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トロツキー『レーニンの思い出より』によせて

 トロツキーの「レーニンの思い出より」の訳がトロツキー研究所のHPにある。宗教学者中沢新一氏の『はじまりのレーニン』にところどころ出てくるものだ。

 ここにはトロツキーの文学趣味が現れている。レーニンならけっしてこのような書き方はしなかっただろう。例えば、こんなところだ。

 過去の思い出を集めるために、そして、自然の力がこれ以上長くその生命力を支えなかった人物のイメージに心のまなざしを向けるために、思考は何らかの特徴、何らかの手がかりを探し求める。そのために必要なのは、ある種の、例外的に巨大なスケールを持った芸術家、骨の髄まで革命家である芸術家である。

 これは、レーニンの自伝以外にレーニンの伝記を書きようがないと言っているにひとしい。なるほど、その通りには違いない。レーニンについてかつて山と書かれたもののほとんどが「例外的に巨大なスケールを持った芸術家、骨の髄まで革命家である芸術家」どころか、卑小な小ブル的、ブルジョア的な、小さなアカデミズムの閉塞した世界で縮こまったちっぽけな神経衰弱で弱った道徳意識に犯された者の手で書かれたか、自分はまったくこのような巨大な革命家である芸術家にまったく及ばない小さな一解釈者にすぎない者や御用ジャーナリストの手によって書かれた。例えば、カレル・ダンコース『レーニン伝』に至っては、わざわざ今レーニンの伝記を書く理由を自分で作り上げようとして苦労しているほどだ。

 しかし、この現象にはいくぶんかはレーニンの巨大さを示すようなものがある。つまり、ソ連崩壊から20年が経とうとしている今でも、まるで亡霊が甦ってきやしないかと怖れて、時々、お祓いをしないと気が落ち着かない者が出てくるというのがそれである。それは、べつに杞憂というわけではなくて、まさに甦ってくるのだが、それはそうした連中が想像するような形で、というわけではない。しかし、以下のトロツキーの評価はそれを正確に表現していない。

 私がいま思い出すのは、10月革命に先立つ数ヶ月間、すなわち5月から11月7日までの時期のウラジーミル・イリイチである。彼は、その直前に、15年近く亡命生活を送っていた国外から帰ったところだった。それはすでに、その精神的成長が完成の域に達していたイリイチだった。それは、彼が果たすことになる例外的で、およそ並ぶもののない歴史的な役割に対する準備が完全に整った政治家、革命家、人間だった。

 トロツキーは、「4月テーゼ」をたずさえて亡命先からロシアに戻ってから11月7日までのレーニンを「精神的成長が完成の域に達していた」という通俗的心理学的な見方で描いている。これは唯物論者レーニンをトロツキーがまったく理解していないことを示している。そして、トロツキーは、「それは、彼が果たすことになる例外的で、およそ並ぶもののない歴史的な役割に対する準備が完全に整った政治家、革命家、人間だった」とレーニンを評価する。何がレーニンとトロツキーを分けたのかがここには示されている。まさに、レーニンは、大衆心理を無意識のレベル、あるいは中沢新一の表現では「底が破れた」唯物論者としてそれを感じ、「大衆と溶け合っていた」のである。彼が成熟していたのはこっちの方である。だから多数がメンシェビキを表層意識としては支持していた大衆の底の意識を感じられたのだ。

 そのことは、トロツキー自身示しているのだが、彼はそれをほんとうの意味では理解できていない。

 彼は、明確な構想、はっきりとした革命的綱領をたずさえて帰ってきた。彼はその綱領を、スポットライトの照明を浴びながら、装甲車の上からピーテルの労働者に大声で訴えた。ロシアとの接触、交流、すなわち、ロシアの労働者大衆、塹壕からの兵士代表、当時ペトログラードにたくさんいた農民代表たちとの接触、交流は、彼の定式を生き生きとした中身で満たしたにちがいない。そしてそれは、きわめて説得力にあふれ、きわめて内容豊かなものであったがゆえに、彼の言葉は絶対的とも言える意義を獲得した。彼はまるで、革命の今後の歩みやわれわれの前に立ちはだかる危険性を、物理的な触覚として感じ理解している人間という印象を与えた。彼がたずさえてきた定式は、血と肉によって確証され満たされた。そして彼は革命の焦燥感に身を焦がしていた。この巨人のような人物の内部では、意志と意識によって抑えられていた革命的焦燥が煮えたぎっていた。彼は、労働者の水準、意識を飛び越えることができないことを明確に理解していたが、同時に、この水準が成長すること、その全本質からしてこの時期を速めることも理解していた。

 レーニンは「まるで、革命の今後の歩みやわれわれの前に立ちはだかる危険性を、物理的な触覚として感じ理解している人間という印象を与えた」とトロツキーはあくまでも彼の私的な感覚に映る印象として語っているが、それはそのとおりだったのである。だから、レーニンは革命的焦燥感にかられたのであり、大衆の無意識的な革命欲求を感じたので、表層意識まで底からの欲求が急成長し革命の時期が早まることも理解したのである。

 彼は、しなやかで生き生きとした確固たる足どりで演壇に向かった。会場は何かを待ち受けるように固唾を飲んだ。演壇には、あまり背の高くない、がっしりとした人物が現われ、集まっている面々に少し不機嫌そうな顔を向けて、こう説明した。革命の原理を真に実行するためには大資本家を50人から100人ほど逮捕する必要がある、と。これはまさに、末端のプロレタリア的で平民的な真の問題設定だった。あたかも彼はこう言っているようだった。資本家に対する労働者の恐れを打倒せよ、そして、本当に革命が行なわれていること、これによって大衆的革命行動の真の原則を実行に移すのだということを資本家にわからせよ、と。レーニンのこの演説は嘲笑を買った。

 これはトロツキーによるレーニンの描写としては優れた箇所だ。そして、「あたかも彼はこう言っているようだった。資本家に対する労働者の恐れを打倒せよ、それから、本当に革命が行なわれていること、これによって大衆的革命行動の真の原則を実行に移すのだということを資本家にわからせよ、と」という部分。これは正確な描写である。レーニンは、まさに革命が現実に起こっていることを労働者や資本家がリアルに認識することが革命を進めることになるということを主張したのである。

 そして、10分の9がメンシェビキでしめられている第一回ソビエト大会の会場で、ボリシェビキは単独で権力を取る用意があると、「落ち着き払って」語ったが、これも、「これの章句について論じているこの会議の場において歴史がつくられていると思っている。いや、歴史は、現在、最も深い深部で、底辺で、塹壕で、装甲車で、農村でつくられているのだ。歴史は社会の深部で勤労大衆によってつくられつつある。彼らは、過去のすべての屈辱を清算しようとはじめて立ち上がりつつある」というところに明らかなように、このような社会の深部で勤労大衆によって作られつつある深いところの大衆意識を疑っていないから言えることなのである。

 ボリシェビキ政権が出来てから、レーニンは、「ああ、これが独裁だって! これはおかゆだよ!」、「彼はとんまであって、革命家ではない!」と日に10回も口にしたという。これは驚くべき発言だ。ボリシェビキの独裁、レーニンの独裁を批判する声が高まっている時に、それが独裁ですらないということを公然と口にしていたのだから。 しかし、レーニンは、大衆の無意識が独裁を欲求していることを疑っていないし、それにこそ依拠していた。それは、小泉独裁を多数が求めた21世紀の発展した資本主義国日本でも見られたことである。レーニンの場合、それは恣意的な個人独裁などではない。それは深部の大衆の欲動に根拠を置いた階級独裁であった。だからこそ革命は成ったのだ。小泉独裁は少し似ているところがあるが、超階級的な装いを持っていた官僚専制の独裁という形のものであって、どちらかと言うとボナパルチズム的な独裁であった。だから、彼を支持した大衆の大部分は裏切られたし、自分で自分の首を絞めることになった。階級独裁の深い意味とは、こうした大衆深部の欲求を感覚に「反映させる」ことが出来るプロレタリアートの独裁であり、そこに依拠した大衆の独裁であるということでもある。レーニンはそれを率直かつ公然と語った。そうした感覚が鋭く発展していたことは以下のところでもわかる。トロツキーはレーニンのメモにこだわり、その短いメモの文言に注目して次のように書いている。

 軍事問題に関するレーニンのメモは、私にとり驚嘆すべきものであった。そこには彼の断固たる決意が示されていた。いっさいが徹底してしかも核心を突く形で提起され、そしてまさに状況がそれを要求している瞬間に提起されていた。クレムリンにいながら、前線の最も詳細な具体的状況を理解し、どのように行動するべきかの認識に到達するためには、巨大な創造的想像力が必要である。前線の単に一般的ないし部分的な情報を知ることによって、労働者と軍隊の気分を知ることによって、レーニンは、その想像の中で、個々の部分から全体の構図をその最も細部にいたるまで再現し、何をなすべきかについての実践的な結論をただちに引き出すのであった。彼の想像力における鎖の最新の環である彼の提案は、前線にいるわれわれの度肝を抜いた。彼からあれこれの提案を受けるたびに、私は、前線にいる誰かがこのような考えをレーニンに伝えたのかと考えたものだ。なぜなら、前線のどこかの部署にいて、具体的な状況が展開されるのを目の前にして初めて、このような提案をすることが可能になるし、また、そのような見事な考えを思いつくことができるからである。しかし、レーニンは、クレムリンにいたままでそのような観点にいたったのである。

 レーニンは、弁証法的唯物論者としての鋭い感覚によって前線の軍隊の気分を見事に掴み、そして構成することが出来たのである。すなわち、分析と同時に総合においても優れた感覚と力を持っていたのである。トロツキーにはそれが足りなかったのだ。その証拠の一つは、中国革命に関する彼の分析・評価が中国の最前線の大衆の気分を深く掴めなかったことである。

 それから、「イリイチには、党が事態の成り行きから立ち遅れるのではないかという懸念がずっとつきまとっていた」が、このような「懸念」がトロツキーには欠けている。だから、トロツキーは、第4インターの基礎文書となった「過渡的綱領」なるもので、まさに、コミンテルンの統一戦線戦術が戦術を超えて理念化するというようなものをでっち上げてしまうのだ。党の頭から革命が生まれるとでもいうような間違いが起こるのである。そうではなく、レーニンは、表面的な静穏さの中で革命的激動が準備されるのであり、それがまた交代するというリアルな弁証法を理解していたゆえに、それと合わせた党の自己批判、自己改革が遅れるやいなや党が自然発生性に追い越されることを懸念したのである。そうなれば、大衆深部の生き生きと動く情動、欲動の運動に対応できなくなり、革命の前進が遅れるということ、そうなれば党はもはや歴史的前進のイニシアチブではなく保守化すること、その支配の固定化はまさに通俗的な意味での独裁に転落するということを懸念したのだ。

 2度目は、先ほど述べたゴールキ市でのレーニンである。前線では転換が始まっていた。若い赤軍は強力な部隊になりつつあった。これは革命がより高い段階に移行しつつあることを示すものだとイリイチは再び感じていた。そして私が彼と別れを告げて自動車に乗り込んだとき、彼が、実に快活で陽気でにこにこしながらバルコニーに立っていたのを覚えている。

 革命が前進している時に快活で陽気になるレーニン。でも、困難な時でも笑うレーニンを中沢新一氏は『はじまりのレーニン』で描いている。これは、大衆と溶け合うことを強調し、かれらと接触することを好んだレーニンにとってはべつに不思議でもなんでもない。中沢新一氏は、前掲書の中で、レーニンに対する子供の評価を引用している。また、レーニンはどこかでアカデミズムの中で神経衰弱に陥った知識人をばかにしたようなことを書いている。トロツキーの弱さにはそれに近いものがある。

 トロツキーが別のところで書いたレーニンの伝記によると、レーニンは音楽好きであった。大衆の感覚へと直接的に反映していくリズム、空間を変容させる力を持った音楽、ドゥルーズもついにわからなかった音楽の力がある。だから、ほんとのレーニン伝を書ける芸術家=革命家はとくに音楽的なそれであるに違いない。レーニンのメモや会議で発言時間を正確に計るというエピソードは、リズムという点から考察されるべきだろう。リズムへのこだわりであり、革命の進行と党の対応はハーモニーというものとして考察されるべきだろう。その点で、ドゥルーズの『襞』というバロック論でのバロック音楽は旋律を重ね合わせることによってハーモニーを構成しようとしたという指摘は参考になるのかもしれない。レーニンの思考は、まさにバロック的にリズムと複数の旋律とハーモニーの相互関係から成っていたのではないだろうか? 

 「4月テーゼ」は、それまでの二段階革命論とまったく異なるもので、これまでの路線に忠実に従っていたボリシェビキの中央委員会多数派を驚かし、いったんは否決されるのである。しかし、それは、大衆の下から支持を得たことやケレンスキー政権のボリシェビキ弾圧の本格化の中で復活する。毎日のように事態が変化する情勢を革命情勢として正確に認識せざるを得なくなったことによって、ようやくボリシェビキの路線となるのである。

 メンシェビキ的知識人とその党は、大衆の深部の意識を感じ取ることが出来ないばかりか、それを抑圧し、結局は蔑視しているのだ。戦争に反対する大衆の気分に反してメンシェビキの入った連立政府は戦争を継続した。それはロシアの大衆の戦争への動員の継続と増税を意味していた。こうして、メンシェビキは革命的情勢の方に事態を追い込んでいった。その時、革命によって大衆の反戦気分に応えることを公然とレーニンは語ったのであった。そうできなかったケレンスキー政府は当然倒された。革命を大衆が楽しむということ、それに喜びを感じることは、つい最近、エセ革命ではあったが、小泉独裁の際に、後で痛い目に遭うことになったにしても、実際にあった。その喜び、その深い欲望を解放することが必要な時代に入りつつあるのだろう。そこで、レーニンは不死鳥的に甦ることになるだろう。トロツキーは、どうしてもレーニンの足下にも及ばないので、こういう程度のものしか書けない。やがて、あんな引き倒された銅像のような干からびたレーニン像ではなくて、生き生きしたレーニン像が描かれることもあろう。生き生きしたものを『哲学ノート』で強調したレーニンが。そして卑小でつまらない俗物的なレーニン像は倒れていくだろう。

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