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2011年12月

3・11問題の中間総括のために(6)

 次の章のタイトルは「2 一神教的技術」である。しかし、最初に述べられているのは、エネルギー革命の話である。

 「産業革命」を引き起こしたエネルギー革命は、石炭などの化石燃料を利用することであった。その特徴は、「遅延」ということである。太陽エネルギーが生物の死骸が分解したり炭化したりしたものを後で地中から取り出し燃焼させたものだからである。

産業革命の生み出した近代世界は、いわば遠い過去の時間に属する太陽エネルギーに属する太陽エネルギーを掘り出して燃やすことによって作動していた、と言える。(26頁)

 ここで、中沢氏はエネルギーの存在論というものを考えていて、それを基礎に文明を区別しようとしている。だから、それをエネルギー文明史観と呼んでもいいだろう。氏は、文明学者アンドレ・バラニャックの7段階のエネルギー革命史を紹介する。すなわち、

第一次革命:火の獲得と利用。火を発火させ安全に保存する技術が開発されることによって、「炉」を中心とする「家」というものができた。

第二次革命:農業と牧畜が発達して、いわゆる新石器の時代がはじまる。農業は余剰生産物を生み出して、交換経済が発達するようになる。初期の都市が形成される。

第三次革命:家の「炉」から冶金の「炉」が発達して、金属がつくられるようになる。火の工業的利用が発達するようになり、同時に家畜や風や水力がエネルギー源として利用される。金属の武器の発達は国家を生み出す。

第四次革命:火薬が発明される。これは十四世紀から十六世紀のことである。化学反応の速度を高めて、燃える火から爆発する火への移行が起こる。

第五次革命:石炭を利用して蒸気機関を動かす技術が確立される。これをきっかけとして、産業革命が起こる。

第六次革命:電気と石油。十九世紀の西欧では、電気が新しいエネルギーとして発達をはじめる。原子を構成する電子の運動から、エネルギーを取り出す技術である。電子の運動は電磁波をつくりだし、ここから電波通信の技術が発達するようになる。アメリカでは石油が新しいエネルギーとして注目され、大規模な油田開発がはじまる。自動車産業の発達。そこで形成された「フォード主義」は現代的な資本主義生産のモデルとなる。

第七次革命:原子力とコンピューターの開発。いずれも第二次世界大戦の刺激によって発達した技術である。コンピューターは電子の量子力学的ふるまいを、情報処理に利用した技術であるが、この技術がなければ、原子力のコントロールは、ほとんど不可能に近い。(26~8頁)

 中沢氏は、第六次エネルギー革命までは電子の運動からすべてのエネルギーを取り出していたことを指摘する。生態圏では、化学反応や電気反応で生物は活動している。植物の光合成、視神経に発生する光エネルギーの変化、脳内物質(エンドルフィン)の分泌が悦びや幻影を起こすこと、思考など。思考も感情・感覚も脳内の電子の運動と一体であるということは大事な指摘である。

ようするに、生態圏に生きる私たちの実存のすべては、安定した原子核の外側を運動する電子によって支えられている(30頁)。

 それに対して、原子力の利用だけが、原子核の内部にまで踏み込んで、分裂や融合によってエネルギーを取り出した。それによって、「生態圏の「内部」に、ほんらいそこにあるはずのない「外部」が持ち込まれることとなった」(30頁)のである。それに対応するのが「一神教モノテイズム」だと中沢氏は言う。そして、その起源を『旧約聖書』のモーセの話(「出エジプト記」)に見出している。モーセに火の中から語った神は、「ほかの神々は山や川の女神であったり、動物界や植物界を支配する神であったりするのだが、自分はそういう環境世界に所属しない絶対的な神で、むしろ環境世界の外部にいて、そこから世界そのものを創造した神である」(32頁)という思想を語る。このような「一神教が重要なのは、それに特有な「超生態圏」的な思考が、西欧においてキリスト教の衰退後に覇権を握った、世俗的な科学技術文明の深層構造にも、決定的な影響を及ぼしているからである」(32~33頁)と氏は言う。そしてそれをエネルゴロジー的に読み替える。

一神教が出現する以前には、神々はいわば思考の生態圏に所属していた。思考の生態圏では、すべてが全体性につながり、孤立した存在はそこにはいないために、神々はいともたやすくトランスフォーメーションをおこなって、別の存在に変化していくことができる。こうして、鷲の頭をした神や、犬の姿をした神や、オークの樹の神など、さまざまな神々が生まれていった。(33~34頁)

 生態圏に属しているものは、全体性のバランスをとって存在しているから、動物も植物も鉱物も、そこにあるものはすべてが「媒介」された状態にある。そのために、神々の世界について思考するためには、「媒介」による思考様式である、神話や哲学によるのでなければならない。「媒介」による思考は、じつに繊細で、複雑で、美しい世界の本質を理解できる。そこでは、悪や病でさえ、生態圏の構成要素である。絶対的な善などは、ここにはない。しかし生態圏が自然状態にあるとき、全体は美しい秩序を保ち続ける。(34~5頁)

 つまり、一方で自然災害を象徴する神が同時に土地を豊かにする神でもあるというふうに、「媒介」されている(例えば、インドのシヴァ神)。言い換えれば、矛盾している。あるいは、存在=関係としてある。だから、それは生態圏を超越しないのである。毒も人間が技術的に「媒介」すれば良薬に変わるが、その象徴的な表現であるアニミズムや多神教の神々は生態圏の全体的な表現になっている。思考がこのような矛盾の中にとどまっている限り、それは生態圏の存在の反映であるのだが、それを超越して無矛盾的抽象に思考が陥ると、生態圏の存在を正しく反映できなくなってしまう。思考は矛盾を反映していなければ、錯覚が必然となり、生態圏と様々な軋轢を引き起こしてしまう。それは生存をも脅かすようになる。人類史上最も大量の殺戮を行ったのはおそらくキリスト教である(宗教戦争だけでも相当な数である。最近でもアフリカのルワンダで虐殺を行っており、神父も虐殺に加わっていた)。ただし、西洋では、今、キリスト教の信者の数が減っているし、影響力は近代以前よりは弱まっている。日本では極少数である。しかも内部で右派と左派などの対立がある。それはともかく、続いて、中沢氏は、福島原発事故に立ち返る。

福島原発事故がはからずも露呈させたのは、原子力を扱う日本人の科学者の多くが、自分が専門とする分野でいったいなにがおこなわれているか、ことの本質を理解していないのではないかという、恐ろしい疑念であった。暴走をはじめた原子炉を前にして、日本の科学者や技術者は、およそ現代科学には不釣合いな「プリコラージュ」の方法によって、苦しい対処に追われていた。(38頁)

 そして、氏は、「原子力発電は生態圏内部の自然ではないのだから、それをあたかも自然の事物のように扱うことは許されない。いわんやそれが「ぜったい安全である」ことなどは、ありえようがないのである。生態圏の自然と太陽圏の「自然」を混同することほど、危険なことはない(39頁)」と指摘してこの章を締めくくっている。

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福島脱原発の復興計画決定という勝利の知らせ

 福島県が、福島第1・第2原発の全10基の廃炉を明記した復興計画を決定した。これで、知事の承認がいる原発再稼働は、福島県では極めて難しくなった。福島で脱原発運動が勝利へと大きく前進したのである。

 今日、バスで到着した福島の女性たちを先頭とし、支援や脱(反)原発運動グループ、支援などによる東電への申し入れ行動があり、300人ほどの人々が結集して、東電職員に申し入れ書を手渡した。出て来た東電職員の対応は最初、とても傲慢で、まったく被災者を生みだした加害者の態度ではなかった。それに対する怒りの声がぶつけられ、敷地内での代表者の申し入れが読み上げられるにつれて、態度も少しは謙虚になったように見えたが、申し入れが終わるやそそくさと立ち去った。全体的な印象としては、東電職員の態度は、勝俣会長をはじめとする経営陣が姿を見せなかったことも含めて、今も日々放射能を浴び続け、内部被曝の脅威にもさらされ、避難を余儀なくされ、そして、いつ健康被害が出てくるかわからないという不安な状態にある被災者たちへの誠意を感じさせるものではなかった。それを見て、「話にならない」と感じた。そしてあらためて怒りがこみ上げてきた。あのよう不誠実な態度のままではとうていかれらを許せるものではない。

 このように「原子力ムラ」は相変わらずだが、少なくとも福島県が県として脱原発へ踏み出したのは大きな一歩であることは間違いない。

原発全10基、廃炉を明記=復興計画を決定―福島県 (2011年12月28日)

福島県は28日、東日本大震災復旧・復興本部会議を開催し、震災と東京電力福島第1原発事故からの再生に向けた復興計画を決定した。計画期間は10年とし、県内の全原発10基の廃炉を国や東電に求めることを明記している。

計画では「緊急的対応」「ふくしまの未来を見据えた対応」「原子力災害対応」―の3分野に、計729事業を盛り込んだ。また、復興へ向けた重点プロジェ クトとして、除染の推進などによる環境回復、生活再建支援、再生可能エネルギー推進など12のプロジェクトを分野横断的に掲げた。[時事通信社]

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3・11問題の中間総括のために(5)

 次に、中沢氏は、原子炉の起源について書いている。最初読んだときに、この部分は余計ではないかと思った。しかし、繰り返して読んでみると、原子炉は人類の発明ではないという認識が重要であるということがのみこめるようになった。

 世界最初の原子炉が稼動したのは1942年で、エンリコ・フェルミのグループがシカゴ大学内につくった実験炉であったが、それと同じものが、17億年前に天然の状態で存在していた。つまり、フェルミたちの作った人工原子炉は、イノベーション(技術革新)ではなく、イミテーション(模倣)だったのである。つまり、かれらはイノベーターではなくてイミテーターであって、それは「人類の思い上がり」(15~16頁)でしかなかったのだ。「まね」と「発明」は違うのである。イミテーションであるというのは、「原子炉内で起こる核分裂連鎖反応は、生態圏の外部である太陽圏に属する現象である」(24頁)という意味である。この太陽圏の現象を「無媒介」のままに生態圏に持ち込んだのが「人工原子炉」である。ここで、「媒介」というキー概念が登場する。「媒介」されたエネルギーとは、太陽エネルギーが異質な生態圏の中での変換を経ているエネルギーのことである。

石炭や石油は、それ自身がすでに「媒介」なのである。石炭は古生代以来の植物が地中に堆積して、長い年月をかけて炭化した岩石であるし、石油は海や湖の底に堆積した藻やプランクトンのような生物の死骸が、分解することによってできたものだから、そもそも太陽エネルギーの変換装置として、生態圏に存在している。(22頁)

 太陽圏に属する太陽エネルギーは幾重にも変換されてようやく生態圏で利用できるエネルギーに変わっているという「媒介」されたエネルギーである。それに対して、「原子炉はこのような生態圏との間に形成されるべき媒介を、いっさいへることなしに、生態圏の外部に属する現象を、生態圏のなかに持ち込む技術である」(25頁)。中沢氏は、かつては、「媒介」に否定的だったような気がするのだが、記憶違いかもしれない。ともかく、ここで、中沢氏は、「媒介」ということが生態圏にとっての基本的なことであると言っている。それは思考形態にも言えるという。すなわち、

 原子力発電をめぐる「安全神話」とは言うけれども、ほんらいの神話的思考は、このような無媒介の現象にたいしては、じっさいにはまったくお手上げなのである。神話とは。媒介のメカニズムを使って生態圏の出来事を解釈する哲学的思考のことを言う。それ以後に発達したすべての哲学にも、この媒介の本質は保たれている。その意味で、人工原子炉の建設とそれに続く原爆の製造、さらに原子力発電の発達は、それまでの哲学に深刻な挑戦を突きつけてきたのであった。(23~24頁)

 原発事故は、命という高度な媒介をへた存在を脅かしたが、それに対して、哲学も既存の技術もお手上げだったということが暴露された。事故を起こしている原発に近づけもしないし、手をつけられなかったし、それをどうとらえ、どう対応したらよいかということをまともに思考することもできなかったのである。事故を速やかに収めるためには、命を捨てる覚悟をして原子炉に近づくしかなかったというのに、である。それはチェルノブイリでのやり方であるが。「原子力ムラ」は、チェルノブイリの経験も教訓として蓄積していなかった。そればかりか、原子力事故調査委員会の中間報告で明らかにされているのは、人為的ミスの積み重ね、判断の誤りの繰り返し、そこから速やかに学び教訓を引き出し素早く自己変革をして事態に適切に対処する能力の欠如、無責任、無倫理、無思想、等々の惨憺たる事実である。こうした事実が明らかになる度に被災地では失望や怒りや不信を示す声が出ている。現場の末端行政からも国・東電・御用学者への強い不満や不信の声が起こっている。

 専門家はどうなっているのかという不信の声もある。それもあって、技術の問題というのも根本的に検討してみる必要があると思った。日本では、戦後三大論争の一つの技術論論争があった。戦中に獄死した三木清の『技術哲学』という論文をめぐってなどの技術論をめぐる論争があったのである。それは、「労働手段体系説」と「客観的法則の意識的適用説」の二大潮流の論争として展開された。哲学的には、アリストテレスのテクネーの概念をめぐるものと言ってもいい。それについては検討しているところで、いずれなにか言えることがでてくるかもしれない。

 次に、中沢氏は、イミテーションをイノベーションと勘違いさせる思考である「媒介」のない近代的思考を歴史化し相対化することを試みている。

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3・11問題の中間総括のために(4)

 脱原発運動の局面は、3・11一周年が近づくにつれて、福島主体になりつつあるし、それを断固として推進しなければならない。そのための運動体、組織、思想が必要だ。つまり、福島県民の会、支援、ネットワーク、テーゼ、拠点等々が必要である。県外に出た福島県民5万6千人と県内避難民9万4千人、計14万人の避難民がいるが、かれらの要求を取り上げたり、情報を伝えたり、支援したりしなければならないということもある。

 脱原発が福島県の復興計画に盛り込まれようとされ、県議会で超党派の脱原発決議が採択されているように、すでに福島では脱原発が県全体の意思になっているから、全国に先駆けて脱原発を実現できる可能性が高いからである。そこで、福島では、3・11県民大会によっても、脱原発の意思を明確に示すことが必要になっている。この場合、沖縄と同じく、保守派に対して脱原発のヘゲモニーを握って、脱原発を決定的にするまでは離さない(逃がさない)ことである。左派がそのヘゲモニーをしっかりと行使できれば、福島から脱原発の先例を作り、それを全国へ、世界へと広げるステップになる。欺瞞的な冷温停止のステップ2達成などというステップではなく、脱原発のステップ2になるのだ。12・1からのとつきとおか(10ヶ月と10日)の福島の女性たちのテントでの闘いの再開は、まず福島から脱原発をというステップ1に入る段階になったことを示した。その「呼びかけ文」は、「孕む」という概念を使うことで、新しいものを生み出す闘いということを象徴している。生み出されるべき新しいものとは何かを考えなければならないのである。そこで、中沢新一氏の『日本の大転換』に戻ろう。そこで、氏は、新しい文明が生まれなければならないと主張しているからだ。

 まず、中沢氏は、「……出来事の推移のいかんにかかわらず、いまの時点でも確実に言うことのできる、ひとつの明白な事実がある。それはこの出来事を境として、日本文明が根底からの転換をとげていかなければならなくなった、という事実である。もとどおりの世界に「復旧」させることなどはとうていできないし、また、してはならないことだ。私たちは否も応もなく、未知の領域に足を踏み入れてしまったのである(9頁)」という認識を示してる。

 中沢新一氏は、なぜ今回の福島第一原発事故を文明の転換を示す事態だと言うのだろうか。

 まず、中沢氏は、3・11の被害が地震と津波によるものと原発事故による放射能汚染とは決定的に違うものだということを指摘する。地震や津波による被害は回復可能であり、これまでも何度も回復を遂げてきたが、放射能災害はそれとは異なるというのである。

……人間は、高い濃度の放射線を出し続けるその土地には、暮らしていけなくなる。人々は防護服を身につけなければ、高濃度の汚染地帯には入っていけない。もはやその土地は、人間にとっての生態圏ではなくなってしまうのである。(12頁)

 これは私が3・11後、原発事故のときに感じたのと同じである(*)。マスコミは、まもなく、震災からの復興という阪神大震災の時と同じパターンの報道に移ろうとしたのだが、原発事故の放射能汚染によってそのパターンの物語には完全には移れなかった。大地震は、津波被害と原発事故―放射能被害という2種類の異なる性質の被害をもたらした。それぞれ違うものとして考えて対策を立て、それから、それらを総合する知の形態が必要である。地震災害は地震災害、津波被害は津波被害、放射能汚染は放射能汚染なのだが、その上で、総合的な知によって対策も復興も構想しないといけないが、そういう知を持つ人がいない。それを育てるような学問もなければ、養成する学校もない。だが、事態はそういうものを必要としている。例えば、巨大規模のソーラー発電パネルの設置構想があることに対して、福島県三春在住の作家玄侑宗久氏は、『すばる』12月号の中沢新一氏との対談の中で、批判している。それは、その発想=知が、戦後の大量生産大量消費のフォード・システムそのままで、原発事故が、そこから脱却しなければならないことを示したことをまったく無視しているからだ。言い換えると、それは、自民党であれ民主党であれ、共に前提としてきた「成長主義」の悲惨な結末を示したのに、まだ成長主義を続けようという資本の意思にしたがっていて、利潤率が1以上ないと成り立たない経済システム(『日本の転換』43頁)の行き着く先を示したのに、また同じ事を性懲りもなく繰り返すという愚かな道をそのまま進もうとしていることを意味している。

 中沢氏は、「原子力発電そのものが、生態圏の外部に属する物質現象から、エネルギーを取り出そうとする技術である」(同)という。それは、エネルギーの性格によるというのだ。しかも、それは、総合的な知をもってしか捉えられないような事態だという。

それは、生態圏の外部である太陽圏からのエネルギーの持ち込みという技術的な問題が、私たちの実存と一体になっていることがわかる。地球科学と生態学と経済学と産業工学と社会学と哲学とをひとつに結合した、新しい知の形態でも生まれないかぎり、私たちがいま直面している問題に、正しい見通しをあたえることなどは、できそうにない。(13頁)

 この新しい知の形態を氏は「エネルゴロジー」と名付けた。その先駆形態は、マルクスやバタイユやハイデッガーにあるという。

(*)2011年3月21日 放射能汚染についての「冷静な」報道? (21世紀の風)

 大地震から二週間目に入った。

 被災地は大変な状態が続いている。その中で、仮設住宅の建設が始まったとか原発事故に見舞われた福島県双葉町が役場機能を含めて埼玉県に集団移動したと かいうニュースが伝えられている。事故の真っ最中の福島原発の炉心部で何が起きているのかは確かめようがない。ただ、遠くから水を入れ、電源をいくつか外 から繋いだという程度の措置が取られただけである。

 以下のような放射能の影響についての「冷静」な報道がある。もちろん、これらの「冷静」な人は福島県産の野菜や魚や肉をなんの心配もなく「冷静に」食べ ているに違いない。そうでなかったら、こういう「冷静さ」は倫理に反するかもしれないという内的葛藤を抱えることだろう。その報いが必ず来ることを恐れる ことになろう。報いはほんとに来るのだけども、ただ、それは宗教カルトが言う意味ではない。実際にはそれは共同体的裁きへの恐れなのだが、そう思わなく なったというのは(そう思わなくても報いは来るのだが)、近代的個人主義的倫理が、それを迷信などとして意識の外に追いやったからで、それが近代的な意味 での歴史的な科学的態度を形成している。しかし、それは今解体に向かいつつある。それは一時的歴史的態度でしかなく、その主体として物語的に構築されたも のにすぎないことがどんどん暴露されている。その過程で、この原発事故が起きた。近代科学は人々を幸福にするよりも不幸にするのではないかと人々が考え始 めている時に。

 放射能のレベルが人体にとってただちに大きな健康被害を及ぼすものではないと言っても、自然界にある以上の放射能汚染が起きたのだから、それはいずれに しても人体に悪影響を与えたことに違いはない。それから、放射能の問題は、社会的問題と精神的問題をもはらんでいて、地震・津波被害に加えて原発のために 集団避難や長期の故郷喪失や精神的ダメージ、財産の喪失や減価ということにも見舞われ、そして風評被害、差別等々というマイナスの影響が続くと見なければならない。それと、巨大なエネルギーの確保のための原発の意味とを社会的な観点から比較してみる必要があり、それこそ「冷静に」考えてみなければならない ことで、それはこの緊急事態がある程度過ぎてからの課題である。

 とりあえず、どうしても原発がいるという原発推進派のところには、近くに原発を作るというぐらいのことをすべきだろう。産経新聞社のまわりに5機ぐらい の原発を作ることに、まさか産経が反対するはずがない。AFPの記事だとプルトニウムやその他の放射性物質のことが言われてないので、あまり参考にならな い。政府や電力会社が放射能の人体への悪影響について正確な情報を出さずに隠そうとすることは、つい数年前の東海村の臨界事故の時に暴露されている。時間がたてば、放射能汚染について、今回も低めに見積もって発表したということが明らかになると思う。

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3・11問題の中間総括のために(3)

 「3・11問題の中間総括のために」という題を掲げながら、運動のことや中沢新一氏の文明論や科学社会学の議論にまで触れるのは余計なことと思われるかもしれない。それは、3・11が歴史を画する衝撃を世界に与えていると考えるから、その全体像に迫るために、様々な領域に立ち入って検討する必要があると判断しているためである。様々な知識人たちが、3・11後に考えを変えるという現象が多く発生しているのもその一証左である。

 例えば、若手の研究者で、『絶望の国の幸福な若者たち』の著者の古市憲寿氏は、「政府の統計によれば20代の生活満足度は約7割。過去最高の水準です。他の統計を見ても、若者の幸福度はこの20年間右肩上がりです。若者自身に、自分たちが弱者であるという当事者意識はほとんどないと思います。/実際、今の日本は歴史上まれに見る「豊かさ」の中にあります。ユニクロやH&Mで服を買って、大戸屋でご飯食べて、夜はtwitterで呼びかけた友だちと鍋。あんまりお金をかけずに、そこそこ楽しい生活ができてしまいます」とインタビューで語っている。今の若者の豊かさの尺度は昔とは違うというのである。バブル時代の豊かさの基準を取れば、上記のようなことは「豊かさ」ではなく「貧困」を示している。昔の反貧困運動の一部は、昔なら貧乏くさいと言われたような生活を自ら選ぶという価値観の転換を訴えるものだった。それは、バブルへの反発という反時代的な抵抗のかたちでもあった。だから、もし今の若者が「豊かさ」を感じているとしたら、まさに松本哉氏たちの運動は未来を先駆的に示した前衛であったことになる。多くの若者は、松本氏に追いついて新しい価値観を身に付けたのである。かくして、価値観はバブル崩壊から20年の間に大きく変わったのである。

 どうしてこういうことを言うかというと、人の価値観というのは何年かで大きく変わるのに、そうではないと固く思い込んでいる人がいるからである。コリンズのウィン評価を引用した時、コリンズは「社会的アイデンティティー」のことを指摘していたが、価値観の変化とは「社会的アイデンティティー」が変化することでもあり、変化はいつも起きている。自己というのを恒常的な実体だと信じ込んでいる人は、自己の社会性、「社会的アイデンティティー」を自己認識に繰り込んでいるということに無自覚なのである。社会にどう評価されているかということを自己意識の中に入れているのに気づかないのである。というのが「第3の波」の問題提起の一つである。専門家とは、社会的に認められた「社会的アイデンティティー」だという主張がそれである。専門家は専門的知識や技術をもっているだけではなく、それが社会的に承認される必要があるということだ。それには民主主義的な手続きが必要だというのがコリンズの主張の一つである。

 古市氏は次のように述べている。

アースデイでも反原発デモも、そこに何人集まったかで社会が変わるかどうかが決まるわけではないですから。/しかも「反原発」とか「地球を守ろう」というシングル・イッシューで人を動員したところで、問題はその後です。本気で「反原発」や「地球を守る」ことを目指すなら、個別的で地味な努力をしていかないといけない。そこには当然利害の対立もある。運動は大抵、この段階でバラバラになります。/そもそも、デモって「力がないものに残された最後の手段」だと思うんです。だけど日本では「デモか革命か」みたいなイメージで、それが社会変革の唯一の手段だと思われている。(「若者はもっと「自己中」になって社会を変えろ~「絶望の国の幸福な若者たち」著者インタビュー~」2011年10月28日(blogos http://news.livedoor.com/article/detail/5973806/?p=6)

 集会民主主義をずいぶん過小評価しているけれども、民主主義の基礎は、「寄り合い」のようなものであり、それによって社会のルールが変わることはある。例えば、脱原発がデモの目的だとしたら、未だに脱原発は実現していないのだから、社会は変わっていない。しかし、福島原発10機からの電力供給なしに夏場を乗り切ったということからすれば、首都圏の住民の生活様式は変わっている。この変化が続くことでそれが恒常的なライフスタイルへと結晶するということもありうる。つまり、レベルによるけれども変化はすでに起きている。そこで、この変化を認識し評価することが社会学には求められる。そのための方法として社会学にはフィールドワークというものがある。人類学・民俗学にもフィールドワークがあって、東北学の赤坂憲雄氏たちは、被災地のフィールドワークを試みているに違いない。記録を意識した取り組みは、飯館村の佐藤健太氏たち、「負けねど飯館」グループでも行われている。こうして未曾有の事態の教訓化の素材づくりも意識的に行われているのである。ショックに打ちひしがれそうになるのだが、被災者自身が自らの体験を後世の教訓としようとふんばっている姿を見れば、同じように、事態を解決するための運動を推進しながら、同時に記録していって、教訓を残すという社会性ある仕事も進めなければならないと思う。

 若者の保守性を主張した古市氏も、『週刊読書新聞』(2011.12.2)での上野千鶴子との対談では考えが変わっている。「権力をゲットできるんだったら、躊躇せずに、みんなでゲットすればいい」(同2面)という具合に。もう一つ、今度は運動の抽象性ということが古市氏との共通性としてある一例として、3・11の原発事故が起こった場所の固有性というものを捨象して運動を立てても、まったく大衆と結び付けない一部の前衛的「市民」の自己満足にしかならないということを指摘しておかねばならない。例えば、被曝労働は福島に固有なものでも、3・11に固有のものでもなく、元からある問題で、しかも、世界的にある問題である。原発労働だけでなく、ウラン採掘労働者の被曝問題もある。というわけで、この問題を3・11や福島だけで強調する意味は薄い。しかし、その間に関連があることは疑いないから、それを見つけ出し、関連付けることに成功すればいいのだが、そういうことに気を付けないで、福島で被曝労働一般の問題を突き出すと、政治的利用主義にしか見えないという問題がある。それは大衆の直感的反発を招く可能性が高いので問題の立て方には注意がいるということだ。それを、大衆運動としてではなく、前衛的運動としてやるというなら話は別だが、そんなことはやりたくないし、やらない。党派前衛主義というものもあれば無党派前衛主義というものもある。前衛という機能が大衆運動に必ず存在するということを承認するということと、それを主義とするということはまったく異なることだ。前衛主義はごめんだが、運動の前衛の必要性は認める。例えば、今のところ共産主義は理念で、それに接近しようという大衆的運動、そういう志向性をもった運動しか実際には存在しないし、自由主義なる主義を掲げることは、それが理念であるということを自覚していないと、主義としての抑圧性を持つことを避けられなくなる。自由主義者が自由主義の強制者、それを押し付けるものとなる例がある。共産主義的理念を要求し、夢見る要求を掲げる運動があるということは、その運動が共産主義そのものの実現であるということをただちに意味するわけではないことは自明のことである。

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3・11問題の中間総括のために(2)

 次は、文芸誌『すばる』12月号の中沢新一氏と玄侑宗久氏の対談「無情からの再出発」である。

 そこでは、まず玄侑氏は、「資本主義と宗教を一緒に語れる方は中沢さんぐらいしかいらっしゃいませんからね」と述べているが、これは氏が原発事故について、資本主義と宗教とを関連させて捉えたいという問題意識を持って、福島県の田舎町でこの事態について考えていることを示している。中沢氏は、

財界の要請はなにがなんでも原発再稼働ですが、彼らには世界資本主義の現況がよく見えていない。今までどおりのやり方を繰り返していけば、なんとかなると思っている。ところが世界資本主義じたいは大きく傾き始めていて、今のまま展開していくと、どういうところへはまり込んでいくか、だいぶはっきりと見えてきてしまっています。そういう現実の認識を拒んでいる財界の盲目の要請に引きずられていくと、日本は袋小路に入っていくことが確実です。

と述べている。はっきりと現存の資本主義の問題性・限界とそこからの脱出の意識を持つ必要があることを述べている。言いかえると、それは、現存の文明の転換ということになる。中沢氏の近著『日本の大転換』(集英社新書)はそれをはっきりと主張しているテーゼ(綱領)である。そこで氏は以下のように言っている。

……出来事の推移のいかんにかかわらず、いまの時点でも確実に言うことのできる、ひとつの明白な事実がある。それはこの出来事を境として、日本文明が根底からの転換をとげていかなければならなくなった、という事実である。もとどおりの世界に「復旧」させることなどはとうていできないし、また、してはならないことだ。私たちは否も応もなく、未知の領域に足を踏み入れてしまったのである」(同9頁)

実に鋭い指摘だ。 

 3・11は、現在の直接延長上に被災地の真の復興がないということを指し示しているが、そのことを、財界も政府も政府の復興構想会議の多数派のメンバーもまるで理解していない。それでは、真の「復興」を構想することは不可能だ。かれらは、例えば、堤防を高くすることが「復興」なのではないということがわかっていないのだ。コンクリートをいっぱい使った高い堤防を作ったところで、人がそこで生活しにくくなったら、そして仕事がなかったら、人はそこに住むことができず、どっかへ移ってしまうだけだ。人がいないところに、立派なコンクリートの堤防を作ったところで一体何になるのか。これまでだって、滅多に車も人も通らない立派な道路を農村に作って、一時的な雇用を作ったりしたが、過疎化は止まらなかった。ただ、そのスピードを多少落とせただけである。

現代の資本主義は、原子力発電による大量のエネルギーを利用しながら、かつてないほどの成長を続けて来た。原子炉はいわば、「資本の炉」として、今日稼働を続けているのである。その資本主義は、つぎのエネルギー革命が起こるとき、ラジカルな変容をせまられることが予想される(同78頁)。

 これが彼の言う「日本の大転換」である。もちろん、「日本の」というのは、偶然が必然に転化したから日本問題となったにすぎない。資本主義文明の先進地にはヨーロッパもアメリカもあることは言うまでもない。ヨーロッパの一角のロシア(旧ソ連)でチェルノブイリ原発事故が起き、アメリカでスリーマイル島原発事故が起きてしまっている。このことが、現存の文明に大きな傷をつけた。そして、福島原発事故が起きた。しかも、史上最悪の原発事故が。そこで露呈したものを多様な側面から考察しなければならないし、分析し評価しなければならない。そこで、ようやく、「なにをなすべきか」というカント的な意味での倫理的な問いが提起できるようになる。これは、ヘイドン・ホワイトの論考が、「なにをなすべきか」という問いを、カント的な倫理的問いであると指摘していたことに示唆されている。一部の人には、この問いは、レーニンの『なにをなすべきか」という文章を想起させるだろうが、その際に、この問いが、カントが『実践理性批判』で使った意味であるということに気づいた人はあまりないだろう。

 他方で、福島の具体性ということをこのような資本主義批判とどのように結び付けるかという具体的な課題があることを、中沢氏は認識していて、それが、福島県の三春町に住む玄侑宗久氏との対談「無常からの再出発」で語られている。それについては後で論じることにして、少し運動の主体について触れておく。

 運動は、「市民」一般とか「国民」一般とかいう抽象的な主体を立てがちであるが、そういう概念を実定性(フーコー)のレベルで思念すると、主体的な力は出てこない。また、それは、その「枠組み設定」(フレーミング)によって、境界を作ってしまい、外との垣根を作ってしまう。しかし、運動に境界線は必要で、それは目的によって規定される。脱・反原発運動に原発推進派は入れられない。原発推進派は、脱・反原発派に変わる限りで、脱・反原発運動の境界内へ入ることを容認される。だから、誰にでも開かれる運動というのは実際にはありえない。あるのは、運動の趣旨に基本的に賛同する人たちへの開放ということだ。しかし、理念としては、つまり、今ではないが将来的には、かなり広く開かれるということはありうる。しかし、ちょっと議論したのだが、経産省(加害者で加害責任をとっていないし、原発再稼働を推進している)の掲げるシンボルと同じシンボルを掲げる者に対しては、どうしても国家=加害者とダブって見えるので、怒りの感情が湧いてくる。加害者と同じ旗を掲げているからだ。

 少し脱線する。科学社会学の「第3の波」の議論の興味深いところは、論争の当事者の双方が、共に、論理化されないもの、証明されないものを議論の中に置いているということだ。論争当事者の一方のコリンズによると、議論の相手の「ウィンの主な関心は、「社会的アイデンティティ」を専門知よりも基底的な説明概念とする」(『思想』2011年6月号所収「科学論の第3の波」 コリンズ 岩波書店 p40)という非合理的なものがあるという。そういうコリンズは、「選択的近代」というアイデアを示し、「科学的価値が最良であるといったことは証明できないが、そうした手続きや価値を選ぶ(それらを「選び取る(elect)」)べきだ、という考え方を表そうとした」(p53)ように、「証明できないもの」を学の中に取り入れようとしている。このように、近代的合理主義を反省し、自己批判し、変革する動きが出てきているのはいいことだ。

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3・11問題の中間総括のために(1)

 3・11から半年以上過ぎた。原発問題をめぐっては、まず、福島県が県の復興計画たたき台の基本理念で「脱原発」を明確に掲げた。すなわち、「復興計画は、復興ビジョンで掲げた以下の基本理念の下に復興を進めるものとする」として以下の項目を列挙している(福島県復興計画検討委員会(2011.11.14)提出の福島県復興計画(第1次)たたき台)。

  • Ⅱ 基本理念
  • 「脱原発」という考え方の下、原子力に依存しない社会を目指し、環境との共生が図られた社会づくりを推進。
  • 地域でエネルギー自立を図る多極分散型モデル、経済的活力と環境との共生が両立するモデルを提示。
  • 何よりも人命を大切にする。
  • 除染対策、産業・生活基盤の迅速な復旧により、安全・安心なコミュニティと持続的に発展しうる産業を再構築。
  • ハード・ソフト両面で様々な手段を重層的に確保し、万一の際に対応できる、安全で安心な社会を構築。
  • 人口減少・超高齢社会に全国に先駆けて的確に対応。
  • 放射性物質による影響から長期にわたって県民の健康を守るほか、さらに一歩進んで全国に誇れる健康長寿の県づくりを推進。

 最初に福島原発全10機の廃炉を前提とする「脱原発」が謳われている。以下、地域でのエネルギーの自立、そして「何よりも」命を大切にすると、人命最優先ということを言っている。しかし、これと、次の「除染」「産業・生活基盤の迅速な復旧」の間に矛盾が生じてる。「議事録」を見ると、やはり県当局は産業の復興を急いでいるという印象を受ける。それに対して、委員の中からは医療問題に対する対策の強化を求める声が出たりしている。

  星北斗委員(郡山市の星総合病院理事長)は、「私たちが望んでいる地域の一人一人の安心した医療の確保よりも、20 年後の誰が使うかわからない先進技術のことのほうが、補正予算として、それも早くにつくのです。その事実、そういう現実を私たちは認識して、これからのこの議論をしていかなければならないのだろうと思います。とても大きな、もう我々の力ではどうしようもないようなものを相手に勝負を挑むような気がしてなりません。1人で新幹線を押すような気持ちでありますけれども、それにしても、ごまめの歯ぎしりと言われようが何と言われようが、私は県民の一人として守るべきものは守る、そして主張すべきことは主張していく必要があるのだろうと思います」(「議事録」)と述べている。

 同たたき台は、3・11の被害を次のように記している。

……3 月11 日に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに引き続く大津波は、1,800人以上の死者、5万5千棟余りの家屋の全・半壊や産業・交通・生活基盤の壊滅的被害など、浜通りを中心に県内全域に甚大な被害をもたらした。
○ 本県をさらに困難な状況に追い込んだのは、その後発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故であり、自主的に避難している方も含めて14万人に及ぶ県民が県内外に避難し、そのうち福島県外に避難している方は5万6 千人に達した。震災前2,024千人だった本県人口は、昭和53年以来23年ぶりに200 万人を割り込み、1,989千人にまで減少している。9 町村が役場機能を県内外の地域に移転せざるを得なくなった。……

 すなわち、福島県の3・11の津波による死者1800人以上、家屋被害5万5千棟、原発事故の避難者14万人、県外避難者5万6千人である。中長期の低線量被曝の被害はこれから出てくるので、当然のことながら、それはまだ入っていない。3・11から「とつきとおか」がまもなくやってくるということを含めて。

 他方で、霞ヶ関では今や経産省テント村を拠点に様々な人々の行動が取り組まれている。12・1からのは福島の女性たちの「とつきとおか」のテント村座り込みが始まった。そして、11日には三度目の経産省包囲、そしてデモが行われる。12・3もんじゅ反対全国集会(福井県敦賀市)が前年の2倍の1300人の大結集で成功した。

 春から夏の素人の乱(高円寺系)の1万5千人から、6・11新宿1万人、秋9月の9・11経産省包囲(1000人以上)、9・19明治公園集会(6万人)、11・13福岡集会デモ(1万5千人)、という延べ何十万人の大行動と並行して行われている「草の根」の小規模の無数の地域運動が広がるかたちになってきた。他方で、来年3月11日の1周年での取り組みの準備も始まりつつある。そして、福島現地での闘いが本格的に立ち上がってきた。運動は厚みと多様さを増しているが、それが深さと持続性を持つのは、福島の運動が底にあってそれとのつながりがあるためである。福島は低線量放射線の長期被曝との闘いという未知の領域へと踏み入りつつ、すでに脱原発を決めたというその点では明らかに前衛的な位置に立ったことで、不可避的に未来を切り拓いていかざるを得ない位置に押し出されてしまったのだ。当面、この運動では階級性は後景化せざるをえない。福島県民大会というプランに示されるような福島の主体性を軸にした闘いが大きな位置を占めるようになる。その点は沖縄と共通する。同時に県行政と県民の緊張関係ということもありつつ、対「原子力ムラ」では共に進む。他方では、東京を中心とする電力の享受者との間の矛盾もはらんでいる。それは、大きな構造としては、中央対地方、都市と農村の間の矛盾も鋭く突き出す。これらの諸矛盾の束の解決形態を見つけ出すことが課題となり、その解決の道を提起し、解決のための運動を展開し、そのヘゲモニーを形成することが必要となる。その作業がこれから急ぐべき課題である。

 3・11に対する考察の深さを感じるような文章がぽつぽつと見られるようになった。まず、『図書新聞』のマニュエル・ヤンさんのインタヴュー(「カタストロフィを超える民衆 放射能計測運動を世界の民主運動に接続する」)である。

 ヤンさんは、まず、「原発自体は異常な装置―それは剰余価値を生み出すエネルギー資源、つまり原発によって日常生活や生産手段のエネルギーを供給・集約し、この資本主義社会で人間に労働を強要するための装置として働く」として、原発を資本主義の装置と位置付けている。科学一般や技術一般ではなく、現存社会の基本構造と結びついたものとしている点で具体性がある。したがって、今回の原発事故は「その装置に綻びが現れ、危機感があらゆるところに露出している。英語では被曝も露出・暴露も同じ単語expose、被曝がシステムを可能にしている根源的労働と、そこにおける強烈な搾取と恐怖を暴き出しています」ということになる。そして、民衆の放射能計測運動を評価して、「それは核資本のまき散らす放射能を測り、「被曝」という搾取を可視化し、労働力とその再生を守ろうとする階級闘争です。意識的にこういった言葉は使われていないが、子供を守り、生活の基盤である健康や食べ物を守るという行為は、すべて労働力の再生産に直接繋がるので、この運動を一種の労働運動、階級闘争として認識しても間違いないでしょう」と述べている。しかし、これは労働力再生産の資本主義的目的が剰余価値を生産するためでしかないという批判が欠けているので、十分な資本主義批判になりえていないのが残念ではある。また、資本主義的に労働力化されない生活についても目を向ける必要がある。

 とはいえ、「マルクスの『資本論』第1巻の冒頭にあるように、資本主義を支えているのは労働力、その労働力を生む根幹的な位置に原発は存在します」というのは、かなり深い認識である。そうでないと、脱・反原発運動が、これほどの「草の根」の運動になっていることを理解できない。命のレベルに根源的に触れるところまで資本主義の危険性が迫っていることを直感的に感じているから、人々は立ち上がり学ぼうとしているのである。放射能を測定する運動は日本でも行われている。

 資本主義システムと無関係に中立的な原子力の科学・技術が存在していると考えることはできない。前にウィンという科学社会学者に触れたのは、社会学者マックス・ウェーバーの社会学の方法としての「価値中立性」というのを、方法論以上のものとして、科学的方法として普遍化して、それを学問的と称するようになったことへの反省の意識が、彼にはあるからである。同じようなことは、歴史学の方でも、アメリカの歴史学者のヘイドン・ホワイトによって提起されている。科学・技術の学は、「価値中立」的な学問として存在するのではなく、反省的意識を伴うことが学問としての成立条件だということである。それがないところに、学としての知は本来成立しえないのである。『資本論』はそうした方法を取っている。それをマルクスは批判と呼んだ。「原子力ムラ」の学者たちにそんな批判意識はまったくない。かれらがやっているのは学問でははく、学問もどきにすぎないのである。かれらの知はまったく堕落している。それに対する評価システムも同じように堕落しているので、学そのものの危機が起きていると判断して間違いない。当然ながら、学問の府たる大学も堕落している。そのことは、雑誌『現代思想』12月号の特集「危機の大学」を読んでみればわかる。それもまた3・11が鋭く突き出した問題の一つである。「原子力ムラ」を支えてきた学者や官僚たちが、これだけの大ミスを犯しながら責任を問われずにいられるというのは、大学当局や大学システムの無責任体質が極まっている証拠である。社会性がない大学が、社会によって成立させられているままでいいはずがない。 

 放射能測定運動が階級闘争とまで言えるかどうかはその内容による。むしろ、指摘しておきたいのは、現在の脱原発運動が無反省的だと堕落するということだ。だから、このへんで、運動は「再帰的」に自己反省をした方がいい。批判的方法、自己批判という方法で。例えば、当初から、運動の主体を抽象的に提起する傾向が見られ、それによって不毛な「人民内部の矛盾」が現場に強いられるという現象が見られた。「農民か消費者か」「市民か労働者か」「農民か労働者か」といった類である。いずれも抽象的対立であるが、これを単純に実体化して対置し合うのは不毛である。このような対立を乗り越えた「国民」となると、これは乗り越えではなく、抽象の抽象であって、ますますおかしなことになる。それで、プロレタリアートといった抽象であることが誰でもわかる意味を盛り込む器として多少曖昧な概念を使った方がいいと思っている。別にプレカリアートでも構わないのだが、これは意味が特殊すぎる気がする。

 ともかく、ヤン氏が資本主義システムの命を根底から脅かす位置に原発があるということを指摘しているのは鋭いと思う。

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福島の女性たちの座り込みの呼びかけ文

 12月1日から福島の女性たちの座り込みが始まった。

 その呼びかけ文には、

 再び繋がります。続けます。・・・縫う、唄う、踊る、書く、描く、紡ぐ・・・

◎テント村で熱く語ります。

◎とつきとおか、いのちを守り、いのちを張ります。

とある。

 まず、つながること、すなわち、社会関係を取り結ぶこと、コミュニケーションの形成、ということが最初にあって、そこで、象徴的な行為として、縫う、唄う、踊る、書く、描く、紡ぐ、とあり、さらにそれが…と、無数、無限にある開かれたものであることが示されている。それで、性別を問わないということも表現されている。さらに、物語り続けることで、他者と交通し、未来を孕む「とつきとおか」(この一般的な意味は誰でもわかるだろう)、つまり10ヶ月と10日間続けて、それで、今年の12月1日からちょうど来年の9月11日となる。今年の9月11日の経産省包囲の成功、そして、9条改憲阻止の会による経産省前テント座り込みが始まった日から一周年となるのである。

 そして、「とつきとおか」、いのちを張って、いのちを守る、つまり、命を失うかもしれないという覚悟を決めて、いのちを守るというのだ。誰の命をどう守るのか? いくつかの解釈がありうると思う。ひとつは自己犠牲によって他者のいのちを守るというものである。さらに、一秒先でも未来だから、自分も自分のいのちを守るというもの。次に、自分も他者も未来があるのだから、自他共のいのちを守るというものである。もう一つ言えば、ハンナ・アーレントが言うように、自分にとって自分は他者でもあるということからは、自分のいのちを張るということで、他者としての自分のいのちを守るというふうにも読める。

 また、「張る」という動詞は、文脈から、「賭ける」という意味合いで使われている。サルトルの思想で言えば、それは実存の投企ということになろうか。未だ来ていない未来へ自らを投げ、賭けること、その賭けるものが、命である。命をもって命を守るということ、命のつながりである。そのような繋がり、社会関係が、村というコミューン(共同体)としてイメージされているのだろう。それに対して、「ひろば」というのは集まる所、交通するところ、といった意味だろうか。村で、「ひろば」に当たるものは、「踊り場」とか「辻」とか言われてきた。ここでの「村」は今ある村を示しているのではなく、象徴としての未来を孕む共同体(共同的社会関係)を表現する言葉だと思う。

 この短い文の意味の豊かさと深い配慮がされてことに驚くし感心する。素晴らしい表現だ。

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12・1福島の女性たちの経産省前テント村座り込みが始まった

 12月1日、ついに福島の女性たちの「十月十日」の座り込みが始まった。午後、女性たちのテントを訪ね、インタヴューを行った。やはり、表情、言葉、雰囲気に、緊迫感、切迫感、怒りが感じられ、それがひしひしと伝わってくる。私は、東京の脱原発運動にかかわる人たちに、それをあまり強くは感じない。朝日新聞の北海道の記者も取材に来ていた。

 それから、「福島老朽原発を考える会(フクロウの会)」の人から福島の子供の放射能被曝状況について教えてもらった。福島県南相馬市の調査で半数の小中学生からセシウム137が出ているが、その数値は、通常の30~100倍である。買ったパンフレットを見ると、子供たちの被曝のかたちは様々で、合格発表を見に行った時とか、自転車で買い物に行った時とか、いろいろなケースがあるのがわかる。この問題はこれから出てくる問題である。すでに、関東で、子供たちに被曝の影響と見られる症状が出て来ているという情報もある。

Imgp0002_2(写真は、福島の女性と全国の支援者が座り込みを始めたテント)

 この間よくわかったのは、放射性物質は政府などが当初描いていたように、同心円のようには拡がっていかず、気流や地形などの影響で、遠いところの方が近くより放射能濃度が高かったりするということだ。それと軽い粒子と重い粒子では飛ぶ範囲が違い、軽い放射性物質はかなり遠くまで飛んでいる。それと雲と共に遠くまで行って、雨とともに地上に降ってくるものだということである。チェルノブイリで欧州全域に放射能汚染が広まったのはそのためだ。岩波書店『思想』科学社会学特集で、ウィンという学者が調べて論じているのは、イギリスのカンブリア地方が、チェルノブイリからはるか遠くに離れているのに、雨が降ったことによって、放射能に汚染されたというケースである。しかし、その前に、この地にあるウィンズケール(現セラフィールド)核施設の火災事故(1957年)による放射能被害があった。そこに、チェルノブイリ原発事故による放射能が雨と共に降ったのである。そこで、イギリスの「原子力ムラ」の専門家は、この地の放射能汚染を、すべてチェルノブイリ事故のせいにしようとしたのである。

 そこで、科学社会学の「第3の波」(コリンズらによる)の提起をめぐる科学社会学者の議論が起きている。それは、専門家と素人の関係についての議論である。同じ様な問題が3・11をめぐって起きている。専門家とされる東京電力・経産省原子力安全・保安院、原子力学者などが間違いを犯した時に、それを正し、責任を明確にさせ、責任を取らせるのは誰かということがその一つである。それを議論するメンバーには何が必要かということだ。この間、ほぼ、これまで通りのメンバー、専門家と呼ばれる人たち、「原子力ムラ」の面々が、そのまま議論していて、当然のことながら、自らの責任を自ら正すということにはなっていない。逆に、責任逃れの議論ばかりをしていて、それで逃げおおせると思いこんでいるようだ。もちろんそうはいかない。それを許さないのは、福島をはじめとする大衆運動の力である。今、大衆は急速に学んでいるが、大衆側が信頼する「原子力ムラ」の外の学者などの専門家から学んでいるのである。

 そこで、責任問題を追求する場に、どれだけ大衆参加が必要で、それにはどういう内容を持たなければならないのかを考える必要がある。もちろん、裁判の場というのも責任追求の場の一つである。そして、この議論の重要な点の一つは、科学や技術が中立ではなく、社会諸関係の一部として階級性などの社会的性格を持っていて、それとの関連抜きに存在しているわけではないということが前提になっているということである。専門性を要する科学・技術に関わる政策決定の問題をめぐって議論がなされているのである。大衆知と専門知の関係をめぐる、そしてそれぞれの知の形態の吟味ということも同時にありつつ、それが社会的に影響を及ぼすということが前提にあるのだ。それは、科学の中立性を基本として成立した戦後の日本の科学政策・技術政策のあり方を問うものでもある。日本学術会議が1954年10月の第18回総会で採択した原子力問題に対する三原則は、核兵器研究を拒否し軍事利用は否定したが、①研究の民主的な運営、②日本国民の自主的運営、③一切の情報の完全公開、という核の平和利用の三原則の確立を求める声明を出した。しかし、核兵器開発という軍事利用だけではなく、脱・反原発で核の平和利用の否定が必要になっていて、歴史的に前提条件が変化してしまった「自主・民主・公開」の三原則は根本的に問われざるをえないのである。

 運動面で見みると、3月末に1万5千人を集めた高円寺「素人の乱」があって、6・11新宿デモを頂点に、夏ぐらいまでの脱原発運動をけん引したが、秋以降、9・11、9・19明治公園6万人という空前の規模の脱原発集会が実現した頃から、原発、放射能問題を学んできた大衆知のレベルが高まってきて、運動は、団地デモ、地域デモ、ミニ集会、映画、講演、シンポ、学習会などの蓄積された力が底力となる「草の根」の運動になってきている。9・11後の経産省前「テントひろば」(福島の女性たちは、「テント村」と呼んでいる。これは、主に高齢の男たちが主体の「テントひろば」と区別するためだろうか?)は、こうした全国的な「草の根」を交通させる媒介の場となっていて、それによって支えられもしている。「テント日誌」はそうした様子を日々伝えている。全国からテントを人々が訪れ交流している。

 しかし、この運動の大きな、そして重要な力は、10月27日からの福島の女性、それに続く全国の女性の座り込み運動へと拡大した10日間行動に示されたような福島現地との結びつきにある。今また、その福島の女性たちが、テント座り込みを再開した。「十月十日」の長期・持久戦である。これを支えるには、多方面の力の結集が必要で、総合力が問われることは言うまでもないことだ。物質力も精神力も必要だ。思想的な支えもいる。情報の力も。しかし、なによりも、よき未来を求めて立ちあがっている福島の闘いと結びつき、そういう人々と未来への意思を共有することが力となる。つまり、福島現地の実際を知り、福島の人と繋がり、福島の闘いを支援し、共に闘い、共に物語ることが、力となる。それが底にあって、その上で全国との運動の交通があるという構造によって大きな力が生まれるのである。福島の主体性があって大きな力が出てくるのだ。これは事態そのものの歴史的社会的性格が指示する運動構造のあり方である。それは主観主義でもなくヒロイズムでもなく代行主義でもない「草の根」的な運動のスタイルとして表現されるのである。

未来を孕む女たちのとつきとおかのテント村行動

生活時間 2011,12,1~2012,9,11のとつきとおか AM10:00~PM3:00
                                     (原則として上記。夜や夕方の企画も随時)

◎再び繋がります。続けます。・・・縫う、唄う、踊る、書く、描く、紡ぐ・・・

◎テント村で熱く語ります。

◎とつきとおか、いのちを守り、いのちを張ります。

  経産省テント村行動へご参加下さい。どなたでも!!!

  原発いらない福島の女たち

世話人    椎名千恵子

呼びかけ人  大賀あや、黒田節子、千脇美和、佐藤幸子、佐々木慶子、

事務局    高橋幸子

ウィキペディアより

ウィンズケール

 1947年、核兵器の材料となるプルトニウムの生産を行うため、ウィンズケール原子力研究所が着工された。近くにあるプレストン市のウラン処理工場 Springfields と名前が似ていることから、混乱を避けるためにセラフィールドではなくウィンズケール (Windscale) の名前を採用した。こちらも付近の村の名前に由来する。

 1954年、英国原子力エネルギー機構 (UKAEA: United Kingdom Atomic Energy Authority、現在は AEA Technology plc.) が設立されるとともに、ウィンズケール原子力研究所より所有権が移動された。

 1956年10月17日、ウィンズケールに隣接するコールダーホール原子力発電所が、マグノックス炉の方式で世界初の商用発電を開始し、名称も「ウィンズケール・アンド・コールダー研究所」 (Windscale and Calder Works) となった。なお、世界初の原子力発電所は旧ソビエト連邦のオブニンスク発電所である。

 1957年10月10日、ウィンズケール火災事故が起きる。この事故は世界初の原子炉重大事故となった。英国北西部の軍事用プルトニウムを生産するウィンズケール原子力工場(現セラフィールド核燃料再処理工場)の原子炉2基の炉心で黒鉛(炭素製)減速材の過熱により火災が発生、16時間燃え続け、多量の放射性物質を外部に放出した。避難命令が出なかったため、地元住民は一生許容線量の10倍の放射線を受け[要出典]、数十人がその後、白血病で死亡した。現在の所、白血病発生率は全国平均の3倍である。当時のマクミラン政権が極秘にしていたが、30年後に公開された。なお、現在でも危険な状態にあり、原子炉2基のうち一基は煙突の解体が遅れている状態にある。2万キュリーのヨウ素131が工場周辺500平方キロを汚染し、ヨウ素(ヨード)の危険性を知らせたことで有名である。また水蒸気爆発のおそれから、注水に手間取った。

 1971年、核兵器の研究および生産拠点としての操業終了に伴い、新たに設立された英国核燃料公社 (BNFL: British Nuclear Fuels Limited) に生産部門が吸収統合され、ウィンズケールの施設の大半が BNFL の管理下となった。

 1973年、天然ウラン燃料生産用B204棟で大規模漏洩事故が発生。31名の労働者を被爆させ閉鎖となる。
セラフィールド

 1981年、ウィンズケール・アンド・コールダー研究所は施設の再編成に伴い、セラフィールドと改名した。

 UKAEA に残された施設は、戦後の核兵器の開発のために構成されたもので、現在もウィンズケールと呼ばれている。また、ウィンズケール原子炉は、改良型ガス冷却炉の原型となった。

 2003年、施設自体が老朽化していたこと、また英国内における電力自由化などの影響で採算が取れなくなっていたことも重なり、閉鎖が決定となる。

 2007年9月29日、コールダーホール原子力発電所の4つの冷却塔が爆破解体された。

 セラフィールドは当初より、使用済み核燃料の再処理工場も多く保有していた。再処理が施されることにより、例えば日本の高速増殖炉もんじゅなどに利用されるMOX燃料の製造にプルトニウムを用いることが出来る。他にも、ガンマ線照射用の線源としてセシウム137の抽出を行うなど、核分裂生成物を再利用するための努力も行なわれてきた。

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