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脱原発に右も左もないか?

 鈴木邦男氏がネットマガジン(マガジン9条)で「脱原発運動で「右」と「左」の共闘を考える」という文章を書いている。そこで氏は、「本多勝一さんと僕が並んで本にサインをしている。10年前ならありえなかった」と言うのだが、その時に、右翼の側の変化と左翼の側の変化が同時並行で起きているということが前提である。そのことを示すエピソードを紹介している。

 本多さんから「会いたい」と言われて、金曜日で会った。自然保護、日本語問題、対アメリカ問題など、僕ら以上に「右翼的」だった。共産主義者であり、反日・売国的な人間だと思っていたが違う。「民族主義者」だと思った。「アメリカや日本語問題などについては鈴木さん達より僕の方がずっと右翼です」と言う。「何なら一水会に行って講演してもいい」と言う。

 私は、どうも、左翼の戦線が10年ぐらい前から基本的なところで崩れているということを田舎で感じていたが、やはりそうだったかと思った。左翼の代表的イデオローグと見られてきた本多勝一氏にして、鈴木邦男氏以上に部分的ではあれ「右翼的」になっていたのだ。そして、田中優子さん、宇都宮健児さんは、「もう右も左もない。これはいいことだ」と述べたという。これはほんとうにいいことなのか? いいことではない。そう思って、私は、自ら動くことを決意して出て来たのだ。それに、左翼は、国際主義者だ。愛国左翼は「転向」左翼である。組織防衛のために、日和見主義を路線化した連中だ。私は、共産党六全協後のかれらの内部資料を電子化したが、そこにある宮本顕二ら幹部の発言は、組織を守るにはどうするかということが強く出ているものばかりだ。また、氏の認識とは逆に、むしろ、こうした物わかりのいい元左翼は多くなっているのではないか。かれらは、「みんなで「転向」すれば恐くない」と開き直っているようにしか見えない。今は教条的でなければならない時代状況なのに、境界線を取り除けというのは、間違っている。

 右翼と左翼は明瞭に対立すべきであり、その中で鍛えられるべきだ。統一戦線義勇軍の幹部の脱原発集会発言は、「ゴリゴリの左翼的な人達が強硬に反対し、これはつぶれた」のだが、私もゴリゴリの左翼的な人達の一人として、それは当然だと思うし、反対した人達を支持する。鈴木氏は、「もし、左翼との共闘になった時、「日の丸は外そう」という話になるかもしれないし、それは出来るだろう。右翼の方は面子にこだわってない。むしろ、左翼側の方が面子にこだわっている」と言うが、そうではない。それなら、なぜ、脱原発集会に日の丸を持ちこんでこれみよがしに掲げている者がいるのか? 8・9脱原発日比谷集会デモの時に、かれらがにやにやしながら「原発反対」などと言っていたので、「やるなら真剣にやれ、にやにやするな」と怒鳴ってやった。私は、右翼の反原発意識の内容や姿勢を問うているのだ。どこまでやる気なのか? どこまで真剣なのか? どうして原発に反対なのか? 「美しい国土を汚す」のは、放射能だけではない。「美しい国外を汚した」ことをどう考えるのか? 等々、いろいろな疑問があるのだ。

本当はもう右も左もないのだ。一緒に出来ることは一緒にやった方がいい。不毛なイデオロギー論争の時代ではない。共闘を考える中で、そういう話も出来たらいい。

 こういうように変なふうに物わかりがよくなったら、悪い方向に歳を取り過ぎた証拠で、それでは人間お終いだと思うぐらいの倫理を堅持すべきだと自戒する。

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思想」カテゴリの記事

コメント

 「右も左もない」とまでは思いませんが、脱原発という点で一致しているのであれば、その限りにおいて手を組めるはずですし手を組むべきだと考えます。そうしなければ、すでに始まっている原発推進派(少なくとも容認派)、原子力ムラの強烈な巻き返しに対抗することは極めて困難になりますし、結果として彼らを利することになってしまいます。

 「右翼なんかと一緒にやれるか」という気持ちも理解できないわけではありません。鈴木氏みたいな方ならまだしも、例えば西尾幹二氏と一緒に運動するとなると流石に嫌な気分になってきます。理論的に節操がないという批判も傾聴に値するでしょう。

 ですが、人の考えは人それぞれ。完全に一致することなどありえません。ゆえに特定の論点において意見が一致するならば、その目的のために協力できるし、そうすべきです。もしも何もかも意見が一致しなければ協力し合えないというのであれば、社会を動かす大きな力など生まれるはずがありません。
 今が日本のエネルギー政策を転換し、原子力とおさらばする千載一遇のチャンスなのです。それが分かっているからこそ原子力ムラは、政官財学、そしてメディアの力を結集して彼らの権益を守ろうと一致団結して巻き返しを図っています。これに対し原子力発電に反対する陣営がバラバラでどうやって対抗するというのでしょうか。みんなが原子力への賛否とは直接関係ない論点で分裂していれば、脱原発どころか「減原発」すらできないと思います。
 もしも将来、日本の原子力政策がフクシマ以前と大差ない状態に戻ってしまったら(今のままではそうなるおそれが低くない)、その時「脱原発が失敗したのは脱原発勢力が一致協力できなかったからだ」と言われたのでは目も当てられません。

 原子力発電反対という観点に立った場合、対峙すべきは原子力推進派であり「脱原発を主張する右翼」ではありません。他の論点で争うことはあっても、それはその時争えばよいことだと考えます。

投稿: クテシフォン | 2011年9月25日 (日) 16時28分

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