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フォイエルバッハ・テーゼをめぐって(第2回)

   和辻哲郎の第六テーゼ解釈

 おそらく、「フォイエルバッハ・テーゼ」の中で、第六テーゼほど、議論を呼び起こした部分はないだろう。第六テーゼが、人間論・社会論として、新しかったからである。それは、人間的本質は、社会諸関係のアンサンブルであるという短い一句に集約されている。これが、どれほど大きなインパクトを与えたかは、例えば、倫理学者和辻哲郎が「西田幾太郎先生にささぐ」と扉に記した『人間の学としての倫理学』(一九三一年)で、わざわざ、第六テーゼを肯定的に取り上げて、マルクスの立場に立つように見せかけつつ、骨抜きを図ったことにも示されている。和辻は、「マルクスのフォイエルバッハに対する批判は、類の概念や我れと汝の共同態の概念においていまだ人の本質すなわち人の社会的存在が把捉されていないことを明らかにするにある。フォイエルバッハは抽象的孤立的な「人」という個体を仮定し、かかる個体を仮定し、かかる個体から抽象せられた普遍性としての「類」を取ってそれを人の本質を見た。だから人の本質は個々の個人に内在する抽象的なものとせられてしまう。それによって人の全体性を捕らえたとするのは思弁哲学への逆戻りである。孤立せる人などというものはどこにもない。人は常に社会的関係において有るのである。だから人の本質は社会的関係の総体にほかならない。フォイエルバッハは人を社会的連関の中に置くことをしなかった。彼が人を「感性的対象」としたことは「純粋な唯物論者」よりも非常に優れている点であるが、しかし彼は人がまた「感性的活動」であるという洞察にまでは達し得なかったのである」(岩波文庫一六六~七頁)と書いている。ここで和辻は、第六テーゼを、フォイエルバッハの認識形式論を退け、人間の本質を存在ととらえ、主体を「感性的活動」という存在として捉えたものと解釈したわけである。
   彼は続けて、第一テーゼを引用して、「フォイエルバッハが人の特徴を意識において見いだしたときには、対象の意識が人の自己意識であり、対象において人の本質が現れるとせられた。だから感性的対象が人自身なのである。しかし彼はそれを直観、感覚、愛というごとき認識の形式において、すなわちあくまでも観照的に捕らえようとした。だから彼が感性的世界すなわち自然を絶対化し、それが産業や社会状態の産物であることを見得なかったとせられるのも道理である」(同一六七頁)とマルクスの述べたことをほぼそのまま踏襲している。しかし、彼は、「人は常に社会的関係において有る」という一句を入れることで、実際には、第六テーゼを骨抜きにしている。また、和辻は、この後で、関係を「間柄」と言い換え、それを人間関係共同体とした上で、感性的活動を人間化し、それを主体化してしまう。「間柄」としての人間関係共同体を人間本質として主体化するのだ。しかし、第六テーゼは、社会諸関係のアンサンブルを人間的本質と規定していても、それを主体化していないことは、加藤正の第一テーゼ解釈を検討して確かめた。和辻が、実践的行為的連関としての我と汝の「間柄」共同体を、フォイエルバッハの物言わぬ「類」の代わりに、抽象的主体として立てたことは、テーゼ全体からみて、誤りであることは明らかだ。彼は、特定の主体としての近代ブルジョア社会の底に人間共同体を置いて、それを、より根底的なものと意味付与した上で、それを人間化し主体化することで、マルクスのテーゼの思想を捻じ曲げたのである。

 それが誤りであることは、マルクスが、一八五四年の『経済学批判のための序説』の経済学の方法の章において、「実在する主体は、相変わらず頭の外でその独立性を保っている。〔頭の外で〕というのは、頭がただ思弁的に、ただ理論的にふるまっているあいだのことであるが。それゆえ、理論的方法にあっても、主体は、社会は、前提としていつでも表象として浮かんでいなければならない」(国民文庫二九五~六頁)と述べていることで明らかである。ここで言う「実在する主体」は、第六テーゼの人間の本質としての社会諸関係のアンサンブルのことであるが、ここでは、それは特定の社会、主体、感性的人間活動=実践のことである。マルクスは、それは、非思弁的な思考の活動によって、つかむことができると言っているのである。マルクスは、それができるのは、抽象という方法であると「資本論」序文で言っている。ただ、ここで注意しておかねばならないのは、この「経済学の方法」に書かれていることを特殊な方法論として体系化するということを、例えば、梯明秀という人が試みているけれども、それは、マルクスの唯物論的弁証法を誤らせるということである。この部分の前には、「この思考する頭は、自分にとって可能なただ一つの仕方で世界をわがものとするのとは違った仕方で世界をわがものにするのであって、この仕方は、この世界を芸術的に、宗教的に、実践的・精神的にわがものとするのとは違った仕方なのである」と書いているように、マルクスは、哲学的意識の種差性も指摘している。すなわち、「主体、社会」は、対象として、様々な仕方で我がものにしうるし、それは、それらの多様なものや多側面のアンサンブルとしてあるが、それを、哲学的思考は、それ特有の仕方で認識するのである。そのことは、「およそどの歴史的、社会的科学の場合にもそうであるように、経済学的諸範疇の歩みの場合にもそうであるように、経済学的諸範疇の歩みの場合にもつねに次のことが銘記されねばならない。すなわち、現実界でそうであるように頭のなかでも主体が、ここでは近代ブルジョア社会が、あたえられているということ、したがって、諸範疇は、この特定の社会の、この主体の諸定在的形態、諸存在規定を、しばしばただその個々の面だけを、表現しているということ、したがってまた、近代ブルジョア社会は、科学的にも、それがこのようなものとして問題になるときにはじめて始まるのではけっしてないということである」(同三〇二~三頁)と述べていることで明らかである。直観と表象の概念への加工の産物は、範疇という形態で存在しているが、それは、存在諸規定の一面や部分を表現しているにすぎないのである。ここでも、マルクスは、主体を、対象的人間活動、すなわち実践として捉えるという第一テーゼの思想を貫いて、哲学という認識実践の理論的形態を批判しているのである。だから、梯明秀のように、「資本論」をヘーゲル論理学で体系化するなどというのは、マルクスの考えからはありえないのである。

   和辻は、第六テーゼを、「マルクスにおける社会の強調は、人を主体的人間に転ずることにほかならない」(同168頁)、「それが「人間存在」を人の意識の根底に置く考えである」(同)と解釈して、感性的人間活動=実践を主体としてとらえるという第一テーゼの思想を、人間主体や人間関係共同体の存在論という抽象のうちに解消してしまうというとんでもない間違った解釈をやったのである。それに対して、バリバールは、「主体、それは実践である」(『マルクスの哲学』法大出版局四一頁)という定式を提示しているが、そっちの方が正しいのである。

 

   アルチュセールの第六テーゼ解釈

    まず、アルチュセールの第六テーゼ解釈を考えるために、それに資すると思われる彼の考えを簡単に見ておきたい。
   一九四五年、フランス共産党に属するアルチュセールは、一九六〇年以降に共産党系の評論誌に書いた論文を集めて六五年に出版した『マルクスのために』(平凡社ライブラリー)で、マルクスの諸著作を、一八四〇―一八四四年-青年期の著作、一八四五年―切断期、一八四五―一八五七年―成熟期の著作、一八五七―一八八三年―円熟期の著作、に分けている。アルチュセールは、マルクスが、『経哲草稿』から『ドイツ・イデオロギー』の間に、初期のヒューマニズムから断絶し、新たなプロブレマティック(問題設定)に移行したと述べている。彼は、一八四五年の「フォイエルバッハ・テーゼ」は、ちょうど、マルクスが、哲学的(イデオロギー的)な自己の古い意識の批判を遂行し、古い意識と言葉の中で、平衡を失った曖昧な概念と定式の中で、新しい理論的意識の出現地点を示すという「認識論的な切断」を実践したというのである(同四八頁)。
   彼は、この本が、国際共産主義運動に大きな影響を与えた二つの事件によって生まれた新たな事態に対して書かれたと述べている。一つは、ソ連共産党二〇回大会におけるスターリンへの個人崇拝批判、フルシチョフ秘密報告書の公開であり、もう一つが、中ソ論争の勃発である。前者の事件の後、ソ連のフルシチョフ首相は、階級対立の終焉と全人民国家化入りを宣言し、ヒューマニズムを公式のイデオロギーとした。同様に、西欧共産党は、「社会主義への平和的移行」、「マルクス主義的社会主義的ヒューマニズム」、「対話」などのスローガンを掲げるようになった。それに対して、毛沢東と中国共産党は、修正主義批判を展開し、継続革命論を対置した。アルチュセールは、同書の六七年一〇月付の「日本の読者へ」で、これらの一連の研究ノートが、こうした歴史状況の中で書かれたものであることを強調している。
 そこで、彼は、そうしたイデオロギー的、理論的状況に対して、次のような二重の介入を行ったと言う。

「第一の介入は、マルクス主義理論と、それを危うくし、脅かす哲学的(および政治的)主観主義の諸形態、なかんずく経験論とその古典的または近代的変形物であるプラグマティズム、主意主義、歴史主義等々のあいだに「境界線を引く」ことを目的とする。この第一の介入の本質的な諸契機は、革命的な階級闘争にとってのマルクス主義理論の重要性、さまざまな実践の区別、「理論的実践」の種差性の解明、マルクス主義理論の革命的種差性についての第一次探求(観念弁証法と唯物弁証法とのあいだの明確な区別)等々である。
 この第一の介入は、本質的にいって、マルクスとヘーゲルの対照という地盤のうえに位置づけられる。
 第二の介入は、一方におけるマルクス主義歴史科学およびマルクス主義哲学の真の理論的基礎と、他方における「人間の哲学」または「ヒューマニズム」としてのマルクス主義にかんする現代的解釈が基礎をおく、前マルクス主義的で観念論的な観念とのあいだに「境界線を引く」ことを目的とする。この第二の介入の本質的な諸契機は、マルクスの思想史における「認識論上の切断」の解明、青年期の著作のイデオロギー的「プロブレマティック」と、『資本論』の科学的「プロブレマティック」とのあいだの根本的差異、すなわちマルクスの理論的発見の種差性についての第一次的検討である。
 この第二の介入は、本質的にいって、マルクスの青年期の著作と『資本論』とのあいだの対照という地盤のうえに位置づけられる」(同一七頁)。

 ここで、プロブレマティックという概念が登場するわけだが、それを、彼は、註で、『ドイツ・イデオロギー』中のマルクスのドイツにおける批判を引用して説明している。

「それらすべての問題はある特定の哲学大系、すなわちヘーゲル体系を地盤として生じさえした。その答えのうちにのみならず、すでに問いそのもののうちに一つのごまかしがあった」(大月版、一四ページ)。哲学をつくるものは答ではなく、哲学によって提起される問いそのものであるということ、そして、問いそのもののなかに、つまり、ある対象を反省する仕方のなかにこそ(この対象自体ではなく)、イデオロギーのごまかし(あるいは逆に、対象にたいする真の関係)を探らなければならないということを、このマルクスの文章以上に的確に指摘することはできないだろう」(同一三七頁)。

 同書には、六七年一〇月七日付けの彼の「批判的・自己批判的ノート」が訳出されていて、そこで、彼は自己批判を行っているのだが、それは訳者の市田良彦氏が解説で指摘しているように「真空」をそのまま残している不思議なテキストになっているが、そこで、彼は、『マルクスのために』と『資本論を読む』という二つの著作に、二つの政治的誤りから来るいくつかの誤った定式、修正すべき定式があると自ら指摘した上で、しかし、自分ではそれを行わないと言い、「この修正は、我々の言い落としと誤りを知った読者が、自ら労を取って行うにたる批判作業でありうると思う。実りは多いだろう」(同四八六頁)と、読者に投げ出してしまう。どうやら、このへんに、彼が言うプロブレマティックという概念の、問いを問うというプロブレマティックな実践そのものが示されているようだ。そして、彼は、この自己批判の重点を、「日本の読者へ」では、二点、指摘している。

(一) わたしは革命的実践のために理論が必要不可欠であることを強調し、またそれによってあらゆる形態の経験主義を告発したのであるが、マルクス―レーニン主義の伝統のなかできわめて大きな役割をはたしている「理論と実践の統一」の問題をあつかいはしなかった。たしかに、わたしは「理論的実践」のなかでの理論と実践の統一について語ったけれども、しかし政治的実践のなかでの理論と実践の統一の問題には触れなかった。正確に言おう。わたしはこの統一の一般的な歴史的存在形態、すなわちマルクス主義理論と労働運動の「融合」については検討しなかった。わたしはこの「融合」の具体的存在形態(階級闘争の諸組織―組合、政党、これらの組織による階級闘争の指導の手段と方法、等々)を検討しなかった。わたしはこれらの具体的な存在形態のなかでのマルクス主義理論の任務、地位、役割、すなわち、マルクス主義理論は政治的実践のなかのどこに、いかにして介入するのか、政治的実践はマルクス主義理論のなかのどこに、いかにして介入するのか、といった点を明確にはしていない。
経験のしめすところでは、これらの問題についての沈黙は、わたしの試論についてのある種の(理論家的)」「読み方」にとって影響なしとしない。
(二) 同様に、わたしはマルクスの発見の理論的に革命的な性格について力説し、またわたしはマルクスが新たな科学と新たな哲学の基礎を築いたことを指摘したのであるが、哲学を科学から区別する差異を漠然としたままに残した。だが、これはきわめて重要なことである。わたしはなにが科学とは異なる哲学に固有のものを構成するのか、すなわち理論的学問として、またその存在形態と理論的要求の範囲内においてさえ、あらゆる哲学が政治とのあいだにもつ有機的な関係をしめしはしなかった。わたしはこの関係の性質―マルクス主義哲学においては、この関係はプラグマティックな関係とはなんのかかわりあいもない―をしめしはしなかった。したがってわたしは、この点で、マルクス主義哲学を先行する哲学から区別するところのものを明確にはしめさなかった。
  経験のしめすところでは、これらの問題についての半-沈黙はわたしの試論についてのある種の(実証主義的)「読み方」にとって影響なしとしない。(同二〇~一頁)

  ここで、アルチュセールは、理論主義と実証主義を批判対象としながらも、それに成功しておらず、そうしたイデオロギーが占める余地を試論において残していることを公然と表明している。自分たちの陣地に「穴」が空いているというのだ。これは、アルチュセールが仕掛けた罠ではあるまいか。彼は、自己批判において、これらの課題を読者に投げ出し、大衆的な共同作業を提案するが、それは、彼が述べているように、ただ時間がなかったからというだけのようには思えないのである。このテキストそのものが、政治闘争であり、党派闘争であることを示しているように見えるのだ。それは、まさに、レーニンが、『唯物論と経験批判論』で、理論の党派闘争として提起したことのアルチュセール流の実践なのではないか。それは、また、「フォイエルバッハ・テーゼ」の第二テーゼが、「人間の思考に対象的真実がとどくかどうかの問題は、全く理論の問題ではなく、一つの実践的な問題である。実践において、人間は彼の思考真理性、すなわち現実性と力、つまり此岸性を証明しなければならない。思考が、現実的か非現実的をめぐる論争は、純粋にスコラ的な問題である」と述べたことの実践であるとも言えまいか。彼は、ここでは、政治というものを、敵が占領しようとする「穴」を、多数の人間たちによって埋める大衆的「戦闘」実践としているように思える。「理論と実践の統一」は、労働者階級が哲学実践へと介入し、その戦線に加わることで実現され、此岸性を証明されるべきものとして、提示されていると思えるのだ。つまり、彼が言う革命的理論実践と革命的実践、理論と労働運動の「融合」という課題は、政治的実践としてあるので、構成という作業を必要とするということだ。彼は、政治的実践過程の性格を次のように述べる。

「非常に図式化して言うと、政治的実践過程の種差的性格(理論的実践過程とは異なる性格)は、マルクス=レーニン主義理論と労働運動の統一が具体的、歴史的に実現されるのはいかなる現実においてかを見ることによって把握される。その現実とは次の三種であり、それらは一体でありかつ同時である。まず、労働者階級の前衛、労働者階級、大衆と獲得されていく政治的かつイデオロギー的意識。次に、プロレタリア階級闘争を指導しなくてはならない組織。そして、そうした組織による(労働者階級と大衆の)階級闘争の指導の形態と手段。上記の統一はこれら三つの現実において、同時進行でなされるが、労働運動の歴史における時代区分や所与の条件にしたがって、三つの要素のうちのどれかが、ある時点での「決定的な環」を構成する」(同四七九~四八〇頁)。

  このように、彼の「自己批判」は、理論と実践の融合という課題を、労働運動という特定の領野に限定して提起しているが、それは、階級意識と階級指導組織と指導形態と手段という三つの現実の要素の組み合わせであり、時代状況の中で、どの要素が「決定的な環」であるかを見ることで把握されるわけである。だから、その問いは、その後も彼の試みの中で、問われ続けていると考えざるをえない。それは、党派闘争として継続されたはずである。それは、科学の専門家固有の哲学的イデオロギーとしての実証主義、「理論家」のテクノクラート主義(同四七五頁)と社会構成体の発展史についての科学としての史的唯物論と弁証法的唯物論という哲学の差異に関する「言い落とし」を取り戻す闘いでもあったはずである。そのために、例えば、彼は、理論の実践への適用という言い方を実証主義への転落であるとして、使わないことを意識的に実践する。それは、「人間が、世界と歴史における自分の位置を自覚するのは、イデオロギー(政治闘争の場としての)において」(同414頁)だからである。だから、このような「言い落とし」の修正自体がイデオロギー闘争を構成することになるのである。この時点では、アルチュセールは、三つの現実のうちの「政治的かつイデオロギー的意識」を「決定的な環」と把握していたようである。

  では、アルチュセールは第六テーゼをどのように解釈したのか。彼は、第六テーゼ自体は文字通りには意味はないと述べ、それを、「人間とかヒューマニズムとかの概念に適切に対応していないが、その概念において間接的に関連づけられている現実とはなんであるか、それを知りたければ、それは抽象的本質ではなく、社会的諸関係の総体のことである」(同四三六頁)と言い換える。それは、第六テーゼの概念の関係は、定義からはわからないし、定義上、認識上の関係ではないからだという。しかし、彼は、この不適切な関係には意味があると言う。それは、「もはや抽象的な人間ではなく具体的な人間を探求する場合に暗示されている現実に出会、それを見出すためには、社会へ移り、社会的諸関係の総体の分析にとりかからねばならない」(同)ことを示している。彼によれば、それは、具体的現実的な社会諸関係のアンサンブルを科学的に認識するには、人間という概念を捨てなければならないことを意味する。そして、抽象的なものから具体的なものへの位置の移動と基礎概念を変える概念の移動を同時に行なう、長い回り道、迂回、いわば長征を行なわねばならないというのである。彼は、だから、マルクスが、その後、理論的概念としては、人間やヒューマニズムではなく、生産諸力、生産諸関係、上部構造、イデオロギーなどの新しい概念を使ったのだと言う。確かに、先に引用した「経済学批判への序言」において、マルクスは、社会を主体としていて、人間を主体としていないように、概念の変更を行なっている。彼がテーゼの不適切な関係に意味を認めていることは、精神分析学から来ているのかもしれないが、それは、「人間の思考に対象的真実が届くかどうかの問題は、全く理論の問題ではなく、一つの実践的問題である。実践において、人間は彼の思考の真理性、すなわち現実性と力、つまり此岸性を証明しなければならない。思考が、現実的か非現実的かをめぐる論争は、純粋にスコラ的な問題である」(第二テーゼ)を踏まえているのは見て取れる。社会的諸関係の対象的真実は、実践的に与えられるが、それは、その真実についての新しい概念を生み出す実践の問題であり、それは、位置と概念の移動という実践を伴うのは確かである。しかし、人間という概念は社会諸関係の科学的概念ではないとしても、イデオロギーとして機能し続け、それは、政治的実践の中では、価値を持つし、政治闘争のイデオロギー的焦点となる。その闘いは、第六テーゼが示した移動によって基礎付けられるのである。アルチュセールは、そのことについて、例えば、「ヒューマニズム重視のどんなイデオロギーにも深く刻みつけられている、道徳への依存は、現実上の諸問題を空想的にとりあつかうという役目をはたしやすいのである」(同四四三~四頁)というかたちで述べている。だから、マルクスは、位置と概念の移動を行ない、テーゼ後には、移動して、社会諸関係の解明に向かったというのだ。

  市田氏は、「しかしそもそも、アルチュセールはその後、理論と実践の関係について、マルクス主義理論と労働運動の統一について、何を考え、何を言っただろうか。生前に刊行されたテキストの中で、彼が再びこの問題を主題的に取り上げたことは、ない。彼は政治的実践の理論さえ、作り上げることはできなかった。少なくとも、できた、とは判断しなかった。ここにも「真空」videが存在している」(同五〇三頁)と述べているが、これは、「フォイエルバッハ・テーゼ」にも言えるのではないだろうか。マルクスは、『ドイツ・イデオロギー』では、『経哲草稿』で使った「疎外」という概念を、哲学者にわかるように言えば、という但し書きを付けて使い、すでに、それまでのドイツ哲学の世界とは別の地点に立っていることを示している。それは、第六テーゼの言う人間や社会諸関係やアンサンブルという概念が、移動の後の新たな地点から再構成されねばならないことを意味するが、アルチュセールが、それを、我々に投げたとすれば、それに応えるには、彼が、マルクスが哲学の中で獲得したと言う、「批判精神」、「臨床感覚」、「科学的な理論構築に不可欠な抽象化の感覚と実践」、「理論的な総合と過程の論理の感覚と実践」は、少なくとも必要だろう。

 
 
                                                                                     

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