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コメントによせて

 コメントをいただき感謝いたします。

けれども、確かにこのビデオには、「日の丸に白い鍵十字」を
描き入れたらしきものが映っています。
(在特会のことをファシストだと言いたかったのでしょうが・・・)

そこで、私はあなた様にお訊きしたいのですが、
在特会が言っている「アイツらはそんなことをした」というこの内容、
それ自体は「事実」ですか?
つまり、あなた様方のお仲間であるだろう一部の人達が、
事実、爆竹を鳴らしたり、そのように描き加えられた日の丸を
在特会に向けて掲げましたか?

 まず、私は、当日の蕨市での行動には参加していないし、その実行委のメンバーではありません。ですから、事実関係については直接お答えしようがありません。私は、この行動は、緊急になされ、短期間のうちに用意されたもので、当日の行動でも多少の混乱があったように聞いております。その後、間接的にですが、いろいろな批判や反省などが行われ、議論も継続されているやに聞いております。

上記のあなた様方のお仲間が書いただろう呼び掛け記事の中には、
「実行委としては(…)在特会主催のデモに参加している人々を
挑発すること等を主目的とした言動には反対します」とあるわけですが。
しかし6月には、残念なことに、そのようなことがあったわけですか?

 若干、私見を申し上げますと、「日の丸に白い鍵十字」という表現が、ここで言う、「挑発すること等を主目的とした言動」と言えるかどうかですが、私の考えでは、これは、表現の自由の範囲内ではないかと思いますし、「挑発を主目的」とは言えないのではないかと思います。爆竹の件については、一発鳴った程度の場合と、連発でならした場合、相手に投げつけた場合、等々、いろんなケースが想定できますが、それによって違ってくるだろうとは言えるでしょう。少なくとも、それが原因で逮捕となったのではないようですし、それに被逮捕者も起訴されていません。起訴するに足るだけの違法性がないと司法当局が判断したということです。

 ちょっと話しがはずれますが、私は、京都の東九条という地域で、在日朝鮮人に対する差別と闘う運動に参加し、そこで、いろいろと学ぶこともあり、また、宗教や信条や国籍や民族や政治思想やらに左右されない友情というものを実感しましたし、今も心情的に強いつながりを感じています。その意味で、私は、在日の人々に、感謝の念を持ち続けております。それは、私にとっては、食べるというだけではない、生きる力を与えてくれたものでした。カトリックの中にもいろんな方がいることは私も多少ですが知っています。先日、東京新宿で行われた「希望の島、東ティモール」という催しに行って来ましたが、そこには、東ティモールを支援するシスターたちが来ておりました。東九条にも、カトリック系の「希望の家」という施設があり、そこを拠点にして、カトリックの神父・シスター、信者の方が、地域の在日の中で活動しており、一緒に、日の丸君が代の学校への強制に反対する運動もやりました。国歌国旗法が成立してしまい残念ですが、私は東九条でもそうだし、それ以外の場でも、日の丸を見て、在日の、特に一世のオモニ・アボジたちが、痛み、怒り、悔しさ、無念さ、憎しみなどの複雑な感情を抱くことを知りました。この感情と感覚を理解し、尊重することなしに、国際的な友好などありえないと思っています。それなしには、私のような共産主義者の掲げている国際主義など単なる頭の中だけの空虚な言葉、空文句にすぎないと思っています。

 ただ、コメントで、懸念されていることは、靖国を支持するような人たちを、「在特会」支持に追いやるようなことをしては、かえってマイナスだというようなことだと思います。ご心配はもっともですが、ただ、私は、東九条で、大衆と垣根をつくるようなかぶりものはしないと言って、シスター服を脱ぎ捨てたシスターを知っています。それは、保守的なカトリックの信者や神父・シスターの反撥を受けるかもしれませんが、その時は、感心したものでした。目の前の損得勘定を超えたところで生き動く人々をいろいろと見てきた私としては、一方でカトリック信仰というものを持ちつつ同時に靖国神社にお参りする信者の方がいることを、外からは納得することはできないのですが、とにかく、そうだという現状に対して、おっしゃるように、現状を変えるために、そうした人々をこちら側へ引き寄せ、向こうにやらないように、配慮が必要だというのは、わかりますし、今あるものと今ないものの間に架橋していくのが政治の役割と思いますので、そうした政治的態度の形成や発展ということも、今後の課題となることは確かだと思います。関西での在特会への抗議行動に賛同されたシスター、神父の方もいらっしゃるのですから、そうした方と連絡を取られ、相談し、連携なさることではないでしょうか。これは、まったくの老婆心ですが。

 賛成できないことには反対なさればいいと思います。私が重要だと思うのは、そうした意見の表明の自由や行動の自由がどれぐらい多く確保されているかどうかだと思います。在日や在日外国人との連帯を掲げる以上、多様性を力とする以外にないのです。少なくとも、8月14日の集会では、「在特会」には反対だが右翼だという人も来て、発言しておりました。もちろん、私などは、そういうのは不快ですが、だからといって、排除というようなことはそう簡単には思いません。許容範囲はどこまでか、難しいところですが、それは試行錯誤の内に経験として蓄積する中で探り探り行く他はないし、そうして進んでいくものだと思います。私は、共産主義者、唯物論者、マルクス・レーニン主義者であることを別に隠していませんので、そういうのを気に入らないという人や団体から、冷たく扱われたり、時には排除されたりすることもありますが、私の方からは、基準や条件をできるだけ明確にした上で、多少の思想や考えや価値観の違いをもって排除することはしないようにしてきたつもりです。特に大衆運動の場面ではそうです。東九条では、神父やシスターや信者の方と一緒に活動しました。尊敬すべき方もおられれば、この人ちょっとどうかなという方もあり、様々です。逆に、あちらの方はどう思われていたのか、聞いたことがないのでわかりませんが。

 かつて、中南米に民衆の側に立つという「解放の神学」というカトリックのグループが広まったことがあり、それが、ローマ教皇や保守的な上層部から弾圧されたということがありました。今、確か、ハイチかドミニカかで、解放の神学派の大統領がいたと思いますが。

 余計なことまで書いてしまいました。私見の開陳みたいになって恐縮です。当方のブログには、「在特会」支持のコメントも来ています。公開すべきかどうか迷いました。カルデロン氏のような犯罪者をさん付けするなというのです。ただ、このコメントを読みまして、公開する決心がつきましたので、ご参考までに、そうした見解には組みしないことを表明した上で、公開します。その他、とうてい公開できないようなのも来ています。そういうのを除いて、基本的には、私の独断ですが、できるだけコメントの公開という方向でやっていきたいと思います。

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コメント

本文でお応え頂けるとは思っていなかったので、気づくのが遅くなりました。失礼しました。そして、お応え下さいまして、ありがとうございます。

いろいろ書いて下さいましたが・・・

> 「日の丸に白い鍵十字」という表現が、
> ここで言う、「挑発すること等を主目的とした言動」
> と言えるかどうかですが、私の考えでは、
> これは、表現の自由の範囲内ではないかと思いますし、
> 「挑発を主目的」とは言えないのではないかと思います。

このような御述懐に「何故」という反問は無意味ですよね。詰まるところ「感じ方」の問題ですから。
だから、以下、私の「感じ方」を若干置いて、それで終りにさせて頂きます。

私には、あなた様が上のようにおっしゃるお気持ちが、まるで分かりません。共感できません。

A 「これは私達としては "挑発すること等を主目的とした表現" ではありません。そのつもりはありません。」
B 「何だって!? これが挑発じゃないって? 挑発以外の何物でもないだろ! 他の何であり得るというんだ!」
A 「いいえ、違いますよ。挑発ではないんです。少なくともそれを主目的とした表現ではありません。」
B 「主目的ではない? では、"主たる目的" ではなかったとしても、"従たる目的" ではあったのだな?w それは認めるのか。」
A 「まあ、あるいは、そのような改変された旗を掲げた青年自身の主観においては、そうだったかも知れません。若干、そうだったかも知れません。しかしそれは『表現の自由』の範囲でしょう。」

このような対話をしても無意味です。

表現の自由?
表現の自由の、範囲?
その「範囲」を決めるのは誰ですか?
国家ですか。マルクスですか。

私にとっては「自由」はいつも最も基礎的な条件のようなものであって、それ以上ではありません。
「自由」の価値は政治的な価値であって、それ以上の価値ではありません。

「自由」以上の価値があります。
それは-------「賢明さ」です。
笑いますか?

私はただ、
これなら(↓)分かるが、
http://www.mkimpo.com/image/voyage/kansai/2009-06-13/IMG_9610s.jpg
これは(↓)イケナイ、「不賢明」だ、
http://www.mkimpo.com/image/voyage/kansai/2009-06-13/IMG_9612s.jpg
と言っているだけです。

> ただ、コメントで、懸念されていることは、
> 靖国を支持するような人たちを、「在特会」支持に
> 追いやるようなことをしては、かえってマイナスだ
> というようなことだと思います。

その通りです。しかし、それ「以上」のこと、あるいはそれ「以前」のことでもあります。
私は国旗を「神聖視」しません。だから、日の丸をハーケンクロイツにされても、ウンチにされても、「冒涜だ!」とは騒ぎません。けれども、そんな私にとっても、それは「基本的に尊ぶべき何か」なのです。
そして、右翼でなくても、この日本の中に私のような感じ方を(そう、これは「感じ方」の話です)する人が多くいるでしょう。

私は最も素朴なところのものを言っています。
「人として」という言い方によって指されるような何かを。

「どうして」、また、「いつから」、人間にとって『道徳』や『賢明さ』よりもとにかく『表現の自由』などというものの方が大事、というふうになってしまったのでしょうか? 私にはまったく分かりません。「表現の自由」は単に器です。大事な器ですが、器です。

ただ、あなた様は「共産主義者、唯物論者、マルクス・レーニン主義者」でいらっしゃるということです。それはもともと「国旗」を大事にする気持ちがない思想なのかも知れません。究極的には「国家」に何も意味を見出さない思想なのかも知れません。あなたにとって「日の丸」は、この国の過去の罪を象徴するもの以外には何でもないのかも知れません。あなたにとって、もともと(現状としてではなく究極において)『日の丸』は「なくてもよい」ものなのかも知れません。あなたは、現状としてではなく究極において「国境は必要ない」とお思いの人なのかも知れません。
----------そうならば、私とあなたが話し合っても無駄なのかも知れません。

投稿: MS | 2009年10月15日 (木) 18時52分

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