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旅と宮沢賢治と福島の女性たちの闘いと福島原発廃炉県議会議決

 今回の旅は大きな意味を持つ旅で、収穫が多かった。未だに整理はついていないし、その中身は自分の中でまだ流動状態にある。それはやがて明瞭になるだろう。

 少なくとも一つ言えるのは、人を信頼しようという気持ちが深まったということである。関西への旅は、大阪→京都→大阪、一週間後また京都と、一週間に2回、その間に福島2日間というハードなものであったが、それぞれ有意義なものだった。今、疲れを癒すと同時にそこで得たものが明瞭なかたちになるのを待っているところである。それは言い表しえない感情・感覚を伴っている。それを、いずれ表現したいと思う。

 京都の同志社大学で行われた京都第一初級朝鮮学校(東九条)への「在日特権を許さない市民の会」の襲撃事件をめぐる裁判の報告などの集会もよかった。「在特会」は福島などの震災・原発被害者のためになにか具体的にしたのだろうか? 東北にいる「同胞」を救うために血や汗を少しでも流しただろうか? 天皇の錦の御旗を担いだ官軍と戦って敗れた会津などの敗者のことを少しでも考えただろうか? 今の天皇は、自分の先祖は朝鮮半島から渡ってきたと言ったとされるが、それでも「天皇」を神聖化できるのだろうか? 京都御所のすぐ近くで、醜悪な日本語もどきを発し続けたのは「不敬」なことではないのか! (別に、同じ日本人だからどうとか、不敬などということも私自身はまったくどうでもいいことで、これは冗談だが)。

 福島などの被災地では、宮沢賢治の名前、そしてそのヴィジョンが人々の心の救いとなっているようだった。しかし、「在日」その他の外国人被災者はどうなるのか? 「災害弱者」問題は無視されやすいので、特に強調しなければならないことである。私の知る限りでは、宮沢賢治の童話や詩にナショナリズムは感じられない。彼がナショナリズム的な日蓮宗系の国柱会のメンバーであったにも関わらず。それがどういうことなのかはまだわからない。彼の童話「クスコーブドリの伝記」はウィキペディアでは以下のようなあらすじである。

 イーハトーブの森に木こりの子どもとして生まれ冷害による一家の離散や火山噴火、干魃などの苦難を経験して育ったグスコーブドリがイーハトーブ火山局の技師となり火山噴火被害の軽減や人工降雨を利用した施肥などを実現させる。
 ブドリが27才の時、冷害が再発する。その解決法として、ブドリは火山を人工的に爆発させ、大量の二酸化炭素を放出して、温室効果で暖めることを提案する。しかし、その計画では、誰か一人が最後まで火山に残る必要があった。年老いたペンネン技師が、最後の一人になろうとするが、それをブドリは引き止めた。そして、ブドリは皆に黙って、一人火山に残り、火山を爆発させた。ブドリのおかげで、冷害はくい止められたのだった。

 二酸化炭素の温室効果という話がもうこのころすでにあったということがわかるが、ここでの科学者・技術者の自己犠牲というテーマは、彼の仏教的生命観と関係している。しかし、それは、もっと深い層では、自然崇拝、アニミズムと通底するもので、なんなら原始的と言ってもいいものだ。宮沢の童話では動物や木も人のように話す。生命として平等であり、配慮しあっているのである。

 そして、宮沢には、グスコーブドリの自己犠牲(死)によって救われた地上では「…たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪(たきぎ)で楽しく暮らすことができたのでした」というところに表れている平等主義的な生命観がある。また、宮沢の童話には、グスコーブドリのように、民族的でない名前がたくさん出てくる。それはカタカナで表されている。福島は今や世界的に「フクシマ」というカタカナ表記の名前に変わって流通するようになった。それは宮沢的ヴィジョンのような架空の世界(岩手がイーハトーブと変わるように)への福島の変容を表しているのだろうか。山形出身の作家藤沢周平が架空の藩(海坂藩)を舞台にした小説を創作したのにもそれが言えるのだろうか。宮沢賢治の世界はあまりにも静かであるが、そのような東北の静けさの底に潜む熱いものが今じわじわと溶岩のように噴出しつつある。27日から福島の母親や女性たちの経産省前の座り込みが始まる。それは国家・社会を根底から揺さぶる熱い持久戦の始まりを意味することになるだろう。

 廃炉請願採択 福島県議選控え世論意識 全会一致異例の展開(10月22日河北新報)

 福島県議会が20日、県内の原発10基全ての廃炉を求める請願を採択した。共産党県議が単独で紹介議員となった請願は、委員会審査では不採択。この日の本会議では5議員退席の上、全会一致で採択される異例の展開となった。各党を廃炉 へと突き動かしたのは、1カ月後に迫る県議選への思惑だった。

 最大会派の自民党は19日の企画環境委員会で4議員全てが請願採択に反対 したが、この日は会派拘束もかけて賛成に回った。県連幹事長の斎藤健治議員は「委員会では審査継続の立場だったが脱原発を県連で決定しており、本会議で賛成するのは問題ない。選挙まで1カ月。有権者に対する正直な意思表明だ」と言う。
 「『原発はもういい』というのが県民の率直な気持ち。ごく当たり前の決定だ」と語るのは、第2会派の県民連合を社民党などと構成する民主党県連の総務会長の宗方保議員。別の議員は「わざわざ廃炉を明言する必要はないが、選挙を控えてあえて反対はできない」と明かす。
 これまで県議会が原発に関する姿勢を決める際には、特別委員会を設置するのが一般的だった。公明党県本部代表の甚野源次郎議員は「もっと慎重に議論を重ねる必要があったとは思う。廃炉に向けて県議会がどう責任を果たすか、選挙後に課題が残った」と話す。
 「世論が後押ししてくれた」と採択を喜ぶのは共産党の神山悦子議員。「選挙向けのパフォーマンスなのかどうか、県民は各党の今後の対応を注目している」と指摘する。社民党県連代表の古川正浩議員は「脱原発をさらに推し進める歴史的な一歩だ」と評価する。
  一方で、原発が立地する双葉郡選出の議員は複雑な表情。本会議を退席した民主党の坂本栄司議員は「地元の雇用や、事故収束に向けて頑張っている作業員の士 気低下が心配だ」と語る。自民党の吉田栄光議員は賛成したが「まだ復興・復旧の方策が出ていない状況。判断が早かったという気持ちはある」と話した。

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