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世界女性の日を作ったコロンタイ

 私は、フェミニストでは、ロシアのアレクサンドラ・コロンタイが好きである。

 下の記事は、ILOの広報に載っているものだ。ここで、1910年のコペンハーゲンの社会主義インターナショナルで「女性の日」(日本では国際婦人デーと呼ばれている)が設立された。そして、コロンタイは、社会主義インターナショナルのシュツッツガルト大会での社会主義女性インターについて書いた文書で、ブルジョアジーを恐怖させるだろう新たな危険である女性労働者の国際組織が誕生したと書いた。残念なことに、現在、コロンタイの邦訳や研究が少なくて、この文書も、マルキスト・インターネット・アーカイブスにある英文のものだ。ただ、近年、杉山秀子さんという研究者の「コロンタイと日本」というような題の本が出ているようである。

 その昔、昭和初期には、彼女の書いた小説が、「紅の恋」などと訳されて出て、それなりに一世を風靡したことがあるらしい。

 彼女は、最初、メンシェビキ派であり、後にボリシェヴィキになり、さらに、労働者反対派となったが、スターリン時代に、国内での影響力はなかったようだが、北欧諸国の大使などを務め、外国では有名であった。しかし、ブハーリンやトロツキーも、コロンタイを批判したことは、先に書いた。レーニンの考えは、前に、イネッサ・アルマンドへの手紙を紹介したが、当面、女性の経済的地位や政治的文化的な地位を改善することに力点をおくべきだというもので、彼女が主張した自由恋愛の要求を否定したものではない。それが本物になるための条件を作るのを先に進めるべきだというものである。条件がないのに、それを優先的に取り上げると、それは、経済的に力のある階級であるブルジョアジーの要求になるだけだからである。その点から言うと、現在の連立政権は、同一価値労働同一賃金などの男女の賃金格差の是正につながるような方策を掲げており、その他の男女差別的な諸制度の改善、そして文化的な改善などをあわせて推進すれば、多少今よりは自由恋愛実現の条件は揃うかもしれない。しかし、あんまり期待しすぎてもいけない。

 コロンタイが創った女性の日は、今や世界中の記念日となっている。しかし、アメリカの一部フェミニストのように、条件もないところに無理やり、自分のところの女性解放思想を武力によってでも押し付けるなどというのは、傲慢であり、帝国主義的なやり方である。おまけに情報操作やねつ造話が作られて流されているようで、そういう薄汚いやり方は、正義の感覚を麻痺させてしまう。

 余談だが、コロンタイを非難したご立派なトロツキーについて、ソ連東欧体制崩壊前は反スターリン派としては対抗上擁護することにはそれなりの政治的な意味があっったが、いまや、ソ連崩壊から20年となっている。国内の反体制派を情け容赦なく最先頭で殺しまくり、女性差別の公的発言を繰り返したような反動的な人物を持ち上げる理由は、今は、別にない。すでに、レーニン神話が解体されてしまった今日では、トロツキー神話が解体されたとしても、共産主義運動にとって、痛くもかゆくもない。それは、レーニンの場合、レーニン神話解体によって、それによってこそ、レーニンが甦るという逆説的な事態というものが、つまりはフェニックス型の再生があるからである。それはレーニンが自己批判を残していたからだろう。もっとも、レーニンについてはまだそれほどでもないが、マルクスは完全にそうなっている。ロンドンのハイドパークのマルクスの墓には、観光客が押し寄せており、並ばないと入れないし、おまけに、入場料さえとっているそうだ。トロツキーについてそうなるかどうかはわからない。フランスのトロツキー派が推進して結成された反資本主義党は、けっこうな数の支持を受けているらしい。かれらは、第4インターナショナルをやめ、今後も加盟する気はないという。トロツキーの文書はわかりづらくて、読みにくい。おまけに、マルクス、エンゲルス、レーニンと違って、自己批判が一つもない。スターリンの刺客ではなく、クロンシュタットで殺されたロシアの民衆の親族か友人の手で殺されていたら、そりゃ当然だと思ったかもしれない。

 

ILO広報誌よりの抜粋

 女性が多くの権利を手にする以前から、少なくとも女性の日というものはあった。国レベルの女性の日として最も古い記録は、1909年の米国に遡る。その翌年、コペンハーゲンで会合を開いた社会主義インターナショナルが、「女性の権利を求める運動をたたえ、普通選挙の達成を支えるため」に、「女性の日」を設立した(注1)。翌1911年、初めての「国際女性の日」がヨーロッパ全域で祝われ、仕事への権利、職業訓練、差別の廃止を要求する取り組みが行われた。

  この1911年の行事の席では、数々の情熱的な発言が主催者たちから聞かれた。そのひとり、アレクサンドラ・コロンタイはこの日について次のように述べている。「期待をはるかに上回りました。ドイツとオーストリアは(中略)沸き立ち震え立つ女性の海と化していました。いたるところで、小さな町や村でさえも、会合が開かれていました。どこの会場も満席で、(男性の)労働者には、出席をお断りしなければならないほどでした。男性たちは珍しく子どもたちと留守番し、専業主婦である奥さんたちが会合に出かけて行ったのです。」(注2)1917年、コロンタイとドイツの社会主義者クララ・ツェトキンの2人は、第1次大戦後のサンクトペテルブルグで3月8日にロシアの女性たちによって催された初めての「国際女性の日」に参加した。新しいソビエト政権の閣僚となったコロンタイは、3月8日を「英雄的な女性労働者」を祝うための公式な祝日にするよう、レーニンを説き伏せたのだった。ついにこの日は定着して世界中で行進が行われるようになり、1977年の国連総会決議は、加盟国に「女性の権利と国際平和のための国連デーとして宣言すること」を呼びかけた(注3)。

  今日では、「国際女性の日」を祝う行事、行進などの催しが、世界中の何百もの場所で行われている。ILOでは、1999年にフアン・ソマビア事務局長が、ILO事務局長として初めて理事会の「国際女性の日」に関する特別会合で演説し、ILOがジェンダー問題に関して「ペースを速める」ことを約束して(注4)、「国際女性の日」をILOの年間予定に組み入れて以来、この日を次第に大きく祝うようになってきた。このとき以来、自らの人権を求めて行進する女性たちの声は、多くの男性にも支えられ、ILOでも次第に大きくなってきている。

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