」を「日本」に置き換えると……。明治以来、何度も繰り返す日本での露文ブームの背後には、二つの国の奇妙な相似形が透かし出されてくる。

   ◇

 佐藤優さん(起訴休職外務事務官)の話 今の日本でのロシア文学、とりわけドストエフスキーが受けていることを、私は実は好ましいとは考えていないんです。ドストエフスキーは世界大混乱を予兆する強烈なニヒリズムの文学であり、ひそかに読まれるべき書。そこに肯定的な価値を付与している日本の読書界は、受け止め方が転倒している。『蟹工船』がヒットしていることとも軌を一にするが、日本社会の現在の閉塞(へいそく)感を表していると見るべきだ。かつての帝政ロシア/ソ連社会のように、今の日本は、いい人がいい人間のままでいることの困難な社会になっていることの証左だと思う。(近藤康太郎)

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転載:「排外主義によく効く表現実行委」福岡からのお願い

  613緊急行動に賛同された方に一斉送信しております。 今月20日、福岡において「在日特権を許さない市民の会」が「外国人参政権反対」のデモを予定しています。それに抗議する「排外主義によく効く表現行動実行委員会」が結成れました。以下、同実行委員会からの賛同の呼びかけを転送致します。京都以上の行動が組織できるよう、皆さまのお力をぜひおかし下さい。

※「外国人排斥を許さない6・13緊急行動」は先日解散し、メールの一斉送信もしない予定でした。ただ、今回の福岡と同様に、在特会などによる排外的な動きがあれば皆さまに情報をお送りしたいと考えております。もし今後そういったメールは必要でないという方がおられれば、その旨返信していただけるようお願いいたします。もちろん今後の一斉送信も、最低限のものに限らせていただきます。変則的ですが、何卒ご容赦下さい。 (重複されて受け取られている方にはご迷惑おかけします)

――――――――――――【転送・転載歓迎】――――――――――――  

 今国会での外国籍住民への監視を強化し、さらに完全排除するなどの改悪入管法が成立し、下記の様にきたる7月20日に「在日特権を許さない市民の会」と称する差別・排外主義団体が福岡で「外国人参政権反対」のデモに抗して、みなさんに賛同お願いのメールです。

 あまり時間がありませんが、できうるかぎりの私たちの主張を掲げ、広めていきたいと思いますのでご協力、共闘をお願いします。

・・・以下、「排外主義によく効く表現実行委」福岡からのお願いです。 「在日特権を許さない市民の会」が福岡で「外国人参政権反対」のデモをするとの情報を得て、かれらによって醜悪な言動が福岡でもまきちらされることを憂慮した有志により、対抗行動のための組織として「排外主義によく効く表現行動実行委員会」が組織されました。  実行委は下記の通り声明を発表し、在特会の集会とデモ、およびそれに象徴される日本社会にはびこる差別と排外主義に抵抗するための行動を行います。思いを同じくする大勢のみなさんの声明への賛同と行動への参加をお願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私たちは共に自由に生きる! 差別、分断、排除をやめろ! 7月11日(土) 午後6時~ 福岡市天神コア前(ビラまき&アピール) 7月20日(月祝) 午後1時~ 福岡市天神コア前 (ビラまき&アピール&在特会デモに対するサイレントプレテスト)

主 催:排外主義によく効く表現行動実行委員会

賛同者:青柳行信(NGO人権・正義と平和連帯フォーラム・福岡)・ いのうえしんぢ(フリーターユニオン福岡)・今井恒平(フリーターユニオ ン福岡)・上村陽一郎(フリーターユニオン福岡)・内野瑞樹(フリーター ユニオン福岡)・小野俊彦(フリーターユニオン福岡)・河口英治(福岡ゼ ネラルユニオン)・桑畑洋一郎・竹森真紀(学校現場に内心の自由を求め君 が代強制を憲法に問う裁判原告)・筒井修(福岡地区合同労働組合)・丸田 弘篤(フリーターユニオン福岡)・脇義重(平和をあきらめない人々のネッ トワーク福岡)(7月7日現在) ※下記の声明に賛同していただける方は、下記情報を実行委まで下記メールに てお知らせください。yokukiku720@gmail.com (詳細記載は下記)

<声明:排外主義によく効く表現行動実行委員会> 私たちは共に自由に生きる! 差別、分断、排除をやめろ!  

 2009年4月11日、埼玉県蕨(わらび)市で、不法滞在を理由として両親が強制送還され、日本政府により家族と別れて暮らすことを強いられた女子中学生の自宅・学校周辺に押しかけたうえで、「犯罪を侵した外国人は家族もろとも日本から出ていけ」などと主張する卑劣なデモがありました。このデモを主催したのは「在日特権を許さない市民の会(在特会)」であり、この団体は、外国人を共生すべき他者としてではなく「潜在的な犯罪者」とみなして差別し、「ヨーロッパ人やアメリカ人は受け入れられるが、朝鮮人や中国人どこにでもいて、他の人種よりも百倍も犯罪をひき起こしているからダメだ」「韓国人は対馬にムクゲの花を植えて対馬を乗っ取ろうとしている」「行政と結託した極左暴力集団が我々の国民運動をつぶしにきている」というような、強迫観念にとりつかれたとしか思えない発言を繰り返しています。在特会は現在、そのような強迫観念にかられるように外国人参政権に反対するデモを全国各地で行っており、7月20日には福岡でもデモ行進を企画しています。

 私たちを含め多くの人が、格差や貧困がひろがるこの社会のなかで、さまざまな不安を抱えて生きることを強いられています。在特会に集う人々は、そのような不安を取り除くため、想像の中で純粋無垢な「日本」を描き、そこに精神的な拠り所を見出し、その拠り所を「外敵から守る」という妄想にかられた言動を繰り返しているのでしょう。インターネット上で「ガイジンとサヨク」を馬鹿にする動画を公開して悦に入っている在特会…底無しに哀れです。

 しかし、かれらがいかに哀れな連中であるにしても、在特会のような動きは、現在の日本において人々の生や労働が不安定化し、分断と格差が生じる現実を覆い隠すために「日本人」という人種的なまとまりや「国民としてのプライド」をでっちあげてゆく政治に連なるものであり、見過ごすことはできません。在特会のような排外主義は、好景気の時には外国人労働者をさんざんこき使い、不要になった分だけ潜在的犯罪者として排除するようにして、次々と改悪されている日本の入国管理政策とも連動しています。また私たちは、社会が流動化・不安定化する中で不安心理にかられた日本人が「外国人」のリンチ・虐殺にまで至ってしまった余りにも悲痛な歴史を知っているはずです(関東大震災など)。在特会の吐く数々の醜い言葉には、紛れもなく虐殺の予感が潜んでいると言わねばならないし、「同じ土俵に乗るな」と言って放置していれば済むものだとは思えませ ん。たしかに私たちは、在特会に集う人々の妄想などとは何の関係もない、多様な生をつなぎ、他者と共生する文化・社会の創造をこそ目指していますが、あのような排外主義者たちの醜悪な発言が公共空間で垂れ流されることを黙認することはできません。

 私たちはみな、この資本主義社会の中で他者と分断され、競争することを迫られ、力を持つ国家や金を持つ企業によって翻弄される不安定な貧民であり、労働者です。私たちはそのような力や流れに抵抗するためにも、分断線を乗り越えて他者と繋がり、共に自由に生きてゆくことを目指します。私たちは排外主義に対する反対の意志を表明し、多様な生をつなぎ、有象無象の他者とともに新しい文化・社会を作ることを目指す表現行動を行います。7月20日の行動への多くの方の参加と賛同を呼びかけます。 2009年7月7日 排外主義によく効く表現行動実行委員会(福岡)

※賛同していただける方は、下記情報を実行委まで下記メールにてお知らせくだ さい。 yokukiku720@gmail.com

<賛同メッセージ>
「排外主義によく効く表現行動実行委員会」の声明に賛同します。
お名前(あれば所属・県名など)
: ひとことメッセージ
: 現時点での詳細は下記のブログを参照ください。
http://720action.blog85.fc2.com/

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入管法・入管特例法・住民基本台帳法改悪に抗議する

 入管法・入管特例法・住民基本台帳法改定案が、参議院本会議を、自民・公明・民主の賛成で可決成立した。

 以下、反差別国際運動(IMADR)のメール・マガジンの抗議・批判文である。この問題点については、すでに当ブログでも書いている。民主党は、在日朝鮮人の多くが属する特別永住者には、新たに「特別永住者証明書」を交付するが、携帯義務をなくすという修正案を通した。しかし、問題は、在留者の管理を法務省に一元化したことであり、明確に治安対策として、在日外国人対策を統合したことにある。総務省地方自治の領域から、法務省入管に外国人管理を完全に移したのである。これによって、「在日」もまた法務省の情報管理の網の目に把捉される対象となるのである。常時携帯義務はなくすにしても、治安目的での情報監視網に入れられるわけである。もちろん、その他の在日外国人に対しても、治安管理がより細かく厳しくされるわけで、不法滞在者に対しては、生存権すら認めないということになりかねないのである。この法制度の改訂内容を見れば、埼玉県蕨市で、不法滞在者の子供を含む家族に対して、「犯罪者は出ていけ」と叫んだ「在特会」などの右翼が、実は、法務省入管の差別排外主義を民間で代弁し、その代理人として、民間で道を掃き清める役を果たしていたことは明らかである。

 27日には京都で、23日には東京でも、入管法・入管特例法・住民基本台帳法改悪に抗議する集会がある。今後も、入管体制に対する闘い、そして、法務省入管の民間代理人たる「在特会」などの差別排外主義の跋扈を許さない闘いを発展させなければならない。

 改正入管法が成立 在留情報を一元管理 MSNニュース 2009.7.8

 改正出入国管理及び難民認定法(入管難民法)が8日、参院本会議で可決、成立した。国による新たな在留管理制度で、中長期間滞在する外国人の利便性を向上する一方、不法滞在者対策をはかり、「外国人と日本人とが共生する社会の基礎」(森英介法相)になる。同法は公布後、在留カード交付など最長3年以内に段階的に施行される。

 3カ月を超える中長期滞在の外国人について、これまで法務省では上陸時と在留許可申請時の情報しか得られず、在留中は国が委託した自治体で実施する外国人登録の情報で管理していた。だが、居住実態などが正確に把握できず、就学や保険、手当など自治体の事務にも支障を来たしているほか、外国人登録証(外登証)が不法滞在者にも交付され、就労や在留継続を容易にするなどの問題が生じていた。

 改正法では外登証を廃止し、正規滞在者だけに新たに「在留カード」を交付。在留情報を国(法相)が一元管理することになった。

 在留カードは新規入国者は上陸時に、在留者は各地の入国管理局でそれぞれ作成。写真のほか届け出事項の氏名、生年月日、性別、国籍、住居地、在留資格・期間などが記載される。常時携帯が求められるほか、記載事項変更時は入国管理局への届け出義務もあり、いずれも違反すると罰則が科せられる。また届け出事項については入管の事実調査も可能になった。

 カードには登録情報を収めたICチップが入り、偽変造などには、懲役や罰金などの罰則が科せられる。

 一方、戦前から日本で生活する在日韓国・朝鮮人の特別永住者には同様の「特別永住者証明書」を交付するが、歴史的な背景を考慮し、常時携帯義務はない。

 また、低賃金労働などの事例が問題になっていた外国人研修制度では、新たな在留資格「技能実習」(最長3年)を作り、1年目の技能習得段階でも企業と雇用契約を結ばせることで、労働基準法や最低賃金法など労働関係法令の適用を可能にし、保護する。

 このほか、在留期間を従来の3年から5年にするなど、利便性を高める。

        ◇

●改正入管法の骨子●

・国が在留情報を一元管理、外国人登録証は廃止

・中長期の在留者に「在留カード」交付、常時携帯義務

・特別永住者に「特別永住者証明書」交付、携帯義務なし

・外国人の在留期間を3年から5年に伸長

・外国人研修制度で在留資格「技能実習」を創設。労働関係法令適用で、搾取を防ぐ

・在留資格「留学生」「就学生」の一本化

1.入管法・入管特例法、住民基本台帳法・改定案成立に抗議する
───────────────────────────────────
 本日(7月8日)の参議院本会議にて、入管法・入管特例法、住民基本台帳法・
改定案が可決、成立しました。IMADR-JCも参加する「在留カードに異議あり!」
NGO実行委員会は本日、十分な議論を経ていないこの法案成立をうけて、参議院
議員会館にて記者会見を開催し「改定入管法・入管特例法・住基法の成立に対
する抗議声明」を発表しました。

 記者会見では、「入管法改定案は与党がおしてきた案であるとともに、グロー
バル企業と法務省の連携が可決につながった。グローバル企業の勢力が日本の
法案に強い影響を及ぼし、国会の機能が低下しはじめている」(衆議院議員
(社民党)保坂展人さん)、「入管法改定の大きな目的の1つに、日本の産業を
担ってきた非正規滞在者を『使いにくく管理しにくい労働力』として国外へ追い
出し、代わりに『使いやすい労働力』として労働権・人権を制限された外国人
研修生・技能実習生の受け入れシステムを固定化する、ということがある」
(全統一労働組合・鳥井一平さん)といった問題が指摘されました。

 IMADR-JCはこれに先立ち、参議院での審議が進行中の6月30日、これらの法案
成立への動きに抗議する声明を発表し、参議院法務委員会委員長および理事に
送付しています。

 IMADR-JC声明「外国籍者の管理強化ではなく、権利確立を─入管法・入管特例
法、住民基本台帳法・改定案成立への動きに抗議する」の全文は以下をご覧
ください。

 

反差別国際運動日本委員会(IMADR-JC)声明 2009年6月30日http://www.imadr.org/japan/statement/imadrjc/post_19/

 外国籍者の管理強化ではなく、権利確立を
―入管法・入管特例法、住民基本台帳法・改定案成立への動きに抗議する

 6月19日、入国管理法、入国管理特例法および住民基本台帳法改定案が衆院を通過し、現在参院での採択にむけた審議が行なわれている。IMADR- JCは、この動きに遺憾の意を表明する。これらの改定案は、外国籍者への国家の管理を強化し、さらに排除・周縁化する、人種主義的制度につながるものである。

 今回衆院を通過した改定案は、「在留カード」の常時携帯、住居地や所属機関の変更の届出を、刑事罰や在留資格取消をもって義務付けるという非常に重い負担を課し、所属機関や学校などが外国籍者の個人情報を届け出ることを求め、外国籍者の「管理」を押し進めるものである。この新制度下では外国籍住民の個人情報が法務省に収集・一元化され、日本人の個人情報については許されていないようなデータマッチング・利用がなされうる。さらに、同改定案は非正規滞在者や難民申請者を制度の対象外とすることでこれらの人びとを社会において不可視な存在とし、また、地域の行政サービスや教育の場を奪うことにつながる可能性がある。加えて、日本人・永住者の配偶者として滞在している人びとが一定期間「配偶者としての活動をしていない」場合在留資格取消しできるとしており、DV法の適切な運用からDV被害者である外国人女性を排除し、人権侵害を拡大する要因となる。また、新設される「みなし再入国許可」の規定は、朝鮮籍の在日コリアンを排除しうる内容である。上記の問題の一部については、衆院での審議を経て、付帯決議や一部の修正が加えられているが、問題が解消されたとはいえず、いまだに非常に差別的な内容を含んでいる。

 2009年4月にスイス・ジュネーブで開催されたダーバン・レビュー会議成果文書の文面には、「78.すべての差別的な政策と勧告を撤廃する目的で、入国管理政策が国際人権義務と矛盾していないかを見直して、必要ならば変更するよう、すべての国家に求める」とされている。

 日本は、外国籍住民の住民としての権利、マイノリティとしての権利を十分に保障しないまま、国家による管理の対象としてきた。そのなかで、2007 年11月、「テロ対策」を口実に導入された、16歳以上の外国人のほとんどに指紋や写真などの提供を義務付ける日本版「US-VISIT」などの人種主義を制度化する法制度が作られ、運用されてきている。国家がマイノリティを社会の中で排除・周縁化し、管理対象として扱う動きには、常にマイノリティに対する憎悪や恐怖の煽動がともない、このような扱いが異常なものではなく当然であるかのような仮説が、権力の維持・拡大に利用されてきた。

 グローバル化のもと、また、外国人労働者の受け入れ拡大にむけた政策が盛んに提示されるなかで、日本は現実として多民族化が進み、今後もその流れは止められない。そのなかで、今、必要とされているのは、外国人を犯罪者扱いし、外国籍住民を管理対象として扱うことではなく、日本社会がこれらの人びとの存在を認識し、地域・社会を共有する住民として受け入れ、住民としての諸権利を保障することである。異なる背景やアイデンティティを持つ人びとが尊重され、ともに豊かにしていく多文化・多民族共生社会をめざすためにも、今回の法案による人種主義・人種差別のさらなる制度化を許してはならない。IMADR-JCは、入管法・入管特例法・住民基本台帳法改定案に反対し、参院での慎重な審議を求める。

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金融貴族の支配

  7月革命の後で、自由主義者の銀行家ラフィットは、自分の仲間のオルレアン公を意気揚々とパリ市庁舎に先導しながら、ふと漏らした。「これからは銀行家が支配する」と。ラフィットは革命の秘密を漏らしたんだ。
 ルイ・フィリップの下で支配したのは、フランスのブルジョワジーじゃなくて、その一分派、銀行家や株取引王、炭鉱・鉄鉱山・森林所有者、それと彼らに結びついている一部の土地所有者たち--いわゆる金融貴族たちなんだ。そいつらが玉座に座り、議会で法律を公布し、内閣の大臣からタバコ局の役職に至るまで公職を分配した。Copyright on Japanese Translation (C) 2002 Ryoichi Nagae 永江良一

 これは、マルクスの『フランスの階級闘争』の第1部1848年6月の敗北最初の部分である。1848年革命では、ブルジョアジー全体ではなく、その一分派である金融貴族を権力を握る。そこで、バルザックやフローベルが描く、金融貴族の支配が始まるのである。産業ブルジョアジーは、政府の反対派に加わっていた。いわゆる『ナショナル』派である。この時、男子普通選挙が始まり、この金融貴族の支配は、12月には、ナポレオン3世が大統領となり、帝政を復活することで終わる。

 7月革命後に支配を達成した金融貴族は、投機や山師的商売や詐欺や空想的な投資計画の作成に熱中した。フローベルの『感情生活』の主人公フレデリックは、田舎から出てきた貧しい学生で、法律家になることを目指していたが、ある時、突然、遺産を相続することなり、一夜にして成金となった。そこで、証券投資や投機などにそれを元手に投資していくが、証券投資の失敗で、元の木阿弥となる。その過程で、7月王政を倒して、権力を握るのが、こうした金融貴族たちである。これらの思惑取引、信用の状態、それらの変化が、社会生活を大きく動かした時代であった。主人公が恋するのは、共和派の産業ブルジョアジーの夫人だったが、時代は、金融貴族のものだった。農村では、ナポレオン1世が解放した農地が細かく分割されて分割地農民が発生していたが、金融貴族たちは、これらを抵当としてかれらを借金づけにした。負債の圧力に押しつぶされ、土地を失い、あるいは失いかけたかれらを十分に吸収する産業が都市に育っていなかった。もちろん、金融貴族がそれをまじめに実行するわけがなかった。あらゆる階級階層の代表者という綱渡りを演じて、帝政を復活させたのが、サン・シモン主義者のルイ・ナポレオンである。分割地農民たちは、彼に期待した。この間、わずか2年余りである。

 『感情生活』には、主人公が恋する夫人の子守の黒人女性が登場する。奴隷貿易は、15~16世紀にかけて、世界中で行われ、アフリカ大陸の人々ばかりではなく、中国の人々、日本の人々も、売り買いされた。この時代から少し後に、新大陸では、南北戦争が勃発し、北部が勝利して、黒人奴隷を解放し、奴隷貿易を禁止する。マルクスは、南北戦争についても、『ニューヨーク・デイリー・ドリビューン』などの新聞に記事を書いて分析・評価している。アメリカは、ヨーロッパ大陸でのごたごたをよそに、保護貿易主義をとって、内陸開発に邁進し、重化学工業化を進めていく。アメリカの金融貴族の「金ぴか時代」は、1920年代である。アメリカのプラグマティストのデューイの教育論が形成されるのは、科学と発明と実験とその産業化が豊かさを実現していく19世紀末から20世紀初頭の時代であり、未来に向かって前進し発展していく産業状態と教育・学校を結び付けようとするものであった。ちょっと、サン・シモン主義者ナポレオン3世の登場とパラレルな感じがする。アメリカの金ぴか時代は、29年恐慌であっというまに終わる。

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届かない定額給付金

 先日、フランスのハウジングプア問題を描いた映像を観た。

 最近、フランスで増えている旧植民地からの移民労働者が、公営住宅にも入れないため、職もないという悪循環に陥っているので、空きアパートを占拠する闘争を行った様子を映したものである。

 移民労働者といっても、もちろん不法移民である。この闘争に参加しているのは、女性が多かったのだが、彼女たちは、ハウスキーパーなどの雑業に従事している。パリの民間アパートにはけっこう空きが多いにもかかわらず、家主は、彼女たちの足元を見て、家賃を高めにしている。したがって、彼女たちは、職を失えば、ただちに住むところを失うことになる。もちろん貯えなどわずかしかできない。それをアピールするために、こうした闘争が行われているわけである。

 日本でも似たような情況になっているが、だからといってこういう闘争戦術を取れるということにはならないだろう。しかし、職と居住と貧困と差別がつながっているということをこの映像は示していた。旧植民地出身者ということで言えば、植民地支配の清算とかその保障とかいう観点からも事態を見なければならないだろうが、それは直接には描かれていなかった。ただ、闘争の現場では、イスラムの音楽が流され、文化とともに、権利を主張していて、そこには、生存権から住居権から労働権から文化権から、いろいろな総合性を持った社会性の創設という志向とエネルギーを感じた。

 下の記事は、麻生の人気取りのばらまき生活給付金が、結局、住所の明確な人々にまでしか渡らず、住所不定の野宿者やネットカフェ難民などには渡らなかったこと、つまりは、緊急にそういうお金を必要とする人たちには渡っていないことを示している。定額給付金をめぐる議論では、上層が受け取るのは公平かどうかとか、自主的に受け取りを拒否するかとか、上の方の態度や反応ばかりが議論された。居住権の保障なしに、生存権も保障されないということが、フランスの例でも示されている。

 それと関連して、デヴィッド・ハーヴェイの『パリ』という本を読んで大変面白かった。ハーヴェイは、フランスの1848年革命がナポレオン三世の第二帝政に帰着する中で、このサン・シモン主義者の皇帝が、オスマンに命じて行ったパリの都市大改造計画が、資本、とりわけ、金融資本の街へとパリを変えていく様子を、バルザックやフローベルの小説や絵画などの象徴分析を用いて分析し、そういうイマージュの空間化に対して、それに対抗する様々な対抗空間の創設を通じて、1871年のパリ・コミューンが準備されていく過程を描いている。イメージや象徴を配置して、金融資本の支配と権力をうち立てる過程に対して、それに反発する産業ブルジョアジーや女性プロレタリアートの姿を描いている。それは、想像や象徴や表象をぶつけ合う闘いでもあり、そうして感情レベルでの闘争の過程であった。王党派支持者のバルザックは、王党派が基盤とする農村地主の感情生活を理想として描き、パリの雑多な階級階層のひしめき合う都市生活者をエゴイストの群れとして描いている。例えば、『ゴリオ爺さん』では、フランス革命に参加して、一代で製粉業者として、つまりは産業資本家として財を成した職人上がりのゴリオ爺さんは、妻亡き後、大切に育ててきた二人の娘を新興の金融貴族に嫁がせるが、娘たちは、過去の人に追いやられた父親に金の無心をするばかりで愛情を返さず、ゴリオ爺さんは、財産の多くを娘に与えて自らは安下宿に引っ越して、つつましく暮らし、ついには娘に看取られることなく、死ぬのである。彼が住んだ安下宿のある一角は、教会に挟まれた馬車も通れないような急坂の路地の底にあるところにあった。

 この頃のパリの女性の現実について、ハーヴェイは、データをも示しながら、ほぼ職業から締め出されていて、教育を受けた女性なら家庭教師、そうでなければ裁縫師や家政婦などわずかな働き口しかなく、結婚は生活の必要であったことを示してる。しかし、既婚女性が離婚すると、これらの働き口ぐらいしかなく、しかも、賃金は安かった。だから、娼婦になる者も多かったという。金持ちや貴族の愛人というのも、比較的実入りのいいものでありえたという。それに、地方から来る学生の世話をするという仕事もあったという。しかも、産業の必要と男性労働者の賃金を抑え、抵抗を抑えつけるために、女性労働者をスト破りとして雇い入れることも行われるようになった。女性は、男性の下で従順に家庭のことに専念すべきだという考えが、プルードンなどによって広められた。しかし、ハーヴェイによると、そうした考えには、男性労働者はあまり染まらず、むしろ、女性労働者の賃金や待遇の改善を要求したという。しかし、全体としては、女性労働者を家庭に引き戻し、男の支配の下に従順な妻としておくべきだとする考えは、広まっていった。しかし、フェミニストの一部は、女性連盟を組織して、パリ・コミューンに参加していく。

 山谷における取り組みとして、空いている簡易宿泊所を行政に買い取らせて、野宿者の住居として、住所を確保して生活保護を取らせる試みが行われているという。以前、大阪で、野宿者を大量に労組の事務所を住所として登録したことに、行政がそれを解除するという事件が起きたことがある。住民登録が行われていなければ、権利主体とされないということは、フランスでも同様だったようだ。今は多少の改善が行われているようである。「年越し派遣村」の件で明らかになったのは、日本でもそうした問題が広がっているということであり、下の記事は、それを示してるのである。それに、難民問題や不法外国人労働者問題は、居住権というよりも、労働権と生存権の関係の問題を提起していて、それに難民問題の場合は、政治問題が絡んでいる。日本の不法滞在外国人労働者問題の場合は、産業的にはほぼ製造業に偏っており、したがって、愛知県豊田市とか浜松市などに集中している。それは、国土交通計画による産業配置による空間配置によって形成された全国空間の配置図にしたがって形成されている地域の抱える問題となっている。対策が急がれる。

定額給付金の申請書、47万世帯に未到達

 総務省は3日、市区町村が発送した定額給付金の申請書のうち転居先不明などにより、47万1567世帯分が世帯主に届いていないと発表した。

 6月26日現在の調査で、支給対象約5475万世帯の0・9%にあたる。同省は今月中旬から、申請が終わっていることを確認するよう広報活動を始める。

 定額給付金の申請書は、住民基本台帳または外国人登録原票を基に世帯主にあてて送られる。しかし、引っ越す際に市区町村に転出届を出していなかっ たり、郵便物の転送手続きをしていなかったりすれば、申請書は市区町村に返送される。届いていない申請書が最も多いのは東京都の9万492通。次いで神奈 川県4万9099通、大阪府4万7384通で、人口移動の多い都市部が目立つ。日本人にあてたものが約23万3000通で外国人は約7万3000通ある。 残りは日本人か外国人かを確認できていない。

 定額給付金を受け取るための申請期間は市区町村の受け付け開始日から6か月以内で、多くの市区町村が10月ごろに申請期限を迎えるとみられ、申請漏れのため給付金を受け取れない人が出てくる可能性もある。

 また、6月26日までに支給された定額給付金は総額1兆7726億円で給付対象世帯の86%に支給済みだった。

(2009年7月3日読売新聞)

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