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3・11の持つ根源性

 以下の東京新聞に書いてあることが、今後、福島で心配される事態である。

 福島からの女性たちの座り込みに続いて、昨日から全国の女性たちの座り込みが始まった。29日のデモには500人以上の人が参加したという。のべにして何千人もの人々がこの行動に参加し、同時に全国各地で小規模だが草の根の行動が続いている。こちらは、風邪を引いてしまって、座り込みになかなか参加できないのであるが、この運動の広がりと深さは、様々な情報からうかがい知れる。そして、草の根の力が蓄積されているのを感じる。さて、私が旅によって得たものの一つは、このような人々の根底において、おそらくは無意識のレベルで、脱原発の意思を実感したということである。それは、京都円山集会に主催者側の事前の予想の2倍程度が集まったということに示されている。福島では、保守の支持層にも脱原発の意思がしっかり根を下ろしてしまったことがわかった。そして、世の中が変わる、社会が深いところから変わるというのはこういうことなのだと実感できた。私は、あちこちに火をつける伝導役を勝手にかって、京都では、前日のシンポの実行委打ち上げの場で、「関西でも関西電力に対する脱原発の万単位の行動を!」と反感を買うのを覚悟で言った。それに、「運動の冬の時代しか知らないが、明治公園での6万人集会で、初めて春を見れた」とも言った。しかし、福島から遠く離れた関西で、脱原発1000人集会はすごいものであった。

 この旅で大衆が急速に変わりつつあるというのがわかったので、今度は運動側が、そして自分が変わらなければならないということを感じたのだが、どうやって、どのように変わらなければならないのかが、つかめなかった。しかし、福島からの座り込みの女性たちが掲げた横断幕のいくつかにその答えの一部が書かれてあった。

 ひとつは、医療問題への取り組みが必要だということである。二つ目に、これは、より根底的なもので、中沢新一氏(明大教授)が早い時期に示していたものである。それは、一言で言えば、文明の転換である。すなわち、現体制と今の世の中の基本的価値にたいして、別の原理を打ち立てることであり、そのヴィジョンを創造・提示することだ。それは、中沢の言葉で言えば、多様性をもった共同体(コミューン)であり、コミューン・イズムである。「福島の子供はみんなの子供」というスローガンはそれを表現している。そして、それは、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」にも、「たくさんのブドリとネリのおとうさんとおかあさんとたくさんのブドリとネリ」という具合に、固有名をもったブドリとネリの多様体としての共同体のあり様として表現されているのである。これが、ただ、「たくさんの親と子供たち」と書かれていたら、一般的で抽象的な理念しか表せなかった。ブドリは、他に置き換えられない固有性を持つただ一人のブドリなのだが、たくさんのブドリを、ブドリ、ブドリ、ブドリと並べて書いてみると、そこに空間的な差異なしに書けないという差異ある多様体の一人でもある。つまり、最初のブドリと次のブドリは、左と右という違いがあって、違うものだということが視覚的に示されている。二つ目のブドリは、左のブドリの右のブドリとか次のブドリとか言わなければならない。もちろん、口に出したとしても、同時に複数のブドリを言えないから、時間的にも差異があるということがわかる。あるいは、非言語的に示すなら、例えば、指で指せば、指す位置の違うというふうに。こうして差異ある多様性が表現される。これが新しい共産主義の抽象的なヴィジョンであり、それは、差異ある多様な「草の根」運動の共同性として、今、生まれ、発展しつつあるものだと思う(宮沢賢治については、桜井南相馬市長の話の中で、自らが岩手大学農学部に進学した理由として、宮沢の影響をあげていたことがヒントになっている)。

 「福島の子供はみんなの子供」というスローガンに戻ろう。今日、私有制度の下では、たいていの親は子供は自分の子供であって、みんなの子供と思っていない。それは極めて固い信念になっている。それに対してこのスローガンは、子供はみんなのもの、共にあるものだと言っている。私はある時期からはこうした考えや感覚に共感するようになっているので当然だとしか思わないのだが、多くの人は違和感を覚えるかもしれない。それは、そういうイデオロギー空間の中に閉じ込められているからなのだ。しかし、実際の経験はそれと正反対の感覚をもたらす。どの子だろうと赤ん坊の笑顔や笑い声には惹かれてしまうし、泣いていれば、なんとかしてやりたいと思う。もちろん必ずというわけではないし、実際にはいろいろな条件が重なり合ってそうなるものである。あるいは、フェミニズムが問題にするようなこともある。例えば、幼児虐待とか。福島では、3・11以降、離婚や別居や別離・離散が増えている。人と人の絆が切れていっているのである。自主避難民が多くいて、人口が減少している。構造化された大きな枠組みはあっても、社会関係は常に変化していて、結びついたり離れたり、変転している。それをいくら固めようとしても無理である。出会いがあれば別れがあるというのは経験的に誰でも知っていることで、たいていどうにもならない。いずれにせよ、それは新しく作られるしかなく、それは前と同じ関係では、もはやない。

 例えば、震災直後には共同体的助け合いがあったが、それも過疎化・高齢化が進む中では、一時的な「がんばり」で、そうとうに無理をしたものである。復興の段階になるとそれが復興の担い手の不足という問題として現れることは容易に想像できる。要するに、直面しているのは、社会そのものの復興・創造であって、新しい人と人との社会関係の創出という課題である。だから、コミューン的絆・関係ということが要求として自然発生的に出てきているのだ。これまでの社会関係がこの事態の原因である以上、また同じことを繰り返すような元の社会関係の下ではほんとうの復興は望めないのである。どの程度自覚的かはわからないが、このスローガンは、とても深いこと、根源的に変革的なことを端的に言い表していると思う。

 韓国ではソウル市長選で落選運動などの市民運動活動家であった弁護士が保守の市長を破った。日本でも市民派、革新自治体が続々と誕生したことがある。今日のニュースでは、10人目の共産党員町長誕生というのがあった。25才女性大学院生議員誕生というのもあった。明確に脱原発を掲げる福島県南相馬市の桜井市長は、産業廃棄物処理場建設反対などの市民運動家出身である。しかし、これだけでは命の保証にならないから、福島の女性たち、全国の女性たちは霞ヶ関で座り込みを行なっているのだが、そこに掲げられたスローガンには、上に述べたような根源的な社会革命の要求や思想が表現されている。こうした自然発生的なコミューン主義(コミュニズム)の要求を掲げる運動を発展させるにはどうしたらよいかという課題に答えなければならないがうまく答えられないというのが、旅の中で襲われた感覚・感情である。答えは、岩波書店の「思想」最新号の國分功一郎氏の連載文章にあった。それは、感覚の概念をつくるということだ。つまり、こういうなんとも言えない感覚・感情に襲われた時に、それを表現する言葉が見つからなくて困るとがよくあるが、それはこれまでの概念が感覚の概念ではないからだ。しかも、言語は社会的存在だから、個人が勝手な概念を使っても社会化しないことが多い。しかし、3・11という概念が一般的に定着するというようなことも起こるので、それは不可能というわけではない。社会関係が常に流動的であるように、社会的存在である言語もまた常に流動的である。であれば、感覚の概念をいっぱい作ってそれを使っていけば、かなり事態は変わるに違いない。それで、経産省前に並んでいる様々なスローガンや表現、パフォーマンスなどが、いわく言い表しがたい感覚を概念化しようとする実践を含んでいるということには大きな意義があるということになる。それ自体が、ひとつの共産主義運動ということになるわけだ。これで、近未来の「地獄」というビジョンに代わる新しいヴィジョンが具体性をもって描けるようになる。そのような新しい概念をつくる実践が大衆運動として登場し発展しつつあるのだからである。これは、もちろん、日本だけではなく、中国やインドでもまもなくぶつかる問題であることは明らかだ。

 これを書けたので、風邪だけど、気分がずいぶんよくなった。

  チェルノブイリ 健康被害、事故の4~5年後(東京新聞2011年10月31日)

 チェルノブイリ原発事故(一九八六年)から二十五年。周辺の汚染度は今も高く、放射性物質による健康被害も続く。事故現場に近いウクライナ・ジト ミール州ナロジチ地区を三十回以上訪れ、支援するNPO法人「チェルノブイリ救援・中部」(名古屋市)の河田昌東(まさはる)理事(71)に、福島第一原 発事故との共通点や今後起こり得る事態を聞いた。 (蜘手美鶴)

 -現地の状況を。

 放射線量は事故直後の三十分の一程度に下がったが、被ばくが原因とみられる病気はいまだ多い。日本では、放射線を浴びると、がんになる確率が高くなるといわれる。現地では、がんよりも、心臓病や脳梗塞、糖尿病、免疫不全になる人が大多数。子どもの糖尿病も目立つ。

 -福島の事故で、日本でも放射能の影響が懸念される。

 チェルノブイリで周辺住民に健康被害が出始めたのは事故から四、五年後。福島でも今は目立った影響はみられなくても、結果はほとんど一緒になると危惧する。チェルノブイリの経験を生かし、今から対策をとる必要がある。

 -健康被害を抑えるためには。

 事故後一年目の対応が、後の被害の大きさを左右する。内部被ばくで健康被害を生じた人の半数は、初期に放射性物質を含んだ空気を吸い込んだことが 原因。マスクはとても大事だ。残りは汚染された食べ物を数年間にわたり食べ続けたことによる。結局、汚染された空気や食べ物をいかに体内に取り込まないか に尽きる。

 -日本で今、必要な政策は何か。

 国は除染作業の具体的な方法や方針を示していない。個人宅の除染に手が回っていないのが現状で、国や自治体がやらない限り、除染は広がらない。

 建物の除染は、素材に合わせないと効果がない。たとえばアスファルトは高圧洗浄だけでなく、表面をたわしでこすったり、削りとったりした方がいい。ウクライナでもよくやった。屋根も瓦とトタンではとるべき手法が違う。

 森林の除染も非常に重要だ。乾燥した落ち葉は、放射性物質が凝縮され、濃度が高い。街中を除染しても、森から放射性物質を含んだ落ち葉や粉じんが 飛んできたら、除染とのいたちごっこになるだけだ。チェルノブイリでは周辺に森はなかった。森林汚染は福島固有の問題でもある。

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