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2009年10月

がくさんのコメントへの返事

 がくさん。コメントありがとうございます。

日の丸君が代を絶対視しないのであれば
マルクス主義も同じでしょうよ
人権問題は左派の専売特許ではもうないですよ
なぜ左派の誰一人として中国の少数民族弾圧に
声を上げないのでしょうか
抗議の声を上げたのが先に保守派だという事実
そこは絶対に譲りませんよ 

 もともと、人権問題は左派の専売特許でないのはおっしゃるとおりだと思います。しかし、左派が、例えば、チベット弾圧に抗議の声をあげなかったということはありません。以下は、このブログで、オリンピックを前にして起きたチベット人の暴動に対して書いたものです。こうした少数民族への弾圧に抗議するということを左派がやっていないということはありません。他の左派の人やグループも抗議の声はあげています。別に、この点で、中国政府に抗議の意志を同じくしていることは、言うまでもありません。

 私は、それを人権という観点ばかりではなく、民族自決権という歴史的権利の問題としても考えていて、むしろ、その点で、保守派の一部が、主張を後退させたのですよ。それから、中国の少数民族問題をだしに取るようなやり方をして、実は、主要攻撃対象たる国内左派を批判するというような利用主義的なやり方は、もし、中国の少数民族の苦難を自分の苦難と思うなら、すべきではないと思います。

 「抗議の声を上げたのが先に保守派だという事実 そこは絶対に譲りませんよ」。こういう左派といかにも対抗心剥き出しの競争主義というのでしょうか、そういうのも、どうかと思います。左派がどうあれ、自分は、例えば、チベット人の権利のために活動するということでいいのではありませんか。それだと、右派は、今、弾圧が続いているエチオピアの野党の人々の人権問題を取り上げ、エチオピア政府に誰が抗議してますかというようなことにもなります。戦国時代の合戦の先陣争いみたいなことを競っても詮無いことと思います。人権というような抽象的なレベルでは、右派、左派などという区別は出来ません。そういうふうに、レベルを限定すれば、右派であろうと左派であろうと一緒ということになります。

 貴方はお嫌いかもしれませんが、マルクスやレーニンという人は、少数民族の自決権擁護に積極的だったし、それから、民族を暴力的になくそうなどということは言っていません。スターリンはそれに近いことをやろうとしましたし、ご存じの通り、ナチスはそういうことをしました。詳しくはわかりませんが、その場合に、たぶん、スターリンとヒットラーでは、違いがあります。スターリンの場合は、強制移住であり、ヒットラーの場合は、ガス室送りで、本当に身体的にも一人残らず絶滅しようとしました。全体主義という概念は、こういう違いを見逃して、それぞれの具体的な性格を把握し、理解することを妨げています。私から言わせると、全体主義論者は頭でっかちです。なぜ、民族政策で、こういう違いがあるのかをきちんと説明して欲しいのですが、そうしてくれません。

 チベット問題では、下に書いたように、ダライラマなどというのは、かつてはとんでもない特権階級で、小作農からのあがりで暮らしていました。そして、今のダライラマも、公然とは述べていませんが、大昔のチベットの支配した最大版図を回復しようという大チベット主義者らしい。かつて、モンゴルあたりまで、チベット族の統治範囲が及んだことがあり、そのために、モンゴルでも、ラマ教(チベット仏教の別名)が広まっています。大チベット主義は、チベット人が、モンゴル人をも支配しようというのです。それから、ウイグル人というやつですが、これは、たぶん、イスラム教徒というもので、もともとは、トルコ系ですが、それも大昔の突厥とかそういう頃のものがもとらしい。この地域は、今、石油利権なども絡んで、地元住民と移住してきた新住民との間で、利害対立があり、それが民族問題として報道されているようですが、どうも事実がどうなのかがよくわからない。暴動の主体はウイグル人と言われているけれども、民族的な性質の要求や主張、色が、見えていません。

 とにかく、中国政府のやることだからなんでも悪というようなことで、たんなる偏見や臆見を広めるだけなら、そんなものは、もしそれがほんとうに少数民族の民族的運動だとすれば、その足を引っ張るだけじゃないでしょうか。いずれにしても、大民族による少数民族差別や抑圧は、どこの地域のことであれ、問題ですが、貴方のように、中国だけを特別に重要視するようなことは、なんらかのバイアスなしには難しいのではないでしょうか。パレスチナでは、今でも、ガザ地区は、去年の年末から今年1月にかけて、イスラエル軍が行ったガザ虐殺攻撃後、廃墟とされたまま、相変わらず、イスラエルによって包囲された状態で、日本で言えば、戦国時代の城攻めのような状態に置かれ続けています。

 それから、ちょっと調べてみるとわかりますが、中国の民族問題は歴史的にとても入り組んでいて、理解するもの大変です。普通に、漢族というようなことが言われますが、これも、きちんとしたものではなく、大きくは南部と北部(華北・華南)とが違うとか、西部の少数民族、南部の少数民族、満州族、朝鮮族、等々、入り組んでいて、なかなか複雑です。

 いずれにしても、私の考えでは、マルクス、レーニンは、民族の間の非強制的な接近、融合を目指すべきことを説いているということから、それに反するようなものは出来るだけなくすという観点で、少数民族抑圧・差別に抗議し、反対しているのです。その際に、人権という抽象的一般的に問題を立てることは少なく、具体的歴史的に問題を提起することが大事だと思います。

 北京オリンピックを前に起きたチベット人の暴動に対して、中国政府は治安部隊を派遣して武力制圧した。

 しかし、チベット人の運動は、四川省など中国各地に広がり、さらに亡命チベット人へと広がっている。

 北京オリンピックの聖火リレーは、チベット弾圧に抗議するフランス・イギリスの行動によって妨害を受けている。

 だが、欧米のこうした人権主義に潜む欺瞞に注意する必要がある。フランス大統領サルコジは、首相時代に、人権を求める移民たちを「社会のクズ」と呼んだ男である。そして、移民たちの暴動を徹底的に弾圧した。もう一つは、欧米の人権主義に潜む「オリエンタリズム」やナショナリズムにも注意しなければならない。アメリカが、シーア派やクルド人の人権の擁護者という口実で始めたイラク戦争が、アメリカの国益のための侵略戦争であることは、世界の多くの人の目に明らかになっている。イギリスは、アイルランド人の人権など眼中になく、何世紀にもわたって北アイルランドを占領しつづけている。フランスは、アルザス・ロレーヌなどを手放さない。自国内の少数民族の解放を抜きに、チベット解放を掲げる人権主義は、本当の人権主義ではない。アメリカもひどい。そもそも、アメリカが、他民族解放を真に掲げる資格を持つ為には、ネイティブ・アメリカンの追放と虐殺によって奪った土地の上に建てられたという建国の正当性の総括が必要である。日本の場合は、それは琉球・アイヌ問題ということになる。日本政府は、未だに、アイヌを先住民と公式に認めていない。差別的な旧土人保護法を廃止して、アイヌ新法を制定したのはついこの前のことである。

 チベット人の民族解放要求は当然であるし、中国政府のチベット政策が、それに反するものであることは疑いない。そればかりか、中国共産党は、共産主義に泥を塗る反共産主義者である。そのことを物語るのは、新たなパンチェン・ラマの選出を中国政府の手で強行したことである。チベット仏教は、ラマと呼ばれる活仏を代々生まれ変わるという教義を持っているが、そのラマの中での最高位であるダライ・ラマとパンチェン・ラマは、特別重要な意味を持つのは明らかである。チベットが独立していた時代には、パンチェン・ラマは、祭政一致の国家元首であり、政治指導者であった。ラマは、優秀な学僧であり、この二人だけではななく、多数いた。ラマに選ばれると、僧院で特別な待遇を受け、英才教育を施される。その上、ラマには、ある地方の土地の権利が与えられたという。おそらく、かれらは在外地主で、土地は小作人が耕し、生産物を貢納していたのだろう。先のパンチェン・ラマは、強権的な支配をしたようで、チベット人の間では人気がなかったという。そのパンチェン・ラマが、10年ほど前に亡くなった。その生まれ変わりを探さねばならないという時に、中国政府は、ある少年を候補者としたのである。亡命政府のダライ・ラマ14世は、それを拒否して、別の少年を指名したのである。さらに、中国政府は、孫文らの辛亥革命が打倒した清朝がチベットに送った金製品の贈与を強行したのである。そして、チベットに対して、共産主義のひとかけらもない態度を表したのである。

 それは、チベットに対して、宗教を持てるのは、愛国心の強いものだけだという基準を立てたことである。つまりは、国家を信仰する愛国的な政府のみが、宗教問題の決定権をもつということである。この方針に沿って、チベット仏教の宗教教義に基づく、転生の結果である生仏パンチェン・ラマを政府によって選んだわけである。無神論者で唯物論者であるはずの共産主義を党名に掲げる党が支配する政府で、生まれ変わりが公認されたわけである。中国共産党は、共産党とはたんなる看板に過ぎず、中身はもはや愛国党でしかないことを示したことになる。しかも、漢民族主義の。

 中国政府は、ダライ・ラマから、宗教上の権限を奪おうとしたのだが、さすがにダライ・ラマ14世も黙ってはいなかった。秘密に、新パンチェン・ラマを中国政府とダライ・ラマ14世の間での合意によって擁立しようと動いていた仲介人は、陰謀のかどで中国政府に捕らえられた。中国政府は、ダライ・ラマから宗教的決定権を奪い、その権威を落とし込めようとしたのであった。そして、自らが選んだ少年をパンチェン・ラマとしてチベット人に押し付けたのであった。もちろん、この少年は、北京で監禁状態に置かれた。そして、世界最年少の政治犯として、国際社会が解放を求めているのである。哀れな少年は、中国政府によって、その人生のコースを押し付けられたのである。もちろん、中国政府は、この少年を傀儡とすべく教育しているに違いない。

 このような国家による宗教の乗っ取りとも言うべき事態は、改めて、近代国家が、諸宗教を市民社会の私事へと追放しつつ、国家宗教を公的宗教として必要としていることを再認識させるものである。韓国・台湾・日本でもナショナリズムの動きが活発化しているけれども、それは、社会の分裂の拡大が、国家信仰を強化する統合という解決策への誘因となっているためである。そのことは、この間の日本の保守派の中に、グローバル化の中でこそ、日本人としてのアイデンティティが必要だとする主張として現われている。グローバル・アイデンティティとして、当初言われていたのは、無国籍的なビジネスライクな世界人であり、世界市民ということだった。バイリンガルで海外文化の開かれた理解者で個人として自立しているといったイメージである。ところが、それが、グローバル化すればするほど、民族的アイデンティティを強く意識して、相手の文化を尊重するような態度が必要だというふうに変わっていった。真の国際人とは真の日本人であるということになった。

 サッカーに対するイメージの変化がわかりやすい。少し前までは、サッカーは、国際交流の有力な手段であり、人種や国境を超える国際人としてのサッカー選手というイメージが語られていた。それがいつしかサッカーは平和的な国際戦争であり、選手は、日の丸を背負って世界を相手に戦う戦士というイメージに変わっていった。もちろん、それには、9・11事件後のアメリカの愛国主義の高揚の影響がある。それも一段落してきているが、オリンピックは、愛国主義が激突する場となっていて、しばしば政治化するのであり、すでに、モスクワ・オリンピックのボイコットを想起させる論調もちらほら見られる。違うのは、アメリカと中国は、政治的にはともかく経済的にはきっても切れないほど深くつながっているということである。したがって、ボイコットはありえない。経済的必要が両国を強く結びつけているのである。

 中国にとって、チベットは、4000メートルの高地で耕作にも居住にもあまり適さない土地であるが、南にインド北にロシアという大国がある戦略的に重要な土地であり、核ミサイル基地を集中させている軍事的な要衝なのである。さらに、近年、鉱物資源が発見されていて、資源確保という点からも重要性を上げているところなのである。そこに、青蔵鉄道を開通させたばかりなのだが、それは、軍事的経済的に重要なインフラであり、チベットで一級市民として利権を握る漢族の移住民の諸活動を活発化させるものとなっているのである。明確なデータはないけれども、多くのチベット人はその恩恵を受けられないでいるに違いない。

 1949年の中華人民共和国の建国後の1950年に中国政府は、チベットに軍隊を派遣して、最初の侵略を行った。それに対して、チベット人は 1959年3月10日に反乱を起こした(ラサ暴動)。これを武力弾圧した中国軍は、チベット人数万人を虐殺したと言われている。この時、数万人の難民が生まれた。先のチベット人のデモは14日にラサで起きた。3月10日のチベット人の闘争の記念日に近い。

 宮崎哲也という電波芸者田原総一郎の「朝まで生テレビ」出演で名を知られるようになり、田原の後を追って電波芸者の列に新たに加わっている評論家は、仏教徒を自称している。彼は、ダライ・ラマ14世を睨下と尊称で呼んでいる。チベット仏教の一派に帰依し、生まれ変わりや活仏を信じているということだろう。日本の伝統仏教では、とっくにそんなものを信じなくなっている。新興宗教にはそうした信仰が残っているところもある。しかしほとんどの新興宗教は、諸宗派の教義の混ぜ物であり、しっかりと現世利益を教義に含めている。

 もちろん、チベット仏教にも現世利益はあって、それは地主制度の利益と小作農との対立として、宗教的紛争の紛争の下で闘われているのである。もちろん、中国政府による上からの強制的な土地革命は行われた。しかし大抵の国でそうであったように、土地革命が、上から強行される場合は、同時に、共有地や無主地とされた土地の国家への取上が行われるのだ。分配された小土地の上で、家族が縛り付けられて、家族労働で耕したところで、どれほどの収穫が見込めるというのだろう。しかも、草地への少ない土地で、もともと移動しながら放牧をしてきた牧畜は、事実上、不可能にされたのである。農民は強制的に土地を追われ、都市部に移住させられたが、そこにはかれらを養えるだけの仕事は用意されていなかった。そして、チベット人の多くが、自治区を離れ、他所に移っていったのである。今回のチベット人の要求が何かについて、まだ報道も伝えていない。ダライ・ラマを求める声は今のところ伝えられていない。これらのチベット人が、ダライ・ラマの統治を求めているのかどうかわからない。かれらは、共和制のチベットを求めているのだろうか? もしそうなら、ダライ・ラマ14世は、独立が共和制をもたらせば、自分の居場所が寺院にしかないということになる。

 しかし、ダライ・ラマ14世は、あるインタビューで、チベット仏教は、他の宗教がそうであるように、世界宗教であり、チベットの民族宗教ではないと言っている。そして、彼の要求は、チベットの独立ではなく真の自治であるというのである。

 チベット人の暮らしは、山間の村などでわずかばかりの畑を耕すと共に高地を転々とする放牧や交易などで生計を営むもので、信仰の中心はチベット仏教というインドの密教と自然崇拝などの現地宗教とが融合したもののようである。チベット仏教は、ラマ教とも呼ばれ、中央高原地帯からモンゴルにまで広がっている。シルクロードに沿って、あるいはオアシスなどに広まっていたようである。チベット高原にもシルクロードがあり、道に沿って、いくつかの王国が栄えたこともあった。山岳民族というとなんとなく、山間にじっと閉じこもってひっそりと生活しているようなイメージがあるが、実際には、チベット族は、かなり広い範囲にわたって遊牧や交易を行っていたのである。なお、チベットの男性のほとんどは、僧侶だそうだ。女性差別の構造があるようだ。

 密教はもともとヒンズー教と融合しており、ヒンズー教の神々を仏教の守護神などとして配している。土着の信仰や神々を含んでいくというのはどの宗教にも見られることで、カトリックもそうだった。一神教でも多神教化していくのである。例えば、キリスト教のお祭りであるイースターは、太陽神信仰を取り入れたものである。

 愛国教かラマ教かの宗教戦争という外観の下で、世俗的な利害の対立と闘争が展開されているのかを見失ってはいけないのであって、そこにこそ、チベット人の解放の具体的諸条件が存在しているのである。欧米の悪しき人権主義が見えにくくしているのは、それらのことである。そしてそこに潜むナショナリズムを自己批判的に摘出しつつ、チベット解放を訴えるのでなければ、偽善に陥ることに、意識的でなければならないのである。だから、日本のチベット連帯の文化人が主張するように、中国政府にダライ・ラマ14世との対話を要求するのではなく、それと同時にチベット人の民族自決権を承認することを中国政府に要求することである。もちろん、当面の事態収拾のために、そうした一時的妥協に意味がないとは言わない。これ以上、チベット人の犠牲者が増えないようにすることが緊急の課題であることは当然である。

 すでに明らかにしたように、ダライ・ラマ14世は、生まれによってその地位に就いたのであり、チベット人の民主的な意思決定によって選ばれた代表ではない。亡命政府が、任意の寄付によって運営されていることを民主的と評価するのは間違っている。それによって、多額の寄付をする者が特権的な影響力を持つかもしれないからである。ダライ・ラマ14世が、チベット人の多数の政治代表として正当性があるかどうかがその判断基準でなければならない。その点が明らかでない以上、ダライ・ラマ14世と中国政府の話し合いに問題解決のイニシアティブを与えてもいいのかという疑問がある。

 中国政府はただちにチベット人への弾圧を止め、チベット人自身がなんらの強制がない状態で民主的に選出する代表者と事態の解決のための話し合いをするべきである。中国政府は、チベット人の民族自決権を認め、独立を含めたチベット人の権利を尊重しなければならない。問題をチベット人自身が自ら解決するための援助をし譲歩しなければならない。チベットにおける漢族の特権は廃止されるべきである。そうすれば、チベット人は、自らの手で自らを律することになろう。チベット人は、ダライ・ラマ14世の宗教政治ではなく、民主的な共和制を採用するに違いない。そうすれば、アメリカのブッシュ政権が、イラクで反動的なシーア派を使って利権を確保しているようなやり方で、チベットを利用するというようなやり方はチベット人自身が阻止することだろう。それを支援すれば、中国は、大国の介入によって苦しめられている世界の多くの国から尊敬をされることになろう。

 もちろん、中国政府は、とっくの昔に、マルクス・エンゲルス・レーニンの民族自決権の理論、「他民族を抑圧する民族は自由ではない」という基本的な態度を捨ててしまっているのだから、実行しそうもない。しかし、どのように強権的に一時的に押さえつけてもチベット人のレジスタンスが続くことは明らかで、それはたとえダライ・ラマがいなくなっても変わらないだろう。中国政府が大民族による少数民族の抑圧に原因があると認めず、ダライ・ラマとの宗教か愛国心かという対立へとすりかえて誤魔化しているうちは、この民族対立が解けないことは明らかである。

 日本政府もまた国内に民族問題は存在しないという公式態度を取りつつ、アイヌ新法を制定するという誤魔化しをやっているうちは、中国の態度を他人事のように言う資格はないということは明らかである。同じように、沖縄に対して、第一次琉球処分以来のヤマトへの同化政策の誤りを認め、この同化強制策の蓄積の結果の無残な沖縄戦であり、軍による住民の集団自決の強制であったことを総括しなければならないのである。それをした上でないと中国政府のチベット人の運動への弾圧をすっきりと批判することができないのである。だから、政府は、他人事だし、保守派は、これを反中国感情を盛り上げるためのかっこうの材料の一つとして利用するだけなのである。どちらもチベット人の解放を本気で考えてなどいないのだ。ただ、日本の利益になるかどうかを基本にして、あれこれ言っているにすぎないのである。チベット解放のために、日本が中国に持つ権益を犠牲にする覚悟なしに、どうして本当の連帯と言えようか?

 アメリカ議会は、例によって、当り障りのないダライ・ラマ14世と中国政府の対話を呼びかける決議を可決した。アメリカ議会の口先だけの北朝鮮制裁決議が、問題をひとつも前進させることのない空文であり、格好だけのものであったことは、それ以降の実際が示している。中国共産党は、すでに、共産主義は看板に掲げているだけで、純学問的な領域に追いやっている。民族間の実質的な平等、それが民族問題における共産主義的な解決策である。それには、少数民族を大民族・支配民族と権利において対等にするための特別扱いが必要である。それが、形式民主主義と実質民主主義との違いである。漢民族はチベット人に対して支配民族として振る舞い、中国共産党がその代表者としてそれを支えている。それは、共産主義的国際主義に反する。普仏戦争の際、マルクス・エンゲルスの指導する国際労働者協会は、フランスがドイツを侵略した時にはフランスの労働者にフランスの戦争に反対し、ドイツがフランスに侵略した時には、ドイツの労働者にドイツの戦争に反対するように行動するように訴えた。そして国際労働者協会のフランスとドイツの労働者たちはそのとおりに行動した。これが、労働者の国際主義の手本である。中国の労働者は、自国政府のチベット侵略に反対してチベットへの連帯行動に立つべきなのである。ナショナリストは、自国への他国からの侵略には反対するが、自国が他国を侵略するのには反対しない。中国共産党は、ナショナリストに転落した。世界の心ある労働者は、中国政府のこの侵略行為に怒っているだろう。共産党の看板をこれ以上汚すのを止め、中国愛国党とでも名前を代えて実態と名前が合うようにしてもらいたいものだ。

 しかし保守系論壇はひどい有様だ。チベット人のことなどどうでもよくて、とにかく、中国批判の材料ができたと喜んで批判を書き連ねたものやら、台湾併合の先触れだとして、チベットの運命よりも台湾の運命に強い関心を示すもの(櫻井よし子)など、とにかく、利用主義まるだしで、なんとも醜悪である。

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MSさんへの返答

 以下、MSさんからのコメントに対するお返事です。コメントの投稿ありがとうございます。

本文でお応え頂けるとは思っていなかったので、気づくのが遅くなりました。失礼しました。そして、お応え下さいまして、ありがとうございます。

いろいろ書いて下さいましたが・・・

> 「日の丸に白い鍵十字」という表現が、
> ここで言う、「挑発すること等を主目的とした言動」
> と言えるかどうかですが、私の考えでは、
> これは、表現の自由の範囲内ではないかと思いますし、
> 「挑発を主目的」とは言えないのではないかと思います。

このような御述懐に「何故」という反問は無意味ですよね。詰まるところ「感じ方」の問題ですから。
だから、以下、私の「感じ方」を若干置いて、それで終りにさせて頂きます。

私には、あなた様が上のようにおっしゃるお気持ちが、まるで分かりません。共感できません。

A 「これは私達としては "挑発すること等を主目的とした表現" ではありません。そのつもりはありません。」
B 「何だって!? これが挑発じゃないって? 挑発以外の何物でもないだろ! 他の何であり得るというんだ!」
A 「いいえ、違いますよ。挑発ではないんです。少なくともそれを主目的とした表現ではありません。」
B 「主目的ではない? では、"主たる目的" ではなかったとしても、"従たる目的" ではあったのだな?w それは認めるのか。」
A 「まあ、あるいは、そのような改変された旗を掲げた青年自身の主観においては、そうだったかも知れません。若干、そうだったかも知れません。しかしそれは『表現の自由』の範囲でしょう。」

このような対話をしても無意味です。

表現の自由?
表現の自由の、範囲?
その「範囲」を決めるのは誰ですか?
国家ですか。マルクスですか。

 このような対話が無意味かと言えば、無意味とは思いません。貴方はいつのまにか、効用主義者になってしまって、効果の見込めないものは無駄だという価値判断をしてしまっているように思えます。ここでは、少なくとも、違いがわかったという意味があります。意味とiうよりも、貴方は、どうやら効果とか効用とか価値とかいうものを指しているように思えますが。表現の自由を決めるのは、社会です。その範囲も変化します。時代や社会状況などによって、その限度があります。

私にとっては「自由」はいつも最も基礎的な条件のようなものであって、それ以上ではありません。
「自由」の価値は政治的な価値であって、それ以上の価値ではありません。

「自由」以上の価値があります。
それは-------「賢明さ」です。
笑いますか?

私はただ、
これなら(↓)分かるが、
http://www.mkimpo.com/image/voyage/kansai/2009-06-13/IMG_9610s.jpg
これは(↓)イケナイ、「不賢明」だ、
http://www.mkimpo.com/image/voyage/kansai/2009-06-13/IMG_9612s.jpg
と言っているだけです。

> ただ、コメントで、懸念されていることは、
> 靖国を支持するような人たちを、「在特会」支持に
> 追いやるようなことをしては、かえってマイナスだ
> というようなことだと思います。

その通りです。しかし、それ「以上」のこと、あるいはそれ「以前」のことでもあります。
私は国旗を「神聖視」しません。だから、日の丸をハーケンクロイツにされても、ウンチにされても、「冒涜だ!」とは騒ぎません。けれども、そんな私にとっても、それは「基本的に尊ぶべき何か」なのです。
そして、右翼でなくても、この日本の中に私のような感じ方を(そう、これは「感じ方」の話です)する人が多くいるでしょう。

私は最も素朴なところのものを言っています。
「人として」という言い方によって指されるような何かを。

「どうして」、また、「いつから」、人間にとって『道徳』や『賢明さ』よりもとにかく『表現の自由』などというものの方が大事、というふうになってしまったのでしょうか? 私にはまったく分かりません。「表現の自由」は単に器です。大事な器ですが、器です。

ただ、あなた様は「共産主義者、唯物論者、マルクス・レーニン主義者」でいらっしゃるということです。それはもともと「国旗」を大事にする気持ちがない思想なのかも知れません。究極的には「国家」に何も意味を見出さない思想なのかも知れません。あなたにとって「日の丸」は、この国の過去の罪を象徴するもの以外には何でもないのかも知れません。あなたにとって、もともと(現状としてではなく究極において)『日の丸』は「なくてもよい」ものなのかも知れません。あなたは、現状としてではなく究極において「国境は必要ない」とお思いの人なのかも知れません。
----------そうならば、私とあなたが話し合っても無駄なのかも知れません。

 私は、国であれ民族であれ、つまりは国境であれ、ましてや国旗や国歌は、歴史的に作られたものであって、それは変更可能でもあれば、なくすことも可能であり、そうなったからといって、人間生活がなくなるわけでも生命がなくなるわけでもないし、それから、道徳や賢明さなるものも別になくなるわけではないと思ってます。人類が国家毎に分断され、疎遠にさせられていることに問題を感じているのです。もっと人間は接近できるはずだとも考えているのです。

 ハーケンクロイツについては、おっしゃるのとは別の意味で、つまり、ユダヤ問題との関係で、問題があると、その写真を見て、思いました。ドイツでは、ナチスの象徴を公然と掲げること自体が法律で禁止されています。しかし、それはそれでいろいろと問題があるようですが。

 そして、言いたいのですが、一つは、人間にとってという場合の、人間なるものの自明さについて一度は疑っておくべきだということです。あなたのおっしゃる「何か」とか「道徳」とか「賢明さ」は、神の別名ではないのですか? 確か、英語でワイズマンというと、神の隠喩ではなかったですか? なぜ、今日、神の名によって、他者を裁くというようなことが、別の用語体系を使ってなされねばならないのか、私には理解できません。

 たとえば、私には、ハンナ・アーレントのほとんど神の代理人みたいにして語る語り口は説教にしか聞こえません。彼女は、神学の奴隷と化していた哲学を独立させた近代哲学を、ふたたび、神学的世界へ逆戻りさせた人のように思えます。それは退歩であって、それでは近代哲学は乗り越えることはできないと思います。私の考えでは、あくまでも世俗的実践こそが哲学の場なのです。それが私にとっての賢明さであり、倫理なのです。ハンナ・アーレントについては、その他の問題点もいくつかあります。大きな問題点は、誰かが指摘していますが、全体主義という全体主義的な概念を作ってしまったことにあります。抑圧的なものを批判するのに別の抑圧的なものを持ってきてしまったことです。

 私は、神話から解放されたマルクス・レーニン主義ということを、今、誇りを持って言うのは、間違って、失敗して、それを訂正したマルクス、レーニン、4月テーゼを中央委員会で圧倒的多数で否決されたことに癇癪を起こして、登山に行って頭を冷やしたレーニン、日露戦争時に、日本の明石大尉から金をもらったレーニン、ブルジョア自由主義者と公然と一時的に手を握ったレーニン・・・、こんなことを語っても、学ぶものがマルクス・レーニンにはあるからです。宗教にそんなことができますか? バチカンは、「死海文書」をどう扱いましたか? キリストの自己批判を信者は公然と語れますか? 

 マルクス、レーニンは、何度も間違い、それを直しました。そうやって進む以外に、賢明なことや道徳的なことがあるでしょうか。道徳、それを言うなら、明治維新以来、それまでのこの国にあった道徳は、すっかり、西欧道徳、キリスト教道徳に脇に押しやられてしまったのではないですか? 民俗学の文献を少しでも読んでみれば、近代化以前に、この地で行われていた道徳の姿を伺い知ることができます。その中には、今では、不道徳の烙印を押されているものもあります。しかし、そうした道徳の中でも、この地で人々は生きてきたし、生活してきました。今の支配的な道徳以外の道徳はないと考えるなら別ですが、道徳に変化があることを認めるなら、社会的な議論が必要なことは否定できないでしょう。そうした社会過程の一部として、「在特会」問題を考えるなら、これは基本的には歴史的社会的な問題としてとらえ、議論すべきで、人間一般の道徳論議や賢明さの議論にするのは、ピントはずれではないでしょうか。それに対して、正義という感覚は、社会的な感覚であり歴史的な感覚です。今、それは、ヨーロッパ人が、アフリカ住民を人間以外のものとして奴隷とした時代の正義感覚より、はるかに進もうとしています。我々は、今、イラクやアフガニスタンで、米軍などが不正義を行っていることを感ずることが出来ます。

 我々は、日本が過去に、近隣諸民族に対して不正義を行ったことを感じることが出来るし、それをごまかそうとする者に対して、不正義と感じることが出来ます。

 またしても、私見の開陳になってしまいました。これが、「そうならば、私とあなたが話し合っても無駄なのかも知れません」ということになるとは、私は思いませんが、どうでしょうか。、

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コメントによせて

 コメントをいただき感謝いたします。

けれども、確かにこのビデオには、「日の丸に白い鍵十字」を
描き入れたらしきものが映っています。
(在特会のことをファシストだと言いたかったのでしょうが・・・)

そこで、私はあなた様にお訊きしたいのですが、
在特会が言っている「アイツらはそんなことをした」というこの内容、
それ自体は「事実」ですか?
つまり、あなた様方のお仲間であるだろう一部の人達が、
事実、爆竹を鳴らしたり、そのように描き加えられた日の丸を
在特会に向けて掲げましたか?

 まず、私は、当日の蕨市での行動には参加していないし、その実行委のメンバーではありません。ですから、事実関係については直接お答えしようがありません。私は、この行動は、緊急になされ、短期間のうちに用意されたもので、当日の行動でも多少の混乱があったように聞いております。その後、間接的にですが、いろいろな批判や反省などが行われ、議論も継続されているやに聞いております。

上記のあなた様方のお仲間が書いただろう呼び掛け記事の中には、
「実行委としては(…)在特会主催のデモに参加している人々を
挑発すること等を主目的とした言動には反対します」とあるわけですが。
しかし6月には、残念なことに、そのようなことがあったわけですか?

 若干、私見を申し上げますと、「日の丸に白い鍵十字」という表現が、ここで言う、「挑発すること等を主目的とした言動」と言えるかどうかですが、私の考えでは、これは、表現の自由の範囲内ではないかと思いますし、「挑発を主目的」とは言えないのではないかと思います。爆竹の件については、一発鳴った程度の場合と、連発でならした場合、相手に投げつけた場合、等々、いろんなケースが想定できますが、それによって違ってくるだろうとは言えるでしょう。少なくとも、それが原因で逮捕となったのではないようですし、それに被逮捕者も起訴されていません。起訴するに足るだけの違法性がないと司法当局が判断したということです。

 ちょっと話しがはずれますが、私は、京都の東九条という地域で、在日朝鮮人に対する差別と闘う運動に参加し、そこで、いろいろと学ぶこともあり、また、宗教や信条や国籍や民族や政治思想やらに左右されない友情というものを実感しましたし、今も心情的に強いつながりを感じています。その意味で、私は、在日の人々に、感謝の念を持ち続けております。それは、私にとっては、食べるというだけではない、生きる力を与えてくれたものでした。カトリックの中にもいろんな方がいることは私も多少ですが知っています。先日、東京新宿で行われた「希望の島、東ティモール」という催しに行って来ましたが、そこには、東ティモールを支援するシスターたちが来ておりました。東九条にも、カトリック系の「希望の家」という施設があり、そこを拠点にして、カトリックの神父・シスター、信者の方が、地域の在日の中で活動しており、一緒に、日の丸君が代の学校への強制に反対する運動もやりました。国歌国旗法が成立してしまい残念ですが、私は東九条でもそうだし、それ以外の場でも、日の丸を見て、在日の、特に一世のオモニ・アボジたちが、痛み、怒り、悔しさ、無念さ、憎しみなどの複雑な感情を抱くことを知りました。この感情と感覚を理解し、尊重することなしに、国際的な友好などありえないと思っています。それなしには、私のような共産主義者の掲げている国際主義など単なる頭の中だけの空虚な言葉、空文句にすぎないと思っています。

 ただ、コメントで、懸念されていることは、靖国を支持するような人たちを、「在特会」支持に追いやるようなことをしては、かえってマイナスだというようなことだと思います。ご心配はもっともですが、ただ、私は、東九条で、大衆と垣根をつくるようなかぶりものはしないと言って、シスター服を脱ぎ捨てたシスターを知っています。それは、保守的なカトリックの信者や神父・シスターの反撥を受けるかもしれませんが、その時は、感心したものでした。目の前の損得勘定を超えたところで生き動く人々をいろいろと見てきた私としては、一方でカトリック信仰というものを持ちつつ同時に靖国神社にお参りする信者の方がいることを、外からは納得することはできないのですが、とにかく、そうだという現状に対して、おっしゃるように、現状を変えるために、そうした人々をこちら側へ引き寄せ、向こうにやらないように、配慮が必要だというのは、わかりますし、今あるものと今ないものの間に架橋していくのが政治の役割と思いますので、そうした政治的態度の形成や発展ということも、今後の課題となることは確かだと思います。関西での在特会への抗議行動に賛同されたシスター、神父の方もいらっしゃるのですから、そうした方と連絡を取られ、相談し、連携なさることではないでしょうか。これは、まったくの老婆心ですが。

 賛成できないことには反対なさればいいと思います。私が重要だと思うのは、そうした意見の表明の自由や行動の自由がどれぐらい多く確保されているかどうかだと思います。在日や在日外国人との連帯を掲げる以上、多様性を力とする以外にないのです。少なくとも、8月14日の集会では、「在特会」には反対だが右翼だという人も来て、発言しておりました。もちろん、私などは、そういうのは不快ですが、だからといって、排除というようなことはそう簡単には思いません。許容範囲はどこまでか、難しいところですが、それは試行錯誤の内に経験として蓄積する中で探り探り行く他はないし、そうして進んでいくものだと思います。私は、共産主義者、唯物論者、マルクス・レーニン主義者であることを別に隠していませんので、そういうのを気に入らないという人や団体から、冷たく扱われたり、時には排除されたりすることもありますが、私の方からは、基準や条件をできるだけ明確にした上で、多少の思想や考えや価値観の違いをもって排除することはしないようにしてきたつもりです。特に大衆運動の場面ではそうです。東九条では、神父やシスターや信者の方と一緒に活動しました。尊敬すべき方もおられれば、この人ちょっとどうかなという方もあり、様々です。逆に、あちらの方はどう思われていたのか、聞いたことがないのでわかりませんが。

 かつて、中南米に民衆の側に立つという「解放の神学」というカトリックのグループが広まったことがあり、それが、ローマ教皇や保守的な上層部から弾圧されたということがありました。今、確か、ハイチかドミニカかで、解放の神学派の大統領がいたと思いますが。

 余計なことまで書いてしまいました。私見の開陳みたいになって恐縮です。当方のブログには、「在特会」支持のコメントも来ています。公開すべきかどうか迷いました。カルデロン氏のような犯罪者をさん付けするなというのです。ただ、このコメントを読みまして、公開する決心がつきましたので、ご参考までに、そうした見解には組みしないことを表明した上で、公開します。その他、とうてい公開できないようなのも来ています。そういうのを除いて、基本的には、私の独断ですが、できるだけコメントの公開という方向でやっていきたいと思います。

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在特会抗議行動成功、データねつ造のことなど

 近年、政府やマスコミがねつ造データを流したり、宣伝・煽動していることが多く、それに右往左往させられることが多い。例えば、『比較福祉国家論』(法律文化社)という本にあるものだが、日本が先進国の中でも高福祉だというような類のデマである。この本にある社会保障給付量(対国民所得比)の部門別構成割合の国際比較のデータでは、1991年度のものだが、スウェーデン49%、フランス34.9%、ドイツ29.7%、イギリス24.5%、アメリカ18.0%、日本13.8%で、最低だ。そして、社会保障関係総費用における国庫負担割合の推移が、1980年代に減少しているのに対して、その国民負担率が増えている。それについて同書は、次のように書いている。

 1980年代の改革では、日本型福祉社会(あるいは「活力ある福祉社会」)の建設が謳われていたにもかかわらず、積極的政策展開に乏しく、国家財政の負担減が前面に押し出されていたことに特徴がある。国民負担率の抑制をいいながら、実は1980年代には国民負担率の抑制傾向は見られず、着実に増えている。この時代に抑制されたのは、国民負担率ではなく、社会保障に占める国庫負担率であった。国民負担率は70年24.3%、80年31.3%、90年40.4%と着実に伸びているのに対して、社会保障関係総費用に占める国庫負担割合は、1970年の22.7%から1980年には28.1%にまで増えているが、1990年には19.7%にまで低下している。また老人医療の有料化や健康保険における一部自己負担の導入によって、国民医療費に占める患者負担の割合は、1982年の10.5%を底に上昇傾向にある(160頁)

 これを見ると、大蔵省(現財務省)が、「失われた10年」の長期不況やアジア金融危機などによる国家信用の動揺を防ぐために、国債の買い手でもある金融資本の安定化をはかることを優先して、財政再建路線を強化したことがわかる。とくに、大蔵族の橋本政権がそうであり、このとき、行政改革会議が誕生しているが、それ以降、あの「日本一の借金王」を自称した小渕政権の時でも、同じだから、総理大臣が変わっても政策の基調は官僚主導のまま変わらなかったのである。これを、大げさなパフォーマンスを演じながら、大推進したのが、小泉政権だ。人々は一時的に騙されたわけだ。そのころ、テレビ朝日の「ニュースステーション」に、国の赤字残高を示す時計が表示されていたのを、覚えている人もいるだろう。このままでは国家破産は時間の問題だというような切迫感が演出されたわけである。確かに、日本の財政赤字は巨大だが、それに対して国際収支の黒字がものすごく貯まっていて、外為特別会計に組み入れられているのであって、最近、民主党などが、財源として埋蔵金などと呼んでいる膨大な額のドル資金がある。しかし国際収支の黒字は、アメリカ国債の購入に多くあてられているので、オバマ政権が膨大な国債発行で景気対策を続けている現状では、簡単には現金化できない。貨幣形態ではなく、証券の形態であるからだ。つまり、商品だから、売らないとお金に変わらないのである。

 最近では、槌田という学者から、地球温暖化CO2説への異論として、地球温暖化防止といういまや世界世論みたいになった説が、原発推進派によるプロパガンダとしてねつ造されたと指摘されたりもしている。

 歴史認識における似たような事例としては、「新しい歴史教科書をつくる会」などによる歴史偽造があって、それを継いでいるのが「在日特権を許さない市民の会」である。それを、排外主義的に煽動し、秋葉原のデモでは、これは中国との民族間戦争だなどと叫んでいる。かれらによると、定住外国人地方参政権付与は、日本人の権利を奪うことになるのだそうだ。定住外国人地方参政権がある22カ国の実態も確認してみたいが、今のところそれでどうという話しは聞かない。当ブログも賛同した大阪での10月10日の「在特会」などによる定住外国人参政権に反対する行動に対して、抗議するデモが、約250人を集めて成功したようだ。それに対して、「在特会」は約300人だったという。今後も、こうした動きを包囲していく必要がある。どちらにしても、かれらの歴史ねつ造は、資料に当たれば簡単に間違いとわかるものが多い。秋葉原のかれらのデモのビデオを見ると、かれらの中には、現在の閉塞状況へのフラストレーションを弱者に向けて吐き出してはらそうというような心情の持ち主が参加しているみたいだ。大変だけども、きっちり歴史事実をつかめば、そうした宣伝・煽動に流されにくくなるだろうから、そういうこともいるだろう。

 なにせ、きちんとしたデータも証明もないままに、ああだこうだ決めつけられるのは不快なのだが、そんなことが増えているような感じがするのだ。それはそれとして表現してみようではないか。

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クロンシュタットなど

 前に、トロツキー神話の解体ということで、クロンシュタットについてちょっと触れた。

 しかし、廣松渉氏の『マルクスと歴史の現実』(平凡社)という本を読んでたら、こんなことが書いてあった。これは、フランスのソ連研究家のカレル・ダンコースという人の『ソ連邦の歴史』という本からの引用である。彼女は、フランス政府の閣僚を務めたこともある人で、他に『レーニン』という本も書いて、それが邦訳されている。

 「クロンシュタットは、レーニンの言葉によれば、一覧表を照らし出したにすぎない。蜂起した農村は、タンボフではエスエルの支援を受け、ウクライナではマノフに指導され、サラトフでは、共産党員という共産党員をすべて虐殺していた。都市住民は、クロンシュタットの水兵と声をあわせて、「共産主義者なきソヴェト」を呼号していた。都市でも農村でも住民は、昔ながら反ユダヤ主義的傾向を目覚めさせ、共産主義者をユダヤ人と同一視して、ソヴェト国家を「最初のユダヤ共和国」と決めつけるのだった。あらゆる社会集団から、他の主題に混じって同一の要求が湧き上がっていた。すなわち、農村に平和を回復させ、農民に自由を返すこと、であった。・・・」(p248)

 マノフについては、逆に農民蜂起の指導者として評価する本が出されたりしているが、このサラトフでの共産党員虐殺がもし事実だとすると、マノフの行為が正当化できるのかどうか疑問だ。

 この時期、ボリシェヴィキは、10回大会で、ネップへの転換を図っており、それは、農民寄りの政策であった。第二に、ボリシェヴィキは、反ユダヤ主義の黒百人組と闘い、民族差別思想と闘った。クロンシュタットは、反ソヴェト政権のシンボルにされつつあった。フランスは、クリミア半島に攻めてきていて、イギリスはカフカースに、日本は極東に、そして、カザックその他の白軍が、エスエルやメンシェヴィキが、さらには、ヨーロッパ各国の新聞が、これらに言葉で支援を与えていた。

 これらの状況を考えたとき、一体、どうすればよかったのか。メンシェヴィキ政権だったとしても、同じ事をしただろう。例えば、旧勢力である幕府を倒した明治政府は、1884年(明治17年)の秩父困民党の蜂起に対して、軍隊を派遣して潰した。

 しかし、今日、共産主義運動にとって、レーニン神話は必要ではないし、それどころか、それは重荷でさえあったので、これが取り除かれたことで、実にせいせいしたもんだ。トロツキーについては、神話を捨てようとしてない勢力があるが、もう、いいんじゃないかと思う。やっぱり、コロンタイを非難したトロツキーの演説は、ブルジョア的フェミニズムよりも反動で、問題外の低水準で、どうしようもない。

 マルクス・エンゲルス・レーニン主義者に、マルクス神話・エンゲルス神話・レーニン神話なんていらないのだ。

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転載:外国人排斥を許さない10・10関西緊急行動

 「在日特権を許さない市民の会」などが、来る10月10日に、大阪で、在日外国人地方参政権付与に反対するという名目で、差別排外主義煽動を計画している。

 当ブログでは、これを批判し暴露すると共に思いを共にするこうした抗議行動に賛同してきた。今回の動きに対しても、当ブログは賛同し、「在特会」などの差別排外主義煽動に抗議することを表明し、以下のブログ記事を転載します。


外国人排斥を許さない10・10関西緊急行動http://action1010committee.blog103.fc2.com/

「在日特権を許さない市民の会」などが計画している在日外国人への地方参政権の付与に反対することを口実とした排外主義扇動デモ(2009年10月10日大阪)への緊急抗議行動のブログです。

賛同者一覧(2009年10月5日20時時点)  

ただいままでに145個人・団体の賛同(匿名含む)が集まっています。(50音順)

個人

浅田 明(Freelance Mathematician)/旭 凡太郎・芦名 雄一/在野 真麻(Wheelchair's EYE)石田 勝啓(関西合同労組執行委員長)/磯貝 治良(在日朝鮮人作家を読む会)/伊藤 隆明(ワーキングプア労働者)/稲垣 浩(釜ヶ崎地域合同労働組合執行委員長・釜ヶ崎炊き出しの会代表)
稲葉 奈々子(茨城大学教員)/任隆正(市民)・岩田 吾郎/ぅきき(市民)
内山 悠(失業と野宿を考える実行委員会)/遠藤 礼子(活動家)/大野 ひろ子
大橋 直人(アルバイト・派遣・パート関西労働組合事務長)/岡田 一(高齢者特別就労組合準備会)/小倉 英敬(元外交官)/小田原 琳(非常勤講師)
垣沼 陽輔(全日本建設運輸連帯労働組合近畿地方本部執行委員長)/垣淵 幸子(市民)
梶 原 義行(市民)/加藤 和博・姜昌秀/北島 教行(靖国解体企画)/北山 清喜(日本の戦後責任を清算するために行動する北海道の会運営委員)/木戸  衛一(大阪大学教員)/桑畑 洋一郎/高英男(全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部副執行委員長)/高英弘(全日本建設運輸連帯労働組合関西地 区生コン支部朝日分会書記長)/雑賀 恵子(非常勤講師)
志賀 英記(アジア共同行動日本連絡会議全国事務局長)/清水 裕(学生) 
白石 裕(新空港反対東灘区住民の会世話人)/鈴木 隆洋(学生)/須田 稔/ステファン
砂布均(京都の歌うたい)/関根 隆晃(学生)/高島 与一(在日日本人)
高橋 慎一(ユニオンぼちぼち)/但馬 けいこ(自立労連)/田中 直子/田中 玲/田宮 遊子
茶畑 進(静共闘)/塚本 泰史/津林 邦夫(北大阪合同労働組合書記長)
渡海 優(関西合同労働組合日本管検工業分会分会長)/土岐 幸一(ブログ『どこからどこへ』)
戸田 ひさよし(全日本建設運輸連帯労働組合近畿地方本部顧問)/中沢 浩二(とめよう戦争への道!百万人署名運動関西連絡会)/長沢 民衣/中野 由紀子(旗旗舎・東京)
中村 猛(日韓民主労働者連帯代表)/仲村 実(管理職ユニオン関西副執行委員長)/流 広志
西山 直洋(全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部執行委員)/野々村 耀(SATJ日本労働者エスペラント協会)/信原/橋口 昌治/橋野 高明(日本基督教団・牧師)
林田 力(『東急不動産だまし売り裁判』著者)/林 義拓/日置 真理子(市民)
樋口 直人(徳島大学教員)/廣瀬 慎(大学院生)/藤巻 謙一(沼津エスペラント会)
文岩 優子(パレスチナの平和を考える会)/古屋 寛生(あすじゃ京都)/白優子
星山 京子(伝道師)/堀池 正次郎(市民)/牧野 祥久(医師、世界システム史研究)
増田 博光(市民)/町 泰樹(大学院生)/松尾 和子(縫製職人)/松尾 哲郎(自営業)
松野尾 かおる(市民)/松原 康彦(新空港反対東灘区住民の会事務局長)/松本 麻里(市民)
南 守(ユニオンぼちぼち)/宮崎 庸人(関西合同労組執行委員)
宮沢 直人(北海道自由エスペラント協会)/宮本 真理(ヨシノ支援プロジェクト事務局員)
村瀬 浩祐(止めよう戦争への道!百万人署名運動岐阜連絡会)/森田 麻里子(聖公会信徒)
役重 善洋/矢部 史郎(著述業)/山口 智之/山崎 洋(パレスチナの平和を考える会)/山本 善偉(新空港反対東灘区住民の会代表)/吉水 公一(子どもと教科書兵庫県ネット21事務局次長)
わしお 由紀太/渡辺 学/和田 喜太郎/GO@あるみさん

団体

あすじゃ京都/あすじゃ東京
イラク戦争を許すな!有事法制反対!第二次朝鮮戦争反対!実行委員会/大阪全労協
おおさかユニオンネットワーク/釜ヶ崎炊き出しの会/釜ヶ崎地域合同労働組合/関西合同労働組合
関西合同労働組合大阪支部/関西単一労組/関西単一労組黒川乳業分会/管理職ユニオン・関西
北大阪合同労働組合/京都生協働く仲間の会/キリスト教事業所連帯合同労働組合
近畿生コン関連協同組合連合会/近畿生コンクリート圧送協同組合/近畿生コン輸送協同組合
近畿バラセメント輸送協同組合/在日本大韓民国青年会/静岡反戦共同闘争会議
自立障害者グループペンギンの会/自立労働組合連合/新空港反対東灘区住民の会/人民新聞社
全国金属機械労働組合港合同/戦争と「日の丸・君が代」に反対する労働者連絡会・豊中・北摂
全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部朝日分会/全日本建設運輸連帯労働組合近畿セメント支部/全日本建設運輸連帯労働組合近畿地区トラック支部
全日本建設運輸連帯労働組合近畿地方本部/全日本港湾労働組合大阪支部/全労協護法労組
中崎クィアハウス/日韓民主労働者連帯/日朝国交正常化の早期実現を求める市民連帯・大阪
反「入管法」運動関西交流会/反「入管法」運動関西交流集会/部落解放同盟全国連合会
北海道自由エスペラント協会/東大阪みはり番/靖国・天皇制問題情報センター
ユニオンぜんろうきょう/労働者共闘/ATTAC関西グループ/NPO法人関西友愛会

★外国人排斥を許さない10・10関西緊急抗議行動★
◆日時 10月10日(土)
 12:00 集会開始(愛染公園)→13:00 デモ出発→14:00過ぎ デモ解散(なんば周辺)→15:00 なんば周辺にてビラ配り
◆場所 愛染公園
http://ekoen.jp/osaka/c%C2%E7%BA%E5%BB%D4%CF%B2%C2%AE%B6%E8/d6872/
地下鉄堺筋線恵美須町駅下車 日本橋4丁目交差点を東へ 阪神高速高架をくぐってすぐ右折
一つ目信号左手

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世界女性の日を作ったコロンタイ

 私は、フェミニストでは、ロシアのアレクサンドラ・コロンタイが好きである。

 下の記事は、ILOの広報に載っているものだ。ここで、1910年のコペンハーゲンの社会主義インターナショナルで「女性の日」(日本では国際婦人デーと呼ばれている)が設立された。そして、コロンタイは、社会主義インターナショナルのシュツッツガルト大会での社会主義女性インターについて書いた文書で、ブルジョアジーを恐怖させるだろう新たな危険である女性労働者の国際組織が誕生したと書いた。残念なことに、現在、コロンタイの邦訳や研究が少なくて、この文書も、マルキスト・インターネット・アーカイブスにある英文のものだ。ただ、近年、杉山秀子さんという研究者の「コロンタイと日本」というような題の本が出ているようである。

 その昔、昭和初期には、彼女の書いた小説が、「紅の恋」などと訳されて出て、それなりに一世を風靡したことがあるらしい。

 彼女は、最初、メンシェビキ派であり、後にボリシェヴィキになり、さらに、労働者反対派となったが、スターリン時代に、国内での影響力はなかったようだが、北欧諸国の大使などを務め、外国では有名であった。しかし、ブハーリンやトロツキーも、コロンタイを批判したことは、先に書いた。レーニンの考えは、前に、イネッサ・アルマンドへの手紙を紹介したが、当面、女性の経済的地位や政治的文化的な地位を改善することに力点をおくべきだというもので、彼女が主張した自由恋愛の要求を否定したものではない。それが本物になるための条件を作るのを先に進めるべきだというものである。条件がないのに、それを優先的に取り上げると、それは、経済的に力のある階級であるブルジョアジーの要求になるだけだからである。その点から言うと、現在の連立政権は、同一価値労働同一賃金などの男女の賃金格差の是正につながるような方策を掲げており、その他の男女差別的な諸制度の改善、そして文化的な改善などをあわせて推進すれば、多少今よりは自由恋愛実現の条件は揃うかもしれない。しかし、あんまり期待しすぎてもいけない。

 コロンタイが創った女性の日は、今や世界中の記念日となっている。しかし、アメリカの一部フェミニストのように、条件もないところに無理やり、自分のところの女性解放思想を武力によってでも押し付けるなどというのは、傲慢であり、帝国主義的なやり方である。おまけに情報操作やねつ造話が作られて流されているようで、そういう薄汚いやり方は、正義の感覚を麻痺させてしまう。

 余談だが、コロンタイを非難したご立派なトロツキーについて、ソ連東欧体制崩壊前は反スターリン派としては対抗上擁護することにはそれなりの政治的な意味があっったが、いまや、ソ連崩壊から20年となっている。国内の反体制派を情け容赦なく最先頭で殺しまくり、女性差別の公的発言を繰り返したような反動的な人物を持ち上げる理由は、今は、別にない。すでに、レーニン神話が解体されてしまった今日では、トロツキー神話が解体されたとしても、共産主義運動にとって、痛くもかゆくもない。それは、レーニンの場合、レーニン神話解体によって、それによってこそ、レーニンが甦るという逆説的な事態というものが、つまりはフェニックス型の再生があるからである。それはレーニンが自己批判を残していたからだろう。もっとも、レーニンについてはまだそれほどでもないが、マルクスは完全にそうなっている。ロンドンのハイドパークのマルクスの墓には、観光客が押し寄せており、並ばないと入れないし、おまけに、入場料さえとっているそうだ。トロツキーについてそうなるかどうかはわからない。フランスのトロツキー派が推進して結成された反資本主義党は、けっこうな数の支持を受けているらしい。かれらは、第4インターナショナルをやめ、今後も加盟する気はないという。トロツキーの文書はわかりづらくて、読みにくい。おまけに、マルクス、エンゲルス、レーニンと違って、自己批判が一つもない。スターリンの刺客ではなく、クロンシュタットで殺されたロシアの民衆の親族か友人の手で殺されていたら、そりゃ当然だと思ったかもしれない。

 

ILO広報誌よりの抜粋

 女性が多くの権利を手にする以前から、少なくとも女性の日というものはあった。国レベルの女性の日として最も古い記録は、1909年の米国に遡る。その翌年、コペンハーゲンで会合を開いた社会主義インターナショナルが、「女性の権利を求める運動をたたえ、普通選挙の達成を支えるため」に、「女性の日」を設立した(注1)。翌1911年、初めての「国際女性の日」がヨーロッパ全域で祝われ、仕事への権利、職業訓練、差別の廃止を要求する取り組みが行われた。

  この1911年の行事の席では、数々の情熱的な発言が主催者たちから聞かれた。そのひとり、アレクサンドラ・コロンタイはこの日について次のように述べている。「期待をはるかに上回りました。ドイツとオーストリアは(中略)沸き立ち震え立つ女性の海と化していました。いたるところで、小さな町や村でさえも、会合が開かれていました。どこの会場も満席で、(男性の)労働者には、出席をお断りしなければならないほどでした。男性たちは珍しく子どもたちと留守番し、専業主婦である奥さんたちが会合に出かけて行ったのです。」(注2)1917年、コロンタイとドイツの社会主義者クララ・ツェトキンの2人は、第1次大戦後のサンクトペテルブルグで3月8日にロシアの女性たちによって催された初めての「国際女性の日」に参加した。新しいソビエト政権の閣僚となったコロンタイは、3月8日を「英雄的な女性労働者」を祝うための公式な祝日にするよう、レーニンを説き伏せたのだった。ついにこの日は定着して世界中で行進が行われるようになり、1977年の国連総会決議は、加盟国に「女性の権利と国際平和のための国連デーとして宣言すること」を呼びかけた(注3)。

  今日では、「国際女性の日」を祝う行事、行進などの催しが、世界中の何百もの場所で行われている。ILOでは、1999年にフアン・ソマビア事務局長が、ILO事務局長として初めて理事会の「国際女性の日」に関する特別会合で演説し、ILOがジェンダー問題に関して「ペースを速める」ことを約束して(注4)、「国際女性の日」をILOの年間予定に組み入れて以来、この日を次第に大きく祝うようになってきた。このとき以来、自らの人権を求めて行進する女性たちの声は、多くの男性にも支えられ、ILOでも次第に大きくなってきている。

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日本経済二番底に向かう?

 景気が落ち着いてきたと書いたら、今度は、また経済指標が下がり始めた。

 まず、アメリカでの自動車販売数が減少した。これは、政府が行っていた自動車減税の期限が切れたためである。

 それから、日本では株価が大幅に下落した。そして直近の有効求人倍率は、0・42ポイントで、求人一人につき、半分以下の求人しかないということが発表された。

 すでに、新聞で、榊原元財務官は、年末にかけて、二番底に向かう可能性があるので、民主・社民・国新の連立政権に、赤字国債を発行しての景気対策の準備をするように警告した。氏によると、国債市場にはまだ拡大の余地があるという。

 このところ、日本経団連のODA予算増額を求める提言もそうだが、需要拡大という需要サイドの対策を求める主張が、政府も含めて、目立ち始めた。小泉政権が採用した供給サイドの経済学とは異なる需要サイドの経済学が復活してきているようだ。

 そうなると、今、もめている前原国土交通省の進める八ツ場ダム建設中止をめぐる問題は、あたかも彼が供給サイドの経済政策を採っているように見える。しかし、民主党政権のやり方は、ダムに代わって、住民への直接的な保障を行うというものである。もともと、八ツ場ダムは、利根川治水を目的に建設が始められ、途中から首都圏での水不足解消などの名目を加えられた上で、中断をへつつも、数十年がかりで作られているものである。その間、費用は、膨れ上がっていった。少子高齢化、人口減少、省資源化などが進み、天候的な原因で水不足になる年以外は、このところ、特に、首都圏の水不足は起きていない。今後も、天候的な要因以外での水不足は考えにくい。おまけに、東京都へのオリンピック招致は失敗したから余計にそうだ。

 これは、民主党が掲げる政治主導の行方を示す象徴的な出来事である。ダムに群がって利権を食いつぶしてきた天下り官僚や財界や利益誘導型のオール与党議員たちなどに対する闘いの一コマである。おそらく、今日も、民主党本部には、陳情団が次から次と押し寄せているはずで、そこで、政策の優先順位をどうつけるのかが、民主党の悩みの種となっていることだろう。予算は限られている。これを整理し、精査するには、スタッフもいるし、時間もいる。そして、最後は政治判断になるわけで、つまりは、政治闘争になるわけだ。しかも、それは、国会でも行わねばならないのである。新人が多い民主党議員たちが、これをどれだけ押し進められるのかは、これからだが、あまり多くを期待しない方が無難だろう。始まったばかりなんだから。

 他方で、「在日の特権を許さない会」などの民間右翼の活動が活発化している。かれらは、とくに、在日外国人地方参政権付与に積極的な民主党政権の誕生に危機感を強めている。先の日曜日には、東京秋葉原で、公称400人の街頭行動を行ったというし、今後、大阪など地方都市でも行動を繰り返すことを明らかにしている。憲法で、国家権力の最高機関と規定されている議会のメンバーに、外国人を入れることには、そうとうな抵抗感があるようだ。地方でもだめだという。

 戦前には、旧植民地住民には、参政権が付与された。このときは、同じ臣民だということがあったわけだ。ところが、戦後、かれらは突如として、今日からあなたは外国人ですよと言い渡され、そして、旧帝国臣民として日本人が与えられていた権利を受けられなくなった。軍人恩給や被爆者援護法もそうだし、その他の社会保障もそうだ。昨日までは、同じ帝国臣民なのだからといって、徴兵され、最前線に日本軍兵士として従軍させられながら、外国籍となったら、他の外国人と同列扱いという目に遭ったのである。国籍がどうのこうのという以前に、無理矢理であれ、皇国兵士として戦友とした人々への感謝の念も示さないどころか、特権にあぐらをかくがごとき言い方で、権利剥奪を主張する「在特会」の妄言を許してはならない。逆だ。在日を、ずっと後になって、最初から外国人として入ってきた一般外国人と同じにあつかったら、具体的な歴史性を捨象したねつ造歴史観に基づく間違った政策をやってしまうことになるのだ。在日は歴史的に特別であり、それをとやかく言い、悪しき特権を持っているごとく言うのは、大間違いである。

 先に、入管法が改悪されたばかりで、3年後に、全面的な施行となるが、所管の法務大臣は、元社会党で、在日外国人参政権法案を民主党内で推進してきたプロジェクト・チームのメンバーである。定住外国人地方参政権法案には、民主、社民、共産、公明が賛成していて、しかも、法案はすでに二回提出され、廃案にされている。自民党の今の議員の中に法案反対派がどれだけいるかはわからない。世界22カ国に外国人の地方参政権を認めている国があるという。反対派の言い分には、日本国籍の取得が筋だとするものや相手国と相互に参政権を認めあうのではないとだめだというのもある。日本の場合、差別的な戸籍制度というものがあるし、歴史的な経緯もあって、日本国籍取得を積極的に進めにくいという事情もある。戸籍には、離婚を示すバツなどの記録が残され、それが差別の要因になったりする。それは、公的な家系図のようなものでもある。アイデンティティの問題は、感情・感覚が絡んで、微妙な問題でもある。それから、それは、いっさいの強制や圧力のない自由な意志で選択されるべきものだ。

 オバマ大統領が、11月に訪日する予定だという。先の日米首脳会談は挨拶程度のものだった。日米地位協定の改定問題(在日米軍人軍属こそ、特権が与えられている)、普天間移設問題、インド洋給油打ち切り問題など、日米間の懸案問題については、ここで話し合われることになるのかもしれない。ここは、鳩山政権の外交的な最初の大きな山場となろう。そして、榊原氏が指摘した景気後退、二番底への下落に対する景気対策。この二つが当面の政権の二大懸案となりそうだ。そして、八ツ場ダム問題は、象徴的な闘いということになろう。それから、鳩山首相は、国鉄問題で、四党合意推進、政治解決を約束しており、それの実現に向けた動きも始まるかもしれない。非正規雇用問題、派遣法見直しはどうなるのか。そして、今月の特別国会があり、新人議員を含めた党内人事、体制づくりがある。そして、新人議員などの教育も急速に進めなければならない。でも、陳情処理に追われて手一杯というのが現状だろう。

  榊原元財務官:国債10兆円増発でも長期金利は2%に届かず
                              
(9月9日ブルームバーグ)
      

  9月9日(ブルームバーグ):早稲田大学インド経済研究所所長の榊原英資元財務官は9日午後、都内で講演し、景気対策の財源に充てるための国債発行が 市場に与える影響について「10兆円くらいの新規発行は十分吸収できる状況だ」と述べた。また、鳩山由紀夫次期内閣は国債増発によって積極的な第2次補正 予算を組み、景気悪化の再来を未然に防ぐ必要があると強調した。

  榊原氏は、国内景気は自動車や家電の買い替え支援策による需要の一巡や政権交代に伴う省庁の予算執行停止などにより、「年末から年初にかけて二番底に陥る」恐れがあると指摘。「鳩山不況」と言われないためにも、政権発足後の「相当早い時期」に景気対策を打つべきだと語った。

  景気対策の財源に関し、国債増発を避けるべきという論議は「責任感の仮面を被った経済学の無理解だ」と非難。補正予算での「減額修正は極めて危険」であり、総需要を減らすべきでないと述べた。1400兆円超の家計の金融資産が国・地方の長期債務800兆円余りを上回っているため「財政危機に陥っている わけではない」と言明。10兆円増発しても10年物国債利回りは「2%に届かない」と予想した。 ただ、中長期的には「財政規律は大事だ」とも指摘。「無駄な歳出の削減には時間がかかる」ため、「4年くらい」の時間軸を念頭に取り組む必要があると語った。

        ドル基軸体制、20年は続く                

  榊原氏は、世界最大の外貨準備高を抱える中国などから揺さぶりがかかっているドル基軸体制について、今後「20年は変わらない。米国はそう簡単に崩壊しない」と言明。鳩山氏が掲げているアジア共通通貨構想については「長期的な課題」であり「早くても20-30年先の話だ。私も鳩山さんも死んだ後だと思っている」と述べた。

 国連貿易開発会議(UNCTAD)は7日発表した報告書で、国連加盟国は新たに世界準備通貨銀行を創設すべきだと提唱。同銀が通貨を発行し、加盟国が保有する通貨の為替水準を監視することに合意する必要があると呼び掛けた。

  ドルは1970年代以降、金に代えて石油価格の表示通貨(ペトロダラー)として優位を保ってきただけに、基軸通貨としてのドルの地位に黄色信号がちらついている。

インターコンチネンタル取引所(ICE)のドル指数は8日に一時77.05と2008年9月以来の安値をつけた。対ユーロでは昨年12月以来初めて1ユーロ=1.45ドル台に、対円でも3日につけた約2カ月ぶりの円高・ドル安水準まであと9銭に迫る場面があった。

 榊原氏は、鳩山次期内閣での閣僚就任の有無については「話は全くない」と述べるにとどめた。

 榊原氏は1965年に大蔵省(現財務省)に入省。国際通貨基金(IMF)や米ハーバード大客員準教授などを経て、93年に国際金融局次長。円相場が1ドル=79円75銭と戦後最高値を記録した直後の95年6月に国際金融局長、アジア経済危機が発生した97年から財務官を務め、「ミスター円」の異名をとった。

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