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2011年6月

福島県、運動の新段階

 以下の2つの記事は、福島県の住民の意識が新たな段階に入ったことを示している。

 まず、自民党福島県連は、これまでの原発推進路線を転換し、「原子力政策推進せず」という方針を大会で採択した。そして、27日、佐藤雄平福島県知事は、県議会で、「本県は原子力に依存しない社会を目指すべきであるとの思いを強く持つに至った」と述べ、7月末に決定する予定の県の復興ビジョンで脱原発を基本理念とすることを明らかにした。

 これによって、普天間基地問題での沖縄と同じく、県の脱原発の意思で、政府と対立するという構図が出来た。問題は民主党であるが、原発問題に対しては県内選出議員は明確な態度を示していない(太田かずみ衆院議員(福島2区―中通り―選出)等のHPなどを見る限りでは)。佐藤知事は、県西部の会津を地盤とする渡部恒三民主党最高顧問の甥であり、そのバックアップで知事となったという経緯がある。脱原発を県民意思として強め固められるかどうかは、民主党県連の動きにもかかっているので、やや不安が残る。

 国会議員選挙では民主党は圧勝しているとはいえ、自治体の議員は少なく、地域組織も弱体であって、福島県の場合、やはり、自民党県連が政策転換したことの方が影響が大きい。

 下の記事が意味することは、県の脱原発意思を固めるため、知事たちが転ばないようにしていく等のための脱原発県民大会という展望が開かれてきたということである。そして、県の脱原発路線と対立する「とんでも」アドバイザーの山下俊一の立場はいよいよ危うくなってきた。また、経済産業省の官僚に操られその尖兵として佐賀や福井などの自治体に原発の再稼働を働きかけている「とんでも」大臣の海江田と真っ向から対立する県の意思を示したことで、少なくとも、私は、多少、気が晴れた。

 

「脱原発」の姿勢表明 知事、立地前提の政策転換

 佐藤雄平知事は27日、県議会で「本県は原子力に依存しない社会を目指すべきであるとの思いを強く持つに至った」と述べ、7月末に県が決定する復興ビジョンで「原発依存からの脱却」を基本理念に盛り込む考えを示した。県の復興ビジョン検討委員会は県への提言の原案で「原子力に依存しない持続的に発展可能な社会づくり」を基本理念に掲げており、「脱原発」が県の復興策の柱となる見通し。
 斎藤健治議員(自民、岩瀬郡)の代表質問に答えた。佐藤知事は、「福島第1原発事故は、収束の兆しが見えず、原発の安全神話は根底から覆された。多くの県民が原子力依存から脱却すべきだという意見だと思う」と述べ、原発立地による財政措置や原発を基幹産業とする立地地域の経済・雇用構造などからの政策転換を図る考えを明らかにした。
(2011年6月28日 福島民友ニュース)

 

「原子力政策推進せず」 原発事故受け方針転換 

「原子力政策推進せず」 原発事故受け方針転換 自民党福島県連は26日、郡山市のホテルハマツで第59回定期大会を開き、東京電力福島第一原発事故を受け「原子力政策を推進しない」とする方針を承認。従来からの方針を転換した。東日本大震災からの復旧・復興、原発事故対策の強化を掲げた活動方針を決め、県議選の延期に伴い全役員を再任した。

 県内の党員、党友ら約500人が出席した。吉野正芳会長は「復興大会の位置付けで開催した。県土をよみがえらせることが使命だ」とあいさつ。佐藤憲保県議会議長、甚野源次郎公明党県本部代表、瀬谷俊雄日本商工連盟福島地区代表世話人、庄條徳一県農業者政治連盟委員長が祝辞を贈った。岩城光英、森雅子両参院議員(本県選挙区)があいさつ、斎藤健治幹事長が党の情勢を報告し、吉野会長が優秀党員らを表彰した。原子力政策を推進しない方針について、出席者から「原発事故が収束していない中で慎重に考えるべき」との意見が出され、斎藤幹事長が原発事故の対応にも全力を尽くすことを説明した。

 佐藤雄平知事が「次代の子どもたちに、素晴らしい県土をつくってくれたと言われるビジョンを策定したい」と語り、谷垣禎一自民党総裁が講話した。

 再任された役員は次の通り。任期は次期県議選後の役員改選まで。(受賞者は21日付に掲載済み)

 ▽会長=吉野正芳▽副会長=遠藤忠一▽幹事長=斎藤健治▽総務会長=斎藤勝利▽政調会長=平出孝朗▽組織委員会長=大和田光流▽広報委員会長=満山喜一▽党紀委員会長=渡辺義信▽財務委員会長=柳沼純子▽選挙対策委員長=斎藤健治▽筆頭副幹事長=杉山純一▽会計監査役=渡辺広迪、鴫原吉之助

(2011/06/27福島民報)

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難民講座終了によせて

 25日の難民講座は無事終了した。

 ブルンジについての基本情報について報告した。ブルンジは小さい国だが人口が多く、人口密度の高い国である。アフリカ東部を縦に走る山地の中、標高2000メートルの高地にある。西がタンガニーカ湖に接している。もとは王国であったが、最初はドイツ、のちにはベルギーの植民地になった。ベルギーの民族分断統治支配によって、今日のフツ族とツチ族の二大部族の対立構造が基本的に出来たようだ。少数派の牧畜民のツチ族がベルギーによって権力の座にすえられ、多数派の農耕民のフツ族を支配するというかたちが続く。ツチ族は軍隊・警察・司法権力を独占している。1972年と1997年にツチ族によるフツ族の大量虐殺事件が起きて、多くの難民が発生した。特に、タンザニアに脱出した難民が多いようである。そこで、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が活動しているが、一部を除いて、タンザニアへの居住を希望している。ベルギーの植民地統治がどうだったのか、今はどうなのかということは気になったが、あまりよくわからなかった。いずれにしても、フツ族の反政府派にとって、今は表面上の平穏は保たれているが、それが長く続くという見通しはたちにくい状況だ。基本的に多数が自給自足的な農業を営んでいるところで、避難民の土地を勝手に占拠して耕作している人もいるようで、土地についての調停委員会が設けられている。世界最貧国の一つで、ものすごいインフレ率、国際収支の赤字が出ているが、自給自足の農業経済によってなんとか生活を維持している状態のようである。

 SYIによる世界難民デー60周年記念集会デモがあって、多くの外国人が参加して、渋谷を通り国連大学までのデモが行われた。一部の技術者や専門家や営業活動を行う企業主や商人などを除いて、難民も含めた在日外国人の多くが、この社会・経済を底辺で支える単純労働者である。つまり、プロレタリアートであって、景気が悪化すれば失業者となり相対的過剰人口化される存在である。入管は基本的にこうした単純外国人労働者を受け入れないという態度を貫いている。現実には、日本の経済的必要から、かれらはつねに存在し続けているので、その門を緩めたり閉めたりして調整している。それが、差別・排外主義的に行われているのである。そういう法務省=入管権力を頼みとして、それを民間で代行的にやるのが民間反革命=ファシズムである。かれらとの闘いで人民が敗北すれば暗黒社会となるだろう。かれらに対して、ガンジー主義はとりわけ危険である。かれらと権力との隠しようのない具体的で精神的な結びつきを見ないのは危険である。権力に対して融和的な態度を取ることは、民間反革命をつけあがらせ、力を与えるということを忘れてはならない。6・11脱原発新宿アクションの日、すぐ近くで、警察官に取り囲まれ、守られながら、大音声で排外主義扇動を行っていた「在日特権を許さない市民の会」などの差別・排外主義者たちに精神的なエネルギーを与えてしまうのだ。かれらそのものは、昨年8月22日の日韓併合100年の「過去清算」(豊島公会堂)か「祝賀」(日比谷公会堂)かの闘いにおいて、惨めに破産して以降、すっかりしょぼくなってしまったのだが、6・11の東電前と新宿で、警察権力に守られながら、またぞろの復活をはかろうともがいている姿をさらした。これを追撃し、社会的に包囲し解体する「追討戦」が必要である。

 権力と対決しない、対立も批判もしない、そんな日和見主義をもってしては、たいした改良も勝ち取れない。そんな実例は歴史上いくらでもある。例えば、60年安保闘争の時、全学連や闘う大衆は、共産党や社会党の静々と歩くだけのデモを「お焼香デモ」と呼んで嘲笑して、国会に突入し、岸政権を打倒した。そうした輝かしい実績を残しながら、残念なことに、今やそうして社共の日和見主義をバカにしていた世代の中に、今、自ら率先して「お焼香デモ」を行っている者がいる。間違った総括と反省をしてしまった結果だとしか思えない。それと関連すると思われるのだが、ソ連・東欧体制崩壊を、コミュニズムの清算、運動の民主主義運動への純化、運動のための運動というベルンシュタイン主義、日和見主義、融和主義、等々へと、総じて、人々を「哀れな子羊」化するという方向へ、尊厳を失わせる方向へ、漫画化へ、という方向に持っていくのに利用するということが行われ、公然であれこっそりとであれ転向していった者たちの奴隷根性の影響が強まったということの、「過去清算」が必要だと考える。

 私は、難民デーにあたって、80年代に東九条に住みながら自問したことを思い出して、自分の民族アイデンティティーとしての日本人性について考えたが、まったく有意な答えが出なかったことから、私にとって、日本人というナショナル・アイデンティティーは、外在的なもので、社会的に形成され、持ち込まれて作られたものであるということを、改めて自覚した。私は日本人ではないし、朝鮮人でもないし、アメリカ人でもないが、そのどれでもあり得る。平等ということを前提にすれば、そういうことになる。しかし、現実には歴史的に形成されてきた関係性があって、そうなっていない。そうである限りは、民族間の歴史的な関係性という点において、民族としての責任主体というものが必要で、それは構築されねばならないのである。その歴史的責任を果たさないことには、開かれた平等なアイデンティティーの集団的・社会的な形成は不可能であり、それは、小さな諸個人間の関係での部分的な実現にとどまらざるを得ない。ポスト・モダニズムの「大きな物語」から「小さな物語」へというテーゼの問題は、ここにもある。「小さな物語」の中で部分的に実現できるということを根拠に、「大きな物語」レベルでの権力の抑圧や差別や構造をなくせるものと夢想したことによって、実際には「大きな物語」の抑圧性を解放してしまったのである。「大きな物語」そのものの抑圧を解消出来なかったのだ。

 そして、プロレタリアートの存在も差別・抑圧の構造も不可視化され、「小さな物語」に閉じ込めらてしまった。それは、個人的なストーリーへと閉じ込め不可視化することによって、搾取・差別・抑圧の「大きな物語」を免罪してしまったのだ。しかし、かれらが完全に信用失墜したことが明らかになってきているので、その残滓を清算し、新たな知の形態を生み出すことをともなうような実践=運動の構築が早急に必要であると考える。そこで、私は、原発事故を契機に、新たな文明の創造を新たな知の創造と結びつけ、かつ、それを資本主義からの解放と結びつけるということを述べている中沢新一氏の『すばる』掲載の「日本の大転換」という文章のようにあるようなレベルで(私には中沢新一氏の言うことに反対のことも賛成のことも両方あるのだが)、原発事故だけではなく、難民・入管問題にしても、朝鮮問題にしても、考えて、ものを言っていくということが必要だと考える。

 難民デーを通して、在日外国人たち・在日外国人労働者たち・難民たちが、自ら、尊厳をもって、自分たちの要求を街頭で声に出しているということの意義がとても大きいということを感じた。民主党政権が、見せかけだけの、言葉だけの民主主義者でしかなく、入管政策において、官僚に妥協し、融和的で、在日外国人を尊厳ある対等の存在と見てないし、扱っていないし、扱おうとしていないということも、法務省=入管の差別・排外主義に力を与えているということをしっかりと確認した。そうである以上、入管なき社会、つまりは国境のない社会への前進を、国際プロレタリアート化しつつある在日外国人労働者との友愛と連帯を強めつつ、はかっていくということを、自らの中心課題としていくということが、私にとって現時点での正しい判断であるということを再確認した。あらゆる点でそれを首尾一貫して貫いていきたい。差別・排外主義、愛国主義に屈服するわけにはいかない。それは自滅への道だと自戒した。



 

 

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古くさい海江田の論理と難民問題

 以下の記事を読んで、思わず、海江田の頭の古さを感じたので、ひとこと言いたくなった。

 原発銀座を抱える福井県は、核燃料税を引き上げることを表明しており、それによって全国最高の税率となるのだが、当然、それも、原発コストに算入されることになる。福島原発での事故によって、これから、原発の安全性を引き上げざるをえないことは明らかで、それは当然、コストを引き上げることになる。原発による発電コストの算定には、今までも、最終処分費用が算入されていないなど、原発コストを安く見積もろうとする「原子力ムラ」の共同意思が働いていたわけだが、それももはや続けることが不可能なことを、福井県の核燃料税の増税表明は示唆している。

 それに対して、海江田は相変わらず、「安全か経済か」という二者択一の論理(それが神話であって論理もどきにすぎなかったことはこの間人々の目に明瞭に見えてきているのだが)という古くさい論理を使って反論したつもりになっている。しかし、もはや、それは、神話的な効果を持っていないということも以下の記事は示している。「安全か経済か」だって? それがどうしたの? という態度が自治体トップにまで形成されている。住民がいなくなったら、経済もへったくれもない、という小学生でもわかるようなことが、海江田には理解できないらしい。「安全が損なわれたのでは、元も子もない」。そのとおり!

 似たようなことが、20日の世界難民デーの以下の記事にある。それによると、世界の難民の数は4370万人で過去15年間で最高を記録した。難民発生国の上位は、アフガニスタン(305万人)、イラク(168万人)、ソマリア(77万人)となっている。いずれも、9・11後、アメリカが「対テロ戦争」の最前線にしてきた地域・国である。つまり、アメリカが戦争を仕掛けた国で避難民が大量に発生しているということだ。難民問題でも、アメリカの責任が世界でもっとも大きいのである。このデータはそれをはっきりと人々に示しているのだ。それに対して、菅政権は特に関心を示していない。原発立地地域の人々の安全よりも経済に目が行っている海江田経産相の視線と似てると感じる。私には、どうして、これを見逃せるのか、理解できない。アメリカによる「対テロ戦争」のおかげで、それらの国で、多くの人々が安全に安心して住むことが出来なくなっている。多くの人が逃げて行かざるを得ない国の経済を真面目に云々することは出来ない。このような簡単な事実が菅政権には見えないのだ。 

福井知事「海江田経産相の安全と経済の二者択一論おかしい」 再稼働拒否

2011.6.21産経

 全国最多の原発14基が立地する福井県の西川一誠知事は20日の定例記者会見で、海江田万里経産相が停止中の原発は震災の追加対策で安全が担保され、再稼働に問題はないとしたことに関連し、「ざっと見た限りだが、県が要請したことへの答えに なっていないように思う。状況は変わっていない」と述べ、現段階で再稼働を認めない考えを改めて示した。

 また、海江田経産相が再稼働要請の理由として、電力不足や経済面での懸念をあげたことには「(安全と経済の)二者択一で論じる問題ではない。安全が損なわれたのでは、元も子もない」とした。

 西川知事は東京電力福島第1原発事故を踏まえた新しい安全基準や、中部電力浜岡原発のみを停止させ、他の原発は安全としている理由の提示を国へ求めている。

世界の難民・避難民は4370万人、過去15年で最多=国連
2011年06月20日ロイター

[ジュネーブ 20日 ロイター] 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は20日、戦争や迫害により住む場所を追われた難民や避難民 が2010年末までに世界で計4370万人に上ったとする年次報告書を発表した。前年から40万人増え、過去15年で最も多い水準となった。
 それによると、1540万人が国外脱出した難民で、うち80%が近隣の発展途上国に避難。また国内避難民は2750万人で、そのほかにも亡命申請者が85万人に上るという。 
 最も多く難民を抱える国は、パキスタン(190万人)、イラン(107万人)、シリア(100万人)など。一方、最も多くの難民を出している国は、アフガニスタン(305万人)、イラク(168万人)、ソマリア(77万人)など。全難民の半分強が18歳以下だという。
 UNHCRのグテレス高等弁務官は、「難民がなだれ込むという先進国の恐怖は度が過ぎている」と述べ、先進国に対して問題解決への協力を求めた。
 また、今年に入ってもリビアなど北アフリカをはじめ、コートジボワール、シリア、スーダンなどで紛争が続いていることから、UNHCRは難民発生の要因がなくなりそうにないとしている。

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3・11から6・11の私的総括として

  6・11脱原発100万人全国アクションが終わり、それなりに人も集まり、脱原発の人々の意思を突き付けることが出来たのはよかった。

 福島原発は相変わらず、危険な状態が続いており、まったく予断を許さないが、それでも、その危険性をも日常化して、被災民以外では、緊急という社会生活に刻まれた性格は薄れつつある。

 私の考えでは、緊急時に他の領域でも悪化した諸問題について、再喚起すべき時である。例えば、この間の沖縄がそうであり、普天間基地問題で、政府は県内移設を沖縄にのませようとしているし、大阪では、橋下とその与党「維新の会」が、教職員の学校行事での君が代斉唱・起立を義務化する条例を通してしまった。これは、罰則なしとはいえ、事実上の公的強制であり、さらに、それが教職員の服務規律強化に狙いがあることは明らかで、教育統制を強めるものである。

 朝鮮学校への補助を取り消そうとしする自治体が増えているが、高校教科書無償化からの朝鮮学校排除と同じく、それは、明らかに、国際法違反である。つまり、国際的に通用しない内向きの身勝手で、超ドメスティックな政策である。

 原発問題については、この間、仕事上のこともあって、私もずいぶん知識が増えたけれども、原発問題を利用して別のことをやろうとする知識人の文章を読むことがあって、鼻白むことがある。原発の話をしながら、その中に、それと関係のないことが書いてあって、「なんだこれ? これ、震災・原発関係ないでしょう」と突っ込みを入れたくなる時がある。

 私の場合、3・11が世界史的事件であり、緊急事態と判断したので、通常のことを中断してでも、この事態に対応すべきだと考えて、6・11までを突っ走ってきたが、6・11に、様々な人々が脱原発の声をあげたし、ソフト・バンクの孫正義のように、ブルジョアジー内部から脱原発派が登場したということもあり、また、3・11以前には少なかった脱原発世論も大きく増えてきていることから、自分が大きな課題と決めている在日、難民、外国人との国際主義的でプロレタリア的な連帯運動の闘いの発展のために、入管闘争に本格的に取り組んでいきたいと考えている。その際に、この闘いにとって大きな壁となる日和見主義を暴露する必要があると考えている。それは、今、ガンジー主義だの諸種の改良主義と結びついたりしていて、とにかく、闘いの足を後ろに引っ張っていて、運動の内部に害悪を流している。われわれは、自分たちの要求や意思を、声でも、文書でも、はっきりと、明確に表明し表現しなければならない。それにブレーキをかけているのが日和見主義であり、それは運動や当該の力を削ぎ、「あわれな子羊」へと人々を追いやっている大きなマイナス要因である。

 とりわけ、頭でっかちで、細かいことに気を取られて神経が衰弱した知識人の状態から必然的に発生する日和見主義が大衆運動内に持ち込まれてくるのを警戒し、それを防がねばならない。ヘゲモニーはプロレタリア的な部分が持たなければならない。また、そういう神経衰弱の頭でっかちの知識人となれ合っている中産階級との「同盟」にも気をつけなければならない。かれらが大衆運動で、プロレタリア・ヘゲモニーを切り崩して、日和見主義を感染させるのを防がなければならない。

 運動のための運動というベルンシュタイン主義もそうだ。原発問題は、それ自体は、何で電気を賄うかという問題で、別に、これまでも、石炭から石油、そして原子力へという具合に代わってきたもので、それが別の発電方式に変わったからといって、社会が根本的に変わるということはない。もちろん、様々な点が大きく変わるのは確かだが。むしろ、それが根本的変化を呼び起こすとすれば、それは、事態が象徴しているように、社会全般の変化を促すような衝撃的事件であったという性格によるものだ。それには、また、脱原発というスローガンが社会の全般的変化の要求と結びあわされ、それが支持されるということが必要なのである。そうした意識性のないままに、脱原発というスローガンだけで、運動が進むことは、孫正義を先頭とするブルジョアジーの一分派と手を組んで進むというだけのことで、金の力で圧倒的に勝っている孫たちのブルジョア・ヘゲモニーの下で、それに屈した脱原発運動をプロレタリア大衆が担うだけに終わるということになるだろう。当然、かれらとの一時的で限定的な「同盟」を組むということはありうるわけだが、その中でも、プロレタリア・ヘゲモニーを強化する仕方でそうしなければならないのである。

 ブルジョアジーと国家が、この事態を、「がんばろう、日本」的な愛国主義によって、自らの責任をごまかしたのに対して、明瞭にそれを見抜いて、それに屈することは被災者の利益に反することを理解して、国際主義を貫くことが、かれらの根本的利益になるのだ。ガンジー主義者のように、「あわれな子羊」のように、大人しく声をあげないできた結果、今、こんな目にあっているのだ。それを、ガンジー主義者はどう思うのか? 無責任にガンジー主義を広めた人は、この事態にどう対応すべきだと言うのだろうか? 今更、ガンジー主義を大声で口にするのはいくらなんでも厚顔無恥というものだろう。それは恥ずかしくて口にできまい。ブルジョア国家・体制を、批判・暴露しないで大人しくしていると、こんなひどい目にあう。我々が高い代償を払ってわかったのは、その事実である。しかし、この間、経験によって、運動で闘って自分たちの要求と意思を明確に表現し、行動する以外に、自分たちを救う道はないということがわかったのは、一歩前進である。この前進した地点から、さらに、前へ進まねばならない。その時には、エゴイスト的にではなく、他を救えば自分も救われるという友愛の原理、連帯の原理こそ、歴史の幾多の実例で証明されている深い真実であるということを理解して、こういう時には、愛国主義的(エゴイズム的)にではなく、国際主義的に行動することが、自分にとってもプラスなのだということを理解して、右翼や愛国主義者の泥沼に誘う口車に乗らないようにしなければならない。

 私は、差別・排外主義的な入管体制を変えて、平等的で友愛的な国際連帯の絆を強化する闘いを発展させなければならないということを、この間の事態を通して確認した。

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6.11脱原発全国100万人アクション

 緊急から持久へ

 明日6月11日には、「3・11」から3ヵ月目を迎える。ご存知の方も多いと思うが、明日は「脱原発全国100万人アクション」があり、東京でも大きなところで3ヵ所、そして夜6時からは新宿アルタ前での100万人アクション・東京のリレートークがある。

 現地での動きも活発となっていて、現地の人たちが直接声をあげ、要求を掲げるようになってきた。それで、6・11後には、こうした現地の動き・声との関係性が重要になってくるという新たな局面を迎えることになる。それにともなって、「緊急」という性格はもはや古くなり、原発なき社会・未来の創造の日常的な営みとしての運動へと運動性格が変わらねばならない。その際に、政府・東電・御用学者の責任問題、補償・賠償、現地の安全対策(健康対策など)、福島原発の廃炉に向けたプロセスの開始、生活再建、被曝労働問題、復興、等々の持久的課題に取り組む長期・持続する運動形成が必要となる。

 この間、御用学者・東電・マスコミ・政府などの「原子力ムラ」によるマインドコントロールから解放され、新たに事態について学んだ人々は、その新たな知識を武器に、この持続的な運動プロセスの主体へと自らを変革し素早く、適確に対応する力を得たことだろう。私もそうだが、にわか勉強、間に合わせの詰め込み知識でなんとか「緊急事態」に対応してきた人々も、「原子力ムラ」が垂れ流す神話的なお話に惑わされず、自らが獲得した新たな認識をもって、これからの未来を切り開いていく主体へと変貌を遂げているだろう。そのいったんは、明日の行動で明確に示されるに違いない。

 そこで、6・11までの「緊急」事態における運動総括がいったん必要となることは明らかである。むろん、福島原発の現状は、政府が言うのとは違って、まったく予断を許さず、また「緊急事態」が起こる可能性があることは、この間、様々な情報が出て来たことから明らかであるから、そうした事態に緊急に対応しなければならないということもあり得ることは言うまでもない。事態の緊急性をよく表していたのは、ひとつには、情報の混乱ということである。何がどうなっているのか、正確には誰もわからなかった。そこで、想像によって事態を構成して、推測しながら、運動を進めなければならなかったことが特徴としてあげられる。そこでいろいろな混乱が起きざるを得なかったのは仕方のないことであった。しかし、今は、情報はずいぶん明確になってきて、何が起きたのかは、だいぶわかってきた。そこで、当初掲げられた緊急的な要求よりも正確に事態に対応する要求を出せるようになってきた。例えば、安全性を確保できる放射線量の数値についてもだいぶ正確になってきた。当初は、避難範囲についても、とりあえず大雑把に政府の決めた20キロ圏では狭すぎるとして、出来るだけ広範囲の避難ということを言わざるを得なかった。また、関東大震災の教訓もあって、在日外国人への差別・排外主義的言説の流布が、かれらへの迫害や危害を加えるというようなことのないように強く注意し警戒する必要性が高かった。等々。

 こうして、事態が変化するにつれて、運動も緊急的なものから持久的なものへと変化しなければならない時期に来たと思われる。この間の運動側の蓄積の質・内容が、新たなステージにおいてどう生かされるか、生かすべきかを考える時が来ている。

 私自身は、この事態の中でも、国際主義を貫くということを基本にしてきたつもりだが、個人的な印象としては、そうした観点は全体としては薄かったように感じる。自己―個人―家族―故郷、そして愛国主義へと至るような近代主義的なエゴイズムが基調にあるように感じられた。5・7けやき並木集会で、「ふるさと」が歌われるのに、違和感を強く感じた。「我」=個人とその延長としての家族・ふるさと、というのは下手をすると愛国主義とすっと接合してしまう。それが、「新しい歴史教科書をつくる会」や「在日特権を許さない市民の会」などとの闘いにおいて、かれらの共通の心情的基盤としてあると思っているものだ。そこに共感する部分が左翼の一部にもあり、それが左翼の弱点になっていると思う。私は、上野千鶴子のように、日本に対して個人というのが根本的に対立するとは思えない。そこに何か媒介を置かないと、取り込まれてしまうだけではないかと考える。とりわけ、不可視の装置として差別・排外主義的に機能し続けている入管システムについての明確な認識がないと、目の前にありながら見えていないナショナリズムの作用というものを相対化出来ないのではないかと思っている。それは、プロレタリアートをプロレタリアートとして認識させないような隠蔽装置でもあって、左翼の一部にはそうしたところの認識を欠くばかりか、その装置の隠蔽作用に見事にひっかかって、「プロレタリアなんてどこにいるのか」などというたわごとを本気で言う、あるいは、装置によって「言わされている」人に時々お目にかかる。つくられた意識スクリーンに映るままにリアルなものがあると信じ込んでしまっていては、「原子力ムラ」が作り上げて来た「安全神話」のリアルな実際など見えるわけもなく、実際に、見えなかったということがこの間暴露されてきている。それと似たようなことである。例えば、外国人力士は、両国に行けば見れるが、品川入管に行けば外国人登録手続きのために行っているのにも出会う。かれらは「国技」を担う一員だが、退去強制処分(国外追放)の規定のある入管体制の下で管理されている外国人の一員なのである。かれらの日本での滞在は、あくまでも政府によって許可されている限りという限定的なものなのである。外国人労働者は、多くがその不安定な地位によって、低賃金の「沈め石」とされ、相対的過剰人口化され、雇用の調整弁化された存在なのだ。等々。

 いずれにしても、6・11脱原発全国100万人アクションで多くの人が脱原発の声をあげることによって、安全な未来社会へと早く移行しないことには、「開かれた社会」として、国境・国籍に左右されず世界の人々が共に友好的に生きていける社会へも前進出来ないことは明らかである。危ない社会には近寄ってこれない。

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6・25難民講座へのお誘い

 6・25難民講座へのお誘い

 日本には、今、多くの外国人が、祖国や地域での政治的などの理由による迫害や弾圧を逃れ、難民認定を求めてやってきています。日本政府は、難民条 約を批准し、1981年に出入国管理法(入管法)を改定して出入国管理及び難民認定法という名前に変え、難民の受け入れを表明しています。
 今、エジプトや中東・北アフリカなどで、民主化闘争が激しくなり、アフリカに関心が高まっています。民族間の虐殺事件があったルワンダと似た民族構成のブルンジからの難民やナイジェリアからの難民も日本に来ています。
  当会が支援してきたエチオピア難民の女性は、長い運動の結果、高裁が難民認定を法務省に求める画期的な判決が出され、法務省が控訴を断念したため、つい に、難民認定を勝ち取りました。多くの皆さんの支援のおかげです。その経験から、私たちは、難民問題の背景の理解が重要であることを痛感しました。
 今回は、ブルンジなどアフリカのいくつかの国での難民発生の背景に焦点を当てます。共に難民問題の理解を深めましょう。

テーマ:アフリカ―ブルンジ等の難民発生の背景

日時:2011年6月25日(土)13:00~17:00
場所:新宿区立元気館
(東京都新宿区戸山3-18-1 電話:03-3202-6291)
資料代:500円(難民は無料)   

    難民を支援し連帯する会

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