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新年のご挨拶

 新年明けましておめでとうございます。

 久しぶりに田舎で過ごしたのですが、熱は出なかったものの、数年ぶりに風邪をひいたらしい。しかし、正確には風邪気味程度だったのかもしれない。食欲が衰えなかったからである。寒いと思って厚着しすぎて汗をかきすぎたせいか? 

 それで、やたらとテレビを観ることになったが、相変わらずお笑いブームは続いているみたいだ。でも、ドラマや紅白歌合戦もそうだが、「絆」というのが流行りらしい。東野圭吾原作のサスペンス・ドラマを観たが、それもやはりそうだった。刑事モノは、推理ゲームを軸に展開し、知的謎解きを楽しむものと思いきや、主人公の刑事のモットーは、「刑事は真実を明らかにするのが目的ではない」というものだった。ドラマの基本論理は単純だ。それは血縁原理優先ということである。血縁原理を正常な基本論理として整えるというのが、その刑事の目的なのだ。

 紅白で歌われたヒット曲の幾つかもそうだった。女性シンガーソングライターのヒット曲「トイレの神様」というのがそうだ。それにトリをつとめたドリームズ・カム・トゥルーの「生きてゆくんです」という曲もそうだった。しかし、紅白終了後に放送される除夜の鐘は、「絆」の無情なことを音色で表現しているようだ。なぜなら、煩悩なしにはそれを払う必要もないが、世俗的な「絆」には煩悩は付きものだからである。

 風邪のせいか、どうも変な方に物事を考えてしまっているようである。でも、たまたま、年末にラジオで、演歌歌手の藤あや子がゲストのボン・ジョビ特集というのを聴いて不思議に思ったこともあるし、同じ演歌歌手の坂本冬美が紅白で歌ったのがビリー・バンバンというフォーク歌手の曲だったということもあった。なぜか、紅白で森進一がフォーク歌手の吉田拓郎の作った「襟裳岬」を歌った。そして、坂本龍一の音楽講座を観てたら、ジャズがヨーロッパ音楽とアフリカ音楽の組み合わせで出来たことが明らかにされていた。

 「絆」の性格を考えていくには、その感覚を必要とするということは、明らかだ。それは物語を解明することでもあろう。それは、たんに言葉を並べることではなく、「語る」ということ、その音階、リズム、音色、その他のいろんなことが束になっているコミュニケーションを考えていくことだからだ。外交的コミュニケーションというのもその一部だろう。外交はたんなる知的ゲームでもなければ、パワーゲームでもないし、功利的商売でもないということを思い知らされた一年だったように思う。玄葉国家戦略担当相は、EPAを推進するため、モンゴルと韓国を訪問する外交訪問の旅に出たが、どのような外交コミュニケーションを実践してくるのだろうか? 今、アメリカの北朝鮮担当者が韓国を訪問し、「共和国」の核問題について協議しているところだ。それはどうなんだろう? 外交原理をめぐるこれまでのつまらない議論を超えていくことは難しいだろうが、それなしに、「東アジア共同体」など実現しようがないのではないだろうか。

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