クロンシュタットなど
前に、トロツキー神話の解体ということで、クロンシュタットについてちょっと触れた。
しかし、廣松渉氏の『マルクスと歴史の現実』(平凡社)という本を読んでたら、こんなことが書いてあった。これは、フランスのソ連研究家のカレル・ダンコースという人の『ソ連邦の歴史』という本からの引用である。彼女は、フランス政府の閣僚を務めたこともある人で、他に『レーニン』という本も書いて、それが邦訳されている。
「クロンシュタットは、レーニンの言葉によれば、一覧表を照らし出したにすぎない。蜂起した農村は、タンボフではエスエルの支援を受け、ウクライナではマノフに指導され、サラトフでは、共産党員という共産党員をすべて虐殺していた。都市住民は、クロンシュタットの水兵と声をあわせて、「共産主義者なきソヴェト」を呼号していた。都市でも農村でも住民は、昔ながら反ユダヤ主義的傾向を目覚めさせ、共産主義者をユダヤ人と同一視して、ソヴェト国家を「最初のユダヤ共和国」と決めつけるのだった。あらゆる社会集団から、他の主題に混じって同一の要求が湧き上がっていた。すなわち、農村に平和を回復させ、農民に自由を返すこと、であった。・・・」(p248)
マノフについては、逆に農民蜂起の指導者として評価する本が出されたりしているが、このサラトフでの共産党員虐殺がもし事実だとすると、マノフの行為が正当化できるのかどうか疑問だ。
この時期、ボリシェヴィキは、10回大会で、ネップへの転換を図っており、それは、農民寄りの政策であった。第二に、ボリシェヴィキは、反ユダヤ主義の黒百人組と闘い、民族差別思想と闘った。クロンシュタットは、反ソヴェト政権のシンボルにされつつあった。フランスは、クリミア半島に攻めてきていて、イギリスはカフカースに、日本は極東に、そして、カザックその他の白軍が、エスエルやメンシェヴィキが、さらには、ヨーロッパ各国の新聞が、これらに言葉で支援を与えていた。
これらの状況を考えたとき、一体、どうすればよかったのか。メンシェヴィキ政権だったとしても、同じ事をしただろう。例えば、旧勢力である幕府を倒した明治政府は、1884年(明治17年)の秩父困民党の蜂起に対して、軍隊を派遣して潰した。
しかし、今日、共産主義運動にとって、レーニン神話は必要ではないし、それどころか、それは重荷でさえあったので、これが取り除かれたことで、実にせいせいしたもんだ。トロツキーについては、神話を捨てようとしてない勢力があるが、もう、いいんじゃないかと思う。やっぱり、コロンタイを非難したトロツキーの演説は、ブルジョア的フェミニズムよりも反動で、問題外の低水準で、どうしようもない。
マルクス・エンゲルス・レーニン主義者に、マルクス神話・エンゲルス神話・レーニン神話なんていらないのだ。
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