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原発事故と知の問題

 原発事故をめぐって、「原子力ムラ」の垂れ流す安全神話がずいぶん暴露されてきたが、その際に、認識論的側面というのがあって、それについてきちんと考えないといけないと思っている。認識論などという哲学的な問題について、原発事故という現実的な問題とどう関係があるのかとか、そんなことよりも被害を食い止めるのが先だとかいう意見があるかもしれないが、神話を真実と認識させる認識構造や専門知・科学知の権威の働きとか構造とか、そういうことまで分析・解明していかないと、また、同じ事を繰り返すことになるのではないだろうか。例えば、たばこの健康被害についても似たようなことがあると思う。

 データの信ぴょう性は、確率論的に言われているのだが、それが固いかゆるいかということは、一般の人にはよく判断がつかない。そのようなデータの読み方に馴れてないということもあるだろう。例えば、放射能の危険性についての数字だと、何ミリシーベルトで、発がんの確率どれくらいとかいうことが出てくるし、それも、いくらかの基数(ガンマー線、アルファ線とか放射線の種類によって異なる)を乗じるとかいろいろあって、面倒だ。それで、どれがどれぐらい危険なのかをなかなか直観的につかめないということになる。おそらく、専門家でも直観的にはあまりわからないのだろう。原子核内部の量子的世界に入ると不確定性が出てくる。中沢新一氏が言うように、それまでの原子核の外側を回る電子を使ったエネルギーの取り出し方とは違う力の世界がある。弱い力、強い力、電磁力、重力、4種類の力が存在するのだが、それらを統一する理論はない。よくわかっていないままで、そこからエネルギーを取り出しているのが原子力発電である。でも、最終的にはお湯を沸かして蒸気を作ってタービンを回して電気を起こすというのは他の発電方法と同じだ。太陽光発電だけは、光エネルギーで電子を飛ばして、熱エネルギーへの転換なしに電気を起こすので、それとは違う発電の仕方である。核分裂で出るエネルギーの量は、アインシュタインの相対性理論でE=MC。物質の持つエネルギーは、質量×光速の2乗という巨大なものだ。量子の種類は新しく発見され続けて、どんどん増えている。粒子加速器を使って、粒子同士をぶつけたりすると、新しい粒子が出てきたりする。4つの力を統一する理論というのが統一場理論で、アインシュタインなども懸命にそれを構築しようと努力したが未だに出来ていない。頭ではわかっても感覚的につかみにくい超微小な世界である。量子の波動性と粒子性を同時にイメージする事は出来ないなど、視覚的なビジョンでは写せないことが多い。

 しかし、社会にとって、科学知の持つ意味や認識や判断について解明することは出来る。物理的な現象についての知のあり方を問うことは出来るし、ましてや、それが持つ社会的意義について理解することは可能である。例えば、何々は真であるという言明について、その意味を考えることが出来るし、また、こうした知の権威によって、重大な問題が起きたことを考えるとなおさらそうしなければならない。例えば、『思想』(岩波書店)の「帝国」特集に、『帝国主義論』を書いたホブスンについての論文があるが、その中で、帝国主義を批判するホブスンが、帝国主義を支持する大衆の批判を浴びたというエピソードがあり、そこから、帝国主義が持つ排外主義に人々を熱狂させる力(神話的力)について、彼が考えるようになったということが指摘されている。同じ特集には、それと、アーレントの問題意識の類似性を指摘する論考もある。排外主義に熱中する大衆の姿は、アーレントにとって、ナチスの人種主義を支持するドイツの大衆の姿とオーバーラップしていたのである。

 「原子力ムラ」の問題に戻ると、専門知・科学知は別に「真」というわけではなく、そういう知の一形態であるということを踏まえないと専門家が取る特殊な権威の力に負けてしまうと考える。「真」という概念が持つ意味や判断についてつきつめて考える必要がある。

 あるいは、「事実」の事実性についても同じような問題があり、それについては、ヘイドン・ホワイトという人の議論が参考になるのではないかと思っている。何々は事実であるという言明が何を意味しているのかということをよく考えてみなければならない。それによって、歴史修正主義の登場によって露わになった「歴史は物語なのか、事実なのか」などの相対主義や実証主義などの問題も有意義に考察し直す事が出来るようになるのではないだろうか。沖縄戦の集団自決問題をめぐって争われ被告勝訴が確定した大江・岩波裁判もそうした点から考察してみることが出来るだろう。

 その他、『思想』(6月号 岩波書店)の特集は、専門知・科学知と一般知・大衆知との関係を社会学的に考察した論文を集めていて、これも参考になりそうだ。

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