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フォイエルバッハ・テーゼをめぐって(第3回)

廣松渉氏と「フォイエルバッハ・テーゼ」

 「フォイエルバッハ・テーゼ」について何かを言うとなると、日本では、廣松渉氏の残した仕事を無視するわけにはいかないことはいうまでもないことである。もちろん、氏は、「フォイエルバッハ・テーゼ」についても、考察されている。ことに、第六テーゼを中心にした氏の論考は、人間論・存在論の次元での「近代的地平」の超克という氏の壮大な仕事の中で、中心的な位置を占めている。

廣松氏の『マルクス主義の地平』(勁草書房)は、一九六三年から六九年にかけて書かれた論文を集めたものである。ここに集められているのは、人間論を中心にしたものであり、そこで、氏は、第六テーゼを基本にして、マルクスの人間概念を論じている。氏は、この前後、六八年には『マルクス主義の成立過程』(至誠堂)、七二年には『世界の共同主観的存在構造』(勁草書房)を出版しているが、これらは相互に関連している。ただ、ここでは、「フォイエルバッハ・テーゼ」に関係すると思われる部分に限って、多少の検討を試みるだけであることを最初にお断りしておきたい。

 廣松渉氏の『マルクス主義の成立過程』は、初期マルクスから後期におけるヘーゲル弁証法の転倒までのマルクスの思想形成過程を追った諸論考を集めたものであるが、その中の「初期マルクス像の批判的構成」という文書で、氏は、マルクスの初期の思想形成過程を、ヘーゲル左派との関係を軸に追っている。「フォイエルバッハ・テーゼ」について書かれているのは、主にこの文書なので、それから見よう(ただ、『マルクス主義の地平』には、この文書をめぐって起きた議論について良知氏に答えた「追記―良知力氏のご批判によせて」という文書があるが、これは『初期マルクス像の批判的構成』をめぐる議論なので、あわせて取り上げる)。

マルクスが「ライン新聞」の編集長になった一八四二年頃は、ヘーゲル左派の三極(パウエル、アーノルト・ルーゲ、モーゼス・ヘス)が分解状況にあった。マルクスは、最初にパウエル派と、続いて、ルーゲと決裂することになる。パウエル派とは、「ライン新聞」時代に、そして、ルーゲとは、四三年三月に「ライン新聞」が発禁されてから、パリに移って、同年の秋に「独仏年誌」を共同で一号出した後に、決裂した。廣松氏は、この時期に、マルクスに、ヘスの影響が入ってきたと言う。そして、マルクスは、四四年の春から秋にかけて、パリで、『経済学・哲学手稿』を書くが、それは、「着眼と発想だけでなく、数々のキャッチフレーズやレトリックに至るまでヘスの論稿と著しい一致を示している」(同前三四頁)という。廣松氏は、ヘスは、四一年から、「チェスコウスキーの指摘に則って「歴史をさまざまに解釈し説明してきただけの歴史哲学」から「歴史を変革する実践」「行為の哲学」への転換を図」(同前三一頁)っていたという。そして、ヘスの「行為の哲学」は、「固有の主体概念」、すなわち、「デカルト以来のコギトに代えて、人間を自己活動Selbsttat, Selbstbetätigungの主体として把え、しかもこの人間を本源的に社会的な存在として把える。ここにおいて人間の本質は協働Zusammenwirkenにあるとされる。「この協働こそが個人の現実的本質である。……思惟や行動も専ら協働から生ずる。……《精神》という神秘的な名で呼ばれているところのものも……この協働にほかならない。協働がはじめて生産力を現実化する、云々」(Ib.S.330f. Vgl. S.210. S.228. S.275. S.287)。ヘスは、人間を単なる類的存在、単なる共同体をなす存在Gemeinwesenではなく、協働をなす存在、協働存在として規定し、社会的な仕方で労働する存在というこの主体概念のもとで、彼のいう「自由」の概念、それの真の実現としての共産主義、これを実現するための現実的・歴史的諸条件、遡っては社会経済のメカニズム、等々を説くのである」(同前三一~二頁)。

廣松氏は、『経哲手稿』におけるマルクスの「この作業は、より大きな射程でいえば、旧来の姿勢―すなわち、市民社会的状態の不当性を恰も自明の理のごとくに扱い、これに対して「類が個として実存」する真の人間的共同体を対置するという姿勢―を蝉脱して、今や、 市民社会的状態の非本来性が奈辺にあるか、② この非本来的状態の成立した必然性、③ この状態の自己止揚の必然性とその行程、④ そこに招来さるべき人間の即自対自的な在り方、これを歴史哲学的なパースペクティヴのもとに解明していくという新しい視座の設定を意味する。いわゆる三つの源泉の総合的統一が可能となったのもこの視座のもとにおいてであって、ここに『経哲手稿』がマルクスの思想形成に対してもつ劃期的な意義があったということができる」(同前三四~四頁)と述べている。

 そして、廣松氏は、マルクスが、『経哲手稿』では、「フォイエルバッハとヘスとの中間の立場にあった」(同三六頁)とし、その標識を、主体概念の設定の仕方に見ている。すなわち、「マルクスもヘスも、人間を 社会的存在、② しかも自己活動、労働の主体として把握する点では慥かに一致する。しかしながら、③ マルクスは、人間が自然存在であるという面をも同様に強調し、しかもその際、「自然は人間の非有機的身体である」(Ib. S.87)という特殊フォイエルバッハ的な含意を残している(ヘスにはそれがない)。④ マルクスは「類的存在」が諸個人の代数和以上であるところから、とかく、類的本質をhypostatisieren(実体化)する傾きを残している(ヘスにはそれが稀薄)。 マルクスは、自然的・類的存在としての「人間」そのものを至高の価値とする趣きをもっている(これに対してヘスでは「自由」。尤も フランス的 なそれではなく、自己活動の主体という彼の人間規定に淵源するものであって、必然の王国に対する自由の王国というときの自由)」(同前36頁)と整理している。

 それから、廣松氏は、四五年春のベルギーのブリュッセルにおける「フォイエルバッハ・テーゼ」が書かれるまでのマルクスの思想的推転を、パリ時代の四四年八月の『批判的論評』、続くエンゲルスとの初の共著である『神聖家族』に見ている。

氏は、まず、『神聖家族』におけるマルクスの哲学的立場は、『経哲手稿』と同じで、マルクスは、フォイエルバッハ的な立場、すなわち、ヘーゲルの絶対精神を「人間」で置き換える立場で、自然と精神との統一たる「人間」、唯心論と唯物論との統一たる「現実的人間主義」に立っているとする。そこから、マルクスは、現実のナシ、リンゴ、スモモ、イチゴから作り出された「果物」という普遍的表象を、絶対的主体の自己活動とし、全過程を実体=主体の自己展開過程として示すパウエル派のヘーゲル的方法を批判したと言う。廣松氏によれば、ヘーゲル的弁証法は、「自己を外化しそして外在態から自己へと還帰するが、しかしその際同時に外在態を自己のうちに取り戻す主体としての絶対的な主体」(Ib. S. 167)、一言でいえば、全過程がそれの自己疎外と自己回復の行程であるごとき主体=実体、実体=主体を俟って初めて成立しうる」(同前四四頁)ものである。それを、氏は、「しかるに今やマルクスは、主語と述語の顛倒、そのことによる述語の実体=主体化を端的に斥ける姿勢をみせ、「パウエルにおいても、自己意識は自己意識にまで高められた実体、あるいは実体としての自己意識であり、自己意識は人間の述語から独立の主語に転化されている」ことを指摘し(Ib. S. 314)、パウエル派がいう意味での「自己意識」も『果物』にほかならないことを論断」(同)したと言う。しかし、この時点では、まだ、マルクスは、実体=主体の自己展開という発想のままで、フォイエルバッハの「人間」を自己活動の主体として、ヘーゲル的弁証法=自己疎外の論理を維持していたという。廣松氏は、それの自己批判的省察が、「フォイエルバッハ・テーゼ」で踏み出されたというのである。

 

 そして、四五年春に、ブリュッセルで、「フォイエルバッハ・テーゼ」が書かれるのであるが、それを、廣松氏は、「一言で性格づけるならば、この十一項からなる『テーゼ』は、マルクスが フォイエルバッハとヘスとのいわば中間の立場 から、ほぼ完全にヘスの立場に移行したことを告げる文書である」(同前四三頁)と位置付けている。

 そこで、氏は、マルクスが、第六テーゼにおいて、「人間的ヴェーゼンを諸個人の社会的協働関係におくヘスの線に則って「社会的諸関係の総体」として規定」(同前四七頁)して、自然存在としての規定から抜け出たと言うのである。第六テーゼが、氏が言うように、「人間的ヴェーゼンを諸個人の社会的協働関係におくヘスの線に則って」いるかどうかという点について、『マルクス主義の地平』所収の「追記―良知力氏の御批判によせて―」で、少し追ってみる。

良知氏の当該文章は、「ヘスは若きマルクスの発展の座標軸たりうるか―廣松渉氏の初期マルクス論によせて」(『思想』五月号)で、それは、「ヘスは、初期マルクスを縦断的に再構成するさいの座標軸たりえないのではないだろうか」という一文で結ばれているという(勁草書房 三〇三頁)。それに対して、廣松氏は、「ヘスを以って若きマルクスの思想発展の座標軸にしているかのような印象を受けられる方もあろうかと惧れる」(同)と述べられている。そして、「廣松としては、しかし、決してヘスを座標軸にしているわけではないし、…… ヘスは座標軸たりえない と考えている旨を記して、先ずはありうべき無用の誤解を防退しておきたい」(同)という。ただ、「マルクス主義の成立過程」所収の「初期マルクス像の批判的再構成」の記述からは、良知氏のような見方が生じるのもやむを得ないように思えるのだが。廣松氏は、そこでは、マルクスの思想の独自性よりも、『ドイツ・イデオロギー』に至るまでのヘスの影響の大きさを強調されているように思われるのである。「フォイエルバッハ・テーゼ」の多くの部分が、ヘスの書いたものと似ているとしても、違うところもある。少なくとも、その部分がどうなのかも含めて、一一のテーゼの全体の関連を一応検討してみるという作業がいるし、それと、廣松氏のように、ヘスなどとの思想的連関を総合して考え、検討する必要があることは明らかである。

 それから、廣松氏は、「良知氏は〈廣松氏の労作はヘス研究を一義的目的とするものでもなければ、ヘス=マルクス関係の解明を主テーマとしたものでもない。さらに、初期マルクスの批判的再構成ですら、おそらく氏なりの認識論を構築していくためのひとつの足がかりであろう〉と好意的に書いて下さっている」(同前三〇四頁)と書かれているように、それが、氏の認識論構築作業の一部として書かれたことを認めている。それが、六七年から七二年に書かれた論文を集めた『世界の共同主観的存在構造』の氏の認識論構築などの一連の作業を指すことは明らかである。

 そして、廣松氏は、良知氏のテーゼ当時の〈ヘスとマルクスとのあいだにある基本的な相違点〉を見逃しているという指摘に対して、それは基本的な相違ではないとして、それを三点に分けて答えている。氏は、まず、ヘスはフォイエルバッハ的な唯物論者ではなかったことに同意する。そして、「〈ヘスのばあい「活動」あるいは「実践」の概念は「感性的に人間的な活動、つまり実践として主体的に」とらえられているわけではない〉こと。―〈感性的〉ということに格別なアクセントをおけばまた別問題を生じうるが、良知氏も引用される通り、ヘスは「人間的に考えるだけでは十分でなく、同時にまた人間的に生きねばならない……」と言う。これに対して、氏は、〈ヘスは純粋思惟を排除しているだけであって「思惟が人間の自己活動である」ことにはかわりない〉とされる。これは廣松には理解しがたい。もしヘスが 人間の自己活動とは思惟の謂いなり とでも言っているのであればともかく、論理学の用語でいえば、氏は減量換位を施すべきところ単純換位を施して了っておられるのではなかろうか? 歴史の哲学から行為の哲学、実践の哲学への転換を標榜したヘスの「実践」概念は、この時点では『テーゼ』のそれと基本的には同趣であると廣松は考える。(なお、良知氏は「感性的印象や表象をもつさいには、私は本質的に受動的にふるまう」というヘスの゛唯物論的 な一句を引いて、『テーゼ』第九にいう「感性を実践的活動として捉えない唯物論」云々における感性の把握との相違を主張され、ヘスは〈みずから観照的に考えることになる〉と立論される。ここには、しかし『テーゼ』にいう「感性」とヘスが認識能力に即していっている感性との性急な同一視があり、遂には首肯しがたい)」(同前三〇六~七頁)。

 ここでも、第一テーゼの「主体的に」か「主体として」か、という訳の問題が、影を落としている。ここで言うヘスの実践と「フォイエルバッハ・テーゼ」の言う実践が同じなのかどうかという論点については、後で簡単に取り上げるので、ここではおいておく。続けて、氏は、次のように言う。長いが、引用する。

e)〈ヘスのいう社会自身、歴史的過程からたちきられて形而上学的にドグマ化し、ユートピア化してしまう。「歴史的経過を切り捨て、抽象的で―孤立した―個人を前提する」(第六テーゼ)というマルクスのフォイエルバッハ批判がヘスのいう「社会」にもたちかえることになる〉と良知氏は言われる。マルクスがフォイエルバッハの抽象的個人としての「人間」にさし向けた批判を、ヘスの「社会」に推及しうるかどうか疑問が残る。なるほど、ヘスの社会概念は極めて不十分であるが、しかし『テーゼ』当時のマルクスにも必ずしも十全な社会概念が見出されるわけではない。良知氏御自身、先行の個所で容認しておられるように、ヘスは「人間の存在は社会的存在であり、……さまざまな個人の協働であり、人間にかんする真の教義は人間の社会的状態にかんする教義である」と述べ、「人間的存在は……社会的諸関係のアンサンブルである」という『テーゼ』と同趣の思想を打出しているのであって、今問題の論点については、ヘスとマルクスのあいだに〈基本的な相違〉があるとは思われない。

四 良知氏は〈廣松氏によればマルクスはここで「人間的ヴェーゼンを諸個人の社会的協働関係におくヘスの線に則って『社会的諸関係の総体』として規定し」、社会経済上の「ヘスの先駆的業績を真に評価し」、「今暫くの間、ヘスの路線に従って『地上の秘密』の解明につとめる」〉という拙論を紹介されたうえで、〈廣松氏も再三指摘されているように、ヘスは鋭い問題感覚をもって疎外論を社会経済上の諸問題に適用した。だが、これらの分析は、ヘスが他面で追求した自己意識の弁証法とついに接合することはなかった〉。〈現実の経済社会もまた物神的な直接態のなかでしかつかまれない。その意味では「ヘスの路線に従って『地上の秘密』の解明につとめる」ことはありえない〉と書いておられる。―なるほど〈その意味では……ありえない〉かもしれない。しかし、廣松の文脈では次のようになっている。『テーゼ』におけるマルクスの転換にふれたうえで、「マルクスはフォイエルバッハから批判的に距離をとることによって、今やヘスの先駆的業績を真に評価し、それに従いうる地平に進んだのである」と書き、ここに註記して『ドイツ・イデオロギー』では「ヘスこそがフランス社会主義の展開とドイツ哲学の展開を綜合した」と言われている旨を紹介しておいて、そのあと、拙稿全体の論旨を総括的に辿り直していき、「こうして、ヘーゲル左派の三極を閲歴したマルクスは、今暫くの間、ヘスの路線に従って『地上の秘密』の解明につとめる。因みに、ヘスは当時すでに、協働、生産力、交通、土台、等々の概念を確立して一種の唯物史観を樹て、この史観によって共産主義に基礎づけを与えていただけでなく、独自の組織論、運動論を携えて共産主義的実践運動を展開しており、彼には学ぶべき多くのものがあった。四五年の春 亡命地 ブリッセルで相会したヘス、マルクス、エンゲルスは、翌る四六年にかけて、『ドイツ・イデオロギー』を共同執筆することになった」云々、と続けている。―右の事情は措くとしても、良知氏は、廣松が「地上の秘密」という時括弧をつけた所以のもの、つまり『ヘーゲル法哲学批判序説』からの援用によって、その被限定性を表明しておいた点を無視されているのではあるまいか? だとすれば、氏と廣松とのあいだには、一点を除けばそれほど大きな見解の相違はないのではないかと考えられる。一点というのは〈これらの分析〔つまり疎外論を社会経済上の諸問題に適用しての分析〕は、ヘスが他面で追求した自己意識の弁証法とついに接合することはなかった〉とされる点である。この御発言は、それ自体として肯んじがたいだけでなく、氏自身の前言とも矛盾するように思える。ヘスが依然として〈自己意識の弁証法〉を追求していたのだとすれば、四三~四四年の〈急激な転換〉によって、フィヒテ=バウアー的発想からフォイエルバッハ的な発想に転じたとされる氏御自身の先の論点とどう整合するのであろうか?(同前三〇八~九頁)

 ヘーゲル左派については、よくわからないのでなんとも言いようがないが、ただ、ここには、疎外論、自己意識、協働、交通、生産力、土台、唯物史観、等々、現在においても議論となっている論点があることは明らかだ。しかし、それは、「フォイエルバッハ・テーゼ」だけからでは論じようがない。

マルクスは、ブリュッセルで、ヘス、エンゲルスと共に、四六年春には、『ドイツ・イデオロギー』を共同執筆するが、氏は、この過程こそが、「ヘーゲル三派の三極を端的に総合・止揚しつつ、ヘスの思想的立場と水準から脱却する「自己了解」の過程となった」(『マルクス主義の成立過程』四九頁)というのである。要するに、廣松氏は、初期マルクスの思想形成過程の中で、特に、ポイントとされる主体概念の転換が、パウエル→ルーゲ→ヘスという順で進行し、ついには、『ドイツ・イデオロギー』において、これらヘーゲル左派の三潮流が、止揚・綜合されるにいたったというのである。そこで、廣松氏は、主体概念を、人間概念と見て、ここで、その変革があったとして、そこから、『マルクス主義の地平』においては、ハイデッガーの存在論を踏まえつつ、その「世界―内―存在」に対して、「歴史―内―存在」としての主体概念、人間概念とか、協働連関の世界の四肢的構造論の提起へといたるわけである。それは、『世界の共同主観的構造』において、詳しく展開されることになる。

 「フォイエルバッハ・テーゼ」には確かにヘスの影響が強く見られるとして、廣松氏は、「テオリーに対してプラクシスを特別な含意で対置してきたチェスコウスキー・ヘスの立場がそのまま採用されるに至っていることを銘記し(第二、三、五,八,九テーゼ、殊に「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけだ、世界を変革することこそが肝要であろうに」という最終テーゼを参照)、マルクスにおける「人間」把握の転換を確認すれば足るであろう」(同前四五~六頁)と述べ、対照のためとして、ヘスの当該論点、「フォイエルバッハは神のヴェーゼンは人間の……ヴェーゼンであり、神的ヴェーゼンに関する真の理説は人間的ヴェーゼンに関する理説だという。これは正しい、がしかし……人間のヴェーゼンは社会的ヴェーゼンであり、諸個人の協働である」。因みに「人間間の交通、これが人間の現実的ヴェーゼンであり……この協働が、生産力をはじめて現実化する……各個人の現実的ヴェーゼンである」(同前四六頁)をあげている。

この部分を見る限りでは、ヘスの思想、行為の哲学などはわからないが、この時期に、マルクスにその影響があったことは確かなようだ。廣松氏は、ヘスの、この引用に見られるような社会概念が、「フォイエルバッハ・テーゼ」の時点では欠けていると言う。確かに、「フォイエルバッハ・テーゼ」では、社会概念が展開されているわけではない。ただ、前回、アルチュセールが、第六テーゼの「人間的ヴェーゼン」という部分を、マルクスの不徹底さを示すものというように主張していることを見た。第一テーゼが、感性的人間活動、実践を主体としているということを、加藤正も、アルチュセールも、バリバールも言っているが、私は、ここで、すでに、マルクスは、実践を主体とすることで、ヘス的な人間概念とは異なることを言っていると思う。また、『マルクス主義の地平』第一章でもふたたび取り上げられている「人間の本質は社会的本質である」と第六テーゼの「人間的本質は社会諸関係のアンサンブルである」という命題に違いがあり、この時点でも、「フォイエルバッハ・テーゼ」が、完全にヘスのライン上にあったということではなかったように思える。

 廣松氏は、第六テーゼを、人間概念、社会概念の転換、主体概念の転換を、ヘスの路線の受容、それから、『ドイツ・イデオロギー』にいたるそれまでのヘーゲル左派の綜合の途次の命題として捉えている。それから、廣松氏は、デカルト的コギトという近代的主体概念、「思惟する我」を主体とする認識論を根本から覆す新たな主体概念の形成を課題としていくという氏の思考の歩みのポイントに第六テーゼを置いている。氏は、第六テーゼの主体概念の転換が近代的地平を根本的に変える契機を切り拓いたという。そして、第六テーゼで人間的本質と言われているものが、主体としての人間のことであり、それが社会諸関係だという。このことは、一九六〇年代から七〇年代初めという時代に、廣松氏が、第六テーゼを大きく取り上げたこと自体、その時代が主体を問うていたことを示している。廣松氏はもちろん、フーコーもまたそれを追及した人であるが、それが、今日、ふたたび問われているのである。

そのことと関連して、本稿のテーマからは離れるが、廣松氏のその他の論考の一端を少々見ておきたい。廣松氏は、『マルクス主義の成立過程』所収の「弁証法的転倒はいかに可能であったか」では、ヘーゲル弁証法の唯物論的転倒について、そして、『マルクス主義の地平』では、近代的人間概念を超えるマルクスの人間概念、そして、疎外論から物象化論へという後期マルクス思想への転回を詳しく論じられた。例えば、「附論Ⅰ マルクス主義の地平と物象化論」という文章では、「後期マルクスのいう「物象化」は、個々の主体と事物とのあいだに直接的に成立する客体化の現象なのではなく、人間相互間のインターズプエクティーフな媒介を経てはじめて成立するところの本源的に共同主観的な現象なのであります。対象性として現われるところのものは、実は、単なる即自存在なのではなく、人々のある種の共同主観的な関係、即自的な協働が「物象化」されて現象するものであること、後期のマルクスは、なかんずく価値対象性に即して、このことを究明したのであります」(同書二七〇頁)と述べている。さらに、氏は、マルクス主義認識論の構築にも向かう(「附論Ⅱ マルクス主義認識論のために」など)。

それから、これらの廣松氏の論考が、論争の中で遂行されたということを強調しておきたい。「附論Ⅰ マルクス主義の地平と物象化論」や「追記 良知力氏の御批判によせて」などで、氏の論考が論争の形態を取って行われたということである。フォイエルバッハへの論争の形態で書かれている「フォイエルバッハ・テーゼ」には、実践的唯物論の開放性、相互交通性、発展性、等々の性格を示されていると考えるが、それが、廣松氏の論考の基本にあると捉えておきたいのである。それから、廣松氏は、「近代世界了解の構え、すなわち、資本主義時代に照応するイデオロギーという意味でのブルジョア・イデオロギーの地平―この特質については別著(『マルクス主義の地平』第一部)で論じておいたので、ここでは式述しないが―、このブルジョア的世界観の地平がもはや桎梏に転じ、破綻に瀕していること(それは単なる ゛西洋の没落 などというものではない)〔氏には、学術的と見なされるようなこのような文書に、ビラのように、゛を入れるような実践性がある―引用者〕さりとて、人々はまだ、それに代わるべき新しい発想法の地平を、明確な形で向自化しうるには至っていないということ、今日の思想的閉塞情況は、要言すればこれに起因するものであると看ぜられる」(『世界の共同主観的存在構造』勁草書房五頁)という問題意識をもって、そこから、近代的「主観―客観」図式の超克という認識論的課題を追求するという壮大な試みへ踏み出されたのであるが、それは、第六テーゼにおけるマルクスの思想転回を受け止める中で、そしてそれを引き継ぎ発展させるという試みの持続の中で遂行されたが、それが、今日においても問われていることは明らかだと考える。とりわけ、「フォイエルバッハ・テーゼ」の実践、感性、などの諸概念をめぐって、氏が提起したものは、今、アクチュアルなものとして再浮上しているのである。

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コメント

>ことに、第六テーゼを中心にした氏の論考は、人間論・存在論の次元での「近代的地平」の超克という氏の壮大な仕事の中で、中心的な位置を占めている。


ふうん、そうですかねえ……。

まあ、わかりました。

投稿: ウェルダン穂積 | 2009年12月13日 (日) 17時49分

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