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日朝関係と戦後主体性論争

 昨日、一本、雑誌に載せる文章を書き上げたばかりである。テーマは、戦後主体性論争だ。もう50年以上前の話で、今の人があまり関心を持つようなものではない。

 似たようなこととして考えるのは日朝関係のことである。

 「アリラン」というところに若い研究実践者に連れていってもらって梶村秀樹さんの資料を少しみさせてもらった。その資料には裁判の手記やビラまであって梶村さんの関心がリアルなものにあったことを伺い知ることが出来て、改めて梶村さんの研究姿勢の実践性を強く感じた。

 戦後主体性論争は、戦争体験の総括という時代的な問題意識から発生したもので、文学者が魁となり、哲学者、思想家、科学者などが参加する大きな論争になった。その背景には民主主義という馴染みのない思想・制度の導入にあたって、それを基礎づける思想や文化や主体の在り方や価値観をめぐる混乱ということもあったのだろう。この混乱は反スターリニズム運動に波及し、そして、階級闘争に害悪を流す宗派主義を生み出した。しかし、他方では、それはスターリニズム宗派から多くの人を引き離すという成果をも残すことになった。しかし、時代状況は大きく変わり、60年安保をへて高度経済成長社会となる。そこでの主体にはそれまでとは違う在り方が求められた。今度はそこから取り残された者が後からそれを追いかける過程があり、そして、時代は80年代のバブルとなり、もはやそうした問題は終わったかのごとくに人々の視界から消え去った。また、スタ、反スタ、いずれもベルリンの壁が破れソ連邦が崩壊するや、もはや歴史の彼方のものとして葬り去られようとした。そして、アメリカの永遠の繁栄という神話が世界を覆ったが、2008年のアメリカ発の世界経済不況の到来がその神話を崩壊させつつある。

 そこで、いったん切れたかに見えた歴史の糸が再び結び合わされようとしている。そうなると日朝関係において浮かび上がって来るのは厖大な数の人々の往来の集合的記憶の堆積の厚みである。それは日米関係史におけるそれとは比較にならないほどの深さを持っている。そこに分け入る時、土からほりおこされたもの、民間伝承のかたちで残ったもの、文化にかたちをとどめて記録されたもの、うわさ、風評、風聞、口承されたもの等々の様々な形態でわれわれの政治的身体に刻み込まれたものが様々な形でイメージの中で運動する。そこで、思いもかけない像が突然浮かび上がり、そして、それが解けてはまた現れるということが起こる。それはそんな豊かさの厚みでもある。すでに終わった冷戦という基準も近代化という基準もそれを固く結ぶことは出来ない。

 江上波男『騎馬民族国家論』(中公新書)は、『日本書紀』に、スサノオがまず降りた地が朝鮮半島南部の地であり、そこから出雲へと移ったという記述を引いている。もちろん、江上は、それを騎馬民族=天孫族による原住民の征服という説の証拠の一つとしているのだが、しかし、それを、ここでは、一方的な征服=被征服という関係としてではなく、この地とあの地の間の交流の深さ、近さの証拠として読んでおく。海を隔てているというだけで遠く感じてしまいがちだが、操船になれた漁民などにとっては日本海を渡るぐらいは大したことではない。海における両者の接触や渤海と越前の交流史の発掘はその間の深い交流の証拠を次々と明らかにしている。しかし、近代に入ると、侵略-被侵略という関係が基本になる。そして、「解放」。その後の諸関係、等々。

 近代国民国家下の航海物語は、国境を巨大な障壁として描こうとするから海上交通の困難を劇的にデフォルメして描きがちだ。しかし、朝鮮半島及び朝鮮半島を経由した中国との密接な交流関係については様々な証拠があがっている。今のように、国境管理が厳しく、出入国検査でうるさく取り締まるようになっていると、どうもそういうことをイメージし難いのである。しかも、近代主義は、技術的進歩を神話化するから、過去の渡海術を技術的に過小評価しがちである。

 戦争ということが再浮上すれば、主体性論争も新たな形で甦らざるを得ないが、それは、新しい内容と形で、リフレッシュしたものとして(アルチュセール)甦らさないといけない。亡霊のままのかたちでは災いを引き起こすだけである。つまり、怨霊でしかなければたたりを起こすということだ。同じように、日朝関係の甦りは、このところの関係の在り方から当然の事態なのだが、その時に、亡霊が甦るという形、例えば、関東大震災時の朝鮮人虐殺という形などでの甦りではなくというのは当たり前であるが、それは近代国民国家によって消されようとした集合的記憶の甦り、再構成という形での甦りを含まねばならない。それは運動史としてもそうで、単純な過去との全切断と新しいものの提起という形では徐霊は出来ないのであり、連続性の中での飛躍や切断、後戻りやジグザグ、前進・後退の線の運動としても辿って行って、それを再構成しなければならないのである。

 左翼側には、ニューライトと同様の近代進歩主義史観をベースにしている潮流もあり、それは、近代のどんづまりにいる現在においては、ニューライトへの有効な批判たり得ない。ニューライトは、アメリカ留学生などを通じて韓国や台湾でも台頭し国際的なネットの中で活動しており、その点はファナティックな排外主義とは違う。しかし、その帰結するところは、アメリカのネオ・コンと同じで、ブルジョア国家の再強化、支配権力の強化と格差社会の推進、多数の人々の貧困化、無権利化との組み合わせである。それと闘う主体はどういうものかを探らなければならないが、それはかつての主体性論における主体とは当然中身が異なるのである。

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