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「ヘイトスピーチは許さない、『行動する保守!?』とどう向き合うか」集会に参加して

 当ブログで呼びかけを転載した8月14日の「ヘイトスピーチは許さない、『行動する保守!?』とどう向き合うか」集会に参加した。

 事前に、「在日の特権を許さない会」が会場に押し寄せるという情報を聞いていたので、やや緊張して会場に向かった。

 会場は、「在特会」などの差別排外主義の動きを危惧し、それと闘う人々が多く参加し、盛況であった。

 具体的な内容については、実行委のブログなどを参照していただくことにして、私的な感想などについてちょっと書いておきたい。

 まず、「在特会」のスピーカー的存在らしい西村という人物について。外形はやや小太りで、ワイシャツに蝶ネクタイというかっこうで、マイクを持って、インターネット実況中継をやっている姿を見て、古館一郎に似ていると思った。

 三鷹での「慰安婦」関係イベント会場に押し寄せた妨害行動の際に、彼が語っていたのは、「従軍慰安婦」は、民間の「売春婦」であるというもので、「新しい歴史教科書をつくる会」などが、これまで繰り返してきた言説をなぞっているだけである。この言説の狙いは、簡単で、要するに、国家や軍隊は、不当に犯罪者扱いされてきたが、そうではないという認識を植え付けることである。

 このこと、つまり、国家は悪ではないという彼やかれらの発言を心地よく聞いているのが、国家官僚であることは明白である。かれらをつないでいる精神的な絆こそ、国家主義であり、「愛国心」だからである。官庁同士、官僚同士は、立身出世競争に駆り立てられていて、それだけであれば、国家官僚機構はばらばらになる傾向が強まる。それを、一つにしているものこそ、「愛国心」なのだ。しかし、それは共通利害を持っている。つまり、国益として構成される共通利益が。

 それに対して、かれらが敵と見なして、「北朝鮮に帰れ!」と悪罵を浴びせているいわゆる「反日左翼」は、国家解体派ばかりではない。国家に対して、民間を対置する西村的言説と、国家に対して、社会であれ市民社会であれ、中間領域を対置する一部左翼の言説は、実は、そんなに遠くないということに注意が必要ではないかと思った。

 それは、差別をなくすために、差別禁止法、人権法などを制定して、国家がそれを強制することは、表現の自由との関係で、どうなのかという問題が、例えば、アメリカで、フェミニズムをめぐって、マッキャノンのポルノの強制的禁止運動に対するジュディス・バトラーの反対議論があり、こういう種類の議論と共通する問題を感じたからである。

 しかし、「在特会」のような、「外国人は死ね、殺せ」「「在日」に人権はない」などの発話は、それ自体、公然と街頭で発していいものかどうかという問題が、社会問題として存在する。このようなヘイトスピーチが、公然と公共の場でなされていることに、この社会はどのような態度を取ればいいのかが問われているということである。ここで、責任を国家に求めるというやり方もあると思うし、そうすべきだろうが、他方では、国家は市民社会の総括であるから、この社会の在り様を問題にせずして、国家対市民社会とか、社会領域を、国家と無関係で、それと対立するように見ることは、リアリティがないし、それは、あまりにも安易であるように思う。

 それではどうするか? これに抗議する者は、新しい権力として、自覚的に彼らに対して臨むということである。つまりは、自己関係としての自己権力として対するということだ。なぜなら、これは、権力闘争であって、未来の権力をめぐる闘いだからである。かれらは、あくまでも、既存の国家を前提として、国家官僚の利害を民間で代弁し、民間の官僚代理人という権力として振る舞っているからである。現存権力としてのパフォーマンスとして、こうした行動を行っているのである。かれらは、各地の行動で、犯罪外国人を捕まえるように警察に求め、かれらに指揮命令をする国家官僚としてのパフォーマンスをしているのである。それに対して、抗議する側は、当事者を代理するし、そのときに、権力としての「われわれ」を構成しつつ、かれらに対して、権力を行使するパフォーマンスをもって対抗する他はないのである。

 こうして、かれらの自由とわれわれの自由が衝突しているのであり、この衝突によって、「われわれ」の「領域」を拡大し、当事者にとっての自由の「領域」を拡大していかなくてはならないのである。諸報告を聞いた限りでは、かれらの自由は、「われわれ」の自由より大きく強い。法律が文言上で言明している中立だの公正だのというのは、現場の実際の具体的な運用の場面では、不公平で、「われわれ」に不利な方に傾いている。かれらが、入管法違反の不法滞在者を犯罪外国人と規定するとき、その法的根拠として、在日外国人を法務省が一元管理するようにする入管法体系の排外主義的改悪というものがある。それを後ろ盾にしているのだ。

 「在日」の人々と共に活動し、苦楽をともにした経験があり、その経験からも、こうした友人でありたいと思う人々に対して、これほどの差別排外主義の言葉を公然と街頭で叫ぶ輩には、たんてきに深く大きな怒りを感じる。

 それに対して、かれらと話し合いをなどという言葉は、理性主義的で、頭で立っているというのか、そんなふうに聞こえてしまう。もちろん、それを否定しているわけではない。それもやってみればいいと思うが、気になるのは、この排外主義が、旧来の右翼と違って、ファシズム、ネオ・ナチ的な特徴を持っているのはないかという点であり、市民運動、大衆運動というスタイルをとっているということであり、このような特徴に対して、どのように対応すればいいのかということである。

 ナチスの例でいえば、街頭での共産党系行動を潰して、ナチスが台頭したということがあり、「右」の街頭運動を作ることに成功したということがある。その際に、「国家社会主義」という大きな絵を提示して、当時のドイツの経済的苦境からの脱出口を示したということがある。今のところ、かれらは、ヘイトスピーチ、ネガティブ・キャンペーンに終始しているが、現在の不況が続くようだと、そうした大きな絵を描いて大衆を掴もうとするかもしれない。そういう時に、「われわれ」が大きな絵を描いて提示しないと、かつての社会党のような反対派として、敗北していくのではないかという危惧を感じる。人々は、小さな物語の中にいると、そのアイデンティティは、不安定で不明確であり、ラクラウ・ムフの言い方では、「浮遊するアイデンティティ」の状態に置かれる。ラクラウ・ムフによれば、それは縫合されたり、ばらばらになったりする。それに耐えきれる者は、一部の知的エリートや「前衛」だけではないだろうか。大きな物語の中で、自己の位置を明確にし、アイデンティティを安定させ、そして安心したいという大衆心性に対して、そのような厳しく、そして特権的と言っても言いような、高度な修行を要する主体を求めても、短期的には実現は難しい。その間に、情況の悪化が進んでしまうことは、あまりよいものとは思えない。

 ガンジー主義にもそういうことを感じるところがある。先日、生協関係者の方と話しする機会があったが、その人は、ガンジーは、あの不服従行動の前に厳しい修行を積んでいたということを言っていた。そうでなければ、あのような厳しい不屈の闘いはできなかっただろうというのである。それに対して、唐突のようだが、スピノザの『知性改善論』における知性改善法、認識論の改善の提起は、未完とはいえ、誰でもすぐに実行でき、そして、それによって、かかるヘイトスピーチ、差別排外主義の誤りを見抜き、それを退けられる新たな知性を獲得できるようになっているので、それを広めるのがいいと思う。功利主義、あるいは計算合理主義的知性に、それができないのは、利益や効用についての計算の表象が、それを邪魔するからである。向こうにつく方が得か損かなどという計算で、行動してしまう。そういう価値判断になっていくからだ。そうして、計算合理的知性の持ち主は、頭で合理的に計算しながら、効用の表象に引きずられて、ずるずると、頭の中の計算と違った方に引き込まれていくのである。いわゆる「頭のいい人」がおかしくなっていくのは、そういうことが多いように思える。「どうしてあの頭のいい人がそんなことをするのか」とかいうことがあるのはそういうことだろう。最近では、ホリエモンがそうだろうし、かつてなら、利害計算上、敗北が確実とわかっていた山本五十六などのエリート幹部が揃った戦前日本の国家の最高意志決定機関が、ずるずると世界戦争の泥沼に入っていき、そして抜け出せなくなったのも、そういうことだろう。

 基本は、実は、個人的価値判断ではなく、社会的価値判断であり、社会的知性であり、「われわれ」の構成である。それをスピノザは次のように述べている。

 「最高の善とはしかし、出来る限り、他の人々と共にこうした本性を享受するようになることである。ところで、この本性がどんな種類のものであるかは適当な場所で示すであろうが、言うまでもなくそれは、精神と自然との合一性の認識(cognitio unionis quam mens cum Natura habit)である。(14)だから私の志す目的は、このような本性を獲得すること、並びに、私と共々多くの人々にこれを獲得させるように努める努めることである。言い換えれば、他の多くの人々に私の理解するところを理解させ、彼らの知性と欲望を全く私の知性と欲望に一致させるように努力することがまた私の幸福になるのである」(『知性改善論』岩波文庫18頁)。

 

 これは、共産主義的知性であり欲望でなくてなんであろう! それに対して、ヒトラーやスターリンは、「われわれ」の本性を一つとして、知性と欲望を一致させることを幸福としたことはなかった。ヒトラーという「我」は、ただ「われわれ」としての国民や民族が自分とは異なる知性と欲望を持つことを幸福としていた。ただ、礼賛や奉仕を求め、特別な指導者としての「我」を崇拝する臣下であることを幸福とした。つまり、支配者と被支配者という異なる二種類の「われわれ」があるということを幸福としたのである。

 今、「在特会」が、在日外国人を、潜在的犯罪者として、差別排外主義扇動で、世の中を満たそうとしているのは、それに似た幸福欲によるものであるように見える。それに対して、「われわれ」が対置すべきなのは、こうした幸福ではないだろうか。

 今後も、「在特会」は、全国で行動を継続するのは間違いないが、それに対して、これだけ多くの人々や団体が、全国から駆けつけ、一堂に介したことは、大きな一歩であることは間違いないと思った。

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コメント

右翼も左翼もアメリカに対する独立を求めていると同時に、
在日アメリカ軍の撤退を叫んでいる。

そこで提案ですが、右翼、左翼合同でアメリカ軍基地への平和のメッセージをデモを代々的に企画しませんか?

投稿: まあまあ | 2009年8月29日 (土) 17時41分

在特会の意見について批判してるみたいですが、
従軍慰安婦って何ですが?

三鷹のそれは
ロラネット主催の中学生のための慰安婦展ですか?
中学生に何を見せる気だったんでしょう。

投稿: 結局のところ | 2009年11月 3日 (火) 23時16分

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