3・11の持つ根源性の補足
前の記事の補足。
ひとつは、南相馬市長の話は、ドイツ緑の党の女性副党首のヘーンさん一向に同行した席での話だということ。それから、多様なコミューンに必要なもう一つ大事な性格である「開かれた」を付け加えるのを忘れた。それは、これまでの共同体のような閉鎖性・排他性をもたない、民族・国境に関係なく開かれた、差別がないというものでなければならないのである。実際には、福島の農漁村でも、中国人研修生などの若い労働力は必要とされ受け入れられていた。もちろん、そこではいろいろな問題もあった。それに付け加えて、自由という問題もある。しかし、自由を抽象的に考えてもあまり意味がないので、ここでは置いておく。少なくとも私は、他者に所有されるのも嫌だし、他者を所有するのも嫌だから、現在自由と言われているものを自由もどきの束縛でしかないと感じることがある。
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