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福島の女性たちの座り込みの呼びかけ文

 12月1日から福島の女性たちの座り込みが始まった。

 その呼びかけ文には、

 再び繋がります。続けます。・・・縫う、唄う、踊る、書く、描く、紡ぐ・・・

◎テント村で熱く語ります。

◎とつきとおか、いのちを守り、いのちを張ります。

とある。

 まず、つながること、すなわち、社会関係を取り結ぶこと、コミュニケーションの形成、ということが最初にあって、そこで、象徴的な行為として、縫う、唄う、踊る、書く、描く、紡ぐ、とあり、さらにそれが…と、無数、無限にある開かれたものであることが示されている。それで、性別を問わないということも表現されている。さらに、物語り続けることで、他者と交通し、未来を孕む「とつきとおか」(この一般的な意味は誰でもわかるだろう)、つまり10ヶ月と10日間続けて、それで、今年の12月1日からちょうど来年の9月11日となる。今年の9月11日の経産省包囲の成功、そして、9条改憲阻止の会による経産省前テント座り込みが始まった日から一周年となるのである。

 そして、「とつきとおか」、いのちを張って、いのちを守る、つまり、命を失うかもしれないという覚悟を決めて、いのちを守るというのだ。誰の命をどう守るのか? いくつかの解釈がありうると思う。ひとつは自己犠牲によって他者のいのちを守るというものである。さらに、一秒先でも未来だから、自分も自分のいのちを守るというもの。次に、自分も他者も未来があるのだから、自他共のいのちを守るというものである。もう一つ言えば、ハンナ・アーレントが言うように、自分にとって自分は他者でもあるということからは、自分のいのちを張るということで、他者としての自分のいのちを守るというふうにも読める。

 また、「張る」という動詞は、文脈から、「賭ける」という意味合いで使われている。サルトルの思想で言えば、それは実存の投企ということになろうか。未だ来ていない未来へ自らを投げ、賭けること、その賭けるものが、命である。命をもって命を守るということ、命のつながりである。そのような繋がり、社会関係が、村というコミューン(共同体)としてイメージされているのだろう。それに対して、「ひろば」というのは集まる所、交通するところ、といった意味だろうか。村で、「ひろば」に当たるものは、「踊り場」とか「辻」とか言われてきた。ここでの「村」は今ある村を示しているのではなく、象徴としての未来を孕む共同体(共同的社会関係)を表現する言葉だと思う。

 この短い文の意味の豊かさと深い配慮がされてことに驚くし感心する。素晴らしい表現だ。

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